第一章6 放課後の会合
俺は内心では焦っていた。しかし、その焦りを表には出さないように努めた。焦れば解決が早まる問題でもない。
それでも焦りで落ち着かないのには不明確なタイムリミットがあるからだ。
伊吹 凛が直面している龍の寵愛に関する問題。この問題が寵愛現象管理協会に認知される前に、ドラゴンを人に戻す必要がある。
寵愛現象管理協会。寵愛現象などの奇怪かつ人事を超えた事象から小市民の平穏を守ることを目的とした組織。
随分と立派な理念ではあるが、寵愛現象を中心として、吸血鬼やら妖怪やらの化け物を相手にしている連中だ。当然、そんな仕事がまともな感性の人間に務まるはずもなく、協会の人間には変わり者が多い。それぞれがそれぞれの思想・理念・目的を持ち、それは時に極端な解決方法を提示する。
今回最も危惧しなければならない展開は、危険生命体であるドラゴンの討伐という判断を協会の連中が下すことである。つまりそれは伊吹 凛の死を意味する。先日までただ平穏に普通の日々を送っていた女子高生が訳もわからぬまま殺される。そんな展開があっていいはずがなかった。
「というわけで、今日のお助けクラブの活動はここまでにして、今から遊びに行こう!」
声高々にそう言い放ったのは委員長こと、速川 日和である。ゴールデンウイーク明けの憂鬱な授業もなんとか乗り越え、放課後に部室(仮)でお喋りをしているのが今の現状であった。
「つい今までお助けクラブの活動をしていたみたいに言うけど、昨日も今日もただお喋りしてただけだけどな」
彼女に発言に余計な口を挟むと、ムッと頬を膨らませて反論が返ってくる。
「わかってないなぁ、柏木君は。お助けクラブ、つまりは助けてくれる存在がいつでもこの部室に待機しているってだけで、全校生徒は安心してこの放課後を送れるんだよ」
そのよくわからない理屈を仮に通すとするなら、なおのこと活動を切り上げて遊びに行っちゃダメじゃねえかと内心思ったが、無意味に口答えするのはやめようと大人の対応をする。それにお助けクラブの活動はしていないと言ったが、この場にいるもう一人の女子生徒、伊吹 凛とお喋りしていることこそ人助けの活動の一環なのだ。それは伊吹自身もわかっているかもしれないが、こうして雑談に華を咲かせることを、純粋に仲良くしたいからではなく、ドラゴンを人に戻すためだなんてわざわざ口にするつもりはない。
「先に言っておくけど、柏木も一緒に行くんだからね」
そう釘を刺してきたのは伊吹だ。ここ数日で随分と俺への理解を深めたらしい。まったく嬉しい限りだ。といっても、いつもは面倒臭がって帰ろうとする俺も今日は同行するつもりだった。ドラゴン化の原因を探るためにも、彼女と遊びに行くことで体に変化があるのか観察する必要がある。
「わかってるよ。今日のところは高校生らしく青春を謳歌してやろうじゃないか」
「なんでこんなに偉そうなんだろう…」
委員長がそう呟いたが鋼のメンタルの俺は気にしない。
「どこ行こっか?デパコス?プリクラ?夏服見に行く?」
「もうちょっと俺が楽しめそうなところ提案してくれる?」
伊吹の挙げた候補が女友達との目的地過ぎて、気まずい思いをする未来が見える。鋼のメンタルの俺でも耐えられる気がしない。
「我儘だなー。両手に花なんだから行先に口出しせず、満足しなよ」
「片方ドラゴンなんだよなー」
出会って数日だがすっかり軽口を言い合えるようになった。初めて話したときも感じていたことだが、伊吹は割と話しやすい性格をしている。
「なら、何か案を出してよ」
「案ねぇ。このメンバーで楽しめそうな場所…カラオケとか?」
「無難だね」
「普通だね」
俺の名案に二人してそんな感想を言ってくる。
「でも、いいんじゃない?カラオケ、楽しそう!」
元気よく委員長がそう言ったことで俺たちの行先が決定する。
「それじゃあ、初メンでのカラオケにレッツゴー!」
