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マニュアルキラー 第4部 ~源流…善意ゼロの天才少年、マニュアル通りに社会のバグを潰します~  作者: 早野 茂


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第6話「危険予知」

ガガガガッ、キュルルル……。

金属を削る鋭い音が、油の匂いと共に充満している。

町外れのプレス工場。

織部悟は職業体験の一環として、その薄暗い現場の隅で掃除用具を手に立っていた。


彼の視線は、一台の古びた油圧プレス機に向けられている。

そこには一人の工員、村田むらたが張り付いていた。

村田はベテランだが、極端に口数が少なく人と目を合わせるのが苦手な男だ。

だが機械を見る目だけは確かだった。


「……音が、おかしい」


村田が手を止め、機械の側面パネルに耳を当てた。


「班長。やっぱりポンプの音が変です。圧力が安定しません」


村田が報告したのは、現場責任者の梶原かじわらだ。

梶原は納期に追われ、常にイライラしている男だった。

彼は村田の報告を聞くや否や、露骨に舌打ちをした。


「またか、村田!お前はサボる理由ばかり探すな!」

「い、いえ、サボってるわけじゃ……。でも、このままじゃ不良品が出ます」

「お前の腕が悪いから不良品が出るんだよ!機械のせいにするな!」


梶原が怒鳴る。

村田は萎縮し、「すみません……」と小さくなって作業に戻った。

だが織部には見えていた。

プレス機が動くたび、油圧計の針が不規則に揺れ、製品の淵に微細なバリ《突起》が生じているのを。


機械は悲鳴を上げている。

村田という「高感度センサー」は、それを正しく検知し、警告信号アラートを発している。

だが梶原という「受信機」が、その信号をノイズとして遮断し、無理やり稼働を続けさせている。


――システム不全。

――このままでは、致命的な破損クラッシュが起きる。


織部はほうきを動かしながら、現場の壁に掛けられたバインダーに目をつけた。

『始業前点検表』。

毎朝作業員がチェックし、最後に班長の梶原がハンコを押すことで稼働が許可される書類だ。



休憩時間。織部は誰もいない休憩室で、その『始業前点検表』を手に取った。

内容はあまりに杜撰だった。


『油圧ポンプの動作』……□良・□否

『異音・発熱の有無』……□無・□有


すべて「良」か「無」にチェックを入れるだけの、形骸化したリスト。

梶原はこれを見てすらいない。

村田が慣習的に入れたチェックマークの上に、機械的にハンコを押しているだけだ。

これでは、村田の気づき【センサーの検知】は記録に残らない。


織部はポケットから定規とボールペンを取り出した。

彼は新しい点検用紙の束を抜き取り、そのフォーマット自体に手を加えた。


改竄ではない。

精度を上げるための書式変更だ。


彼は『油圧ポンプの動作』の項目を二重線で消し、その横に手書きで枠を追加した。


『油圧計の数値を記入すること(MPa)』

『※基準値(15.0〜16.0)以外の場合は、直ちに稼働を停止すること』


さらに最下部の班長承認印の欄に注釈を書き加えた。


『管理者承認欄:上記数値が正常であることを確認しました。本日の稼働における全責任(事故時の法的責任を含む)を負うものとします』


織部はその書き換えた用紙を一番上に戻し、何食わぬ顔でバインダーを閉じた。

チェックボックスという「曖昧な入力」を廃止し、数値という「事実の入力」を強制する。

そして、ハンコという行為に「責任」という重みを付与エンチャントする。


異変に気づく目はもう働いている。

あとはそれが正しく伝わる形にすればいい。



翌朝。

始業のチャイムが鳴り、現場が動き出す時間。

村田はいつものように点検表を手に取り、首を傾げた。


「あれ?様式が変わってる……?」

「どうした早くしろ!納期が遅れてるんだぞ!」


後ろから梶原が怒鳴る。

村田は慌てて、「あ、はい。ええと、数値を書くのか……」と、油圧計を確認した。

針は、赤色の危険ゾーンを指していた。


「……12.5メガパスカル……」


明らかに低い。

異常値だ。

昨日までは「なんとなく動くからヨシ」としていたが、数値を書けと言われれば、見たままを書くしかない。

村田は正直に『12.5』と記入した。


そして、そのバインダーを梶原に渡した。


「班長、点検終わりました。確認お願いします」

「チッ、とろとろやりやがって」


梶原は苛立ちながらハンコを取り出し、いつものようにノールックで承認欄に叩きつけようとした。

だがその手が止まった。

ハンコを押す枠の真上に書かれた不吉な一文が目に入ったからだ。


『上記数値が正常であることを確認しました』

『本日の稼働における全責任(事故時の法的責任を含む)を負うものとします』


梶原の視線が、村田の書いた数値へ走る。『12.5』。その横には、『基準値(15.0〜16.0)』という記載。


「…………」


梶原の額に冷や汗が噴き出した。

基準値外だ。

異常だ。

これを「承認」してハンコを押せば、彼は「異常を知りながら稼働させた」ことになる。

もしこの後、機械が壊れて誰かが怪我をしたら?

あるいは火事になったら?

この一枚の紙が、彼を業務上過失致傷で刑務所へ送る「決定的な証拠」になる。


ハンコが震える。

押せない。

責任という名の重力が、彼の右手を空中で凍りつかせていた。


「班長?早くハンコを……動かさないと」


村田が不思議そうに催促する。

梶原は顔を引きつらせ、呻いた。


「……だ、駄目だ」

「え?」

「動かすな!数値がおかしいだろうが!こんな状態で動かせるか!」


梶原は叫び、バインダーを放り投げた。

彼は自らの保身のために昨日は否定した「機械の故障」を認めざるを得なくなったのだ。


「すぐにメンテナンス業者を呼べ!ラインストップだ!」



一時間後。

駆けつけた修理業者が、プレス機を分解して青ざめていた。


「うわぁ、危なかったですね。油圧ホースが裂ける寸前でしたよ。これ、そのまま動かしてたら、高圧オイルが噴き出して火事になってました」


業者の言葉に梶原はへたり込んだ。

もしハンコを押していたら。

想像するだけでゾッとしたのだろう。


「村田さん、よく気づきましたね。お手柄ですよ」


業者が村田を称賛する。

村田は照れくさそうに頭をかき、そして工場の隅で掃除をしている織部の方をちらりと見た。

織部は村田と目が合うと、わずかに頷いただけですぐに視線を外した。


――修理完了。

――正常なセンサー【村田】がシステムに再接続され、危険予知機能が回復した。


織部はゴミ袋を結び、淡々と作業に戻った。

人を救ったのではない。

断線していた回路を、一本繋ぎ直しただけだ。

仕様通りに動く工場は、機械油の匂いすら整然として感じられた。


(第6話完)


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


本作は第4部となります。

前のエピソードを読むと、織部という存在の“ズレ”がよりはっきり見えてきます。


マニュアルキラー 第1部

 〜その「説明書」を信じてはいけない〜

https://ncode.syosetu.com/n4289lo/


マニュアルキラー 第2部

 ~校正なき改竄~

https://ncode.syosetu.com/n4641ls/


マニュアルキラー 第3部

 ~不適切な運用に関する修正履歴~

https://ncode.syosetu.com/n4150lw/


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