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赤と青のハルハル  作者: 高野 ぱら
第一章 女子高生ドラゴン
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第一章5 タイムリミット

 青々とした空。お昼は過ぎたがまだなお陽は高く、むしろ暖められた地面が本日最高の熱を帯び、気温はもっとも高い時間帯。俺に関しては昨日学校をサボり、今朝は遅刻の扱いとなった。にも拘らず午後の授業までサボっているのにはそれ相応の理由がある。目の前の伊吹もまた、二日間の休みの後、ようやく登校してきた日の午後の授業をサボる羽目になった。そして我がクラスの委員長、学力以外は優等生の彼女もまた今回の共犯である。


 場所は別棟の屋上。この場所を提案したのは先程ここでお昼を過ごす俺を戒めた委員長自身である。といっても、これも仕方のない事だ。なにせ俺や委員長は兎も角、伊吹は外を出歩くことができない。その原因のちょこんと生えた黒々とした鋭利な角は、陽に照らされて心なしかキラキラと輝いて見える。


 もちろん、女子高生から角が生えていたからといって、異形の化け物だと判断されることはないだろう。おそらくはコスプレと判断されて終わるだけだ。実際、昨日ホームセンターにノコギリを調達しに行った時も、変人としての注目を浴びたが通報されるようなことはなかったという。しかし、今の彼女は制服姿だし、まだ学生は学び舎にいる時間帯だ。そんな状況で角まで生やしていたら流石に通報されかねない。


「ということで、第二回、伊吹ドラゴンの角折作業を開催します!」


 神妙な雰囲気にならぬよう考えた結果、妙なテンションでそう宣言する俺を二人の女子生徒が見る。以外にも伊吹はパチパチと拍手をして能天気な様子だ。委員長もそんな伊吹を見て、明るい雰囲気を作ろうと意気込んでいる。


「これ!工作室から持ってきたよ!」


 委員長の両の手に握られるのはノコギリだ。伊吹も流石に学校にノコギリを持ってきてはいなかったので、学校の備品を拝借させてもらった。


「じゃあ、私下向いてるから、この辺をギコギコして切り落としちゃって」


 伊吹はそう軽い口調で言いながら、角の根元に近い部分を指差した。


「本当に平気?痛かったりしない?」


 委員長が心配そうに伊吹に声を掛ける。


「うん、大丈夫。爪切るのと変わんない」


「だそうだ。どうする?委員長が切り落としてみるか?」


「そ、そんな軽いノリでできないよ!?」


「おいおい、ドラゴンの角を切り落とすなんてそうそうできる経験じゃないぞ。いいのか?将来後悔しても知らないぞ」


「そうだよ、日和。思いっきりやっちゃって」


「凛までそんな感じなの…」


 困った様子の委員長と状況に動じていない伊吹を見る。今朝まで初対面だった二人は既に下の名前で呼び合い、前々からの友人にすら見える。女の子ってこんなに仲良くなるのが早いものなのかしら。


「まったく、委員長がしないなら俺がしちゃうぞ。伊吹、準備はいいな?」


「バッチコーイ」


「そんな軽いノリで…」


 隣で委員長がオドオドしているのを感じながら、伊吹の角にノコギリの刃を通していく。一昨日に比べて角の長さが短いので手元には細心の注意を払う。うっかり伊吹の頭に歯を当てでもしたら大変だ。

 ノコギリの刃は以外にもすんなりと角へと入り込んでいく。切り心地が良いとまでは言わないが、途中で引っかかったりすることなく刃は通りきり、ポロっと角の先端が落ちる。落ちた角を委員長が拾い上げ、首をかしげながら観察している。角の観察が行われているうちに、もう片方の角も切り落とした。


