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414●『果てしなきスカーレット』(2025)⑥“死者の国”を取り去ってみると、スカーレットは“アニメの白雪姫(1937)”だった!

414●『果てしなきスカーレット』(2025)⑥“死者の国”を取り去ってみると、スカーレットは“アニメの白雪姫(1937)”だった!



◆小説版をガイドブックとして活用すべし、そうしないと理解できない。


 角川文庫の細田守監督著の『果てしなきスカーレット』を拝読しました。

 良かったですよ!

 どう良かったかと言いますと、「映画に加えて小説本ノベライズを読む価値あり!」ということです。


 『果てしなきスカーレット』の劇場映画はあまりにも説明不足が目立ちます。

 それゆえ先に小説版の方を読んで、ストーリーを補強する予備知識を仕込んでおく必要があるってことですね。

 小説には、映像とセリフだけでは表現されていないさまざまな情報が盛り込まれています。

 具体的には……


① スカーレットの母親との関係の真実。そして空白の六年間。

② 西暦1600年頃とされるデンマーク王国が直面している地政学的な状況。

③ “死者の国”で出会う人々の出自やそれぞれの民族的バリエーション。

④ 聖青年が施術する治療行為の名称とその手順や器具などの補足説明。

⑤ “見果てぬ場所”を巡る、敵味方の戦い、それぞれの意図。

⑥ “見果てぬ場所”を巡る、悪の親玉クローディアスの立場。

⑦ そしてなによりも、スカーレット自身と聖青年の心理描写。


 いやもう、実に多くの情報が、小説の中に盛り込まれています。

 小説を読まずに映画を見ただけですと、前後の辻褄つじつまが合わなかったり、主人公二人の行動原理とその理由が理解できないといった謎部分がてんこ盛りで、観客は頭を抱えて困惑するしかないのですが……。

 小説を“予習ガイドブック”として活用すると、かなりの謎が解明されることと思います。


 それでも、ガッテン! とばかりにスッキリする度合いは、良くて半分程度。

 小説を読んだからといって、訳の分からない謎は、やはり、うんざりとするほど残ってしまうのです……。


 つまりそれほどまでに、映画が“説明不足”なのですね。


 わざと説明せずに「皆様のご想像にお任せします」と私たちの推理力に委ねられた作品かもしれません。

 しかしこのままでは、あまりに無責任だと感じる部分があります。


 小説版を繰り返し読むと、というか、読めば読むほどに「なんじゃこれは! 監督様、ズルして誤魔化すのもあんまりではありませんか!」と抗議したくなる展開があるのです。


       *


◆“死者の国”は“死者の国”ではなかった!


 細田守監督様には本当に申し訳ないのですが、この点だけはガッツリと指摘させていただきます。

 監督様、「“死者の国”はじつは“死者の国”ではなかった!」という重要極まりない事実ファクトを、読者と観客の目から最後までシレッと意図的に隠しておられましたね!



 というのは、あの“ハナクソバーサン”、あ失礼、あの“老婆”の言葉です。


 小説版(角川文庫)のP10~P12。

 老婆『ここをどこだと思っているんだい?』

 そしてスカーレットは答えます。

 「死者の国」


 つまり、老婆自身が『ここは死者の国』と明言しておらず、スカーレットが勝手に「ここは“死者の国”」と思って口にしたのですね。

 しかし“死者の国”という名称は、小説の目次のサブタイトルに使われ、本文に含まれる状況描写の部分にも、続々と使われています。

 もちろん公式サイトのテロップでも“死者の国”と表記されていますね。


 だから読者も観客も、「ここは“死者の国”」と完全に信じ切って、物語世界に突入するのですが……


 なんと、小説版のほぼラスト、P246に至って、あの“ハナクソバーサン”、もとい“老婆”様がのたまうのです。

「人間はいまだにここを、死者の国だの見果てぬ場所だのと勝手に呼んでいるが、大きな間違いだ(以下略)」


 えっ? どーいうこと?

