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元騎士 15     ひとりだから




 中々栄えている町の中の宿にしては緑が溢れていて、ほんの少しだけ昂っていた心を落ち着けてくれる。明日は早いらしいが、こんな状態ではまだ眠れやしないだろうな。



「もう、随分慣れたと思っていたが……」



 それでも、ふとしたときに傍に誰もいない身に凍みるような寒さに気付いてしまう。

 とてもとても、信頼していたらしい。とてもとても、支えられていたらしい。今、俺の傍には誰もいない。手を握ろうにも空を切るばかりで、背を探そうにも何も見えやしないのだ。

 葉と葉が擦れ合う音。日が落ちてきて、橙と紺が奇妙に混じりあった空が照らす宿の石造りの壁。照らされた自分の手を血にまみれているように錯覚した俺は馬鹿だ。

 俺を窺う小さな者の呼吸には、とっくに気が付いていた。

 俺と目が合うなり悲鳴のような鳴き声を上げて素早く飛び去っていった小鳥に、思わず自嘲的な笑みをもらす。



「――フリュウ、だったか」



 大方あの少年の仕業だろう。疑り深く俺を見定める深緑の瞳は印象的だった。

 俺は、昔から精霊に嫌われやすい。俺が魔法を蔑ろにしていた、もうひとつの理由だ。


 恐らく、シエレードの地には今も隊長たちが住まいを構えている。もしかするとそのまま動く気すらないのかもしれない。美しく、明らかに魔の者や邪な人間などが使役することは叶わないであろう精霊だ。早とちりで隊長に捕われることがないと良いが……。それどころか寧ろただの鳥だと思って食べるために捕まえるという可能性も捨てきれない。

 ぼうっと精霊が飛び去った方角を見つめていると、足音がした。振り向くと其処にはフリュウがいた。気付かれていないとでも思っていたのか、少し驚いたような顔で俺を見ている。

 俺があの鳥を見ているのを見つけて慌ててやってきたらしく、息は少々上がっているし、表情はなんだかひきつっていた。



「よ……よお、あー――、ジャンさん?」

「何か用か」

「少し、話でもと思ってさ」



 嘘を吐くのが苦手なのは魔法使いの特色なのだろうか。ざぶざぶと泳ぐ目玉は頻りにシエレードの空を気にかけている。多分、これでもナミネよりかはまだましなのだろう。あいつであれば俺と話しているというのにずっと“あらぬ方向”を凝視していたはずだ。



「話か……」

「ああ。こんなところで突っ立ってるってことは、暇なんだろ?」



 フリュウは言いながらも必死に愛想笑いを浮かべて俺を宿に戻そうとしている。



「ほら、そろそろ暗くなってきたみたいだし、肌寒いだろ」



 拙い駆け引きをしようと笑いかけたくもない男に笑む少年を見て、――少し、嫌がらせをしたくなってしまった。



「春めいた季節どころかそろそろ初夏だ。深夜ならまだしも寒くなるわけがないだろう」



 ひくりとフリュウの口許が僅かに震えた。



「……そういえば、もうすぐ宿の地下にある酒場のステージで何かイベントがあるってご主人が言ってたなあ」

「そうか」

「なんでも有名な踊り子が――」

「あまり興味はそそられないな。気になるのなら早く行ってきたらどうだ」



 フリュウの不格好な愛想笑いが剥がれ始めてきた。目が全く笑っておらず、俺を睨み付けている。



「そ、外にいたってつまらないだろ?」

「俺はひとりでこうしているのが好きなんだ」

「か、かっこつけてんじゃねーよ! 根暗野郎!」

「お前はどうあっても俺を宿の中に入れたいらしいな」



 フリュウは顔を真っ赤にして何やら激怒している。こいつもナミネも、こんな調子でよくもひとり旅をしようなどと決意できたものである。その過剰な思いきりの良さだけは誉められたものである。



「良いから宿に入れ。け……決闘だ!」

「決闘……」



 いくら俺を宿の中に押し込めてやりたいからといって、それは些か無理があるのではないだろうか。自分自身でわけもわからず「決闘! 決闘!」と言い募るフリュウがなんだか哀れに思え、俺は今度こそ素直に宿の中に入ってやることにした。

 小鳥は、とっくのとうにその気配すら掴めなくなっている。



◆◇



フリュウは若く細い肩を大きく上下させ荒い息を吐き出している。頬を興奮のために赤らめて、こめかみから一筋汗が伝った。酷く消耗しているらしく、瞳は虚ろで足など震え出している。

 「涙ぐましいことだな」からかわれていることはすぐにわかったらしい。鋭い瞳で彼は俺を睨み上げた。

 いつの間にやら集まり出した野次馬共は気楽な様子でがやがやと俺たちを囃し立てている。「やっちまえ」とか、「もう終わりか」だとかほざくその口にナイフでも突き立ててやりたい気分だ。お前たちの見せ物のために俺たちはこんなことをしているのではない。

