第7話「理不尽を権利とする男」
「おい織部!動きがトロいぞ!客が並んでんだろ、さっさと回せ!」
怒号が店内に響く。
コンビニエンスストア『ステーションマート』駅前店。
夕方のラッシュ時、レジカウンターの中で、店長の毒島が青筋を立てていた。
毒島はこの店の「王」だ。
彼は本部が定めた公式マニュアルを「現場を知らない役人の作文」と嘲笑い、独自の「俺様ルール」で店を支配していた。
「マニュアルなんか見るな!俺を見ろ!俺が右と言ったら右だ!」
彼の方針は「回転率至上主義」。
レジ接客は「いらっしゃいませ」を省略し、バーコードを読み取る速度だけを競わせる。
揚げ物の廃棄時間は無視し、賞味期限切れの弁当も「ラベルを貼り替えれば売れる」と豪語する。
そして何より、アルバイトたちに「研修」と称してタイムカードを切らせないまま働かせ、人件費を浮かせて自分の懐に入れている。
織部悟(十六歳)は、無表情にレジを打っていた。隣のレジでは、新人バイトの女子大生、美和が毒島に怒鳴られ、泣きそうになっている。
「美和!お前、廃棄チェックなんか後回しにしろ!レジに入れ!」
「で、でも店長、本部マニュアルだと一時間ごとにチェックしないと……」
「うるせえ!この店のルールは俺だ。文句があるなら辞めろ!」
毒島は美和の手から廃棄リストをひったくり、ゴミ箱へ投げ捨てた。
典型的なブラックバイト。
理不尽を「社会勉強」という言葉で正当化する搾取の構造。
織部は、その光景を冷ややかにスキャンしていた。
毒島の運営は、効率的に見えて、実際には「安全マージン」と「遵法精神」を削り取って加速させているに過ぎない。
ブレーキの壊れた暴走車だ。
休憩室。
織部はロッカーから、分厚いファイルを2冊取り出した。
店長デスクの奥底に眠っていた『店舗運営基本マニュアル(本部制定)』と『労働基準法関連規定』だ。
彼はページをめくり、毒島の「俺様ルール」と「公式仕様」の食い違いを確認していく。
――休憩時間、規定未達。
――廃棄ロス管理、不正操作。
――衛生管理、重大な違反。
毒島は言った。
「マニュアルなんか見るな」と。
ならば、その言葉通りにしてやろう。
ただし、毒島が想定しているのとは逆のベクトルで。
――校正開始。
――モード:厳格順守。
*
翌日の金曜日。
店が最も混雑する19時。
毒島はバックヤードでタバコを吸いながら、携帯の簡易ゲームに熱中していた。
現場は織部と美和の二人。
本来なら三人体制が必要な時間帯だが、毒島は人件費を削るためにシフトを絞っている。
その時、店内から怒声が聞こえてきた。
客のクレームだ。
毒島は舌打ちをし、モニターを確認した。
レジ前に長蛇の列ができている。
なのに、レジは一台しか動いていない。
「あいつら、何やってんだ!」
毒島はバックヤードを飛び出した。
レジでは織部が客の持ってきたタバコのカートンを手に、淡々と対応していた。
「申し訳ありません。年齢確認ボタンを押していただけますか」
「押しただろうが!俺が未成年に見えるか!」
「規定により、画面タッチによる確認が必須となっております」
「だから押したって!」
「画面の反応が確認できませんでした。もう一度お願いします」
織部はロボットのように繰り返す。
客はイライラして画面を叩く。
さらに織部は次の客の弁当を温める際、電子レンジの前で直立不動で待機していた。
「おい織部!何してんだ!」
毒島が怒鳴り込む。
「レンジ回してる間に次の客を打て!二重接客だ!」
「店長」
織部は振り返りカウンターの下からマニュアルを取り出した。
「運営マニュアル、第3章接客編。『温め中は、取り間違い防止のため、その場を離れず、他のお客様の対応をしてはならない』とあります」
「はあ!?そんなの建前だ!」
「建前ではありません。仕様です。もし取り違えてアレルギー事故が起きた場合、責任の所在が不明確になります」
織部は絶対に動かない。
レンジがチンと鳴るまで、頑として次の客を呼ばない。
行列は店の外まで伸びようとしていた。
「ふざけんな!美和!お前がもう一台のレジを開けろ!」
毒島が叫ぶ。
だが、美和はレジにいなかった。
彼女は店舗の奥、揚げ物機の前で、油の温度計を凝視していた。
「美和!何してやがる!」
「あ、て、店長……。織部くんが……『マニュアル通りにやらないと店長が逮捕されるよ』って……」
美和の手には、『衛生管理マニュアル』が握られている。
「第5章。『フライヤーの油温確認は30分ごとに実施し、記録簿に記入すること。測定中は安全のため、他の作業を行ってはならない』……」
