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マニュアルキラー 第4部 ~源流…善意ゼロの天才少年、マニュアル通りに社会のバグを潰します~  作者: 早野 茂


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第12話「見られている」

法律は、必ずしも正義の味方ではない。

それは単なる「ルールの体系」であり、使い方次第では悪を守る最強の盾にもなる。

特に、契約書という名の「私法」の領域において、弱者は常に搾取される側にある。


都内の瀟洒なオフィスビル。

『株式会社アセットフォワード』のフロアは、熱気に包まれていた。

ここは「自動資産運用ツール」を販売する会社だ。

ターゲットは、将来に不安を抱く若者や、退職金を持て余した高齢者。

数十万円のUSBメモリを売りつけ、中身は役に立たないフリーソフトという、典型的な情報商材詐欺グループである。


「はい、契約成立!今月50本目!」


営業部長の工藤が声を上げると、フロアから拍手が湧き起こった。

工藤は高級スーツを着こなし、満足げに契約書の束をデスクに放り投げた。


「チョロいもんだな。……おい、新しいバイト。これ処理しとけ」


工藤が顎でしゃくった先に、地味な作業着姿の男がいた。

織部悟(十八歳)だ。

彼はこの会社に、事務処理の短期アルバイトとして雇われていた。


「承知しました」


織部は無表情で契約書の束を受け取った。

工藤は鼻で笑った。

この男は面白みがない。

言われたことしかしない、ただの機械だ。

だが、口が堅く、膨大な書類整理をミスなくこなす点だけは便利だった。


「いいか、間違っても『クーリングオフ』なんて受け付けるなよ?うちは通信販売扱いだから対象外だ。客が泣きついてきても『契約書に判を押しましたよね』で突っぱねろ。それがマニュアルだ」

