第9話:【暴走する愛】
学校を「療養」という名目で休まされるようになってから、僕の生活範囲は家の二階、それも僕の部屋と凛香さんの部屋の往復だけに限定された。 「外は毒だらけよ、悠真くん」 彼女はそう言って、僕の靴も、外へ繋がる唯一の手段だったスマホも、すべて彼女の「管理室(あの部屋)」へ没収した。
そんな歪な生活が数日続いた、ある雨の夜のことだ。
「……凛香さん、少しやりすぎじゃないか?」
一階のリビングから、父さんの困惑した声が聞こえてきた。どうやら、悠真をいつまでも学校に行かせない凛香の方針に、ようやく疑問を抱き始めたらしい。
「悠真の担任からも連絡があった。本人が一度も顔を出さないのは不自然だって。明日、私が彼を連れて学校へ……」
「……パパ、それは困るわ」
凛香さんの声が、一階から響く。それは僕が聞いたこともないほど冷たく、鋭い声だった。
「悠真くんは今、とても繊細な状態なの。無神経な外界に触れさせたら、またあの子の心が壊れてしまう。パパは、悠真くんがまたあの三浦とかいう女に執着して、犯罪者になるのを見たいの?」
「いや、それは……。でも、家でずっと閉じ込めておくのも……」
「閉じ込めてなんていないわ。私は彼を『保護』しているの。……ねえ、パパ。パパは仕事だけしていればいいのよ。家の中のことは、私が全部『正しく』してあげるから」
「凛香さん、君、顔が怖いぞ……。それにその手に持っているのは、何だ?」
不気味な沈黙が流れた。 僕は居ても立ってもいられず、部屋のドアを細く開け、階段の上から下を覗き込んだ。
リビングの真ん中で、凛香さんが手に持っていたのは、僕が以前父さんから誕生日に買ってもらった「中学の卒業アルバム」だった。 彼女はそれを、大きな裁断バサミで無慈悲に切り刻んでいた。
「……あ、あ……」
父さんが絶句して後ずさる。 彼女は切り抜いた僕の顔写真を、一枚一枚丁寧に自分のポケットに収め、それ以外の——僕の友人や、恩師や、思い出の風景が写ったページを、ゴミ箱の中に捨てていた。
「悠真くんの過去に、私以外の人間は必要ないの。……ねえ、パパ。パパもそうでしょ? パパも、悠真くんから私を奪おうとするなら、……『ノイズ』として処理しなきゃいけなくなるわ」
「き、君……! 落ち着きなさい! 警察に……」
「警察? 呼べるかしら。パパのパソコン、仕事の機密データ、全部私が『管理』しているのに?」
凛香さんは、ハサミをチャキリと鳴らしながら、一歩、また一歩と父さんに歩み寄る。その表情は、恍惚とした笑みに満ちていた。 父さんは恐怖に顔を歪ませ、腰を抜かして床にへたり込んだ。
「ひ、……っ、化け物……!」
「あら、心外ね。私はただ、世界で一番、この家族を愛しているだけよ」
その時、階段の隙間から見ていた僕と、彼女の目が合った。 彼女は僕を見つけると、血の通わない人形のような完璧な笑みを浮かべ、指先を唇に当てた。
「……起きてたのね、悠真くん。……大丈夫よ、パパは少しだけ『おやすみ』してもらうだけだから。明日からは、本当に、私たち二人きりの世界が始まるわ」
彼女が父さんの背後に回った瞬間、僕は恐怖のあまり声を上げることすらできず、自分の部屋に逃げ帰り、内側から鍵をかけた。
ガタガタと震える僕の耳に、階段をゆっくりと上がってくる、規則正しい足音が聞こえてくる。
トントン。
「……悠真くん、開けて? お祝いしましょう。今日、私たちは本当の『一つ』になれたのよ」
ドア越しに聞こえる彼女の声は、どこまでも優しく、そしてどこまでも狂っていた。




