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411●『果てしなきスカーレット』(2025)③原典『ハムレット』への無謀な挑戦。やっぱり勝てないスカーレット! 

411●『果てしなきスカーレット』(2025)③原典『ハムレット』への無謀な挑戦。やっぱり勝てないスカーレット! 



ネットの記事

●「果てしなきスカーレット」細田守監督インタビュー

2025.11.23  KADOKAWA文芸WEBマガジン カドブン


 ――クローディアス、アムレット、ガートルードをはじめ、登場人物の名前を見ても分かるとおり、シェイクスピア作の「ハムレット」をモチーフにされていますよね。

 細田:復讐劇の元祖ということで、「ハムレット」をモチーフのひとつにしました。憎むべき相手を倒してスカッと爽快な気分になる、という復讐劇は、昔からエンターテインメントの王道ジャンル。でも今の時代、悪い敵を倒して終わりという単純なことでは済まない。それぞれに正義があって、復讐を果たした後にはまた次の復讐劇が始まるという、報復の連鎖は、やはり悲劇なのではないかと感じます。どこかでそのループから抜け出さないといけないけれど、簡単に抜けだせるほど甘いものじゃない。では、どうすれば良いのか、という想いが今作には色濃く反映されていると思います。


 ――復讐劇を描いた本作ですが、「許し」も大切なテーマのひとつとして描かれていました。細田監督はどんな想いをこの映画に込められたのでしょうか。

 細田:原典の「ハムレット」では、亡霊になった父親が息子のハムレットに「許すな」と伝えることで、復讐劇が始まります。でも、もしもそのとき父親に「許せ」と言われたら、すごく思い悩むだろうなと思ったんです。自分の親を殺した相手を、どうしたら許せるのか、と。このままずっと相手を許さないで報復のために人生を費やしていくのか、それとも、報復とは違う新しい生き方を発見できるのか。考え方によって、まったく異なる人生になるわけです。(中略)

復讐が恐ろしいのは、そのことばかりを考えていると、それでその人の人生が終わってしまうことなんじゃないかな、と。「ハムレット」には「生きるべきか、死ぬべきか」という有名なセリフがありますが、この映画では、そのセリフを別の言葉に言い換えて表現したい、とずっと思っていました。それが映画のラストシーンに込められています。


       *


◆シェイクスピアをモチーフに取り込むことの困難と無謀


 前掲の引用のとおり、細田守監督は“復讐劇の元祖ということで、「ハムレット」をモチーフのひとつにしました”と明言されています。


 『果てしなきスカーレット』の“元ネタ”はシェイクスピアの『ハムレット』!


 これは作品公開と同時に流された公式な情報ですから、作品を鑑賞する前提となります。

 公式サイトの登場人物紹介を見れば一目瞭然ですね。クローディアスやガートルード、ポローニアスにレアティーズといった主要キャラが、『ハムレット』の登場人物と同じ名前で出演しているわけですから、作品の物語が原典の『ハムレット』に重なり、比較されてしまうことは、防ぎようがありません。


 そんな、わかりきったことをあえて確認することに、どんな意味があるかというと……


 『ハムレット』をモチーフにしたことが、『果てしなきスカーレット』の、不自然なほどに激しい酷評の嵐を呼んだ、大きな原因の一つだと思うからです。


 これだけは、おやめになればよかった。

 そう思いますよ、監督様。

 登場人物をアニメオリジナルの名前にしておられれば、まだ良かったのに。


 理由は主に二つ。

① 『ハムレット』のファンではない観客は、サブキャラたちのメンドクサイ名前、いちいち覚えていられません。どれが誰だか、たちまちわからなくなります。

② 『ハムレット』のファンである観客は、絶対に必ず、シェイクスピアの原典と比較します。ハムレットなんて、英国では人間国宝級のピカイチキャラですよ。作品内容を比べられて、スカーレットが勝つことができますか? 