そんな陽キャしか許されない、というか陽キャでもしなさそうな掛け声とともに立ち上がった委員長につられて、俺と伊吹も立ち上がった。
「レッツゴー」
伊吹が高くも低くもないテンションで委員長の掛け声に呼応する。意外とノリもいいんだよな、コイツ。
「「…」」
「いや、言わないよ。二人してそんな目で見てきても言わないよ」
委員長や伊吹と違ってノリの悪い俺はそんな言葉を返すのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
この俺、柏木 司にも特技というものはある。そんな数少ない特技の一つが歌である。幼い頃からお歌が上手だねと言われ育った俺は、日々のお風呂場での熱唱も欠かさずに上達してきた。だからこそ遊びに行く場所として提案した場所はカラオケ。いつも呆れたように俺を評する委員長と若干俺のことを舐めている伊吹から尊敬を得るために遥々カラオケ店にやってきた。
初めてのメンツ、トップバッターを切るのは勇気のいることだ。普通ならばここは歌が苦手な人が先陣を切り、その後のハードルを下げるのが定石。しかし、空気など読まない俺は堂々とトップバッターを名乗り出る。ちなみに同タイミングで意気揚々と名乗り出た委員長にもジャンケンで打ち勝ち、俺は見事なる歌唱を始めた。
ジャラジャラジャラ、デン!とモニターに点数が表示される。難易度が高めの曲であったが、結果は八十九点。もう少し欲しかったところだが、一曲目にしてこの結果は悪くない。二人も『お~』と感嘆の声を漏らしながら拍手をしてくれた。ここから少しずつ調子を上げていき、今日こそは九十五点という俺のハイスコアを超えていこうではないか。
などと考えいると、次に歌い出したのは伊吹だった。選曲は数年前に大ヒットした曲だった。歌うことの難易度としてはまずまずといった曲だ。そして本日二度目のジャラジャラジャラ、デン!という音を聞き、モニターに点数が表示される。映し出された数字は九十七点。
「俺より全然上手いのかよ!」
「わっ、びっくりした。…なんかごめん」
本気で悔しがる俺に引いた様子の彼女は謝罪の言葉を口にする。
「謝罪の言葉などいらん!こうなれば勝負だ!」
指を差し、堂々と宣言する俺に伊吹は露骨にめんどくさそうな顔をする。
「思ってたカラオケの盛り上がり方と違う」
そして、呆れたように声を漏らす伊吹の横でハイ!と手を上げて立ち上がったのは委員長だ。
「チッチッチ。二人で盛り上がってるみたいだけど、その判断は時期尚早なんじゃないかな。なんてたって次の曲は私の十八番。とくと見よ!」
漲る自信が隠し切れないのか、生き生きとした力がオーラとして目に見えるほどのやる気に身を包まれ、委員長は歌い出した。まさか伊吹だけでなく委員長まで歌が得意とは。今回のカラオケは激戦になりそうだぜ。
そして、ジャラジャラジャラ、デン!と点数が表示される。
「なんでお前あんなに自信満々だったの?」
「う、うぅ。二人の上手い歌の後なら、私も上手くなっていると思ったんだよ」
訳のわからない理屈を展開しながら悔しがる委員長の背後に表示された点数は四十三点。
「でも可愛かったよ。感情が乗ってて私は好き」
伊吹がそんなフォローを入れる。フォローの言葉ではあるが、俺も伊吹とは同意見だった。全然音程が合っておらず明らかに下手ではあるが、一生懸命歌う姿と生来の可愛らしい声色が化学反応を起こし、何というか幼稚園児がお歌の発表会で一生懸命歌っている姿のような可愛らしさがあった。
「ありがとう!でも私も二人みたいに上手に歌いたいよー!」
泣きべそをかきながらそう訴える委員長に「百年早い!」と言い返すと、伊吹から「可哀想でしょ!」と言われながらスパーンと頭を叩かれる。手加減してくれたようで痛くはない。
「それじゃあ、次は三人で歌おっか」
伊吹の提案に委員長の顔がパアアっと明るくなる。そのリアクションから委員長が本当に幼い子供に見えてきた。
