16話(アーサーの反撃4)
数日後。
アーサーはディアナを観劇へ誘っていた。
『隣国へ招いて上演する演目として相応しいか、この目で確かめておきたい』
そう言って彼女を誘い出した。
もちろん、それを聞いたディアナは何も疑わない。それどころか、勝手に都合よく解釈していた。
(アーサー様からのお誘い……! わたくしに会う為の口実かしら)
胸の高鳴りを抑えきれず、何度も鏡の前で全身を映し、いつも以上に時間をかけた。
間もなくするとアーサーが手配した馬車がローゼンベルク侯爵家へ到着した。
彼は仕事を片付けてから直接劇場へ向かうとのことだった。
劇場へ着き合流すると、二人はローゼンベルク侯爵家が年間契約しているボックス席へ案内される。
高いところから舞台を見下ろせる特等席で、舞台の正面中央に位置している。
そこからは劇場全体がよく見渡せた。
客席には華やかに着飾った貴族たちが次々と集まってくる。
令嬢たちも多く、彼女たちの興味は自然と二人へ向かっていた。
「ご覧になって。あちら……」
「ローゼンベルク侯爵令嬢では?」
「隣国の王太子殿下の側近の方とご一緒なのね」
「まあ、お似合いですこと」
そんな囁きが耳に届くたび、ディアナの頬は熱くなった。
(ああ、夢みたいだわ。こうしてアーサー様と二人きりで観劇しているなんて)
幕が上がる。
舞台では、長い付き合いの末に、男に裏切られた女性が悲しみを乗り越え、新しい恋をみつけ、果敢に生きていく物語が繰り広げられていた。
(これはまるで……)
彼は決意を新たにした。
観劇中アーサーは、ときおり舞台の演出についての感想を口にした。
「この場面、女性の方があまりに理不尽ですね」
「ええ、本当に」
(白々しい物言いだ。彼女は、この物語を本当に理解しているのか?)
「これならきっと、隣国でも受けますわ」
何度も目にしているであろう演目の話をしながら、ディアナは目を輝かせ見入っている。
その姿を不快に思いながらもアーサーは相槌を打ちながら彼女の興味を引くため話し続けた。
だが、ディアナはそれが、自分に対する気遣いなのだと思い、特別な優しさを感じた。
(やっぱりアーサー様は違うわ。ギルバート様なんて比べものにならない)
舞台の中心では主役の男性がヒロインの女性を力強く抱きしめている。
こうして、最後の幕が下りた。
劇場中が拍手に包まれていた。
アーサーが彼女の反応を見ながら呟く。
「素晴らしかった」
ディアナは満足そうに頷いた。
「ええ、本当に」
(よくもまあ、そんな顔で頷けるものだな)
アーサーは本心を隠し、話しかけた。
「この後、楽屋へ案内してもらえますか」
そう言って立ち上がる。
楽屋へ入ると、主役の俳優が笑顔で二人を迎えた。
「ディアナ様、またお越しくださったんですね」
まだ衣装のままの彼は、人目を引く若い美男子だった。
舞台の熱気そのままの笑顔でディアナのそばに寄り、話しかける。
「今日もお会いできて嬉しいです」
だがディアナは、彼の親しげな態度を牽制するようにアーサーの隣へ寄った。
「本日の舞台、見事でした」
アーサーが声を掛ける。
主役の俳優は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
するとディアナが突然口を挟んだ。
「こちらのお方は、隣国の王太子殿下の側近でいらっしゃいますの」
彼女が誇らしげに紹介する。
主演俳優は驚いたように目を見開いた。
「それは失礼いたしました」
アーサーは穏やかに微笑む。
「実は隣国の有力貴族が、この国の演劇にとても関心を示しておりまして」
「え?」
「ぜひ隣国でも上演できないかという話になりました。殿下にも許可をいただき、私が交渉役を務めることになったのです」
その言葉に、主演俳優の表情が一気に明るくなる。
「本当ですか!」
「ええ」
「ぜひお願いしたいです!」
勢いよく身を乗り出す彼へ、アーサーは静かに頷いた。
「ただ、一つだけ課題があります」
「課題?」
「言葉です」
主演俳優は首を傾げる。
「舞台の合間の語りは、向こうの語り手がある程度補うことはできます」
ディアナも興味深そうに耳を傾けていた。
