40.母から娘へ
扉を開け、母様の寝室に入った。
その部屋の空気というか雰囲気というか、何もかもあの頃のままだ。
どうやら古くからの使用人さんたちが、この部屋をそのままに保たせていたようだ。まぁ、この部屋は義母と異母妹が好みそうな条件ではなかったから、何もされなかっただけかもしれないけど。
あの3人が同じ部屋の下にいたとは思えないくらい、母様の面影が残っていて鼻の奥がツンとなる。
そんな感傷に浸っているのは私だけではないみたいだった。
(きゃはははは!)
(かあさま!)
「…! え…?」
今の、声は…
子供の声。他でもない、私の声だ。
でも私はここにいる。それに今はそんな子供でもない。
じゃあ、今のは? この部屋に残る記憶とでもいうのだろうか。
『リルフィ様』
耳元で囁かれる名前。フォンセだ。
フォンセが示す先は壁だった。ただの壁… に見えるけど、何か違う気がする。
足がその壁の方に自然と動いた。
近くで見てもただの壁なのに、気になって触れてみたらその瞬間にカチリと音が鳴った。
その壁一面に広がる魔法陣。何もなかった壁に扉1つ分の穴が開いた。どうやら転送陣が仕掛けられていたみたいだ。
『何これっ!? フォンセ、知ってたの!?』
『どちらかというとゼノン様の記憶です。そしてこれを造ったのはノワール様だそうですが』
『意図が読めねぇな…』
『ボクたちも知らない空間かぁ… ゼノンとノワールらしいね』
なんだって私のご先祖はこんな所にこんなものを造ったのか。まぁ、ちょっとオタク気質な所があるのは日記を読んで知っていたけども。
それはともかく、入口があるのなら入らない選択肢はない。何があるのかは分からないが、大丈夫だろう。…多分。
足を一歩分、動かそうとして気づいた。誰もついて来ようとしていないことに。
大小の反応の差はあれど、こういう面白そうな物事には嬉々として乗ってくるのがいつものみんなだった。でも、見送るかのように動こうとしない。
『たぶん、そこにはリルフィとフォンセしか入れないんだと思うよ~』
アースの言葉にサーラもフィーラも頷いた。
私とフォンセ。言い換えればノワールとゼノンという感じだろうか。
どうしてかと聞くのも野暮だと思ったので、アースの言葉に納得してフォンセと共にその穴を潜った。
「…あれ?」
『同じ、部屋?』
穴を潜ってその先に着くと思っていたが、先の光景は母様の寝室だった。
でも、よく見るとそこは同じようで同じじゃなかった。
壁にかかっている絵画も、棚の上に置いてある物もさっきまでいた部屋とは違う。それに決定的に違うと言える理由。ベッドに、誰かいるのだ。
(あ、かあさま。おきててだいじょうぶ?)
(えぇ、平気よ。シルヴィア、こっちにおいで。お話しましょう)
…あぁ、こんな、声だったね。
懐かしい人の声に涙が出そうになる。
この空間自体に魔力を感じるので、この光景は魔法によって作り出されたもの。本人がここにいるわけでもなければ、過去に飛んだわけでもない。
誰かの記憶を追体験しているような感じ、だろうか。
私か、母様か。
あの頃の私にそんなつもりはなかったからきっと母様だろう。この空間は、魔法で何かを残しておく為の場所なのかもしれない。
(かあさま! きょうね、せんせいが“まほう”についてちょっとだけおしえてくれたの!)
(あら、イーシスが? 何を教えてくれたのかしら)
(せんせいが、わたしには“まほう”のさいのうがとてもありますよって! がんばってべんきょうして、そしたらかあさまのやくにたてるかなぁ?)