 ここは、死者の国でなく、見果てぬ場所でもない……


 じゃ、何なんだよ! となりますね。

 目の前に“見果てぬ場所”へ通じるとされる、閉じた門がそびえているのに、ですぞ!


 主人公が散々苦労してようやく一件落着した場面で、唐突に世界観を変更しちゃうんですよ、このバーサン。

 まさにコペルニクス的転回とは、このこと。

 天動説を否定して地動説に鞍替えするほど異端な言葉を、チョレーとばかりにためらいなく、あっさり宣言しちゃうのです。


 “読者と観客の皆様ご苦労さん、実はここは死者の国でも見果てぬ場所でもないんだワ”……と。


 いやもちろん、私の印象では、このバーサンとサンダードラゴンは、世界を統べる“神”の一部……いわば“神”という偉大なるAIを生成しているスーパー天国コンピュータの一端末インターフェイスだと思います。

 そうでもなきゃ、説明できませんからね。

 だからここを“死者の国”と思わせておいて、後から「いや違う」と訂正するムチャクチャな権限を持っているのですよ。


 しかしそれならそれで、スカーレットが「(ここは)死者の国」とつぶやいたP12の最初の段階で、『いや違う』と教えてくれないと。

 しかも予告編とかのテロップや小説版のサブタイトルでもバカスカと“死者の国”なんて表記しているのですから、それが間違いだなんて思うはずないじゃないですか!


 うーんカントク、ズルいゾ!


 これは典型的な“後出しジャンケン”のトリッキーなストーリーテリング。


 しかも小説版のP260以降、全編が終わる大団円というべき場面は……

「(スカーレットの)閉じたまぶたが、ハッと大きく見開かれた」

 で始まります。

 つまり、彼女は眠りから覚めたのです。

 監督様! これはどういうことなのでしょうか。

 もう完璧な“夢落ち”ではありませんか!



       *



◆これは壮大なペテンなのだろうか?


 詳細はのちの章で触れますが、『果てしなきスカーレット』の最重要な主要舞台である“死者の国”はじつは“間違い”であって、しかもそれが実質的な“夢落ち”で処理されてしまうのです!


 なんかこう、読者として、ポカ~ンと呆然ぼうぜん

 まるっぽ、大技のペテンに引っかかった気分になってしまうのですよ。


 ストーリーの趣旨は、素晴らしい! の一語です。

 復讐心に駆られて狂気の淵をさまよったスカーレットのタマシイが、“死者の国”と彼女が呼ぶ異空間の旅を通じて平和の意味を知り、心が癒され、解脱し、再生する。


 言うことなし、立派で偉大な精神の物語です。


 ただし……

 読み終わる、あるいは見終わると、何とも技巧的でペテンチックなトリックに化かされたような印象が残ってしまうわけです。


 “死者の国”って、何だったんだ?

 てエことは、あれって“夢落ち”の夢の部分だったのか?


 “死者の国”とは、ただの夢、シェイクスピア風に言うと“真冬の夜の夢”にすぎなかったのか?


 そんなら、“死者の国”での冒険物語は、丸っぽ無くても良かったのではないか?


 そうなんです。実は、“死者の国”の旅を、ほぼまるっと割愛しても、この『果てしなきスカーレット』の物語は成立してしまうのです。


 たとえば、あくまで例えばですが、物語冒頭近くでクローディアスに復讐しようとしたスカーレットがバナナの皮を踏んですってんころりで気を失ってしまい、その間、“死者の国”の夢を見る。

 するとクローディアスも彼女に続いてバナナの皮を踏んですってんころりで頭を打って死んでしまい、それからスカーレットが目覚めた……という筋運びでもオッケーなのです。


 でも、スカーレットが人格的に成長するために、“死者の国”の旅は必要ではなかったのか?