「とりあえずこれで元通りだな」


「うん、ありがと。やっぱり自分でやるより楽だね」


 相変わらず軽い返事をする伊吹は、再び頭に包帯を巻いていく。


「さて、一旦は授業に戻るか。五限目はもう間に合わなくても、六限目には出席したほうがいいだろう。


 これが自分だけだったらついでに六限目もサボるのだが、他の二人もいるので優等生な発言をしてみる。


「そうだね。凛は大丈夫そう?」


「うん、大丈夫。日和も授業サボらせちゃってごめんね。ありがとう」


 そう言って伊吹は包帯を巻いた頭を下げて委員長にお礼を言った。


「俺も伊吹のために授業をサボったぞ」


「柏木もありがとう。まったく、恩着せがましいんだから。本当に感謝してるのに、言いたくなくなっちゃう」


「柏木君のこれは照れ隠しみたいなものだから。本当に面倒くさいよね」


 本日何度目かの委員長の心無い言葉に傷つきつつ、目の前の二人が笑い合っているのが視界に映った。やはり二人の関係に問題はなさそうだ。今週が終わるころには正真正銘の友人になっていることだろう。


 そこまで考えて伊吹のほうに視線を移す。この学校に友人がいないと言う彼女。この三日間、彼女と接してみて、確かに委員長のような人間ほど友人が多いタイプには見えない。が、委員長ほど友人が多い人のほうが稀である。俺独自の勝手な観点では、伊吹に友人が一人もできないというのは違和感があった。

 世の中には人との交流が極端に苦手な人種も確かに存在する。碌に挨拶ができなかったり、悪いことをしても謝れなかったり、助けてもらっても感謝を口にできなかったり、自分の話ばかりを一方的にしてしまったり。しかし伊吹は違う。そういった人種には見えない。

 かと言って、俺のように過去に人間関係で許せないことがあり、友人など不要という理念を掲げている痛い奴というわけでもなさそうだ。


 では一体、なぜ彼女に友人がいないのか…否、考えるべきポイントはそこではない。俺が感じていた違和感。それは彼女が友人がいないということ自体に悩んでいるようには見えないのだ。

 委員長のようにたくさん友人が欲しいとも、俺のように友人なんていらないとも、伊吹は思っていないように見える。

 友人はいてもいいし、いないならそれはそれで構わない。そんなスタンスに見えてしまうのだ。


 もしも俺のこの見解が正しいとすれば、彼女は一体なぜドラゴンに成ったのか。


 そもそも、友人が欲しくてドラゴンに成るだなんておかしいのではないだろうか。友人が欲しい人がドラゴンになんてなったら明らかに逆効果だ。

 むしろドラゴンに成ってしまう理由とは何か。ドラゴンに成りたいと思う理由は何か。空を飛びたい?信仰されたい?カッコよくて憧れる?


 …。


 人間をやめたい?


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 東浜高校。二年七組。パステルカラーの緑髪が特徴的な速川 日和が学級委員長を務めるクラス。

 スクールカーストという言葉が社会に浸透したのは二千年代以降だろうが、学校に限らずある程度の人数が強制的に集められる場所では似たり寄ったりな概念が存在しただろう。

 そんなスクールカーストに照らし合わせてみれば、速川 日和の周りに集まる彼ら彼女らはこのクラスの一軍と呼べるのだろう。特に委員長とよく一緒にいるギャル二人はまさに一軍女子という言葉がよく似合う。


 では一軍男子は誰なのかと言えば、このクラスに関しては俺の数少ない友人の一人、安武 晴間に他ならない。速川 日和が学業以外が優等生であるならば、安武 晴間は学業も含めて優等生だ。


 普通は、というかこのクラス以外の他クラスでスクールカースト一軍と呼ばれる生徒たちは優等生という肩書よりも、ノリが良くてイケイケで声が大きい連中のことを示す。

 ただの優等生では真面目ちゃんなどとからかわれて到底一軍になどなれないものだが、速川 日和と安武 晴間は優等生という肩書を背負いながら、クラスの顔とも呼べるリーダー的な存在である。