「ですが、台詞まですべて置き換えるのは難しいでしょう。できれば皆さんにも、ある程度は隣国の言葉を覚えていただきたいのです」
その瞬間、彼は困ったように笑った。
「実は……」
少し言いづらそうに頭を掻いている。
「俺だけじゃなく、劇団の連中は字の読み書きが苦手でして」
「そうなのですか」
「耳で覚えることは得意なんですが」
アーサーは少し考え込んだ。
「分かりました」
「え?」
「何か方法がないか考えてみます」
主役の俳優の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます!」
すると彼は、はっとしたように口を開く。
「あっ、そうだ。こんな大事な話、自分ではなく劇団長にお話しにいらしたのですよね。すぐに呼んできますのでお待ちください」
そう言って楽屋の外へ駆け出した。
ほどなくして、一人の中年の男が部屋へ入ってくる。
「お待たせいたしました。この劇団の代表兼劇団長を務めておりますリーゼンと申します。ディアナ様にはいつも劇団をご支援いただき、ありがとうございます」
そう言って深く一礼をした。
ディアナは得意げに頷いた。
「ええ。いつも素晴らしい舞台を楽しませてもらってますわ」
当然のように返したディアナを前に、アーサーは早速、本題を切り出した。
「隣国公演について、ご相談があって参りました」
そこからは代表を交え、具体的な公演の日程や劇場、後援について話し合いが進んでいった。
その席で、改めて団員たちが読み書きに苦労していることも詳しく聞いた。
アーサーはその話を持ち帰ることにした。
「また改めてご相談しましょう」
そう言って二人は楽屋を後にしようとした。
「ディアナ様!」
突然、主役の俳優が名残惜しそうに呼び止める。
「またお会いできるのを楽しみにしています!」
ディアナは振り返りもせず、軽く会釈だけして歩き続けた。
(今はアーサー様と一緒なのに、話しかけないで欲しいわ)
帰りの馬車の中、アーサーが何気なく口を開いた。
「主役の彼は、かなりの色男でしたね」
ディアナの顔が引きつる。
「あ、あら。アーサー様の方が、よほど素敵ですわ」
「まさか」
照れたふりをして笑うその横顔に、何も知らないディアナの胸は高鳴った。
「それにしても」
アーサーは窓の外へ目を向けたまま続ける。
「彼はずいぶんあなたに親しげでしたね」
一瞬だけディアナは言葉に詰まったが、すぐに笑顔を作った。
「あの方とは、お父様のお仕事の打ち合わせで何度かお会いしただけですわ」
「そうでしたか」
(もしかして……アーサー様、妬いていらっしゃるのかしら)
そう思った瞬間、胸が弾んだ。やはり自分に気があるのだ。そう確信し始めていた。
少し間を置いてから、アーサーが再び口を開く。
「そういえば」
「はい?」
「先日の舞踏会で、ギルバートがディアナ嬢と婚約したと言っていましたが、私なんかとこうしていたら勘違いされて妬かれてしまいますね」
ディアナは慌てて首を横へ振った。
「あれは仕方なかっただけですわ」
「仕方ない?」
「わたくしはローゼンベルク侯爵家の跡取りですもの。お父様が勝手に決めたことなのです」
もちろん、それは嘘だった。それでもディアナは平然と続ける。
「だって、お父様は『嫌なら婚約を解消して構わない』とも言ってくださっていますの」
さらに嘘を重ねる。
「それにギルバート様の方から、伯爵家へ婿入りするより、我が侯爵家へ入る方がいいと、お父様へ言い寄って決まっただけですわ」
アーサーは呆れたように息を吐いた。
「ずいぶんと酷い男ですね」
「でしょう?」
ディアナは同意するように笑う。
アーサーはその笑みを見つめながら、穏やかな声を装って言った。
「もっとも、あなたほど魅力的な方なら、多くの男性が心を奪われるのは当然でしょう」
その一言だけで十分だった。
ディアナは嬉しそうに頬を染める。
(やっぱり、アーサー様は、わたくしに惹かれているのね)
馬車は夕暮れの街を静かに進んでいく。
ディアナは幸せな未来を思い描いて微笑み、アーサーは窓の外を眺めながら、リリアンを思っていた。
(もう少しだ。待っていてくれ)
表情一つ変えぬまま、彼は次の一手を思い描いていた。