 ですから、監督様は『ハムレット』に言及なさらず、キャラの名前も“スカーレット”以外は原典の人物名をやめて、異世界風オリジナルな、もっとわかりやすい呼び名になさるべきだったのです。

 その人物が悪人ならいかにも悪人っぽい名前に、太っていたらふくよかな語調の、痩せていたらほっそり感の語調にするとかして、名前からその人物をすぐに思い出せるように工夫されるべきでした。

 極端な例ですが、「ジャイアン、スネ夫、のび太」みたいなのが理想なのです。観客は一発で憶えますよね。

 ええそうです、「16世紀デンマーク」なんてテロップもやめて、“某年某国”でよろしいのです。どうせ現実に存在しない“死者の国”がメインの舞台なんですから。


 もちろん、あえて『ハムレット』を暗示させて、ひねりのきいたパロディ作品にされるのでしたら、いかにもハムレットなキャラネーミングでもよろしいでしょう。

 ただし、ギャグパロディとして。

 例えば国産の演劇で『ハゲレット』がありますが、そのように笑いを取る作品とされるなら、問題ないと思います。そのかわり『ハムレット』を知らない若者たちにはなかなかピンと来ないでしょうが。


       *



◆黒澤明監督も苦労された


 いっそ作品世界を戦国の乱世にして、和風のサムライワールドになさるのも一手だったかもしれません。

 スカーレットは緋牡丹姫、クローディアスは黒手亜巣之守、ポローニアスは法郎荷明日兵衛、レアティーズを零亜丁図郎とか。

 しかしそうなると、故・黒澤明監督の時代劇作品になってしまいますね。


 そういえば黒澤明監督の『蜘蛛巣城』(1957)は『マクベス』、『乱』(1985)は『リア王』をモチーフにされているとのこと。


 『蜘蛛巣城』(1957)は大成功でした。ウィキペディアでは「1957年1月15日、本作は日本国内で劇場公開された。配給収入は1億9800万円で、1956年4月から1957年3月までの1年間の配給収入ランキングで2位となる興行成績を収めた。同年10月16日、第1回ロンドン映画祭のオープニング作品として上映され、黒澤もこれに出席した」と当時の高評価が伝えられています。


 しかし『乱』(1985)は大コケでした。

 「日本国内での配給収入は16億7000万円で、1985年の邦画配給収入で3位を記録したが、製作費が26億円のため資金を回収することはできず、巨額の赤字を背負った。」とか。

 つまり「客は入ったが、制作費をかけすぎていた」という皮肉なパターンですね。


 『蜘蛛巣城』(1957)では、“マクベス”の怨霊が味方に付いてくれました。

 が、それ以降の黒澤監督の名声を背景に乾坤一擲の大勝負に出た超大作の『乱』(1985)では“リア王”の御利益ごりやくも監督の思惑を叶えてはくれなかったようです。


 一方、黒澤作品における『ハムレット』のモチーフは、時代劇でなく社会派の現代劇である『悪い奴ほどよく眠る』(1960)のストーリーに含まれている……という見解があるようです。

 ただし“『悪い奴ほどよく眠る』と『ハムレット』”は“似ている”“参考にされた”という評価にとどまります。黒澤監督は「ハムレットが原典だ」とは公式に明言されてはいないようですね。

 その結果は……

 『悪い奴ほどよく眠る』の直接製作費は8254万円で、配給収入は5228万円。

 150分、つまり二時間半にもわたる硬派の現代社会劇は、やはり興行的には苦戦したようです。


 あの黒澤監督も、シェイクスピアには四苦八苦し、難儀されたということでは?