 要するに善い意味で目立ち、善い意味でスクールカースト一軍と称される希少な存在の二人なのである。

 そんな二人が同じクラスになったのだから、二年七組は平和であり明るいクラス。きっと『当たりのクラス』という風にこの学校の生徒は見ているに違いない。


 そんな当たりのクラスの外れ要素が何を隠そう、柏木 司である。

 偏差値の高い東浜高校にもガラの悪い生徒は多少いるが、平気で授業をサボったりする生徒は少ない。そんな数少ない問題児の中で赤色の長髪をたなびかせ、大体は一人で行動しているのだから周りからの印象は悪い。おまけに最近伊吹から聞いた通り、ヤクザ壊滅や悪名高い不良を更生させたなど、根も葉も少ししかない噂が流れているのだから、それはもう立派な腫物である。

 そのくせ、日本どころか世界的にも有名人の柏木 聖菜の兄だと言うのだから、悪目立ち度で言えば学内トップだろう。


 そう考えればむしろ俺が二年七組にいるから、お手本のような優等生の前述した二人が二年七組に配属されたのかもしれない。

 いや、まあ、ヤクザ壊滅も不良更生もその他の事件も、当事者は俺というよりも優等生と称される安武 晴間のほうなのだが。


 何はともあれ、二年七組にはいじめのような問題もなく、俺を除く生徒で問題行動を起こすような輩もおらず、理想のクラスに近いと言えるのであろう。


 では、他のクラスはどうなのか。例えば、生徒の一人がドラゴンに成ってしまうようなクラスはどうなのだろうか。

 隣のクラス。ドラゴンに成った伊吹 凛がいる二年六組はどうなのだろうか。


「少なくとも、わかりやすいいじめが起きているクラスではないみたいだぞ」


 高くも低くもない声音。落ち着いていてスッと耳に入ってくるその声量は、基本的に声の大きい委員長なんかには出せない音域だ。その声の主の正体は先程も触れさせていただいた人物、安武 晴間だった。


「わかりやすいってのは具体的に何を指してるんだ?」


 今朝、俺は数少ない友人に頼みごとをした。その内容は二年六組を調べてほしいというものだ。寵愛現象を知る彼にもまた、伊吹の話は伝えてある。


「まずは殴ったり蹴ったりの暴力。そういったことは起きていないらしい。二年六組の知り合い十五人にそれぞれ聞いたが、暴力があると言った人は一人もいなかった」


 他のクラスに十五人も知り合いがいる事実に驚きながら、報告を続ける彼を見る。アイドルになれるほどのイケメンとは言わないが、目鼻立ちは整っており、誠実な顔つきをしている。陽に当たると茶色みがかる黒髪は短髪に切り揃えられており、チャームポイントの形の良い太目の眉が誠実な顔つきをより引き上げているように思う。


「暴力以外のいじめは?物を隠したり、無視したり、陰口が横行していたり」


「聞いた範囲の話だから真実とは言えないが、誰一人としてそんなことが起きているとは言ってなかったな。もちろん、年頃の高校生だ。陰口で盛り上がったりはするだろうが、誰か一人を標的にして嫌がらせを目的に陰口を叩いているわけではなさそうだ」


「そうか。調べてくれてありがとう」


 そうなると伊吹がいじめにあっている可能性は低そうだ。であれば本当にただクラスに馴染めていないだけか。


「ただ」


 安武がそう言葉を区切った。声のトーンが落ちた気がするが、彼の顔つきは変わらず誠実のままだ。


「伊吹さんの名前を出したらほとんどの人が、、、なんというか、、、少し気まずそうにした。…すまん、これについては空気間の話だから表現が難しい」


「気まずそうか…。クラスには特定の誰かを無視するとかもないって言ったよな」


「ああ、それは間違いない。だから正直、伊吹さんが寵愛現象に該当する理由は見当がついていない。もしかしたらクラスに対しての悩みではないのかもしれないな」


「そうだな。わかった。とりあえずは引き続き様子見だな。委員長と伊吹の仲は順調そうだし、もしかしたら来週にはあっさりと解決しているかもしれん」


「そうだといいな。また何かあったら頼ってくれ。くれぐれも一人で無茶をするなよ」


 安武の言葉に力が籠るのがわかった。耳がタコになるほど彼から言われた言葉を俺は復唱する。


「わかってるよ。無茶するなら二人で、だろ」


「わかってるならよし」


 二っと笑いながら彼は教室から去っていった。身長は俺のほうが僅かに高いのだが、彼のほうが肩幅があるからか、はたまた器がでかいからか、俺よりも大きい体に見える。


 現在は六限目も終わり、放課後へと突入している。安武は我がお助けクラブの一員なのだが、その活動の一環なのか大体いつも所属していない部活の助っ人としてあちこちに顔を出している。勉学だけでなくスポーツも万能なのだから、神はあまりにも不平等なものである。


