第3話 スクープされたのは、恋人じゃない私たち
一度は離れようとした澪と、想いを言葉にできない遥斗。
けれど二人のすれ違いは、思わぬ形で世間に知られてしまいます。
“恋人ではない”はずの二人が、スクープによってさらに追い詰められていく第3話です。
翌朝、スマホの通知音で目が覚めた。
一件ではない。
何件も、何十件も。
胸騒ぎがした。
画面を見る。
会社の同僚からのメッセージ。
『相沢さん、大丈夫?』
『これ、澪ちゃんじゃない?』
『ニュース見た?』
添付されたURLを開いた瞬間、血の気が引いた。
そこには、夜の駅前で向かい合う私と遥斗の写真が載っていた。
黒いキャップをかぶった遥斗。
泣きそうな顔の私。
見出しには、こう書かれていた。
『人気俳優・七瀬遥斗、一般女性と深夜の密会か』
手が震えた。
記事には、私の名前こそ出ていなかった。
けれど、勤務先や年齢らしき情報が曖昧に書かれている。
駅前で口論していた。
親密な様子だった。
以前から七瀬の自宅周辺で目撃されていた女性か。
適当な言葉が並んでいた。
「嘘……」
息が苦しい。
遥斗は大丈夫だろうか。
仕事に影響が出るのではないか。
私のせいだ。
私があんな場所で感情的になったから。
スマホが鳴った。
遥斗からだった。
出るのが怖かった。
それでも、私は通話ボタンを押した。
「もしもし」
『澪、大丈夫か』
第一声が、それだった。
責められると思っていた。
なのに遥斗は、私を心配した。
それだけで泣きそうになる。
「私は大丈夫。遥斗こそ」
『俺は慣れてる』
「慣れちゃだめでしょ」
『今、家?』
「うん」
『外出るな。会社にも連絡入れろ。変な記者が来るかもしれない』
「うん」
『事務所が対応する。澪のことは絶対出させない』
「ごめん」
『謝るな』
「でも、私が」
『違う。俺が行ったからだ』
遥斗の声が硬かった。
『俺が我慢できなかったから』
胸が苦しくなった。
「遥斗」
『事務所から発表が出ると思う』
「発表?」
『澪のことは、親しい友人ってことにする』
頭が真っ白になった。
親しい友人。
その言葉は、正しい。
世間に対しては、そう言うしかない。
分かっている。
遥斗の仕事を守るためにも、私を守るためにも、それが一番いい。
なのに、胸が裂けそうだった。
「……そっか」
『澪』
「うん。分かった」
『違う。これは』
「分かってる。大丈夫」
大丈夫じゃなかった。
でも、そう言うしかなかった。
『あとで行く』
「来なくていい」
『澪』
「今来たら、もっと騒がれるでしょ」
『でも』
「大丈夫だから」
私は電話を切った。
その直後、事務所の公式コメントが出た。
『七瀬遥斗の相手女性は、学生時代から親交のある親しい友人です。交際の事実はございません』
交際の事実はございません。
たったその一文で、私の何年分もの恋は、最初から存在しなかったことにされた。
もちろん、最初から交際なんてしていない。
だから、嘘ではない。
間違っていない。
誰も悪くない。
それなのに、どうしてこんなに痛いのだろう。
遥斗の隣にいた時間。
彼が私の部屋で眠った夜。
私の作った味噌汁をおいしいと言ってくれた声。
帰ってきた感じがすると笑った顔。
全部、世間に向けては「交際の事実はございません」で片づけられる。
私は、遥斗の隣にいただけだった。
でもその“隣”は、私が思っていたよりずっと危うい場所だった。
私はスマホを伏せた。
もう泣かないと決めたのに、涙が頬を伝った。
*
会社には、体調不良ということで休みをもらった。
上司は事情を察してくれたようで、「無理しないで」とだけ言った。
午後になると、SNSでは遥斗の名前がトレンドに上がっていた。
『一般女性って誰?』
『親しい友人って逆に怪しい』
『相手の女、匂わせしてそう』
見なければいいのに、見てしまう。
胸が冷たくなる。
私は何もしていない。
でも、遥斗の隣にいただけで、誰かに憎まれる。
これが、彼の世界なのだと思った。
遥斗が私を親友と言い続ける理由が、少しだけ分かった気がした。
彼の隣に立つには、覚悟がいる。
私はその覚悟を持てるのだろうか。
夕方、インターホンが鳴った。
モニターを見ると、遥斗ではなかった。
遥斗のマネージャー、白石さんだった。
私はドアを開けた。
「突然すみません。相沢さん、大丈夫ですか」
「はい。ご迷惑をおかけして」
「迷惑なんてとんでもない。こちらこそ、巻き込んでしまって申し訳ありません」
白石さんは深く頭を下げた。
彼女は遥斗より少し年上で、仕事のできる人だ。
いつも冷静で、遥斗が信頼しているのが分かる。
「遥斗さんは?」
「今、事務所です。相沢さんのところへ行くと言って聞かなかったのですが、止めました」
