21話(来訪)
劇団の代表との打ち合わせを終えた私は、書類を閉じるや否や立ち上がった。
「アーサー様?」
「申し訳ありません。急ぎの用事があります」
代表へ一礼すると、そのまま馬車へ飛び乗る。
夕暮れの街を走り抜けながら、頭の中には一つのことしかなかった。
(どうかリリアンと対面してないように)
ギルバートはあの勢いのまま飛び出していった。
リリアン嬢と会えば必ず彼女を傷つけてしまう。
今更やり直そうなどと、そんな言葉、聞かせたくない。
嫌な想像ばかりが胸を締めつける。
両親が屋敷にいて、どうか、ギルバートを追い返していてくれ! そう心の中で叫んでいた。
やがて、アッシュフォード伯爵邸が見えてきた。
馬車が完全に止まるより早く飛び降り、門番へと詰め寄る。
「アーサー・ボーフォールだ。伯爵様に取り次ぎを頼む」
やがて門番が戻ってくる。
「応接室でお待ちです」
私は足早に屋敷へ入る。案内され、応接室へ通されるとアッシュフォード伯爵が静かに立ち上がった。
「来ましたか」
「伯爵様」
息を切らしたまま尋ねる。
「ギルバートは」
「もちろん追い返したよ」
その一言に、心の底から安堵する。
「そうですか……」
「だが」
伯爵の表情は晴れなかった。
娘のためにどうしても確かめたいことがあった。
「あの男は、大声で叫んでいたからリリアンにもすべて聞こえてしまった」
私は拳を握る。
「……やはり」
伯爵は私を真っ直ぐ見つめた。
「それだけではない。先日のお茶会で、アーサー殿とディアナ嬢の噂を耳にしてから、あの子はずっと元気がなかった」
その言葉に、息が止まる。
(あの観劇の噂か……)
「伯爵様、それは誤解です」
思わず声が大きくなる。
「ディアナ嬢とは、隣国公演の話を進めるために会っていただけです。それ以上の関係など、一切ありません」
伯爵はしばらく私を見つめたあと頷いた。
「そうでしたか」
その一言に、私は少しだけほっとする。
「だが、あの子は何も知らない。あの男は、窓の外から大声で、君とディアナ嬢のことを叫んでいた」
胸が痛んだ。リリアン嬢は、きっと噂とギルバートの言葉を信じて傷ついたのだ。
舞踏会でダンスに誘い、屋敷を訪ねてもいいだろうかと聞いた私のことを、軽い男だと思ったのかもしれない。
「会わせていただけませんか」
伯爵は少し考え込んでから静かに口を開いた。
「会うかどうかは、リリアンに決めさせよう」
そう言って使用人を呼んだ。
「リリアンにアーサー殿が訪ねてきたと伝えてくれ」
私は扉の方を見つめながら、息を吐いた。
(どうか……私を信じて欲しい)
しばらくすると、応接室の扉が静かに叩かれた。
「失礼いたします」
使用人が扉を開ける。
「お嬢様をお連れしました」
その言葉にほっとする。リリアン嬢は静かに部屋へ入ってきた。
「お待たせいたしました」
私は一歩前へ出る。
「突然押しかけてしまい、申し訳ありません」
「いいえ……」
そこで初めて彼女は、まだ少しだけ息を切らしたままの私の姿に気づいた。
「そんなに急いで来てくださったのですか?」
私は苦笑した。
「はい。でも……間に合わなかったようですね。すみません」
「アーサー様が謝ることではありません」
そう言って、リリアン嬢は目を伏せた。
その仕草を見ていると、胸の奥が苦しくなる。
やはり、傷ついている。
私は表情を引き締めた。
「聞いていただきたいことがあります」
リリアン嬢は静かに頷いた。
「お茶会で耳にしたという噂のことです」
その言葉に、彼女の肩がわずかに揺れる。
「ディアナ嬢と観劇していたという話なら、本当です。ですが、あれは仕事でした」
彼女は息を呑む。
「それに、本日も隣国公演の話を進めるため、ローゼンベルク侯爵家で劇団の代表を交え、打ち合わせをしていました。あの日も、その一環として観劇しただけです」
目を逸らさず見つめる。
「それ以上の関係は、一切ありません」
部屋に静かな沈黙が落ちた。
リリアン嬢はしばらく俯いたまま動かない。
その姿を見ているだけで、不安が広がっていく。
(どうか、信じてくれ……)
少しして、か細い声が聞こえた。
「では、あのお茶会での噂は……」
彼女は一瞬、躊躇うように続けた。
「舞踏会でダンスに誘ってくださったことも、お屋敷へ訪ねたいと仰ってくださったことも……全部、社交辞令だったと……」
「違います。決して社交辞令ではありません」
私は彼女から目を逸らさなかった。
「軽い気持ちで、迷わすような言葉を口にしたりはしません」
リリアン嬢は唇を震わせる。
「でも……あんな噂を聞いたら、どうしても」
その声を聞いた瞬間、胸が締めつけられた。
彼女がどれほど悩んでいたのか。
もっと早く伝えていれば、こんな思いをさせずに済んだのではないか。
私は彼女を真っ直ぐに見つめた。
「当然です。誤解を招くようなことをしたのは、私の配慮が足りませんでした」
そう言って頭を下げた。
「本当に申し訳ありません」
しばらく沈黙が流れた。
「もう謝らないでください。本当のことを聞けて……安心しました」
その言葉を聞いた瞬間、張りつめていたものが一気にほどけ、力が抜けそうになった。
「信じてくれてありがとう」
(それでも今はまだ、ディアナ嬢に近づいた本当の理由だけは、話すことはできない)




