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困難事例〜誰も行きたがらない家〜  作者: 那須 儒一


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9/12

4月18日(土)赤いハイヒールの家 終

今日はA様のお宅か――

三回目ともなれば慣れたもんよ。


……佐上さがみ先輩のお陰で少しだけ元気が出た。頑張らなきゃ。


私は肩を回しながら気合を入れる。


これだけの体験をしたら、逃げて誰も責めないだろう。それでも、私が行かなきゃ、利用者さんを誰が支えるのよ。


恐怖を使命感で押し殺し、私は身支度を済ませ、自宅の玄関先で靴を履く。


「えっ……!?」


自分の目を疑った。

玄関の扉を開けると赤いハイヒールが、扉の前に置いてあった。


「なにこれ……いつもと違う……」

ハイヒールの爪先は、アパートの駐車場へと向けられていた。


虫の知らせ――私の直感がそう告げた。


車に乗り込み、直接A様のお宅を目指す。

訪問時間前――介護サービスはケアマネジャーが作成した計画書に沿って支援を遂行する。


本来、指定された時間前に訪問するなんて、訪問介護士としては《《ありえない》》。


それでも、言いしれぬ不安感が私を突き動かす。


――速く、速く着いて!



A様の自宅に伺うと、既に玄関は開け放たれていた。


「お邪魔します!」


「Aさん! Aさん!」

私は叫びながら、A様の寝室へ走る。


入った瞬間に心臓がキュッと締め付けられる。

A様が床で倒れていた。


「Aさん! Aさん!」

何度も声を掛けると、「うぅ……」

かすかに反応がある。


私はすぐさま救急車を呼んだ。

榊原さかきばらさんには一報入れて、救急車に同乗した。



なんてことない。

軽い貧血だったらしい。


A様は病院のベッド上で点滴を打たれ、気持ちよさそうに眠っていた。


……ふと、視線の端に違和感を感じる。


私の隣で赤いハイヒールが並べられていた。

ベッド脇のA様を見守るように。


今、思えば、娘様は亡くなった後も、A様を見守っていたのかもしれない。


私の家に来ていたのも、私がどんな人か見極めるためだったりして……。


娘様の存在を感じたことはあるが、不思議と嫌な気はしなかった。


娘様が見ているなら安心か……。

私は席を立ち部屋から出ようとした。


一瞬、花の香りがした気がする。

娘様の気配を背後に感じたが、振り向かずに事業所へと帰路につく。


すべては私の妄想かもしれない。

都合のいい解釈なのかもしれない。


それでも、そう思う方がずっと幸せだった。



「あっ……白石さん。おかえりなさい!」

事業所では榊原さかきばらさんがパソコンとにらめっこをしていた。


「ただいま、戻りました。

勝手な行動を取り、誠に申し訳ございません」


私は誠心誠意、頭を下げた。

どんな理由があれ、私のしたことは業務命令違反だ。それに、サービス時間外に訪問するなんて、A様の担当のケアマネジャーとの信頼関係にも影響が出てくる。


「大丈夫だよ。私は白石さんの判断を信じているから。ケアマネジャーも既に報告と謝罪は済ませているよ。A様が無事で良かったと、むしろ感謝していたよ」


榊原さんは責めるどころか、私の肩にポンッと手を置いた。


セクハラです……とはさすがに言えなかった。


「大変だったでしょ。事故報告書だけ書いて今日はあがりな」


「えっ、いいんですか?」

まだ昼過ぎだというのに、本当に帰っていいのだろうか。


「その分、これからもよろしくね」


榊原さんが笑顔で手を差し出す。


私はその手を握らなかった。


代わりに「はい! よろしくお願いします!」と

挨拶を返し報告書を仕上げた。



お言葉に甘え、自宅に帰ってベッドに寝転んだ。


その日の夜、不思議な夢を見た。


赤いドレスに赤いハイヒール。

私より一回りぐらい歳上の水商売の女性だろうか?


夢の中の彼女は微笑んでいた。

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