「そうですか」
ほっとしたような、寂しいような気持ちになった。
白石さんは少し迷った後、静かに言った。
「相沢さん。少しだけ、お話してもいいですか」
「はい」
私は彼女を部屋に上げた。
お茶を出すと、白石さんは丁寧に礼を言い、ソファに座った。
そこは、昨日まで遥斗が眠っていた場所だった。
「今回の件ですが、相沢さんの個人情報は出ないように全力で抑えます」
「ありがとうございます」
「ただ、しばらくは遥斗さんと会うのを控えていただいた方がいいと思います」
分かっていた。
分かっていたけれど、言葉にされると胸が痛んだ。
「……はい」
「相沢さんを守るためでもあります」
「分かっています」
白石さんは少し言葉を選ぶように、お茶のカップへ視線を落とした。
「それに、今は時期が悪すぎるんです」
「時期?」
「遥斗さんは来月、恋愛映画の公開を控えています。相手役の女優さんとの合同取材や番宣も、かなり組まれています」
「……はい」
「熱愛報道は、作品の見え方にも影響します。スポンサーや映画会社への説明も必要になりますし、相手役の方にも迷惑がかかる可能性がある」
言われて、私はようやく現実を見た気がした。
私と遥斗だけの問題ではない。
遥斗の恋は、彼一人のものでは済まない。
仕事、作品、共演者、事務所、スポンサー、ファン。
彼の背中には、私が想像していたよりもずっと多くのものが乗っている。
「だから遥斗さんは、ずっと相沢さんを巻き込みたくなかったんだと思います」
「……」
「ただ、それでも今回、現場を抜け出してあなたを追いかけた」
白石さんは私を見た。
仕事の顔ではなく、少しだけ迷うような顔だった。
「遥斗さんは、相沢さんのことになると冷静ではいられません」
「え?」
「普段は無茶をしない人です。でも昨日は違いました。私はマネージャーとして、正直困っています」
「すみません」
「責めているわけではありません。ただ、相沢さんに知っておいてほしいんです」
白石さんは小さく息を吐いた。
「あの人は、あなたをただの友人として扱えていません」
心臓が大きく鳴った。
「でも、事務所の発表では」
「あれは仕事上の対応です」
「……」
「遥斗さん本人がどう思っているかとは、別です」
私は何も言えなかった。
それを聞いて、嬉しいと思ってしまう自分がいた。
でも同時に、ひどく怖かった。
「なら、どうして本人は言ってくれないんでしょう」
声が震えた。
「私は、ずっと親友って言われてきました。大切だって言われても、好きだとは言われなかった。昨日だって、何も答えてくれなかった」
白石さんは静かに聞いていた。
「私、もう疲れたんです」
それは、本音だった。
「好きな人の一番近くにいるのに、恋人じゃない。必要とされているのに、選ばれていない。そんな場所に、ずっといるのは苦しいです」
白石さんはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくり言った。
「遥斗さんは、怖いんだと思います」
「怖い?」
「相沢さんを失うことが」
「……失ってないじゃないですか」
「だから、変えられないんだと思います」
白石さんの言葉は、遥斗をかばっているようで、そうではなかった。
ただ、事実を言っているようだった。
「恋人になって別れるくらいなら、親友のまま一生そばにいたい。たぶん、そう考えているんです」
私は膝の上で手を握りしめた。
「そんなの、ずるいです」
「はい。ずるいと思います」
白石さんははっきり頷いた。
「だから、相沢さんが離れたいなら、離れていいと思います」
その言葉に、胸が詰まった。
「遥斗さんのために、相沢さんが傷つき続ける必要はありません」
私は何も返せなかった。
*
その夜、遥斗から何度も電話が来た。
私は出なかった。
メッセージも来た。
『澪、話したい』
『ごめん』
『昨日のこと、ちゃんと話す』
『頼むから無視するな』
『心配してる』
私は画面を見つめたまま、返信できなかった。
心配してる。
またその言葉。
優しさなのに、今は苦しい。
深夜零時を過ぎた頃、最後に一件だけメッセージが来た。
『親友なんて言って、ごめん』
その一文で、涙が溢れた。
ごめんじゃなくて。
私が欲しかったのは、別の言葉だった。
お読みいただきありがとうございます。
第3話では、澪と遥斗の関係がスクープされ、
「親しい友人」という言葉が、澪の心をさらに傷つける展開になりました。
守るための言葉なのに、澪にとっては恋を否定される言葉でもある。
そんな苦しさが強まる回です。
次話では、遥斗がようやく自分の気持ちと向き合い始めます。




