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蒼穹の孤独  作者: 小田マキ
第一章 規格外の救世主
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 ドライアイスを焚いたような真っ白な煙が薄れ、自分に斬りかかってきた若い男の姿が確認できる。まさかしくじるとは思わなかった、というように驚いた表情を浮かべた彼に、冴は眉間のしわの本数をさらに増やした。右半分だけピエロのような仮面をつけた顔は随分整っているが、自分の命を狙ってきた相手がどんな面相をしていようが、今この状況では関係なかった。


「……女っ、……?」


 苛立ちを募らせる彼女の耳が、第三者の声を拾う。男の肩越しに視線を飛ばせば、銀の髪と目をした男が立っていた。ひどく動揺した様子ながら、その手は腰に帯びた剣に添えられている。さらに周囲をザッと見回せば、自分を除いて合計八人の人間がいた。年齢、容姿はバラバラだったが、腰に帯びているのは剣で、細かな装飾は違うものの、身につけた服装はすべて軍服のようだ。それぞれ引き締まった体躯をしており、かなりの手練に違いない……二人ほど、他者に比べてやや華奢な体つきの男女もいるも、似たような袖、裾の長いローブをまとっていて、一人は僧侶が持つような黒い鈴のついた錫杖を携えているから、いまだ知識の上でしか知らない魔術師というものなのだろう。誰を見ても、到底友好的とは思えない様相で、冴の動向を窺っている。


 取り囲むように並び立つ彼らの背には、その人数と同じ八枚の石壁がある。見上げても果ては知れず、隣り合う壁は溶接されたのか、八角形の巨大な石柱をくり貫いてこの形にしたのか、継ぎ目もなければ出入り口もない……スッと、沸騰した脳が冷静さを取り戻していく。


 今、何よりも先にするべきことは、身の安全の確保だ。


 冴は胸倉を掴んだままだった仮面の男に視線を戻した。わずかに目をそらした隙に表情は薄れ、血のように赤い左目で油断なく自分を見ている。それでも、その身体が受身に回っていることは感じとれた。すぐに何か仕掛けてくる様子はなさそうだ……そこまで読み解くと、冴は男の身体を突き飛ばすように拘束を解いた。そこまで力を込めていたわけではないので、男はよろける様子もなく、ただ彼女との距離をとる。小柄な成人女性ほどの長さのある漆黒の剣は抜き放たれたままだったが、切っ先は床に向けられていた。波立った心を落ち着かせるように冴は一つ嘆息を落とし、脳内に補正された知識を探る。





「……おい、あんた(フェー・リース)





 ゆっくりと口を開くと、睨むような赤い眼光がほんのわずか揺れた。


 どうやら伝わっているようだ……さきほどまで耳慣れない言葉で喚き立てていたから、まさかこちらの共通言語であるパシュミル語を話せるとは思っていなかったのだろう。他七人の顔色も変わり、何かを目配せするように互いに視線を飛ばし始めた。


話せるのか(イルヴァー・ガン)?」


ああ(フェイ)、……何とか(リー・ガン)聞きたいことがあるルーファク・ヴァー・レイ


 知識と実技の間にはどうにも深い溝があるようで、冴はやたらラ行と拗音の多い言葉に舌がつりそうになる。今まで使っていた地球界の日本語に比べて絶対的に経験不足なため、目的に見合った単語を選び出して正しく文章を組み立てるのも若干の時間がかかる。


「……私に、何の恨みがある?」


 苦労して送り出した質問の返事はすぐに返らず、男の顔からはさらに表情が消えていく。


「……いや、神の遣わした救世主殿がどの程度の腕を持つか試したかっただけだ」


 言葉選びを誤ったかと不安を抱き始めたとき、随分都合のいい返答が返ってきた。


『嘘だろ、完全に』


 眉をピクリと跳ね上げ、真っ向から否定する彼女の言葉はもとの日本語に戻っていた。漆黒の刃とともに辛くも受け止めた殺気は本物だった、本物だったからこそ身体が反応したのだ。


 言葉同様に冴の心中が分かっていないのか、分かった上でシラを切り通そうという腹積もりなのか、男は表情を変えずに彼女を注視したままだった。何にしても、今回の一件で自分の存在、つまりは救世主の出現を快く思う人間ばかりではないということは理解できた。


