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マニュアルキラー 第4部 ~源流…善意ゼロの天才少年、マニュアル通りに社会のバグを潰します~  作者: 早野 茂


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第4話「謝る役目」

ガシャン、と派手な破砕音が食堂に響いた。

夕食後の自由時間。

子供たちの視線が一斉に音の方へ集まる。

床には、みんなで使うためのラジカセが転がり、CDの読み取り部分がひしゃげて飛び出していた。


「あーあ、壊れちゃった」


へらへらと笑う少年、権田ごんだが立っていた。

体格が良く、粗暴な彼は、気に入らない音楽が流れていたという理由だけで、ラジカセを蹴り飛ばしたのだ。


「何をやっているんだ!」


騒ぎを聞きつけた職員の河合かわいが駆けつけてくる。

彼は事なかれ主義で、何よりも「報告書を書く手間」を嫌う男だった。


「誰だ、こんなことをしたのは」


河合が睨む。

権田は悪びれもせず、近くにいた大人しい少女、沙紀さきを指差した。


「こいつがやったんだよ。コードに足を引っ掛けたんだ」

「えっ……ち、ちがう……わたし、なにも……」


沙紀が青ざめて首を振る。

だが、権田の取り巻きたちが口々に「そうだ」「沙紀ちゃんがやった」と嘘を重ねる。

河合は、ちらりと壊れたラジカセを見て、面倒くさそうに溜息をついた。

真犯人を探して権田と揉めれば、時間がかかる。

聞き取り調査も必要になる。

だが、気弱な沙紀一人を悪者にしてしまえば、すぐに終わる。


「沙紀。お前がやったんだな?」

「ちがいます、わたしじゃ……」

「言い訳するな。みんなが見てたと言ってるじゃないか。嘘をつくのは泥棒の始まりだぞ」


河合は威圧的に声を張り上げた。

沙紀の目から涙が溢れる。

彼女は、争いごとが嫌いだった。

自分が我慢すれば、大人の機嫌が直り、場が収まることを知っていた。

施設の「緩衝材バッファ」としての役割を、彼女は受け入れてしまっている。


「……ごめんなさい。わたしが、やりました」

「よし。わかればいい」


河合は満足げに頷いた。


「あとで事務室に来い。紙と鉛筆をやるから『反省文』を書いてこい。それで今回は許してやるから、感謝しろよ」



一時間後。

廊下の長机で、沙紀は泣きながら鉛筆を握っていた。

目の前には、河合から渡された白い便箋。

彼女は震える手で、その一行目に『反省文』と書き、続けて『わたしがふちゅういでこわしました』と書こうとしていた。


その机の向かい側に、織部悟が座った。

彼は沙紀の涙には目もくれず、彼女の手元にある紙を見つめた。


「事実と違う」


織部が短く言った。

沙紀が顔を上げる。


「……織部くん」

「ラジカセを蹴ったのは権田だ。お前は近くにいただけだ。なのになぜ、自分が破壊したという虚偽の記録を残そうとしている?」

「だって……わたしが謝らないと、先生が怒るから……。みんなが嫌な思いをするから……」

「その論理は破綻している」


織部は淡々と告げた。


「お前が嘘の自白をすることで、権田という『エラー要因』は放置され、また別の物を壊す。河合はお前の犠牲によって『解決した』という誤った処理を完了させる。システム全体の不整合が加速するだけだ」


