春ウサギ美味し夏の山(その4)
「……思ったより早いっすね」
私は痛みを感じた腕を、軽く振ってみる。
痛かったのは一瞬で、そのあとは何とも無かった。
ふう、と息を吐き、腕を下ろす。
今のところ問題はなさそうだ。
気を取り直して、書き終わった手紙を封筒に入れる。
ひと息ついたところで、軍隊アリの件について、あらためて考えてみることにした。
ここまでに得た情報を頭の中でまとめていく。
今回の問題は、地下8階層で1万匹を超えるであろう大量の軍隊アリが発生していることだ。
アリ自体には特におかしな点は無かった。
ただし、なぜかダンジョン内には、大量の穴ぼこがあいている。
発破のスクロールで開けられた可能性が高いが、誰が何のためにやったのかは謎だ。
3人の被害者は、それぞれ全く違うシチュエーションでアリに襲われている。
タバコを吸った時。
ランプをつけた時。
たき火で服を乾かした時。
何か共通点は無いだろうか?
タバコ、ランプ、たき火……。
どれも火を使っている。
でも、火を使ったところで、煙にも光にも熱にもアリが寄ってこないことは、判明しているのだ。
「今回の謎は、なかなか手強いっすね」
行き詰まったときは、初心にかえるべし。
私は机から立ち上がり、本棚から『地下に棲まう魔物図鑑』という本を取り出した。
ダンジョンに挑む冒険者なら誰もが読む、定番の教科書とも言える本だ。
先輩は読んだはずなのに、全然内容を覚えてないけど。
本を開き、軍隊アリの載っているページを読む。
「軍隊アリは、炎を強く忌避する性質がある……と。やっぱりそうっすね」
魔物というのは、元は生物だったものの身体を魔素が乗っ取って動いているような存在だ。
その性質上、本能にはかなり忠実に行動する。
この本に強く忌避すると書いてある以上、アリが火に寄ってくるとは到底思えない。
もう少し読み進めてみる。
「軍隊アリはほとんど目が見えない。代わりに、フェロモンと呼ばれる特殊なマナを分泌し、それを他のアリが目印にして追いかける習性がある……」
ふむ?
フェロモンか。
被害者の3人が、意図せずに、このフェロモンを発生させていたとしたら……。
でも、どうやって?
そのあと、軍隊アリについて書かれたページをすべて読んでから、本を閉じた。
「あと一歩、ヒントが足りないっすね」
いったん思考を中断し、両親へ送る手紙に宛て名を書く。
最後の仕上げに、シーリングスタンプを押して封をすれば手紙は完成だ。
スタンプの蝋を溶かすために、魔導ライターの火をつけた。
――チャッカリン、ぼっ。
いつもの、小気味よい音。
魔導ライターの火が揺らめく。
なにげなく、その揺れる炎を見た瞬間。
心に、わずかな引っ掛かりがあった。
何かが繋がりそうな予感がする。
「これはいよいよ、先輩の出番っすね」
いずれにしても、まずはアリのフェロモンについて調べてみる必要がありそうだ。
準備ができしだい、先輩とダンジョンに潜って確かめてみよう。
私はシーリングスタンプがきちんと固まったのを確かめてから、手紙と魔導ライターをポーチにしまった。
ここからは、おたのしみの時間だ。
ぼんやりと、先輩のことを考える。
すぐに思い浮かぶのは。
いつもきれいにしている桃色のロングヘアと、暗闇でも輝く金色の瞳。
突撃したくてぷるぷる震える先輩。
ドヤ顔でサムズアップをキメる先輩。
びよよん札でひらりちらりと宙を舞う先輩。
私を見つめてにかっと笑う先輩。
ほかにもたくさんの先輩が頭の中にあらわれ、歌いながら踊っている。
ぬふ。かわいすぎか。
たぶん今この瞬間の私の顔は、にやけた上にふやけているはずだ。
こんなカッコ悪い姿は、誰にも見られてはいけない。
だから一日の終わりに、自分の部屋でしかやらないことにしている。
「ふう。今日のおたのしみは終了っす」
めくるめく先輩祭りを楽しんだ後は、すこし頭を冷やさなくてはならない。
私は壁を見上げて、そこにある星図を眺めた。
紙の上に描かれた星たちが目に入る。
まるで夏の夜空を覆い尽くすかのような、たくさんの星々。
「満天の星空、っすか……」
星図は、ただそこにあった。
満天の星空も、きっとあの山の上にあるだろう。
私だけが、地下深くにいるのだ。
――見えない星に、今もまだ憧れながら。
静かに息を吐いて。
どこにもたどり着かない心を、ただぼんやりと感じる。
私は、それからしばらくのあいだ。
遠い記憶のなかにある、夏の星空に想いを馳せた。
<ep3:春ウサギ美味し夏の山 了>