 さらに、自分が救世主か否か、その真偽を疑われているということも。


『……っ、……話が違うじゃないか、クソ兄貴』


 再び吐き捨てた本音も当然のように日本語で、向けられる八対の視線は胡乱な色に包まれていた。





「ご挨拶だな、サエ」





 突如耳を突いた呆れ調子の呼号に、冴はハッとして宙を仰ぐ。その他の人々がつられるように視線を上げたとき、再びどうにも忌々しく懐かしい声が視線の先から降り注いだ。


「……いつまで日本語で通すつもりだ、郷に入っては郷に従え」


 冴のときと同じように中央の魔法陣、彼女の隣に落雷のように飛来したのは、黄金に輝く人型だ。発光する身体はその輪郭が辛うじて知れる程度で、男とも女とも判別がつかなかった……けれど、己を窘めるようなその声を聞き間違えるはずがない。やたら眩しいこの物体は地球界では兄であり、エリアスルートでは戦の神サスキアだ。


「……だったら、あんたも日本のことわざを使うのはオカシイだろーが」


「まだまだ発音がなっていない、【オカシイだろーが(シルフェリ・ナーラ)】ではなくて【おかしいだろうがシルフェ・ヴェリ・ラーナ】だ」


「……うるさい。それより、なんだそれは……それが本当の姿なのか?」


 現れたと思ったら早速自分の発音を注意してくる義兄だったが、冴の中では苛立ちよりも疑問の方が勝っていた。日本で一緒に暮らしていた頃は、年がら年中紺色の剣道衣姿ではあったものの、ちゃんとした人間の姿格好をしていた。頭一つ高い位置から自分を見下ろしているらしい顔からは目鼻立ちもはっきりとは窺えず、全体の輪郭も服を着ているのかさえ曖昧なその姿は、元身内の冴にしてみれば神々しいどころか薄気味が悪い。


「いいや、ただの演出だ。魔術師や聖獣使いならまだしも、明らかに人外の姿で現れなければ、ただの人間はそうだと認めないだろう?」


「すぐにやめろ。悪趣味だ」


「ああ、別に構わん。それで斬れ」


 頷いたサスキアの光を灯す指先が指し示したのは、彼の地球界での愛刀だった日本刀、正宗だ。


『はっ……?』


 冴はわけが分からずに、一瞬日本語で疑問の声を上げた。


「薄皮一枚被っているだけだ。内側の俺の身体に傷をつけずに切り裂いてみろ、再構築した身体の肩慣らしだ」


 どこか面白がっているような口調の義兄の言葉に、彼女は眉を顰めるが……。


「……手もとが狂っても、知らないからな」


 そう答えて、冴は正宗を柄から抜き放つ。背後から、雑多な思惑に塗れた緊張感がどっと押し寄せてきた。


「おいっ……お前、やめとけ!」


 かけられた声に振り返れば、それはさきほどの銀の髪と目をした男だった。その顔には拭い去れない疑念とともに、どこか二人の身を案じるような表情が浮かんでいた。


「……ただの肩慣らしだ、この刀を血で汚したくない」


 何のことはないというように答えながら、冴はわずかに安堵を覚える。この場にいる全員が全員、話が通じないような人間ではないようだ。


「仮にも兄だぞ、刀の前に俺を気遣えんのか」


「うるさい、黙れ。戦の神なんだろ、人間に斬りつけられたくらいで死んでどうする」


 人間臭く絡んでくるサスキアにそう切り返し、冴は振り向き様に白刃を振るう。芸術の域まで鍛えられた美しい刃は鮮やかな軌跡を描き、煌かしい人型を頭から一刀両断していた。





「ひぃっ……!」





 今度は、斜めうしろから甲高い女性の悲鳴が起こる。目線だけでそちらを窺うと、紫色の髪をした女性が真っ青な顔をしてその場に倒れ込みそうになっていた。隣り合う緑のローブを着た金髪碧眼の魔術師らしい青年が、その肩を支える。自分以外、ただ一人の女性である彼女には、少々刺激が強過ぎたのだろう。


 視線を正面に戻すと、頭の中心から真っ二つに分断された眩い上半身が、まるで果実の皮が剥けるように垂れ下がっていた。金箔のような薄皮は垂れ下がった先端から、サラサラと砂金が風に流されるように崩れ落ちていく……そして。