       *


 『蜘蛛巣城』はビギナーズラックで、そののちに制作された『悪い奴ほどよく眠る』と『乱』は、天に見放されたかのような結果にとどまりました。

 これは、シェイクスピアの呪いでしょうか。

 なにぶん西暦1600年前後に書かれた作品です。以降400年の長きにわたって英国の庶民に愛好されてきました。

 もうニッポンの歌舞伎みたいな伝統芸能の域です。常連客はストーリーの流れも結末も、見どころもよく知っています。だから、原典の上に重ねられた、現代の演出や脚色、役者さんの演技の妙をじっくりと楽しんでおられるようですね。“シェイクスピア俳優”というジャンルも確立されていて、その点も歌舞伎と似ています。

 その代表格であり、歴史に磨かれ尽くした骨董的な戯曲である『ハムレット』。

 茶道具の“名物”みたいな舞台芸術の逸品です。

 それだけに、モチーフに使うならば、よくよくの覚悟が必要になりますね。


 『果てしなきスカーレット』が、くれぐれも“『悪い奴ほどよく眠る』+『乱』”の二のてつを踏まないよう、祈っております……


       *



◆あの超ド級の“ハムレット映画”には、まず勝てない……


 「ハムレットをモチーフにした」と宣言された細田監督。

 しかしその瞬間、『果てしなきスカーレット』は過去のハムレット映画化作品と比べられてしまいます。

 つまり否応なく、スカーレットはハムレットに挑戦してしまうのです。

 当然、細田監督様は、事前に過去の“ハムレット映画”を繰返しチェックされて、内容を十分に吟味したうえで、『果てしなきスカーレット』に取り入れられたものと思いますが……


 絶対に外せないのは、次の二作。


① 1947年版『ハムレット』(上映時間155分:2時間35分)

 高名なシェイクスピア俳優ローレンス・オリヴィエがハムレットを務め、本作でアカデミー主演男優賞を獲得。本作の公開は1948年。

 舞台となる年代を原典通り中世デンマークとしているので、男優たちのコスチュームはいかにも中世貴族のモッコリタイツ姿。時々股間が気になりますが、シェイクスピアが西暦1601年頃に書いた脚本を上演した当時の雰囲気を視覚的に味わえる、教科書的な作風だと思います。


② 1996年版『ハムレット』(上映時間242分:およそ4時間) 

 王立演劇学校を首席で卒業、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに参加して、1989年公開のシェイクスピア映画『ヘンリー五世』で映画監督&初主演。29歳にしてアカデミー監督賞と主演男優賞にダブルノミネートされた演劇界のプリンス、サー・ケネス・ブラナー(貴族様だ!)が監督・脚本・主演をこなし、全力を傾注して原典のセリフを初めて網羅した“完全版ハムレット”として結実させたのがこの“1996年版”。

 アカデミー賞に関して、サー・ケネス・ブラナーはながらくノミネート常連に留まっていましたが、2021年に別作品で脚本賞を受賞しました。

 “1996年版ハムレット”は、時代設定を16世紀から19世紀に移し、男優コスチュームはヴィスコンティ監督の『ルートヴィヒ』(1972)に近いスタイリッシュなミリタリー調に統一されました。股間が気になるモッコリタイツから脱却、カッコよさは抜群です!

 (SF映画の『デューン/砂の惑星』(1984)にも共通点を感じますね。父を殺され国を奪われた王子の復讐譚ですので)

 シェイクスピアの原典のセリフを完全に生かした事から、上映時間は四時間越え。二時間半経過したところでトイレ休憩のインターミッションが入りますが、マジ映画館で観ると我慢大会の四時間になったかもしれませんね。とにかく長い!

 その代わり、ストーリーにちりばめられた伏線はキッチリ全部抑えられていて、上映時間が一時間半も短いオリヴィエの“1947年版”では、セリフがかなりカットされていて、あの「尼寺へ行け!」のシーンで、カーテンの陰にクローディアス王と大臣ポローニアスが隠れて聞き耳を立てるのが偶発的な出来事に見えますが、実は事前にたくらんで仕組んでいた……といった物語のディテールがよくわかります。

 “1996年版”では、チョイ役ながら無視できないキャラにジェラール・ドパルデュー、リチャード・アッテンボロー、ロビン・ウィリアムズ、ジャック・レモン、それにあの『ベン・ハー』のチャールトン・ヘストンなどの名士が続々登場、まさに20世紀の総決算ともいえる超ド級大作となっています。