「でも……書かないと、終わらないよ……」


沙紀はもう、思考停止していた。

書くしかないのだと思い込んでいる。

織部は溜息をつき、ポケットから一枚の黒い紙を取り出した。

事務室のゴミ箱に捨ててあった、使い古しの「カーボン紙(複写紙)」だ。


「なら、書き方を変えればいい」

「え?」

「反省文の形式フォーマットは自由だと言われたはずだ。僕が言う通りに書け」


織部は沙紀の手から鉛筆を取り上げそうになったが、筆跡が違うとバレるため、彼女に握らせたまま言葉を続けた。


「まず、一行目に書いた『反省文』という文字。……それを消しゴムで消せ」

「えっ、でも……」

「いいから消せ。跡形もなく綺麗にだ」


沙紀はおずおずと従い、消しゴムでタイトルを消した。

織部はその紙の下にカーボン紙を敷き、さらにもう一枚、同じ便箋を重ねた。


「そこに『事故報告書』と書き直せ」

「え……?」

「次に、『ごめんなさい』は不要だ。起きたことだけを書け。……『一月二十五日、十九時十分』」

「十九時十分……」

「『食堂にて、権田健太がラジカセを右足で蹴り、破損させた』」


沙紀の手が止まる。


「そんなこと書いたら、権田くんが……」

「事実だ。続けろ。『十九時十五分、職員の河合は、目撃者の証言を確認せず、私に虚偽の自白を強要した』」

「ええっ!?」

「書け。それが終わらせるための条件だ」


織部の冷徹な視線に促され、沙紀は震えながらも、言われた通りの「事実」を書き連ねた。

謝罪の言葉は一文字もない。

ただ、誰が、いつ、何をして、誰がそれを隠蔽しようとしたか。

冷酷なまでの時系列タイムラインが完成した。


「よし」


織部は、カーボン紙を抜き取り、複写された下の一枚【控え】と、原本の二枚を沙紀に持たせた。


「これを河合に出せ」

「で、でも、中身を見られたら……」

「見ない。あいつはいつだって見ていない」


織部は事務室の方角を見た。

ラジオから甲高い女性アイドルの声と大げさなジングルが微かに漏れてきている。


「河合にとって、子供の書く反省文は、ただの『処理済みフラグ』だ。形式さえ整っていれば、中身が白紙でも気づかないほどの思考停止状態にある。……ましてや今は、あいつの好きなアイドル番組の時間だ」

「えっ……」

「誰にも邪魔されず、ルミちゃんの声を浴びたいと必死になっているあいつが、わざわざ面倒な検閲などするはずがない。……行け」


「いいか、手順を間違えるな。まず原本を出して、ハンコをもらえ。そのあと、この『控え』を出してこう言うんだ。『お母さんに見せるから、これにも受領印をください』と」

「じゅ、じゅりょういん……?」

「受け取ったという証拠のハンコだ。書類を出したら控えをもらう。それが社会の仕様ルールだと言えば、あいつは何も考えずに押す」



事務室。

河合は机に肘をつき、ラジオのスピーカーに耳を寄せていた。

ニヤニヤと締まりのない笑みを浮かべている。


『さあ、今週も始まりました!ルミの「ドキドキ・パジャマ電話」のコーナー!』


アイドルの甘ったるい声が響く。

河合にとって、一週間で最も神聖な時間だ。

このコーナーの数分間だけは、たとえ施設長であっても邪魔をされたくない。


(頼む、今日のゲストは誰だ……?神回確定か……?)