 二日前、寵愛の力を使った代償に全身酷い筋肉痛の俺はそそくさと家に帰る。今朝、委員長に叱られた経験を活かし、本日部活を欠席する旨は伝えている。これで俺も報連相ができる立派な大人である。などと俺の知り合いに言った場合、全員から全否定されることが目に見えている戯言を考えながら東浜高校の校門を後にした。


 まだ夕方に突入したばかりの時間帯だからか、陽はオレンジ色を全く帯びていない。あと一時間もすればきっと夕日という呼び名に名称を変えるのであろう。


 ふと三年生のクラスが視界に入る。受験生なだけあって彼らは七限目へと突入している。進学校である我が校は二年生の後半から七限目が解禁されるのだ。その光景を見て憂鬱さを感じながらも、早い時間帯に帰れる今の幸せを噛み締めながら整備されたコンクリートの上を歩いた。


 伊吹の問題を早く解決したい。そう焦る気持ちが胸に渦巻いた。彼女たちといるときは態度に出さないように努めているが、引き続き気を付けなければならない。


 寵愛現象。その奇天烈で奇怪な現象には、対策を講じている機関が存在する。


 寵愛現象管理協会。


 俺もその協会の一員ではある。もっとも名前だけ属しているだけで俺は協会の仕事は基本的にしていない。しかし当然、協会の仕事を全うする者たちも存在する。寵愛現象なんて常識から外れた現象を管理しようとする集団が、まともな大人たちであるとは思っていない。それこそ、伊吹の母親のような立派に大人をしている人たちではないのだ。


 そんな協会の連中にドラゴンに成る人間がいるなんてバレないほうがいい。もちろん伊吹に配慮して対処が行われる可能性もある。しかし、そうならない可能性も低くはない。

 寵愛現象管理協会なんて秩序を重んじていそうな名前をしているが、彼らが重んじている秩序は寵愛現象の当事者に対してではなく、寵愛現象に巻き込まれる可能性のある小市民に対してのものだ。

 それは日本の平和を守る組織としては正しいのかもしれない。しかし、寵愛現象の当事者が犠牲になる可能性を含んでいる。


 今回はドラゴン。そう、ドラゴンなのだ。炎を吐き、雷を落とし、嵐を呼び、災害を巻き起こすとも言われるドラゴンなのだ。もちろんドラゴンに成った伊吹にそこまでの力があるとは思えない。しかし可能性は潰えない。


 もし仮に、ドラゴンに成った彼女が世界を滅ぼせるほどの力があったとしたら、協会はどういう決断を下すのだろうか。危険分子の排除を決定するのではないだろうか。


 一日でも早く、協会に気づかれる前に、ドラゴンを人に戻さなくてはならない。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 柏木家は六人家族である。しかし、柏木家に住まうのは基本的に三人だ。物事をあまり深く考えない子供っぽい母と、絶賛思春期中の平凡な妹、そして俺の三人。他の三人はというと、凡庸な父は仕事で地方のプロジェクトに単身赴任、恐ろしい姉は仕事と趣味で世界中を飛び回り、怖ろしい妹は子役ではなく、もはや立派な女優として日本各地、時には世界各国を飛び回っている。


 二人の姉妹を除けば平凡な一家である柏木家なので、母と平凡な方の妹と俺だけのときはそこらの家庭となんら変わらない。そんな良く言えば平和、悪く言えば物語性に欠ける柏木家も、姉か才能ある方の妹が帰ってくれば特殊な家族へと様変わりする。ちなみに父だけが帰ってきたとしても、父自身はどこにでもいる普通のサラリーマンなので、特殊どころか平凡さが増すだけである。