それから三人で歌って、伊吹にもう一度勝負を挑んで惨敗して、全力で歌う委員長に合いの手を入れて、最後にまた全員で歌って、俺たちはカラオケ店を後にした。
楽しかったという口にするのはこっ恥ずかしい感想を抱きつつ、前を歩く伊吹の姿を見た。伊吹は委員長に腕を取られながら、楽しそうに談笑している。まだ出会って数日の二人はすっかり仲良くなった。友達を作るのが得意な性格の委員長のおかげも大きいのだろうが、いかにも友達ができなさそうな態度の俺とも伊吹は仲良くなっている。だからこそ、少し納得がいかない。
あの日の夜に初めて話したとき、悪い意味での有名人の俺が相手だったにも拘わらず、伊吹との会話は割とテンポ良くできていた。
初対面の委員長ともすぐに仲良くなって、目の前で腕を組みながら歩く二人は傍から見れば親友そのものだ。
どこに遊びに行くのか提案したときも、いかにも女子高生が友達と遊ぶときに提案しそうな場所だった。
カラオケという人によってはハードルが高い遊び場にも一切の躊躇はなく、初めて歌を披露するメンバー相手に堂々と歌ってみせた。歌が上手いにしても人前で歌うのを嫌がる人は多いだろうに。
ボケてみれば呆れながらもツッコみをして、会話の流れ次第では人をからかったりもする。面白いときは笑って、常につんけんしているわけでもない。場の空気が読めない訳でもなく、むしろ意外とノリもよかったりする。
やはり、クラスに友人が一人もできないような人間には見えない。
それに、これまでの伊吹を見ていると、友人がいないことを気にするような人物像ともあまり一致しないように思える。
「次はどこ行こっか?」
腕を組んで歩く二人が明るい声音でそう言ったのが聞こえた。
その後は、ちょっとだけだからという女子二人に騙され、デパコスやら夏服のファッションショーに長々と付き合わされ、最後には人生初のプリクラまで撮らされた。
そのプリクラの写真では不自然に大きくなった目になりながら、三人とも満面の笑みを浮かべている。委員長なんかは元からかなり目が大きいので、もはやバケモノみたいになっていて思わずフッと笑ってしまう。
やはり恥ずかしいので二人には言わないが、内心焦っていた俺の気が緩んでしまうくらい今日は楽しかった。
俺はめんどくさくて痛い奴が掲げるような友人を作らないという主義があるので、未だに委員長のことも伊吹のことも友人に含めてはいないが、そんな俺でなければもう立派な友人と呼んでいいくらいには仲良くなった。
伊吹と委員長は誰が見ても友人同士であろう。おまけに休日である明日は二人で出掛けようと約束までしている。ちなみに俺は明日することがあるので断らせてもらった。
もし伊吹が龍の寵愛を授かった原因が本当に学校に友人がいないことであるのならば、来週には今回の寵愛現象は解決していることだろう。そうあってくれと思うし、ただただ楽しそうに笑い合う普通の女子高生の二人を見ていると、心配の気持ちはどんどん薄れていくのを感じた。
しかし、翌週になっても伊吹の体に変化はなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「まず前提として、伊吹がドラゴンに成ったのは友人がいないことが原因ではない」
俺はそう話を切り出した。時刻は十六時三十分。委員会の仕事を終えた委員長と安武がお助けクラブの教室に揃い、話を始めた。お助けクラブのメンバー全員が揃うには一カ月ぶりくらいではないだろうか。伊吹本人については今日は既に帰宅している。
「あんまり考えたくないけど、私が友達って認められてない可能性はないかな。…柏木君がそうみたいに」
珍しく不安そうな声で委員長が発言した。発言の末に俺への不満が込められたが、そこは申し訳ないと思いつつも変えるつもりはない。
「ないとは言い切れないが、二人を見て友人ではないというのは無理があると思う。俺みたいに色々あってひねくれたようにも見えないしな」
「ひねくれてる自覚あるのに直そうとしないの厄介だなぁ」
委員長が不機嫌な視線を俺に向けてくる。