 それゆえに大赤字。

 ウィキペディアでは「製作費$18,000,000で、米国とカナダの興行収入が$4,708,156、その他世界で$4,770,222」となっていますので、もう真っ赤っかですよね。制作費の半分しか回収できていません。当時のレートは「1ドル=110円」くらいでしたので、ざっくりと製作費が当時の20億円ほどで、興収が11億円くらいだったというところです。

 しかし史上初めてシェイクスピアの代表作といえる『ハムレット』の完全版を映像化した壮挙は、人類の映像史に燦然たる金字塔となったのでは……

 なお、悲劇の姫君オフィーリア役には、『タイタニック』(1997)で大ブレイクする直前の、二十歳そこそこのケイト・ウィンスレット嬢が抜擢され、悲壮なまでに美しい名演技を披露されています。シェイクスピア映画きっての、初々しい乙女のイメージが輝きを添えました。


 ということで……

 1996年版『ハムレット』はどなた様にもおススメ!

 脚本、監督、出演者、そしてカメラワークに音楽、どれをとっても非の打ちどころのない超ド級の“満点ハムレット”なのです。

 未見の方は、ぜひDVD等でご覧ください。

 一回観て、二回目は監督コメンタリーを聴いて、さらに三回目を鑑賞すると、もう貴方はズブズブのハムレット中毒者に仕上がってしまうこと、請け合いです。

 ただし英国人の粘り強さそのままに、四時間×三回、計12時間の難行苦行に耐えなくてはなりませんが……

 それでも、それだけの価値アリです!

 シェイクスピア作品のセリフは長ったらしくて説教調、正直一回目は退屈でしつこいのですが、その長セリフを二度三度と噛み締めるうちに、アーラ不思議、セリフの言葉の端々に込められた真理と蘊蓄うんちくがじわじわと味を出してきて、その出汁だしのうまみときたら、世界一の酢昆布というべきか。

 なるほど四百年も愛される傑作マスターピースだと、心から納得していただけることでしょう。


 なお、このほかに……


③ 1990年版『ハムレット』(上映時間135分:2時間15分) 

 主演メル・ギブソン。なんといっても『マッドマックス』(1979)のマックスさんですから、先の①と②の貴族的紳士のハムレットとは別人のマッチョ感を押し出した“暴れん坊ハムレット”の趣ですね。

 上映の尺も、四時間を要する1996年版の半分近くと手ごろで、セリフはズバズバカット、いわば短縮版で、アクション中心のエンタメ作品にまとまっています。

 退屈せず楽しめますが、あくまで、これ観てハムレットが全部分かったと思い込まないよう、注意しませう。


       *


 「ハムレットをモチーフにした」と宣言したとたん、少なくとも上記①②③の三作品と比べられ、否応なくスカーレットはモノホンのハムレットと対決する羽目になったことは先に述べましたね。


 勝てるでしょうか?

 無理です。

 特に②の1996年版は、「ハムレット映画界の戦艦大和」と言いたくなるほどの超ド級ぶりです。

 しかも、アバウトで制作費が当時の20億円、興行収入は全世界で11億円ほどということになりますから、大変な赤字を抱えてもいいから「やらかしちまった」というのが本音でしょう。

 世界で唯一、空前絶後の「ハムレット完全版の実写化」という歴史に残る偉業でしたから。

 四時間もの長尺で公開に踏み切る。観客に尻が痛くなるほどの我慢を強いる。

 そのこと自体、制作者の「破産上等! 当たって砕けて本望だぜ」くらいの覚悟がうかがわれます。

 そんな怪物的なムービーに、スカーレットが太刀打ちできるかと言ったら、これはやはり、無理筋というものでしょう。


 『果てしなきスカーレット』は、原典の実写『ハムレット』に敗北したのです。


 その理由は……


       *


◆じつは原典の『ハムレット』も、最後は“かたきを赦し”ていた。


 前掲のインタビュー記事で、細田監督は、『果てしなきスカーレット』に込めた思いを、このように述べておられます。


 細田:原典の「ハムレット」では、亡霊になった父親が息子のハムレットに「許すな」と伝えることで、復讐劇が始まります。でも、もしもそのとき父親に「許せ」と言われたら、すごく思い悩むだろうなと思ったんです。自分の親を殺した相手を、どうしたら許せるのか、と。このままずっと相手を許さないで報復のために人生を費やしていくのか、それとも、報復とは違う新しい生き方を発見できるのか。