 こんな前振りをしたからにはどちらかの姉妹が珍しく帰宅しているのかと察していただけたかと思うが、まさにその通り。今回帰宅されたのは大ヒット間違いなしの映画の撮影で沖縄に赴いている妹ではなく、恐ろしい姉の方だった。寵愛現象の存在を知らない他の家族と違い、むしろ寵愛現象に深く関わる姉の帰還は非常に望ましくなかった。


「おいおいおい、数か月ぶりに会えたというのに随分嫌そうじゃないか。一体どうしたんだい?十六歳にして反抗期かい?まったく、反抗期なら姫の年頃に終わらせておくものだよ」


 と、口数多く偉そうに語るのがその姉、柏木 翼である。翼という爽やかな名前に反して、気怠そうな雰囲気を纏いながらも他人にあれこれ口出しすることを喜々とする変わった女である。背中まで伸びた紫色の長髪は美しい容姿に良く似合っている。柏木家の両親は特段美形というわけではないが、その子供たちは俺を含めて美形に分類される顔つきをしている。といっても平均より少し顔が良い程度の俺や反抗期と称された妹の柏木 姫と違い、この姉と女優の妹は世界基準でもトップに躍り出る容姿だ。


「反抗期でなくとも姉貴に対してはこういう態度を取り続けるさ。人の感情を逆撫でするその話口調を続ける限りは、あまり深く関わりたくないね」


 せめてもの抵抗でそう言い返す俺ではあるが、言葉の刃物か物理的な武術かで反応が返ってくるのではないかと内心怯えていた。怯えるくらいなら最初から反抗するなと言われそうではあるが、俺にだってプライドというものがあるのだ。


「まったく、愚弟は相も変わらず愚かで可愛げがあるね。一度たりとも私に口喧嘩で勝ったことがないというのに。そうだな、口で勝つのも最近はただの単調作業となってきたし、久しぶりに組み手でも組もうか」


 そう言って半歩こちらに近づいた姉は薄く微笑んでいて実に楽しそうだ。


「ごめんなさい。俺が間違えてました。前言撤回とさせていただきますので、どうかご容赦ください」


 即座に腰を九十度に折って敗北を認める。寵愛の力なしだとそこら辺のチンピラにも普通に負けかねない俺が姉に勝てるわけがない。姉は何か武道をやっているわけではないが、独自で編み出した護身術によってそこらのチンピラを圧倒できるどころか、暴走族の集団に放り込んでも勝利しかねない。先程は俺にだってプライドがあるという気持ちでささやかな口答えをしたが、プライドで身の安全を守ることはできないのだ。


「漢たるもの歳を重ねるごとに強くなるべきというのに、愚弟は歳を重ねるごとに弱っちくなっていくね。まだ小さかった頃の無謀にも挑んできて手も足も出ずに泣かされてたときのほうが立派だったと言わざるを得ない」


「学習したと言ってほしいね。負けるとわかっていて挑むなど馬鹿のやることさ。俺はこれまでの経験を糧に賢くなったんだ。というか普通に三つも年の離れた弟を体術で泣かすなよ」