 いえいえ、スカーレットは“死者の国”で精神的に成長していようがいまいが、生き返ったら女王に即位することは間違いありませんね。

 国民の選挙で選ばれるのでなく、世襲制の専制君主なんですから。

 悪役クロちゃんが死に、スカ王女が目を覚ませば、王位は自動的にスカ王女に転がり込んできます。

 世襲ですからね。中高一貫校のエスカレータ進学みたいなものです。


 いいですか、スカーレットが賢明であろうがアホであろうが、クレイジーだろうが能天気であろうが、聖者であろうが変態であろうが関係なく、クローディアスを始末しちゃったら、彼女は“人格的にどんな人間であっても”、自動的に女王様になれるのですよ。れっきとした王位継承者なんだから。


 だから、小説版の結末のハッピーエンドは、スカーレットが“死者の国”で必死の努力を重ねて修行して臥薪嘗胆艱難辛苦の末にかちえた栄光のハッピーエンド……ではありません。


 何一つ努力などしなくても、クローディアスが亡くなってくれれば、スカーレットはタナボタ的にスルッと女王に即位し、勝利を手にするのです。


 だから最終の戴冠シーンで「スカーレットがんばったね、良かったね!!」と一緒に喜んであげるには抵抗感があって、どこかキツネにつままれたような、「なんかうまいこと騙されたみたい」な虚無感がホンワカと漂うのですね。


 だから「新しいリーダーに栄光あれ」と歓呼し喝采する国民たちには、こちら読者や観客の気分は、まるきしついていけないのです。

 だってスカーレットの「隣国とは友好と信頼を。子供は絶対死なせない」なんて、口先だけの空手形であることはミエミエ。なのにコロッと信じて欣喜雀躍する国民が果てしなくアホに見えてしまうのです。

 いや、内心は全然信じておらず、喜ぶふりが上手いだけなのかも。ニッポン国民の皆様みたいに……かな。


 ともあれ16世紀のデンマークです。

 この三百年後の西暦1940年、第二次大戦においてデンマークはあっという間にナッチーな第三帝国に占領されてしまいます。

 両国には不可侵条約があったはずなんですが。

 まともに抵抗できたのは六時間ていど、王様たちも政府も亡命する間もなく降伏しちゃいました。

 それが史実なんですから。


 ですから、ラストシーンのデンマーク国民大集合大喝采の場面は、読者や観客にとっては、何とも言い難いシラケムードがムンムンと漂うのですよ。


 作品が観客の心を掴み切れていないと言われるのは、このことも一つの理由だと思うのです。


       *


 ということで、“死者の国”での物語をゴッソリ消去しても、結末は同じ。

 作品は成立してしまいます。


 そこに、『果てしなきスカーレット』のまさに果てしなき問題点があろうかと考えます。


 “死者の国”は丸っぽ不必要で割愛可能。

 そもそも“死者の国”ではない、別物の世界だったんだし。

 となると、あれはみんな、ただの“走馬灯めいた、うたかたの夢”だったとしてもストーリーは破綻しない。


 こういった、巨大な問題点……いや、もしかすると致命的な問題点かも……を『果てしなきスカーレット』は抱えているように思えます。


 復讐心の鬼と化していたスカーレットが、真の人生に気づく物語。

 その作品テーマは素晴らしい!

 しかし、それを語るテクニックが、技巧的テクニカルすぎたのではないか!

 語られる内容は良くても、“なんか騙された”感じが最期まで引きずられてしまうのだから。


 ひょっとして、あくまで、ひょっとして、ですが……

 監督様は、アニメのストーリーテリングのテクニックを、過信されていたのではありませんか?


 酷評になって申し訳ありません。

 しかしあのハナクソバーサン、もとい、“老婆”様の小説版P246のセリフ、「人間はいまだにここを、死者の国だの見果てぬ場所だのと勝手に呼んでいるが、大きな間違いだ(以下略)」の一言が、作品の大前提を根本からひっくり返して、いわば、それまでを無に帰してしまったのは事実と思います。


 いやホント、見事すぎる“卓袱台ちゃぶだい返し”なんですから!


