第10話:【聖母の崩壊】
ドアの向こうから聞こえる凛香さんの声は、いつになく震えていた。 いつも完璧で、余裕に満ちていた彼女のメッキが、父さんを排除したことで逆に剥がれ落ちようとしている。
「悠真くん……。お願い、開けて。私を一人にしないで……」
僕は恐怖に震えながらも、ふと思い出した。 あの数年前の放課後。裏庭で掲示板の誹謗中傷に晒され、一人で泣いていた彼女の姿を。 今の彼女は、あの時と同じ「迷子」の目をしているのではないか。
僕は意を決して、ドアの鍵を開けた。
「……お姉さん」
目の前にいた凛香さんは、ハサミを床に落とし、力なくへたり込んでいた。 その頬には涙が伝い、完璧だった髪は乱れている。
「悠真くん……っ。ごめんなさい、怖がらせるつもりじゃなかったの。でも、パパが貴方を連れて行くって言うから。……また、貴方が私の手の届かないところへ行ってしまうのが、怖くて……」
彼女は僕の足元に縋りつき、子供のように声を上げて泣き始めた。
「私はただ、愛されたかっただけ。……誰でもいいわけじゃない。あの日、汚いハンカチを差し出してくれた、貴方にだけ……」
その時、僕は彼女の背後にある「管理室」のモニターが、激しく点滅しているのに気づいた。 そこには、外部からの大量のアクセスログが表示されていた。
「……これ、何?」
「……わからないわ。でも、いいの。もうすぐ、すべてが終わるから」
彼女はうつろな目で微笑んだ。 彼女が僕を独占するために行った数々の工作——ネットの操作や三浦さんへの接触——は、皮肉にも彼女自身の足跡をネットの海に残していたのだ。 彼女の「完璧な管理」は、皮肉にもその完璧さゆえに、外部の「ノイズ」……つまり、彼女の異常性に気づいた第三者たちの追及を招いていた。
「ねえ、悠真くん。一緒に逃げましょう? 誰にも見つからない、二人だけの場所へ……」
凛香さんは僕の手を握り、必死に訴えかける。その手は氷のように冷たい。 僕は、彼女を拒絶して逃げ出すこともできた。今なら一階に倒れている父を助け、外へ助けを呼びに行ける。
けれど、泣きじゃくる彼女の姿を見て、僕の胸を締め付けたのは、怒りではなく、どうしようもないほどの「共感」だった。 平凡で地味な僕。完璧すぎて孤独だった彼女。 僕たちは、形こそ違えど、ずっとこの息苦しい世界で「居場所」を探していた似た者同士だったのだ。