「まあ、俺も司の友達になるのにかなり時間かかったからな。速川も根気強く頑張ってくれ」
そう言ったのは安武だ。黒髪短髪で形の良い眉に整った顔つきは誠実な印象を与え、実際の性格はそんな見た目よりもさらに誠実なのが彼だ。彼は下まつ毛が長めのやや大き目な瞳を委員長へ向ける。
「うん、頑張る。絶対に一学期中に友達だって認めさせてみせるんだ」
机にベターっと体重を預け、顎を机に付けながら恨めしそうに彼女は俺に視線を向けた。
「早速話が逸れてるぞ。今は伊吹の話だ。とにかく伊吹の問題を早く解決してやりたい」
無理やり話を本題へと戻し、二人に視線を向けた。
「私も同じ気持ちだけど、なんだか凄く焦ってない?」
俺の態度に出てしまったのか、それとも意外と勘が鋭いのか、寵愛現象管理協会に介入される前に解決を試みる俺の焦りが見透かされてしまった。委員長は協会のやり口を知らない。存在は知っているが、存在を知っているだけで協会の人間と接触したことはないのだ。
「少なくとも今は頭を怪我したって理由を付けてニット帽してるから角の断面も隠せてるし、休みの日に髪もしっかり黒色入れたから灰色になったこともバレないと思うよ。その他は普通だし、強いて言えば瞳孔がちょっと猫ちゃんっぽいくらい?」
委員長が現状の伊吹について共有する。頭に巻いていた白い包帯は大袈裟なので、無難な見た目の黒いニット帽をしている。週末に髪も染めたらしく、毎朝黒くしなくて済むと本人は喜んでいた。瞳孔もよく見ないとわからないし、わかったとしても人外になっていると疑うレベルではない。
「それでもまたいつドラゴンに成るかわからない。角は急に伸びるだけならまだしも、司が最初会ったときみたいに完全なドラゴンにでも成ったら大変だ」
寵愛現象管理協会をよく知らない委員長と違って、個性強めの協会員と関わったことのある安武が急ぎ解決が必要な理由を告げる。
「そうだね。凛だって気丈に振る舞ってるだけで、自分がいつドラゴンに成ってしまうのかって不安なはずだもんね」
安武の説明ですっかり納得した委員長は頑張るぞというやる気を、胸の前に握りこぶしを持ってくるポーズで表現した。彼女の言う通り、伊吹は不安のはずなのだ。誰だってそうだろう。自分がいつ異形になってもおかしくないという状態は心身が休まるものではない。ただ、伊吹自身が異形になることを恐れている風にはあまり見えないという点が気になるところだ。それも委員長の言った通り、気丈に振る舞っているだけだとは思うが。
「でも友達がいないことが悩みじゃないなら、原因は何なんだろう?私たちに隠してる別の悩みがあるのかな?」
「その可能性も高い。けど、もっと高い可能性がある」
彼女の疑問に俺は答える。向かい合わせた机を囲む二人の目線が俺に集まる。
「それは、第三者が原因である可能性。伊吹の悩みを解決しようと寵愛者が龍の寵愛を授けたのではなく」
「伊吹さんをドラゴンにしたいと考える第三者の望みを寵愛者が叶えているパターン」
俺の言葉に続いて安武が発言する。彼の言葉に頷きながら、俺は言葉を続ける。
「もっと具体的に言うなら、伊吹に恨みがある人物が、伊吹が異形になることを臨んだ結果、龍の寵愛が発動した可能性だ」
千年以上続く寵愛現象は数多くの事例があり、協会によってデータ化され、寵愛者の法則性もある程度は解明されている。それでも未だに謎多き部分はあるが、少なくとも過去の事例において恨みにより他者の肉体を変化させたという事件は存在する。
「だから次は、伊吹の周りの人間について調べる」
そう方針を発表した。安武は俺が示す方針を最初から読んでいたように頷き、委員長は悲しそうな顔をしながら頷いた。善良な彼女には、平たく言えば嫌がらせによって伊吹が辛い思いしている可能性があることが耐えられないのだろう。
「というわけで二人に頼みたい。二年六組を中心に伊吹のことをよく思っていなさそうな人間を見つけてくれ」
