10話(噛み合わない二人)
リリアンの父との話を終えて、王太子のもとへと向かう途中。
「おや、アーサーじゃないか」
聞き覚えのある声が割って入る。
振り返ると、そこにはギルバートがいた。
そして、その隣にはディアナが立っている。
一瞬だけ、ディアナの表情が強張った。
「久しぶりだな。先ほど他の者から隣国で王太子殿下の側近になったと聞いて驚いたぞ」
ギルバートは親しげに笑う。
「色々あったからな」
アーサーは軽く返した。
「実は僕の方も色々あって、報告したいことがあるんだ」
そう言うと、ギルバートは当然のようにディアナの肩へ手を添える。
「覚えているか? 彼女はローゼンベルク侯爵家のディアナ様だ。実は僕たち婚約したんだ」
その言葉に、ディアナはわずかに俯いた。
アーサーは興味なさそうに返した。
「そうですか」
彼の声は低かった。そしてその目は少しも笑っていない。
「ギルバート」
「何だ?」
「リリアンはどうした」
その場の空気が一瞬で冷えた。
ギルバートは少し肩をすくめながら話し出す。
「仕方なかったんだ。爵位や家の事情もある」
「仕方ない?」
「ああ。家同士のことだからな。それに僕たちはきっとこうなる運命だったんだ」
アーサーは黙って見つめる。
ギルバートは気まずさをごまかすように笑った。
「それに僕はディアナ様を愛している」
そう言ってディアナの手を取る。
しかし、その手を握られたディアナの口元は、ほんのわずかに引きつっていた。
その表情を、アーサーは見逃さなかった。
(何故だ? 彼女の方から近づいたのではなかったのか……)
急にディアナが口を挟む。
「あ、アーサー様。ち、違うのです。わたくしは仕方なく……」
「え? ディアナ様、仕方なくって、あなたの方から何度も声をかけてくれたではないですか」
「な、何をおっしゃっているの、さあ、行きますわよ。ではこれで失礼いたしますわ」
そう言ってディアナはギルバートの腕を掴んで歩き出した。
(彼女のあの態度、この私に知られたくないことでもあるのか。……これは使えるかもしれないな)
アーサーは遠ざかる二人の姿をじっと見つめていた。
彼は決意を新たにすると、そのまま王太子殿下のもとへ戻った。
「お待たせしました」
「おかえり。……何かあったのか?」
王太子はアーサーの表情を見て、すぐに様子の違いに気づいた。
アーサーは一瞬だけ黙ったが、すぐに軽く頭を下げた。
「殿下。一つお願いがございます」
「申してみろ」
「今回の帰郷で、どうしても片付けなければならないことができました」
その声には、迷いがなかった。
「そのため、皆様より少し遅れて帰国させていただきたいのです」
王太子はしばらくアーサーを見つめ、それから笑った。
「そうか。久しぶりの故郷だからな。事情があるなら無理に止めはしない」
その言葉に、アーサーは今度は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
しかし王太子は穏やかな笑みを浮かべたまま、念を押すように言った。
「だが、必ず戻って来てくれ」
その一言には、主君としてだけではない思いが込められていた。
「はい。必ず」
アーサーはゆっくりと頷いた。
自らの手で果たすべきことを必ず実行しなければ。
そう胸に誓いながら、彼は再び舞踏会の広間を見渡した。
大勢の人波の中に、リリアンの姿が飛び込んできた。
(やはり自分は、無意識に彼女を探してしまっているのかもしれない)
先ほど伯爵から聞いた話が胸によみがえった。
『婚約を解消された令嬢』そんな心ない噂にさらされながら、それでも気丈に振る舞っている。
このまま放ってはおけない。
せめて今だけでも、公の場で彼女が一人ではないと示したい。
アーサーは王太子のほうへ向き直った。
「殿下。お願いがございます」
「今度は何だ?」
「あちらの令嬢へ、一曲お誘いしてもよろしいでしょうか」
王太子はアーサーの見つめている先を見る。
淡い色のドレスをまとった女性が、静かに会場で佇んでいた。
「あの令嬢か」
そして、くすりと笑う。
「珍しいな。お前、自国ではダンスどころか社交界そのものを嫌がるくせに」
アーサーは少しだけ苦笑した。
「今回は事情があります」
「なるほど」
王太子は面白そうに頷く。
「行ってこい」
「ありがとうございます」
アーサーが歩き出す姿を見送りながら、王太子は心の中で呟いた。
(何だ。踊れるのか)
隣国では必要最低限しか舞踏会へ顔を出さず、誘われても何かと理由をつけて断ることの多い男だった。
そんなアーサーが、自ら令嬢を誘うとは。
王太子は改めて彼女のいる方を見る。
(しかし……あの美しい令嬢は誰なんだ?)
戻ってきたら聞いてみよう。
そう思っていた矢先、思わず口にしていた。
「アーサー」
歩き出した彼が振り返る。
「あの令嬢は誰だ?」
アーサーは一瞬だけリリアンを見つめ、静かに答えた。
「幼馴染です」
「ほう」
王太子の口元がゆっくりと緩む。
(なるほど、そういうことか)
何やら面白いものが見られそうだ。
王太子は誰にも気づかれぬよう、にやりと笑った。