「はい。契約書第5条に基づき、処理します」

「へへっ、そういうことだ」


工藤は上機嫌で奥の社長室へと消えていった。


織部は自分のデスクに戻り、契約書の束を開いた。

被害者たちの筆跡。

震える文字で書かれた署名。

その背後にある絶望や焦燥が透けて見えるようだ。


だが織部の目は冷ややかだった。

彼は感情移入などしない。

彼が見ているのは、契約書の「裏面」に小さく印刷された約款の文字列だけだ。


――バグだらけだ。

――コピペで作ったようなツギハギの規約。

実行環境【現実】を無視している。


詐欺グループは、法律の抜け穴を突いているつもりでいた。

だが彼らは、「自分たちが作ったルール」によって自らの首を絞める致命的な脆弱性を一つ、放置していた。


約款、第12条第3項。『本ツールを使用し、30日間利益が発生しなかった場合、所定の申請を行うことで、購入代金の全額を返金する』。


返金保証を謳いつつ、申請のハードルを極限まで上げて事実上不可能にする。

それが彼らの手口だ。

「所定の申請書」と「取引記録」を自力で揃えられる被害者など、まずいない。


だが、揃えるのが「被害者本人」である必要はどこにも書かれていない。


そして何より、工藤は言った。

「約款に基づく事務処理全般」を僕に任せると。


――これが、脆弱性だ。


織部はもう一度、雇用契約書を広げた。

彼の業務範囲を定めた条文を確認し、静かにキーボードに指を置いた。


まずやるべきことは、過去の全顧客データの洗い出しだ。

事務担当として顧客データベースへのアクセス権限は与えられている。

織部は一週間かけて、過去の全契約件数と各顧客の「ツール使用期間」を照合した。

売れた本数、二千件。

そのほぼ全員が、当然ながら「30日間で利益ゼロ」という条件を満たしている。


次に、「所定の申請書」の書式を確認した。

約款には書式の定めがない。

つまり様式は問わない。

織部はシンプルな申請書のひな型を一枚作成し、各顧客情報を差し込む形で二千件分を自動生成した。

「取引記録」についても同様だ。

ツールを使用した記録は顧客データベース上に存在する。

それをそのまま出力すれば「取引記録」になる。


準備が整った。


問題は最後の一手だ。

「申請を受理する」主体は、この会社の事務部門、つまり現時点では織部自身だ。

工藤は自分たちの管理画面のパスワードを、全員が共有していた。

セキュリティ意識のなさが、逆に仇となる。

織部は二千件の申請データをCSVファイルにまとめ、決済代行会社との連携画面から一括アップロードした。

そして事務担当者として、「受理」の操作を行った。


――送信完了。


これは不正アクセスではない。

与えられた権限の範囲内の操作だ。

約款に従い、申請を処理した。

それだけだ。



一週間後。

オフィスの空気は一変していた。


「お、おい!なんだこれ!」


工藤の悲鳴が響いた。経理担当の社員が、真っ青な顔でパソコンの画面を見つめている。


「ぶ、部長……!口座の残高が『ゼロ』になっています!利用可能額がありません!」

「はあ!?ハッキングか!?」

「いえ、正規の『一括返金予約』として、決済代行会社に全額引き当てられています……!件数、二千件!過去の顧客全員です!」


オフィスはパニックに陥った。

電話が鳴り止まない。

だがそれは顧客からではない。

銀行や決済代行会社からの「異常取引」の照会だ。


「誰だ!誰が承認した!」


工藤が怒鳴り散らす。

その喧騒の中、織部はひとり淡々とシュレッダーに紙を通していた。

ウィーン、という規則的な音が、狂乱のフロアに不気味に響く。


「……お前か」


工藤が織部に詰め寄った。


「お前しかいない!事務処理担当はお前だ!何をした!」

「契約履行業務です」


織部はシュレッダーの手を止めず、平然と答えた。


「貴社の契約約款、第12条第3項に基づき、条件を満たした全顧客分の返金申請を処理しました。所定の様式を作成し、取引記録を添付し、事務担当者として受理の操作を行いました。すべて正規の手順です」

「あ、あれは客寄せの飾りだ!『所定の申請』には、分厚い取引記録の提出が必要だぞ!素人に作れるわけがない!」

「約款に様式の定めはありません。事務担当として判断できる範囲で処理しました」

「な……お前に申請書を作る権限があるか!」


織部は一枚の書類を工藤に見せた。雇用契約書だ。


「私の業務内容は『契約書の管理および約款に基づく事務処理全般』と定義されています。申請書の作成と受理は、その範囲内の業務です。……むしろ、約款を履行しないことこそが契約違反(詐欺)に当たります」

「屁理屈を言うな!キャンセルしろ!今すぐだ!」


工藤が織部の胸倉を掴もうとした瞬間。

オフィスの自動ドアが開き、数人の男たちが踏み込んできた。

スーツ姿の捜査員たちだ。


「株式会社アセットフォワードですね。特定商取引法違反および詐欺の容疑で家宅捜索に入ります。パソコンには触らないで!」


「な、なんで……」


工藤が凍り付く。

織部は静かに言った。


「短時間に二千件もの返金予約、しかも原資ギリギリでの処理……。これだけ異常な資金移動が発生すれば、決済代行会社の審査部門が必ず異常処理として拾います。口座はまず保留され、その後の照会で警察まで話が行きます。……あなた方の決済代行会社との契約書にも、そう書いてありましたよ」


織部は警察官に一礼すると、自分の荷物を持ち上げた。

最初から、このタイミングを狙っていたのだ。

彼らが貯め込んでいた金はすべて被害者の元へ送金予約され、残ったのは凍結された口座と、警察への通報事実だけだ。


連行されていく工藤が、絶望と憎悪に歪んだ顔で叫んだ。


「お前!お前は何なんだ!正義の味方のつもりか!」


フロア中の視線が織部に集まる。

社員たちも、駆けつけた警察官ですら彼を見ていた。

だが、その視線に含まれているのは「賞賛」ではない。

現場における異質な存在に対する、「警戒」と「困惑」だ。


織部は立ち止まり、工藤を見下ろした。

その瞳には、軽蔑も怒りも、憐れみすらも映っていない。


「正義?」


織部は首を傾げた。


「いいえ。私はただ、バグ【欠陥】を処理しただけです」

「……」

「実行されないコード【約款】は、システムのリソースを無駄にするゴミですから」


織部はそれだけ言い残し、オフィスを出て行った。

背後で、会社というシステムが崩壊していく音がする。だが織部にとってそれは、ゴミ箱を空にした時の音と何ら変わりはなかった。


ビルの外に出ると、初夏の眩しい日差しが降り注いでいた。

織部はポケットから、使い込まれた折りたたみ式の携帯電話を取り出した。

カチカチ、と無機質なボタン操作音が鳴る。画面には簡素なToDoリストが表示されていた。


『株式会社アセットフォワード』


織部はその項目にカーソルを合わせ、『完了』のチェックを入れた。

パチリ。

携帯電話を閉じる乾いた音が響く。


その背中を、雑踏を行き交う人々が避けて通る。

誰も彼を知らない。

けれど誰もが本能的に感じ取っていた。

この男に見つかれば、自分も「処理」されるかもしれない、と。


(第12話完)


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


本作は第4部となります。

前のエピソードを読むと、織部という存在の“ズレ”がよりはっきり見えてきます。


マニュアルキラー 第1部

 〜その「説明書」を信じてはいけない〜

https://ncode.syosetu.com/n4289lo/


マニュアルキラー 第2部

 ~校正なき改竄~

https://ncode.syosetu.com/n4641ls/


マニュアルキラー 第3部

 ~不適切な運用に関する修正履歴~

https://ncode.syosetu.com/n4150lw/


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