第30話|生徒の距離ではありませんよ?
「この生地が二倍になるまで、暖かいところに置いておくんです」
ボウルを窓際のテーブルへ置き、お茶の準備。
「……膨らむのか?」
「ええ、発酵というもので……これがあのふわふわの生地になります」
「この生地も不思議な感触ではあったが……」
「ロヴァルド様、お茶が入りましたのでどうぞ」
「ああ……」
テーブルの中央に置かれたパン生地を眺めながらお茶をするなんて……。
私は幸せだけれど、ロヴァルド様はどうかしら……?
ちらりと目を向けると、興味深そうに生地を見つめている。
ううっ、早く触らせて差し上げたい……!
……でも、楽しんでくれているみたいで良かった。
「ふふ、まだ触っては駄目ですよ?」
「……む、分かっている」
「今日は暖かいですし、発酵も早そうです」
「時間が掛かるものなんだな」
こんなにのんびりした日は久しぶりかも。
夜会後はドキドキを引きずっていたし……。
いつの間にか、沈黙も心地良いものになっていたのは自分でもびっくりしている。
「ロゼ」
「は、はいっ!?」
「……どうした?」
「いえ、何でもありません……」
いくら心地いいといっても、一人で呆けているのは違うでしょ……!
油断し過ぎないようにしなくちゃ。
「だいぶ膨らんできたように見えるが……」
「あっ、本当ですね!」
もう一度手を洗い、いよいよフィンガーチェック。
「指に粉を付けて……さあ、どうぞ」
「ああ……」
ぷすっ。
「生地が戻らないので良さそうです! では台に出して……空気を抜くように手のひらで数回、押していただけますか?」
「む……こうか?」
「お上手です!」
「柔らかいな……」
「すべすべのぷよんぷよんで気持ち良いですよね……」
腐らないならお部屋に置いておきたいくらい可愛い……!
「ここから形を作っていくのですが……ロヴァルド様は甘いものお好きですよね?」
「いや……まぁ普通だ」
「え? でも甘いものをお食べになる時……」
思わぬ返答に、思わず聞き返してしまう。
だって……。
お茶よりも先に、茶菓子に手を伸ばしていらっしゃるんですもの。
食べる時も、少しだけ嬉しそうなお顔をされている気がするし……。
そう思って彼を見ると、バツが悪そうな顔をしている。
……でも少し、照れてる?
「男子たるもの、甘いものを好むなど……」
「私は……好きなものを美味しそうに食べる人が好きです……よ?」
「……」
黙ってしまった。
あまり触れない方が良かったのかしら……。
観念したように、ため息をつく。
「……まぁ、嫌いではない」
「ふふ、良かったです」
あまり虐めては可哀想だし、このあたりで手を打ってあげます。
……やりすぎると後が怖いし。
「私も甘いものが大好きなんです! なので本日は……」
冷蔵庫からあるものを取り出す。
「それは?」
「こちらはチョコレートのシートです。これを生地に織り込んでいきます!」
「ほう……事前に仕込んでおいたのか?」
「はい! ロヴァルド様はチョコレートもお好きなようでしたので……」
はっ!
シートを持ったまま固まる私。
あ、あら? 普段は無表情のロヴァルド様が笑っている。
でもこれって、笑顔の圧……よね?
からかうつもりなんて、本当になかったのに!
うん、無かったことにして続けましょう。
「で、では! こちらのシートに合わせて、パン生地を広げていきます!」
「ロゼ」
「ひゃいっ!」
「……あとで覚悟しておくように」
「うぅ……」
フラグ回収が早すぎるわ……私の馬鹿……!
「……では生地にシートを置いて折りたたみ、これを何度か繰り返します」
気を取り直して作業再開。
層が出来るように折りたたみ、また伸ばして折りたたんでいく。
完成までもう一息!
「これを縦長に個数分に切って……分けたものをこのように、くるくると巻いたら出来上がりです!」
「……何度見ても、見事なものだな」
「ありがとうございます。さ、ロヴァルド様も!」
優しく生地を持ち上げ、形を整えていく。
怖々とした手つきが可愛らしいわ!
「ああ……む、こうだろうか」
「ええ、お上手です! 以前も思いましたが、ロヴァルド様は器用なんですね」
「……教師が良いのだろう」
「そんなことありません。ご本人の資質が大きいかと」
好きな人と楽しくお喋りしながら、料理が出来るなんて……。
幸せすぎて怖いわ!
今の自分の顔を鏡で見たら、きっと気持ち悪いほどにこやかに笑っているかも……。
「では──先生の手腕でも見せてもらおうか」
「はい?」
一つ作り上げたあと、手を拭きだすロヴァルド様。
もう生地はいいのかしら?
そう思っていたら……。
私の背後に回ると、そのまま腰へと腕を回された。
「ロヴァ……っ!!?」
「どうぞ、続けてくれ。間近で見てみたくてな」
むりむりむり!
驚きすぎて一つ潰してしまったわ!?
「潰れているぞ?」
「ロ、ロヴァルド様のせいですっ!」
「人のせいにするとは、教師の風上にも置けんな」
そう言いながら、耳を甘噛みされた。
「──……っ!?」
ぐしゃっ!
また潰してしまっ……!
それよりも耳に……っ、声が、息が、近、い……っ。
「ロヴァ……ルドさま……っ」
「教師が生徒を様付けとはな……」
「うぅ……っ」
甘噛みされるたびに、力が抜けていく。
「ろ、ロヴァルド!……さま……お、おやめに……っ」
「……なんだ? 聞こえん」
「い、いじわる……っ!」
小声で言った「様」まで、聞かれてしまった。
もう、距離が近すぎるから……っ!
手から生地が落ちると、空いた私の手に、ロヴァルド様の手のひらが重なった。
「……真っ赤だな?」
「……──ッ!」
恥ずかしさが極まった私は、叫んでいた。
「ろ、ロヴァルド! や、やめ……やめなさい……っ!」
その瞬間、ぱっと解放された。
そして息を整えながら、ふと気づく。
呼び捨てはまだしも……命令してしまった……。
いくらなんでも、不敬だったのでは……?
恐る恐るロヴァルド様を見ると、今にも吹き出しそうな顔でこう言った。
「……残念だ」
……もう! からかいすぎですからねっ!
力が抜けて、立つのもやっとの私。
そのまま軽々と抱えあげられ、窓際の椅子へと運ばれていく。
「先生はお疲れのようだからな。……あとは私がやっておこう」
そう言いながら、楽しそうに作業を再開するロヴァルド様。
一生、勝てる気がしないわ……。
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