そこへ、おずおずと沙紀が入ってきた。


「せ、先生……書けました……」


河合の表情が一瞬で「鬼」に変わった。

よりにもよって、今か。


「あ?ああ、そこ置いとけ」


河合はラジオから耳を離さず、手だけで反省文を受け取った。

中身など読まない。

文字が埋まっていることだけを視界の端で確認し、引き出しから「確認印」を取り出す。


バン、と乾いた音が響いた。

赤インクのハンコが、沙紀の書いた「報告書」の上に押される。


「はい、これでよし。もう行け。音を立てるなよ」

「あ、あの……これ……」


沙紀は織部に言われた通り、もう一枚の紙――複写された報告書を差し出した。


「お母さんに……ちゃんと報告したって見せたいから、これにも受領印をください……」

「あぁ?なんだそれ、面倒くさいな……」


『えーっ、うそー!そんなこと言っちゃうのぉ?』

ラジオの中のアイドルが嬌声を上げる。

河合の意識は完全にスピーカーへ吸い寄せられた。

聞き逃せない。

一言一句、脳に刻みたい。


「チッ、ほらよ!」


河合は沙紀の顔も見ず、その紙にも力任せにハンコを叩きつけた。

バン!二つ目の受領印。

これで原本と控え、二通の「正式な書類」が完成した。


「さっさと出てけ!ドアは静かに閉めろ!」



翌日。

織部は外出許可を取り、小遣いの小銭を握りしめて郵便局の窓口に立っていた。

手には、昨日沙紀が持ち帰った「受領印付きの報告書(カーボン控え)」が入った封筒がある。

宛先は「県庁児童福祉課指導係」。

この施設を管轄する行政機関だ。


織部は窓口の職員に、硬貨を積み上げて言った。


「『内容証明郵便』でお願いします」


職員がぎょっとして、十歳の少年を見下ろした。


「ぼく、内容証明なんて言葉、よく知ってるね……。これ、原本だよね?同じ内容のコピーが二枚いるんだけど……」

「ありません。ここでコピーと、枚数確認をお願いします」


織部は淡々と告げた。

職員は「え、ここで?」と困惑したが、相手は子供だ。

仕方がないと苦笑し、封筒から紙を取り出した。

コピー機にかける。

そして、規定の行数と文字数を確認するために、その文章を読み始めた。


「えーと、文字数を数えるね……」


職員の指が、紙の上を滑る。

だが数行読んだところで指が止まった。

職員の顔色が、サッと青ざめていく。


『一月二十五日……権田健太がラジカセを蹴り……』

『職員の河合は、虚偽の自白を強要した』


子供の拙い文字で綴られた、淡々とした暴力の記録。

そしてその末尾には告発対象となっている河合本人のハンコが、鮮明な朱色で押されている。

コピーされた紙にも、その印影は黒々と残った。


「ぼ、ぼく……これ……」


職員は震える声で織部を見た。

これは、ただの手紙ではない。

内部告発だ。

だが織部は眉一つ動かさず、カウンターの向こうを見つめているだけだ。


「文字数と行数、規定通りのはずです。手続きを進めてください」


織部の冷徹な声に、職員は唾を飲み込んだ。

これ以上聞いてはいけない。

聞いてどうにかなる問題ではない。

職員は震える手でスタンプを握り、形式的なチェックを終え、証明の印を押していった。


バン、バン、バン。

乾いた音が、静かな郵便局に響く。

それが、河合の社会的地位を抹消するカウントダウンのように聞こえた。


織部は、本物のハンコが押された「現物」を封筒に入れ、封をする。

これが、行政のデスクへ直接届く。


「……はい、確かに承りました」

「ありがとうございます」


織部は受領証を受け取り、小さく一礼した。

――バグ報告イシューの送信完了。彼は小さく息を吐き、郵便局を後にした。



三日後。施設に、県からの監査員が抜き打ちでやってきた。

事務室が蜂の巣をつついたような騒ぎになる。


「か、河合くん!これはどういうことだ!」


施設長の怒声が響く。

監査員が突きつけたのは、あの日付の「報告書」の現物だった。

河合は顔面蒼白で、その紙を凝視した。


「え、あ、いや、私は反省文だと……」

「君のハンコが押してあるじゃないか!『虚偽の自白を強要した』という報告を、君自身が正式に受領しているんだぞ!」


言い逃れは不可能だった。

中身を読まずにハンコを押した怠慢が、致命傷となった。

河合は「現場管理能力欠如」として厳重注意を受け、担当を外された。

そして、報告書にあった「権田による器物破損」も公的な事実として処理され、権田は親呼び出しの厳罰を受けることになった。



夕暮れの廊下。

沙紀が、織部のところに駆け寄ってきた。


「あ、あの、織部くん……!」

「なんだ」

「ありがとう……。河合先生いなくなって、権田くんも大人しくなって……わたし、もう謝らなくていいんだね」


沙紀は涙ぐみながら、深々と頭を下げた。

だが、織部は本から視線を上げなかった。


「事実と異なる記録が、そのまま残るのが気持ち悪かっただけだ」


織部はページをめくる。

沙紀はぽかんとしていたが、やがて困ったように笑い去っていった。

織部は一人、活字の海へと戻った。


誤った入力【冤罪】は、システムを腐敗させる。

それだけの話だ。


善意も正義も関係ない。

ただ、整合性の取れないバグを一つ、仕様通りに処理した。

その静かな事実だけが、彼にとっての報酬だった。


(第4話完)


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


本作は第4部となります。

前のエピソードを読むと、織部という存在の“ズレ”がよりはっきり見えてきます。


マニュアルキラー 第1部

 〜その「説明書」を信じてはいけない〜

https://ncode.syosetu.com/n4289lo/


マニュアルキラー 第2部

 ~校正なき改竄~

https://ncode.syosetu.com/n4641ls/


マニュアルキラー 第3部

 ~不適切な運用に関する修正履歴~

https://ncode.syosetu.com/n4150lw/


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