       *



◆スカーレットは“アニメの白雪姫(1937)”。


 しかしこうも思います。


 『果てしなきスカーレット』は、欧米ではメチャ受けで大ヒットするんじゃないか?

 そんな気が、強くしてきました。と言いますのは……


 “死者の国”はハナクソバーサンのセリフによると、“死者の国”ではなかった。

 これは実にしゃくなので、いっそのこと……

 “死者の国”でのスカーレットの冒険物語を、いちばん最後のキスシーンだけを残して、ゴソッと取り去ってしまったとしたら、どうでしょうか。

 小説版のP44から、ちょっと中途半端ですが、P246までを消しゴムで消してしまうのです。


 すると、ア~ラ不思議、お話が、アレになってしまうではありませんか!!


 美しき姫スカーレットは、継母(文庫版P22で、ガートルードが継母であると明記されている。対して原典の『ハムレット』ではガートルードは実母である)の計略にはまって毒を飲まされたスカーレットだったが、死に瀕する昏睡状態の中で、聖者のような美青年とキスを交わす夢を見る。そのキスのパワーによってスカーレットは目を覚まし……


 そう、『白雪姫』。

 戦前の1937年に公開された世界初の歴史的長編アニメーション映画ですね!

 製作総指揮はあのウォルト・ディズニー氏ご本人。

 ウィキペディアではこう紹介されています。


「約4年の歳月と140万ドル以上の巨費を投じ、作画枚数は25万枚にのぼるなど、スタジオの存続を賭ける大作として制作された。公開前は成功を危ぶむ声も多かったが、公開後は世界で6100万ドル(約3000億円)の収益を上げる桁外れの大ヒットを記録し、批評家からも称賛されるなど成功を収め、1938年の第10回アカデミー賞では作曲賞にノミネートされたほか、翌年にウォルト・ディズニーはアカデミー名誉賞を受賞した。」


       *


 白雪姫はもとから“世界一美しいお姫様”で、生まれながらのスーパー・リア充。

 だから、頭の中はけっこう純真無垢のお花畑です。

 リア充のまま七人の小人たちのボランティアで助けられたものの、生来の食いしん坊が祟って毒リンゴをかじってしまい、死に瀕する昏睡状態に。

 そのまま何年かが過ぎたところで御都合主義にも若きプリンスが訪れて彼女に真実の愛のキスを一発、そのシアワセパワーはてきめんで白雪姫はパキッと復活!

 そして悪玉の継母は、突然の落雷によって滅びるのです。


 (ディズニーアニメの『白雪姫』は原典の物語をいろいろと脚色しています。原典ではキスシーンはなかったらしいですが……)


 で……。

 “継母”+“毒殺”+“落雷”=??

 スカーレットとクリソツじゃないか!


 落雷で悪玉が滅びるところまで同じなのかい?


 そうです。

 『果てしなきスカーレット』の物語構造は、まんまアニメの『白雪姫』だったのでした!!


 ストーリーを構成する要素で、削れる部分を徹底的に削ったら、現れるのは『白雪姫』だったのです。いやスカーレットだから“赤雪姫”か。


 目指せスカーレット、21世紀の『白雪姫』を!

 20世紀の『白雪姫』みたいに、世界興収3000億円とアカデミー賞をかっさらうのだ!

 果たしてスカーレットは、白雪姫の“二匹目のドジョウ”になってくれるのか?