こういう調査を相手に警戒されないまま行うことは俺にはできないことだ。俺では話しかけるのは当然、二年六組を廊下から見ているだけで警戒されるだろう。その点、基本的に誰からも好かれている二人なら適任だ。
「気持ちのいいことではないが、伊吹を助けるためだ。頼む」
そう言って頭を下げる。善良な彼らはきっと悪者探しなど望まない。それをするだけで自己嫌悪に苛まれる、この二人はそういう人間なのだ。それがわかっていて二人が断れない頼み方をしている自分自身を軽蔑しながらも、俺は方針を変えるつもりはなかった。
「二人は多すぎる容疑者を絞ってくれるだけでいい。容疑者が絞ることができれば、後は俺が何とかする」
二人に辛い思いをさせるお願いだけして、自身は何もしないだなんて言うつもりはない。皆と仲良くしたいと思うお手本のような二人と違い、俺は皆と仲良くしたいだなんて思っていない。どころか、仲良くなんかしたくないと思っている。そんな俺だからこそできることがある。取れる手段がある。
「二年六組のことは調べてみる。でも、もし仮に誰かが凛に悪い感情を向けてたともして、私は皆が笑い合えるような結果になるように行動するよ」
委員長がそう言った。その善良さになんとも言えない感情が胸の内を渦巻いて、それでも最後は彼女への尊敬が残った。
「ああ、それで構わない。当然、和解の形が一番だ」
そう答えた自分の言葉に嘘はないはずなのに、声音には影が落ちた。ふと中学時代のことが頭をよぎり、無意識に俺に授けられた寵愛の力が発動する。
「司」
安武が俺の名前を呼び、力んでしまった体を落ち着かせる。うっかり腕を乗せていた机を壊しかねないところだった。
「俺は二年六組のことは先週から調べていたから、その続きだな」
安武は何事もなかったかのようにそう発言した。俺は彼に頷き返し、会議の終了を告げる。
「じゃあ、明日からよろしく頼む」
それからは何気ない会話を三人で交わす。よく運動部の練習の助っ人に行っている安武が部室(仮)にいることは少なく、必然的にこの三人で会話する機会は案外少ない。三人ともクラスは同じであるが、友人の多い彼らは様々なコミュニティに参加し、忙しいのだ。久しぶりの三人での会話に華は咲き、気付けば下校の時刻である。
特に依頼も来ていないので、伊吹の件以外ではお喋りしていただけとなった。帰り道を途中まで一緒に歩き、分かれ道で別れを告げる。
「バイバーイ!」
「また明日」
「じゃあな」
それぞれの言葉が薄暗くなった空に溶けていく。俺は振り返ることなく、冷える両手をポケットに突っ込んで歩く。
五月でもこの時間帯はまだ肌寒いと感じながら、先程のことを思い出す。うっかり自身に授けられた寵愛の力を発動してしまった。伊吹の現状と中学時代の記憶を勝手に重ねてしまったのだ。
その気になればジャンプで学校の屋上まで到達できる。その屋上から飛び降りても軽傷で済み、傷もすぐに癒える。コンクリートの壁だって破壊できる。超常的な力。人間の域を超えた力。そんな小中学生が憧れる、実際に俺も授けれれる以前は憧れていた漫画の主人公のような超パワーは、今の俺にとって呪いでしかない。
伊吹の龍の寵愛と違って、この寵愛を解消する方法を俺は知っている。にも拘らずこの力を手放さないのは、超パワーという特殊能力を手放したくないからではない。解消するための方法を選びたくないからである。
委員長と安武のことを思い浮かべる。まさに善良という言葉が相応しい二人。あの二人ならばこんな力を授けられることは決してなかった。俺の中で沸々と湧き続けている負の感情。それをこの力を用いて発散したくて仕方がない。けれど、それをしてしまえば俺は俺を許せない。
そんな考え事をしていたらまた力が発動しかねないので、気持ちを切り替えようと深呼吸をする。
そのまま彼は両手をポケットに入れた状態を変えず、暗さを深める道の中を歩いていく。
憤怒の寵愛を授けられた少年は、薄暗い夜道を無心で歩いた。