(……ありがとう。母様、すごく嬉しい。でもね、魔法は、自分の為にも使うのよ)
小さい私はきょとんとしながら母の言葉を聞いている。
そうだなぁ… あの時はあまり意味をよく分かっていなかった。
母様は、言った。
魔法は自分の為に、そして大切な人の為に使いなさいって。
自分が幸せになる為に、大切な人を守る為に。
そして、私が困っていたらきっと“精霊様”たちが助けてくれるって。
私は、あの時分からなかった言葉を、きちんと理解しようともう一度よく聞いた。今ならあの時より、母様が言いたかった意味が分かるはずだから。
忘れかけていた言葉や、懐かしさを感じる言葉。心の奥に刻み込むように耳を傾ける。
少し時間がたち、小さい私はベッドに座る母の膝の上で眠ってしまった。そんな私を微笑みながら見る母の目は、とても優しかった。
でも、途端に悲しそうな表情になった。
(ごめんね… シルヴィア、ごめんね)
初めて、見たかもしれない。
この時の私は寝ていたからってだけじゃない。母様はずっと、悲しみや苦しみといったものは私に感じさせないようにしていたから。
だから、母様の謝る姿も、泣きそうになっている所も初めてだ。
泣かないで、と小さい声で呟いた。
でもこれは魔法で再現されている過去の一場面にすぎない。声なんて当然、届かない。
それでもそう言わずにはいられない気持ちだった。
(お父様を守れなくてごめんね。いっぱい勉強させてごめんね。ご飯も、一緒に食べられなくてごめんね)
いいよ、そんなの。母様だって十分苦しんでいたじゃない。
勉強は好きでやっていた。覚えることが楽しくて、頑張れば母様がいつも褒めてくれたから。
本当に、そんなのよかった。生きていてくれさえすれば。
(……これからも、傍にいたかったなぁ… 花嫁姿も見たかったし、孫も…
………………
…いえ、違うわね。確かに望んでいる事ではあるけど、私が本当に望むのはシルヴィアが幸せに生きている未来だもの)
独り言のようにも聞こえたが、まるで誰かに聞いてもらっているようにも見えた。
そこで気づいた。シルヴィアの周りにいる4つの光。
光が何かなんて、いうまでもない。
でも、どうして私に直接そういうことを言ってくれなかったんだろう。
私がまだ小さかったからってだけではないと思うけど…
(ネール、サーラ、フィーラ、アース。良い名だわ。我が子ながらセンスあるわね。この子の傍にいてくれてありがとう。
……約束を、守ってくれてありがとう。私は、アナタたちと友達になれたことも、とても幸運だと思っているわ)
小さい私を見ていた母様が、スッと顔を上げた。
目が合った、気がした。
あり得ない。そんなはずがない。でも、見られているようで背中がゾクリとした。
(この子は… どんな大人になるのかな)
見ることの叶わない娘の想像の姿を口にしていく。中には思わず笑ってしまうような、少し誇張された表現もあったが、未来を想像している母様は楽しそうだった。
(どんな未来を歩むことになっても、それはこの子の選択。この子が後悔しない生き方ならば、私は、何も言わない。公爵家だって継がなくていい)
少し、というかかなり意外。
公爵家をお願いねとか言うのかと思ったのに。
公爵家当主としては言ってはいけない言葉だと思うけど、眠っている小さい私と精霊たちしかいない。誰も聞いていないのならいいのだろう。
でも、そうすると… 公爵家や領地のことはどういう風に考えていたのか。
そんな心の内の問いに答えるように、母様の口は言葉を紡ぐ。その視線の先には“私”がいた。
(何も、気にしなくていいわ。陛下が何か言ってくるかもしれないけど、貴女にはそれをはね返せる立場を持ってる。それに私は遺言に従うだけよ。たとえ陛下であっても遺言を否定することはできない。だって遺言を残した人も、陛下よりは立場は上だから)
誰だろう、と考えて1人だけ浮かんだ。
遺言を残すくらいだからオースト家のご先祖。そして国のトップである陛下よりも立場は上、となると1人しかいないのである。
でもずっとずっと昔の人だ。そんな未来を見据えて言葉を残すなんてできるのだろうか。
(だから貴女は自由でいて。貴女を――なんかに渡さないんだから)
…ん? 何て言ったんだろう。一部雑音が混ざってよく聞こえなかった。
母様は大きく咳き込んだ。小さい私を起こさないように必死に抑えているけど、全く止められていなかった。光の1つが小さな私に薄い魔力の膜を作ってたくらいだ。そんなことしてくれるのはネールかアースかな。
ごほっと咳き込み、口元を押さえた手の指の隙間からどろりと赤黒い血が滴った。今だからそれが毒による症状だと分かる。
「母様!!」
過去の事だと、理解していてもそんな場面を見てしまえば、自分を律することなんてできなかった。私は母様に駆け寄って、触れられないけど背中に手を添える。
どうしてそうなっているか理解できるからこそ、その場面を目にするのは辛かった。
母様が残したかったのは何か。さっきまでの言葉だけじゃないのか。
いつまでこの光景は続くのだろうか。
ずっと続くわけではないとは思うが、見ていて気分の良いものでもない。今すぐ誰かに縋りつきたい気分である。
(………不思議ね… シルヴィアはここにいるのに…)
口を押えていない方の手が伸びる。
そこは何もない。正確には“私”がいるが、この時の母様にとっては誰もいなかったはずなのに。
まるで見えてるかのように、その手は私の頬に添えられた。
(きちんと、届いている。そういう確信かしら。
……ねぇ、シルヴィア。貴女は私の大切な娘。私が望んで生まれた子。たっぷりと愛情を注いできたつもり。でもね… 貴女に一度も言ってなかった言葉がある)
次の言葉を聞く前に空間がグニャリと揺れた。
もう終わりなの…? せめて最後のそれは聞きたい…!
(――――――)
私のその思いが届いたのかどうかは分からないけど、母様ん言葉は私に届いた。
ただ、聞いた言葉を頭が理解し、飲み込むまでに時間がかかった。元の部屋に戻ってきたことも気づかなかった。
母様。
母様。
母様。
私はちゃんと、母様のー…
「う…ぁ…… うあぁぁぁあぁ…!」
『リルフィ!? ど、どどどどうしたの!?』
『おい、フォンセ! 何があった!』
『…………』
ぎりっと唇を噛むフォンセは何も言えないでいた。
私も、この感情をどう表したらいいか分からなかった。
遠くからバタバタと近づいてくる足音にもかまわずに、私は幼い子供のように泣き続けた。
(私は、シルヴィアをとても愛しているわ)
母様、私は…
私はちゃんと、貴女の娘であることが幸せでしたよ。