「今そんなことやってる場合か!客が待ってるんだぞ!」
「でも、やらないと食品衛生法違反に……」
美和は泣きそうになりながらも、温度計から目を離さない。
織部に「徹底的にやれ」と吹き込まれているのだ。
店は麻痺していた。
織部は「丁寧すぎる接客」と「完璧な安全確認」でレジを牛歩戦術のように遅延させ、美和は「義務付けられた清掃」でバックアップを封じられている。
サボっているわけではない。
本部が定めた「正しい手順」を、一秒の狂いもなく実行しているだけだ。
その結果、毒島の「手抜き前提のシフト」は完全に破綻した。
「くそっ、どけ!俺がやる!」
毒島は織部を押しのけ、自らレジに入った。
高速で商品をスキャンし、温めもそこそこに客に放り投げる。
マニュアル無視の乱暴な接客。
だが、列は捌けていく。
「見ろ!これが現場のやり方だ!マニュアルなんぞクソ食らえだ!」
毒島は勝利宣言のように叫んだ。
その時自動ドアが開き、スーツ姿の男が入ってきた。
胸には、コンビニチェーン本部のロゴが入ったネームプレート。
地区統括だ。
「……毒島店長。今の発言、聞き捨てなりませんね」
エリアマネージャーの目が氷のように冷たい。
毒島が凍りつく。
「エ、エリアマネージャー……!?な、なぜここに……巡回は来週のはずじゃ……」
「『店舗運営において、監査案件になりかねない不正が積み重なっている』という内部通報がありましてね。緊急監査に来ました」
マネージャーは、織部の方を見た。
織部は無表情に一礼する。
通報者は彼だ。
「店長。レジの接客を見せてもらいました。……年齢確認の省略、温め時間の短縮、そして『マニュアルはクソ食らえ』という暴言。すべて本部のブランドイメージを毀損する行為です」
「い、いや、これは、混雑していたので臨機応変に……」
「臨機応変?彼(織部)の対応を見ていましたが、彼はマニュアルを完璧に遵守していましたよ。彼のやり方で店が回らないのだとしたら、それはあなたの『人員配置』が間違っているということです」
正論。
毒島が最も嫌い、避けてきた論理の刃。
「さらに、通報にあった『勤怠改竄』についても調査させてもらいます。アルバイトの方々の証言と、防犯カメラの映像を照合すれば、すぐに分かりますからね」
毒島はその場に崩れ落ちた。
人件費の不正操作がバレれば、懲戒解雇は免れない。
いや、横領で訴えられる可能性すらある。
俺様ルールで築き上げた砂上の楼閣は、たった一冊の「公式マニュアル」によって粉砕された。
*
一週間後。
ステーションマートには、新しい店長が派遣されていた。
毒島は契約解除となり、多額の賠償金を請求されているという噂だ。
バックヤードで、織部は着替えを終え、タイムカードを押した。
ピッ。
22:00。
定時。
一分の狂いもない退勤記録。
「お疲れ様、織部くん!」
美和が明るい声で手を振る。
新しい店長はマニュアル重視の常識人で、無理なワンオペも解消された。
職場環境は劇的に改善し、ようやくまともな店になった。
「ありがとうね。織部くんのおかげで、すごく働きやすくなったよ」
美和の感謝の言葉。
だが織部は軽く会釈をしただけで、何も言わずに店を出た。
夜風が冷たい。
織部は携帯を取り出し、簡易明細サービスを見た。
増えてもいないし、減ってもいない。
労働という入力に対し、対価という出力が正常に返ってくる。
彼は美和を助けたかったわけではない。
毒島という「バグの塊」が、店舗というシステムのリソースを食い潰し、異常動作(違法労働)を引き起こしていた。
だから上位のシステム(本部)にアクセスし、仕様通りのパッチを当ててバグを削除した。
それだけの処理だ。
織部はコンビニの明かりを背に、夜の街へと消えていった。
世界にはまだ、修正すべきバグが無数に存在している。
(第7話完)
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本作は第4部となります。
前のエピソードを読むと、織部という存在の“ズレ”がよりはっきり見えてきます。
マニュアルキラー 第1部
〜その「説明書」を信じてはいけない〜
https://ncode.syosetu.com/n4289lo/
マニュアルキラー 第2部
~校正なき改竄~
https://ncode.syosetu.com/n4641ls/
マニュアルキラー 第3部
~不適切な運用に関する修正履歴~
https://ncode.syosetu.com/n4150lw/




