第8話:【孤立の檻】
翌朝、重い足取りで登校した僕を待っていたのは、クラスメイトたちの刺すような視線だった。
「……あいつだよな、佐藤」 「信じらんない。あんなに綺麗なお姉さんに暴力振るうなんて」
ひそひそ話が耳に届く。どうやら凛香さんは、昨夜のうちに僕のスマホを使い、あるいは父さんの口を通じて、「僕が情緒不安定で、新しく家族になった彼女を拒絶し、暴力を振るっている」という話を周囲に広めていたらしい。
さらに追い打ちをかけるように、担任の先生に呼び出された。
「佐藤。家庭の事情は色々あるだろうが……一ノ瀬さんから相談を受けている。君が三浦さんに対して執着し、彼女を怖がらせていたこともね」
「え……? 僕が、三浦さんを……?」
頭が真っ白になった。三浦さんに拒絶されたのは僕の方だ。いや、彼女を遠ざけたのは凛香さんだ。なのに、学校側の認識では「僕がストーカーで、凛香さんが必死にそれを止めようとしている」という構図にすり替わっている。
教室に戻っても、僕の居場所はどこにもなかった。 かつて僕が愛した「平凡で目立たない日常」は、今や「問題児としての孤立」に変わっていた。
「……全部、あいつの計算通りなのか」
絶望して帰宅すると、玄関には凛香さんが立っていた。 彼女は僕の顔を見るなり、いたわるように駆け寄ってきた。
「おかえりなさい、悠真くん。……辛かったわね。学校でみんなに誤解されるなんて」
「……お姉さんが、やったんだろ。みんなに嘘を吹き込んで」
僕が掠れた声で言うと、凛香さんは悲しそうに首を振った。
「嘘なんてついていないわ。私はただ、これ以上貴方が三浦さんのことで罪を重ねないように、周囲に協力を仰いだだけ。……ねえ、悠真くん。世界中が貴方を敵だと思っても、私だけは味方よ」
彼女は僕をリビングのソファに座らせ、背後から首筋に顔を埋めた。
「学校なんて、もう行かなくていいの。父さんも、貴方が落ち着くまで家で療養させることに賛成してくれたわ。……これからはずっと、二人きり。誰にも邪魔されない、私たちの聖域よ」
「療養って……。僕を監禁するつもりか?」
「監禁だなんて人聞きの悪い。……私はただ、貴方を『正しく』育て直したいだけ。あの日、私を救ってくれた純粋な貴方に、戻ってほしいの」
凛香さんは僕の手を取り、その指を一本ずつ丁寧に、愛おしそうに舐めた。 その瞳には、もはや常人の理解を超えた「狂信」の色が宿っている。
彼女の計画は、もはや「隠す」段階を終えていた。 父を味方につけ、学校での信用を失墜させ、僕から外部との繋がりをすべて断つ。 僕に残されたのは、目の前の「聖母」が差し出す、毒の入った甘い果実だけ。
「……ねえ、悠真くん。三浦さんのことはもう忘れて? 彼女は今頃、新しい街で、貴方のことなんてこれっぽっちも思い出さずに笑っているわよ」
凛香さんの囁きが、呪いのように僕の思考を麻痺させていく。 怒る気力さえ奪われ、僕はただ、彼女の腕の中で人形のように静止するしかなかった。
「……いい子。さあ、今夜は貴方の好きなもの、たくさん作ってあげるからね」
彼女は満足げに微笑み、僕の額に深いキスを落とした。 その時、僕は確かに感じた。 彼女に抱かれている時だけが、唯一、自分を否定されずに済む時間になりつつあるという、最悪の快楽を。
孤立という名の檻の中で、僕はゆっくりと、彼女の「飼育」に順応し始めていた。