 しかしひょっとすると……世界的には、そして長期的には、メガヒット作品に大化けするかもしれません! そんな気がするのです。


 20世紀の『白雪姫』が大成功した先例は、欧米の観客にガッツリとヒットするDNAが、『果てしなきスカーレット』にも潜んでいるかもしれない……と、期待させてくれるのですから。


       *


 ただし、日本人の心の琴線をふるわせるには、スカーレットは方向性が異なりました。


 『白雪姫』の日本での人気は、たぶん『シンデレラ』に劣ると思います。

 なぜか。

 白雪姫はもとから“世界一美しいお姫様”で、生まれながらのスーパー・リア充。

 で、お話の最後まで、スーパー・リア充です。

 森にやってきたのが最初からイケメンプリンスであることも含めて。

 これが異世界に転生してきたオッサンだったりしたら、白雪姫はどうなるのか。

 ギャーッ! と拒否反応で、やっぱり生き返ったかもしれませんが。

 ともあれ終始スーパー・リア充のスノーホワイト。

 この点がちょっと、面白くないのです。


 日本の観客はやっぱ、『シンデレラ』推しでしょう。

 生粋の王族ではなく、一度はどん底のボンビーライフに落ちて、薄幸生活を余儀なくされる。

 そして、訪れた成功のチャンスを、自分の意志で掴もうとする。

 だから、魔法使いのゴッドマザーさんも、応援してくれるのですよ。


 「一度、ボンビーのどん底に落ちて、辛酸を舐める」

 これが日本人絶対感激大ヒットヒロインの前提条件なのです。


 だって、振り返ってみてください。

 『レ・ミゼラブル』のコゼット、『小公女』のセーラ。

 『家なき娘』のペリーヌ・パンダボアヌ、『家なき子』のアニメ版では、本来男の子の主人公レミを少女ヒロインにしてしまいました。

 そしてなんといっても『おしん』の歴史的メガトン級ヒットです。

 『おしん』こそ無形世界遺産に推挙されるべきですよ。


 ニッポンの伝統は、“辛酸舐めヒロイン”にあるのです。


 だから、『白雪姫』よりも『シンデレラ』。


 これが、『果てしなきスカーレット』の日本人観客受けがいまひとつだった原因ではありませんか?

 スカーレットはクローディアスによって父を奪われますが、それ以外はスーパー・リア充で、何も勉強せずにチャンバラの練習と筋トレに励んでいてもエリート大学へ留学しています。これ破格の待遇ですよね。

 それに19歳の今に至るまで未婚でいられるグータラさ。

 現代の話じゃないですよ、16世紀のヨーロッパなんですから。

 あの時代では、余分なプリンセスは、さっさと政略結婚に出されるものです。

 マリー・アントワネットが輿入れしたのは、14歳の時ですよ。

 なのにスカーレットは、ノルウェーかスウェーデンあたりの王家に嫁に出されることもなく、自由を謳歌しています。チャンバラの練習と筋トレも、クローディアスに黙認されていたようですね。何年も隠しおおせるはずがないですから。


 ということで、辛酸を舐めていないリア充プリンセスが、“死者の世界”なんて異世界に転移して荒野の素浪人したとしても、小説版P176では金貨まで持っていて、他人に恵んであげるほどゆとりがあります。

 つまり、終始スーパー・リア充。


 この点は、ニッポンの観客にとって「おもしろくない」でしょう。

 荒野の素浪人が金貨をホイホイと稼げるはずがなく、持っていても三途の川の船賃である六文銭くらいじゃないですかね。

 なのに実は小判をザックザク持っているみたいだ。

 この“実はリア充なのに貧乏人のふりして同情してあげる感じ”に対して、ニッポンの観客は反発し、“スカーレットの偽善”を感じるのかもしれません。

 ここはスカーレットが「何ひとつあげられない」ほどボンビーで、そこでボンビーなりに何かを工夫してくれれば、心の琴線が震えると思うのですが、たぶん。


       *


 ただし、欧米の観客は、それほど気にしないかもしれません。

 スカーレットが最初から最初まで王家のリア充少女だったとしても、抵抗なく喝采を送ってくれるのではないか。


 そうだとしたら、『果てしなきスカーレット』には、海外でこそ、劇的なV時回復リベンジのチャンスが残されていると思うのです。



   【次章へ続きます】

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