「……お見事、腕は落ちていないようだな」





 光の内側から現れたのは、自分もよく見知った義兄の姿だった。切り傷一つない顔を確認した途端、安心感が心に広がり、冴は眉間に微細なしわを寄せる。突如知恵だけつけられて放り込まれた密室、そこでは自分に友好的ではない見ず知らずの人々に囲まれて、怒りが落ち着いたあとは危機感が頭をもたげていた。そんなところにサスキアの出現で、安堵を覚えるのはごく自然な心の動きなのかも知れない。


 けれど、兄だと思っていた相手のすべてがまやかしで、なおかつこの状況を引き起こした張本人であることは何ともいえない苛立ちも生む……相反する二つの感情に囚われながら、彼女ははっきりとした輪郭を持つサスキアの顔を緩く細めた目で睨めつけた。


「そんな顔をするな、サエ。長年ともに暮らして、この手で育てた……神であっても情ぐらい湧く。だから、本来なら二度と会うべきではないところ、こうして来ているだろう?」


「……それは、あんたの説明が足らなかったせいだろう」


 抜き身の日本刀を鞘に納めながら、冴は当然のように反論する。


「済まん、悪かった」


 自分の機嫌をとろうとしてか、わずかに甘みを含んだ口調で謝意を告げる彼にも、冴は易々と表情を緩めなかった。それでも寸分の狂いも許されない太刀を振るうに当たって一旦よそにやった怒りやその他の雑念はそのまま戻らず、変に冷静になってしまった。もともと気の長い性質なので、今は過度に身体に入っていた力が脱けてしまっている。


 それが伝わったのか、二人を取り巻く周囲からも刺すような空気感が幾分薄れ始めていた。戦慄するような剣技ののちに目の前で繰り広げられたのは、気の抜けるような兄妹の口喧嘩……しかも人間の妹の方が優勢だ。絶対的な存在である神に謝罪の言葉さえ告げさせる人間を目の前にして、毒気とともに度肝を抜かれてしまったようだ。


「言葉が足りなかったことは謝るが、不測の事態が重なってだな。お前が逃げたりしなければ、もっと簡単に話が進んだんだが」


 ただ、戦神が最後につけ加えた台詞は明らかに責任転嫁で、冴の顔つきが変わった。


「……結局、私のせいだというのか?」


 収まりかけていた苛立ちが胸の中で渦を巻き、吐き出す言葉はひどく冷ややかなものになる。


「まず、学校から家に帰ると道場が吹っ飛んでた」


 彼女はサスキアの鼻先に、左手人差し指を立てて言った。


「そして、娘の卒業式にも顔を出さなかったクソ親父が、背中に羽生やして空飛んでた」


 次に、中指を立てる。


「自分たちは実の家族じゃなくて違う世界の神々で、私は救世主に選ばれたんだとかほざき始める」


 吐き捨てるように言って、薬指も立ち上がった。


「ライセンス切れだか何だか知らないが、卒業証書が消される」


 当然、小指も立った。


「……で、最後に親友だと思ってた弥生には殺されかけた挙句、その世界で自分が馬鹿をやらかさないよう監視されてたことを知らされたわけだ」


 唯一折れていた親指も立ち上がり、サスキアの鼻先では大きく五指が広げられた。


「仏の顔は三度まで……当然、このことわざも知ってるよな?」


 それまでの厳しい表情から一変、最古の父神に酷似した美しい顔には笑みが浮かぶ。荒ぶる戦の神らしく、猛々しくも整った容姿をしているサスキアさえ、人間であるはずの彼女の美しさには及ばない。存在の脅威ばかりに目を奪われていた周囲の人々が、初めてその事実に気付いた。


「……その勘定でいくと、二回ほど超過してしまったわけか」


 ともに十八年暮らした彼にとっては今さらも今さらの事実で、平然と頷きながら苦笑を返す。


「そう、簡単な引き算だ」


 美しいが、何とも空々しい笑顔のままに冴も頷く……が。





「歯ぁ食い縛れ、クソ兄貴っ……二発殴る!」





 間髪入れず、彼女の怒号とともに戦神の身体は勢いよく吹っ飛んだ。

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