413●『果てしなきスカーレット』(2025)⑤彼女がいくら強くても『忠臣蔵』には勝てないのですよ、『忠臣蔵』には!
413●『果てしなきスカーレット』(2025)⑤彼女がいくら強くても『忠臣蔵』には勝てないのですよ、『忠臣蔵』には!
「それぞれに正義があって、復讐を果たした後にはまた次の復讐劇が始まるという、報復の連鎖は、やはり悲劇なのではないかと感じます。(中略)では、どうすれば良いのか、という想いが今作には色濃く反映されていると思います。」 (KADOKAWA文芸WEBマガジン カドブン 2025年11月23日より)
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このような細田監督の強い思いを乗せて、年末からお正月にかけての主力映画として封切られた劇場アニメ作品『果てしなきスカーレット』。
なぜ、かくも予想外の苦戦をなめることになったのでしょうか。
作品の内容に注目した理由は、三つばかり、あると思います。
その第一は……
<1>この国の年末は『忠臣蔵』でっせ!
『忠臣蔵』とは、江戸時代中期の元禄年間(西暦1701年)に起きた“赤穂事件”を題材にした人形浄瑠璃や歌舞伎の演目の通称。
翌年、西暦1702年の12月14日に、47人の赤穂浪士たちが赤穂藩藩主、浅野内匠頭の仇を取るために、吉良邸に討ち入りを果たしたという事件です。
皆様ご存じ、赤穂四十七士の主君仇討、すなわち復讐の物語ですね!
特に有名なのは、1748年に大阪で初演された『仮名手本忠臣蔵』とされ、現在も幾度となく映画や歌舞伎の題材にされています。
そうです、12月8日の真珠湾記念日『トラ・トラ・トラ』の次は、『忠臣蔵』なのです!
よりによって国民的に「忠臣蔵の季節だナ~」と感じる時期に、「復讐はやめよう!」を旗印とするスカーレットが銀幕に登場したのです。
敵は『忠臣蔵』。
これは苦しい。
なにせ『忠臣蔵』は、自分の復讐どころか、他人である主君のための出血サービス仇討ちです。
ただし、お家取りつぶしで臣下たちは解雇失業、路頭に迷う羽目となり、もう復讐しか生き甲斐が亡くなってしまった事情もあるようですね。
最初はもっと人数が多かったといいますが、落伍者を出しながらも最終47人もの参加者のモチベーションを維持して“正義の集団テロ”を敢行した大石内蔵助のリーダーシップは大したものでしょう。
見事、敵のボスである吉良上野介のお首チョッキンに成功したものの、無罪放免のはずがなく、翌年に全員極刑で切腹となりました。
その中には十代の少年も含まれていたとか。
もう、スカーレットの真逆も真逆、臥薪嘗胆艱難辛苦に耐えて耐えて耐え抜いて、多大な犠牲を払い、命を失うリスクまで承知してブワーッとやらかす復讐グラフィティなのですね。
人間、よほどの怨みと、後先を考えないヤケクソ精神が無くては実践できないでしょう。
凄惨な事件でした。
しかし、われら日本国民は、彼等を英雄視して褒めたたえているのです。
“忠臣!”と。
しかしこの物語が、『ハムレット』より百年短いけれど、ニッポン人の伝統的名作としてかれこれ三百年も生き続けている、つまり絶大な人気商品であることは否定できません。
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もうひとつ、洋物でアレクサンドル・デュマ作の『モンテ・クリスト伯』(1844-1846)という小説作品がありましたね。所謂“巌窟王”。
嫉妬と奸計で無実の罪を着せられ、投獄された青年が十数年かけて脱出に成功、モンテ・クリスト伯を名乗って、いまや社交界の寵児となっている復讐相手を次々に抹殺してゆく、という大長編復讐文学。
これは2004~05年にかけて『巌窟王』の名でTVアニメシリーズになり、2018年には国産民放ドラマとして『モンテ・クリスト伯 -華麗なる復讐-』が放映されました。
また来年2026年には、BS12トゥエルビで1月4日から海外ドラマ『モンテ・クリスト伯』が独占日本初放送される予定です。
このほか必殺な仕事人様の大江戸ドラマも息の長いシリーズになりましたし、お昼のサスペンスでは毎週のように復讐ドラマが展開しているのでは?