 可哀想だろ、小学生の頃の俺。下手したら今も泣かされかねないので姉との交流はできるだけ早く打ち切りたい。


「泣く子は育つというだろ。もっともあれだけ泣かしたというのにこれっぽっちも育っていないのだから、そこは私の非を認めなければならないのかな」


「やめろ、人を傷つけるためだけに自身を下げるやり口。性格悪いぞ」


「何を言う?私はよくいい性格してるねって言われるんだよ」


「それは皮肉で言われてるんだよ!気付いてて都合の良いように解釈するの質が悪すぎるだろ」


 ここまで来るといっそ尊敬してしまいそうで恐ろしい。この短いやり取りだけでかなりの消耗を強いられているので、姉の用件をさっさと聞いてしまおう。


「それで、なんで家にいるんだよ?俺に何の用があるんだ?」


「なんだい、その聞き方は?親元を離れた姉がたまに帰省するのはちっともおかしい話じゃないだろ?それに愚かな弟の相手をしてやるのも姉の務めというものさ」


 ああ言えばこう言う姉にウンザリしながらも言葉を返す。


「確かに姉貴は気まぐれで帰ってきたり、無意味に俺を傷つけたりするけど、今回の帰省もそれに該当するってことでよかったのか?」


「おや?やけに詮索するじゃないか。まるで今、この時期に私が返ってくることが何かしらの不都合という風にも聞こえるね」


 ギクッとするが顔に出ないよう装うことに努める。姉が実家に、というよりもこの町にいる理由は二パターンだ。一つは前述した通り本当にただの帰省のパターン。そしてもう一つは、姉の仕事の可能性である。


 柏木 翼。大学二年生。あと数か月経てば二十歳となる。そんな姉が大学にも親にも隠している職業。寵愛現象管理協会。形と名前を変えながらも、起源は千年前の平安の世から存在するその組織は、当然普通に生きていれば属せないどころか存在を知ることすらない。そんな協会に若き年齢でありながら幹部の立場にいるのが、この柏木 翼という女なのだ。


「別に、特に用がないにせよ、仕事で帰ってきているにせよ、俺がこき使われることに変わりはないのだけど、それでもどちらの方面でこき使われるか確認しようと思っただけさ」


「そうかい、そうかい。弟としての自覚がようやく芽生えてきたようで嬉しいよ」


「ナチュラルに弟はこき使うものだと思ってるんじゃねえよ。そんな性格で大学では上手くやれているのか?」


「大学では高校時代と変わらず私はスターさ。この美貌に多種多様に通ずる圧倒的な才能、生まれ持ったカリスマ性。我ながらこれより完璧な人間がいるとは思えない。もしいるとするなら、それはきっとバケモノさ」


「自信過剰にも程があるだろ」


 と、口では反論してみるものの、姉の自己評価が見当違いとは言えないのが恐ろしいところである。勉学でトップクラスに君臨するのは当然、スポーツでも芸術でも本腰を入れずに輝かしい功績を残す。友人の安武も文武両道の完璧超人だと言えるが、この姉と比べてしまえば可愛げがあるように思う。つまりこの姉は可愛げがない。可愛くない人間なのだ。


「どうやらまた無礼なことを考えているね」


「何?とうとう心を読めるようになったの?そこまで行くと人間離れという表現よりも、それこそバケモノって表現のほうが合ってるんじゃないか?」


「完成された私だって人の心までは読めないさ。今思考を読めたのは、愚弟の思考レベルが単調で猿と変わらないものだったからだよ」


「本当にああ言えばこう言うな…ちょっとは可哀想だとか思わないのかよ」


「確かに猿に失礼な発言だったね。撤回しよう」


「そっちじゃねえよ!」


「私の発言を撤回させられる人間なんてこの世にほんの一握りしかいないのだよ。そんな貴重な経験ができたのだから、これから先を含めた人生の中で最高の思い出として大事に抱きしめておきなよ」


「俺を傷つけることのみを目的とした撤回なんて誰が抱きしめるか!あぁ、本当に姉貴と話すと疲れる。俺はもう部屋に戻るよ」


 そう言って体の向きを百八十度回して、自分の部屋に戻ろうとリビングのドアに手を掛けた。


「ああ、そうだ。最後にこれだけ聞いておくれよ」


 感情の読めない口調で姉は俺に語り掛けた。首だけ姉のほうに向けると、目と目が合う。姉には白くてきめ細やかな肌、海外でも絶賛されるであろうスタイルの良さが備わっている。しかし、そんな姉の一番の魅力と言ってよいポイントは、その瞳だった。何とも形容し難い、見た者を引き込む瞳。目を合わせてしまえば逸らすことができず、小動物が巨大な蛇に丸呑みされるような感覚を味わうにも拘らず、美しいという感想のみが残ってしまう瞳だ。そんな瞳で俺を捕らえながら姉は告げた。


「隣町にドラゴンが出るみたいだから気を付けて」

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