 そもそも、この“決闘”に俺の同意はないのだ。視線を周りに滑らせると何かを感じ取ったらしい群衆は一様に口をつぐんだ。

 腕に力をこめる。フリュウが僅かに震えた。



「……殺すなら、殺せ……!」

「――――……腕相撲ごときで、大袈裟な」



 ご所望通りにと敗北の大地にフリュウの手の甲を叩き付ける。そのままフリュウはテーブルにもたれ掛かって崩れ落ちた。



「こ、この……、筋肉お化け……!」

「貧弱な男よりかはましだな」



 握っていた手を放してそう言うと、野次馬共からは歓声が上がった。まだそう遅いわけでもないのに酒浸りで、暇な奴等である。俺も人のことは言えないのだが。



「……っく、くそ! もう一度! もう一度だ!」

「“もう一度”で取り返せる力量差でもなかったろうに。自分の力を客観視できないことほど無様なものはないぞ」

「う……うるさいな!」



 再度立ち上がり、テーブルの上に肘を立てたフリュウを見て、「良いぞ、良いぞ!」「やれやれ!」などと野次馬共もヒートアップし始めた。

 すると、其処へまたひとり、酒場への階段を降りてくる者があった。



「……うわ、なにしてるんですか、ふたりとも」



 ナミネだ。ぐりぐりとした目を丸くして俺たちを凝視している。前髪に派手な寝癖がついているが、まさか気付いていないのだろうか。

 ナミネが俺たちに駆け寄ってきたのを見て、群衆がまたじわじわとざわめき始めた。



「な……何事なの、フリュウ……」

「とめるなナミネ!」

「いや、とめてないけど……」

「というか寝てたんじゃないのかよお前!」

「なんだか目が覚めちゃって……」

「永眠しろ!!」

「なんで!?」



 「もう一度! もう一度!」と騒ぐこいつの“もう一度”はいったい何度あるのか。ナミネはよく状況を理解していないようであるが、異様に興奮するフリュウに一種の恐れのようなものを抱いたのか腰が退けている。



「ジャンさん、いったい何があったんですか?」

「……こいつの努力の結末だな」

「はい?」



 どうにかあの小鳥から気に食わない男の気を逸らし、あわよくばその真意を聞き出そうとでも考えていたのかもしれないが、白熱しすぎて完全に主旨がすっぽ抜けてしまっている。

 そして俺たちの争いにどうにかして理由をつけてやりたくてたまらない野次馬共は、見慣れぬ少女の登場に色めきたったようである。



「なんだ、女の取り合いか?」

「馬鹿言えよ、あんな阿呆みたいな寝癖もほったらかしの貧乳、誰が欲しがるってんだ!」

「上等だああああ! 今、貧乳って言った奴表出ろおおおお!」

「落ち着け」



 宥める側だったのが一瞬にして宥められる側だ。血涙をも流さんばかりの勢いで激怒するナミネを担ぎ、フリュウの首根っこを掴む。

 俺たちの動向を気にするような気配を視線で制してから階段へと向かった。このままこいつらを部屋に押し込みに行こう。



「ジャンさん、放してくださいっ! 私、奴の立派な胸を抉りとってやらなきゃ気が済まない!」

「あれは女のような脂肪ではなく、ただの筋肉だろう」



 物騒なことを言うナミネを押さえ付ける腕に更に力を込めた。薄い腹に俺の肩が食い込んでいるらしく、背を叩かれた。抵抗が弱くなって好都合だ。暫くこのままにしておこう。

 そしてフリュウ。こいつは俺に触れられていることが気に食わないのか、それとも薄汚い酒場の床を引き摺られていることが嫌なのか(恐らく両方だろうな)、じたばたともがいていた。



「くそっ、放せ! まだ決着はついてないだろ!」

「振りほどけるものならば勝手に離れろ」



 そう言うと、フリュウは抵抗を激しくしたらしいが、今のところ全く負ける気がしない。「っく、ぐっ、ぐううっ!」どうしても離れたいらしい。必死な唸り声を漏らしているが、それだけだ。

 そういえば、ナミネがぴくりとも動かなくなっている。何があったのだろう。勢いをつけて肩を上下運動させると、それに合わせて「うぐっ、うぐっ」という呻きが聞こえたので意識はあるらしい。ついでに襟元を掴まれているフリュウも合わせて苦し気な声を上げていた。他意はなかった。



「――筋肉お化け! 筋肉お化け!」



 結局逃れられないと悟ったらしく、フリュウが真っ赤な顔をして俺に罵声を浴びせた。それしか言えないのか、こいつは。



「俺はまともに魔法を使えない」

「……は? だから、なんだよ。魔法使いでもないだろうに、ほいほい使われたらこっちが困るってーの」

「ふ、フリュウ! うぐっ、そんな言い方っ、ないじゃないっ、ぐうっ」



 依然として何処か突っ掛かるようなフリュウの物言いに、ナミネが慌てたように食って掛かる。歩く度に衝撃がダイレクトに来るらしく、いちいち息を詰めていた。 「ちょっ……ちょっとジャンさん! もっと丁寧に歩いてください!」丁寧な歩行とはいったいどういったものなのだろうか。こいつも度々難しいことを言うな。



「つまり、俺に追跡する力はないのだ」

「だからなに言って――――」

「鳥はもう飛んでいったぞ」

「なっ……!!」



 フリュウの赤い顔からほんの少し色味が抜けた。表示を驚き一色に染め、声にならない声で口をぱくぱくさせながら此方を見ている。何故気付かれてないと思えたのだろうか。



「もう誤魔化しは必要ないだろう」

「あっ……あんた、いつからっ」



 その言葉には答えずに歩を進める。ナミネは黙ったきり。フリュウは何やら喚いている。

 そのまま黙っているとフリュウも諦めたらしく、静かになった。……おっと。



「今から階段をのぼるぞ」



 目の前に現れた階段に、ふたりに声をかけると、ナミネの身体が岩のように強張り、フリュウは今度こそ顔色を真っ青にした。

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