リュック・ベッソン監督の『レオン』(1994 仏制作)は、日本でも大ヒットしましたね。
愛らしいというより、こまっしゃくれた美少女ナタリー・ポートマンのデビュー作。家族を惨殺した警察官に復讐するため、仕事人さんを雇いたくてもカネはなし、自ら射撃の腕を磨いて……という、どこかスカーレット的な境遇なのです。ただし王女様の正反対となる奈落の底辺ボンビーガールなのですが。
実は『レオン』の場合、少女がリッチガールだったら全然面白くありません。結構ボロボロのボンビーだからこそ、気迫のこもった傑作に仕上がっているのですね。
描かれるのは“弱者がいかにして強者に復讐するか”です。
そう! 日本人は、復讐譚が大好きなのです。
なんとまあ、怨みに満ちた民族なのでせう。
その裏側には、肝心な時にけーさつさんが頼りになるのかと疑問を感じる人が多いからではないでせうか。
TVでニュースになるような大事件は、けーさつさんがチョイスしてリリースした事案ですよね。
そのほかに山ほどある、報道されない中小の事件は、真犯人の検挙率と有罪率、どうなのかなあ。
泣き寝入り、意外と多いかもしれません。とくにネット詐欺なんか。
クルマに家族をひき殺されても、相手は執行猶予で平気だとか、理由を明かされない不起訴だってあるかもしれません。
私たちは疑うだけで、真実はさっぱりわかりませんが、ドロドロと怨念を鬱積させている被害者の方々、じつは想像するよりはるかに多いのかも。
そんな社会において、“ケーサツに頼らず自前で復讐する物語”って、庶民の憤懣のガス抜きとして、一定の需要があるのだろうと思うのです。
もちろん、社会的に望ましいことではありませんが、ヒットするのは明らかに「多大な犠牲を払ってでも、他力本願でなく自力で復讐を成功させる作品」であるのがセオリーであること、それが客観的事実ではないでしょうか。
「復讐するは(神ではなく)我にあり」なのです。
もちろん法的には、やってはいけないこと。
だからこそフィクションの世界で、私たちは“脳内復讐”に励んでいるのでしょう。
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『果てしなきスカーレット』の苦戦要因のひとつは、そこにあるのではないでしょうか。
復讐したくても素直にできない、何とももどかしい正論作品。
だから聖青年は、“最初からスカーレットの復讐に加担すべき”だったのです。
だって、何もしなくても宿敵クローディアスの手勢が、次からつぎへと、命を狙って襲って来るのですよ。
防衛行動は当然の権利です。
殺らなきゃ殺られる。だから殺る。
これ、ほぼ正当防衛です。
ためらうこと、無いと思いますよ。
死んで虚無化するの、誰だっていやですしね。
聖青年は弓矢で銃で、槍でも剣でも、敵を傷つけて倒し、生きていたらメンゴメンゴと謝ってお薬を塗ってあげ、死んでいたら線香を手向けてナンマンダブと唱えてあげればよかったのです。
そうでなければ『TRIGUN』(1998)方式が良いでしょう。
抗争に巻き込まれて、逃げてるうちに周辺環境をなにもかもブチ壊して、“ヒューマノイド・タイフーン”と異名を取る主人公のガンマン・ヴァッシュ。
殺意皆無で殺しちゃいないけど、結局、敵さんは全滅するんですね。
もうひとつ、殺さないガンスリングヒロインとして、“おっぱいリロード”なる特技が抜群の天道嬢が活躍する『グレネーダー~ほほえみの閃士~』(2004)も参考になるでしょう。
“非殺、だけど敵は無力化する!”を心情に、坊主頭の聖青年、座頭市みたいに仕込み杖の居合抜きでバッタバッタと敵をなぎ倒していただきたかったものです。
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「復讐はするべし、しかし凄まじい犠牲も伴う、それでもやるべきか、それとも敵を赦し、敵に赦しを乞うべきか。それが問題だ。けど自衛出動はためらわない」
そんなストーリーで良かったのではないでしょうか。
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さて、『果てしなきスカーレット』のノベライズ本を読了しましたので、次回はその感想をからめて。
【次章へ続きます】