       *


 この監督コメントから読み取れるのは……


A:原典の『ハムレット』では亡霊になった父親が息子のハムレットに「許すな」と伝えることで、復讐劇が始まる。

B:それを読んで、“自分の親を殺した相手を、どうしたら許せるのか”と、原典の『ハムレット』に対して思った。

C:このままずっと相手を許さないで報復のために人生を費やしていくのか、それとも、報復とは違う新しい生き方を発見できるのか。……これが『果てしなきスカーレット』の重要なテーマなのです。


 このABCだけを頭に入れますと……

 「原典の『ハムレット』は復讐劇であり、“自分の親を殺した相手を、どうしたら許せるのか”という疑問には答えていない」

 「この疑問に答えて、“報復とは違う新しい生き方を発見”するのが新たなヒロインであるスカーレットの使命だ」

 ……そのように要約できると思います。


       *


 ですから、『果てしなきスカーレット』は、原典の『ハムレット』に対して、

 「自分の親を殺した相手を、どうしたら許せるのか?」という疑問に答え、

 「報復とは違う新しい生き方を発見」する物語として構想・制作されたことが感じられます。


 「自分の親を殺した相手を許し、報復とは違う新しい生き方を発見」することで、『果てしなきスカーレット』は原典の『ハムレット』を乗り越える!


 そんな決意と挑戦心が強く感じられます。


 これ、個人的には、誠に素晴らしい取り組みだと思いますよ。

 あのシェイクスピアに挑む。

 ニッポンのアニメにそれができるのか。

 出来たら、歴史的な到達点となること、間違いありません。

 この試みの前向きなこと、細田監督に大拍手! です。


 しかしそこに、ハムレットに対するスカーレットの敗因があると考えられます。


 というのは『ハムレット』は、単なる復讐劇だけではないからです。


 ハムレットは父の亡霊に促されて、クローディアスへの復讐を誓います。

 しかししばらくすると、“復讐劇”どころではなくなるのです。

 そこにもう一つ別な“復讐劇”が新たに発生します。

 この“第二の復讐劇”の結末が、なんと、このセリフで締めくくられるのです。


 「ゆるし合おう」……と。


       *


 シェイクスピアが記した原典の『ハムレット』の本文中ですでに、

 「自分の親を殺した相手を、どうしたら許せるのか?」

 という疑問に対する、明快な答えが用意されていたのです。


 さすが世界名作。

 ハムレット王子の“復讐の完遂”だけで終わる物語ではないのですね。

 その憎しみの解決法も、しっかりと暗示されているのです。


 つまりスカーレットは、“死者の世界”で聖君と一緒ににモタモタせずに、故人であるシェイクスピア本人を探せばよかったのです。

 それが一番の早道だったと思いますよ。

 彼は教えてくれるでしょう。

 「ああ、自分の親を殺した相手を、どうしたら許せるのか?……だって、その答えはほら、私が書いた『ハムレット』のセリフを読めば一発でわかるよ」


       *


 スカーレットが艱難辛苦かんなんしんくして探し求める“許し”とは何なのか。

 その答えはとっくの昔、400年前にシェイクスピアが自作の『ハムレット』で、主要登場人物のレアティーズに語らせていたのです。


 ちょっと残念ですが、スカーレットの負け。

 彼女は“死者の国”で故ウィリアム・シェイクスピアの前に土下座して、「私を弟子にして下さい!」とお願いすべきだったのかもしれません。


 詳しくは続きで。



    【次章へ続きます】


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