第二章おまけ3 男たちの宴
波の音が聞こえる。ザァー、ザァー、押し寄せては引いて、引いては押し寄せる。夜に呑まれて暗闇と化してしまった海に、雲から顔を出した月が煌めきを与えた。
揺れる波の凹凸がピカピカと輝いて美しい。視界を遮るものがないため月光を反射させた海は光の道を作る。その光景を眺めながら、俺は缶ジュースに口を付けた。
夜風が赤髪を揺らす。数時間前まで灼熱だった世界は姿を隠し、若干の肌寒さを感じさせる。海の匂いが漂ってきて夏を感じさせる。
「海の匂いっていいよな。俺は結構好きだ」
缶ジュースで潤った喉からそんな言葉を吐き出した。夏の夜の海という舞台に酔い痴れるこの時間に心地良さを覚えた。
「これプランクトンの死骸の匂いらしいよ」
「なんでそんなこと言うの…」
ムードを台無しにする発言をしたのは安武 晴間だ。普段は気遣いができる男と称されている彼であるが、俺と二人きりのときは案外余計な発言をする奴である。
「ごめんごめん。司が夜の海に酔い痴れている姿が鼻に付いちゃって」
「お前に謝る気持ちが微塵もないことはよくわかった」
なかなかに酷いことを言う友人だ。彼は一重にしては大きい目をこちらに向けている。長めの下まつ毛が夜風によって僅かに揺れている。
「まあまあ、そう言わず。せっかく広大な海を目にしてるんだから、細かいことは気にするなよ」
「お前って結構煽り性能高いよな。祭りで満足した後の俺じゃなければ処してたぞ」
時刻は二十一時三十分。友人たちと夏祭りを楽しみ、思い出を抱えたまま解散して三十分が経った。解散したにも拘らず俺と安武は二人で海に来ていた。
「それで、俺に何の用なんだ?」
彼は短髪のため顔がよく見える。形の良いおでこが目に付いた。
「お前に伝えておきたいことがあってな」
「ごめん、俺好きな人がいるから司とは付き合えない」
「愛の告白じゃねえよ。やめろ、さぶいぼが立ったぞ」
「なんだ、違うのか。女の子が四人もいる状況で俺を指名したからてっきりそういうことかと」
とんでもない誤解をされていたらしい。これは俺が悪いのだろうか。これ以上くだらない雑談に花を咲かせても仕方がないので本題に映る。
「話ってのはヒューマのことだ」
「ヒューマ?ヒューマに何かあったのか?」
彼の声は少しだけ真剣なトーンになった。俺が誰かの話をするときは寵愛現象が絡んでいる場合があるから身構えているのだろう。
「何かあったというより、既に色々と起きていた後だったって話だ」
俺の返答に彼は少しだけ首を傾げた。続きを話せという反応だ。
「これは言ってもいいってヒューマ本人から許可を得ている話だ。驚かずに聞いてほしい」
「前置きが怖いな。ヒューマに寵愛現象が発現してるとかじゃないよな?」
「あー、発現はしてなくもない。けど、そこは放置で大丈夫なんだが。まあ兎に角、少しややこしいんだが一から話すから聞いてくれ」
そうして俺は安武に虹川 飛雄馬にまつわる話を十五分程度かけて説明した。彼はお化けであり既に亡くなっていること。二年半前に亡くなった彼を宇龍 愛という女子高生が寵愛者の力を使ってお化けにしたこと。宇龍 愛は寵愛者そのものであること。
そして最も伝えたかった部分として、万が一にヒューマが物理的な干渉をしたことで世界に歪みが生じてしまった場合、甚大な被害が発生する危険性を孕んでいることを伝える。
「だからもしヒューマがうっかりやらかすようなことがあったら、世界の歪みへの言い訳作りが必要になる。頭にだけ入れといてくれ」
「情報量が多すぎて受け止めきれていないんだが、ヒューマの存在はかなりイレギュラーなものということか。まあ、聞いた限りだと世界の歪みが発生しても言い訳を用意するのは難しくなさそうだな」
険しい顔で情報を整理しながら彼は答える。彼の言う通り、歪みへの対処は難しくない。
仮にヒューマが全校集会の場でピアノを弾くとしよう。そうするとその場にいた人たちからは、ピアノの傍に誰も存在していないのに勝手に演奏が始まったということになる。その矛盾を世界は歪みとして捉え、矛盾を無かったことにするためにヒューマと目撃者全員を消すための災いを引き起こす、らしい。
実際に災いを発生させたことはヒューマもないらしいので本当のことかはわからない。しかし、わからないなら万が一に備えておかなければならない。
前述した全校集会でのピアノを例とするならば、すべき対処はその事象への言い訳だ。誰もピアノに触れていないのに演奏が響き渡ったという歪みへの言い訳なので、ピアノの傍にスピーカーを忍ばせてそこから音を出してましたとか、そういった説明をすれば矛盾は無くなる。
もしこれでスピーカーなんて設置されていなかったと誰かに証明されてしまった場合は、また別の言い訳作りをしなければならないのだが。
そのため、その場に名探偵などがいようものなら詰みかねない。目撃者を騙すにも工夫は必要である。
「話は以上だ。何か質問あるか?」
俺は安武にそう投げかける。ヒューマの秘密は誰にも言わないほうがいいかと考えたが、いざという時に頼れる存在は作っておきたかった。安武ならば俺よりかは柔軟に対応するだろう。
「東浜高校から出られないとも言ってたな。ならヒューマが今日来れないのは用事があるからって聞いてたけど実際は」
「東浜高校のお化けだからな。夏休みに遊びに行ったりはできねえよ」
安武は表情を変えなかったが、その瞳に少しだけ悲しみのような色が宿っている気がした。きっと俺も同じ顔をしている。
「信じ難いが、司がこんな嘘つくわけないしな。わかった、信じよう」
彼はそう言って缶ジュースに口を付けた。俺も残りの缶ジュースを飲もうと口を付けるが、もう既に中身は空となっていた。説明の最中に飲み干していたらしい。
虹川 飛雄馬のことを思う。彼は今も独り東浜高校にいるのだろう。見ての通り彼はお喋り好きで、イベント事とかも大好きで、青春を謳歌しているようなタイプの人間だ。…人間だった。
しかし、そんな彼は今、独りあの学校に縛られている。本人が望んでいたわけではないのに、宇龍 愛という寵愛者のルール違反によって縛られ続けている。一体どんな気持ちなのだろうか。幸せ…なのだろうか。
加藤 ラブマリンは世界一幸せに生きると決めた。そんな彼女を支え続けた虹川 飛雄馬は今のままで幸せになれるのだろうか。この先も永遠に東浜高校の七不思議として亡霊であり続けるのだろうか。
「司」
安武が俺の名を呼ぶ。俺に何かを提案しようと口を開こうとしていた。
「夜の学校で遊ぼうぜ。今から」
悪い笑みを浮かべた彼は、優等生とは思えない発言をする。俺は思わず頬を緩めてしまった。
「こんな時間に不法侵入か?とんだ不良生徒だな」
時刻は二十二時に迫っている。今から学校に向かえば、到着するのは二十三時前だろう。
「俺はもともと立派な不良生徒だよ。知らなかっただろ?」
「去年の夏に不良グループと喧嘩して圧勝した姿を見たときから、なんとなくそんな気はしてたよ」
俺たちは夜の海を背にして歩き出す。海の表面を一直線に輝かせていた月光が、二人の不良男子高生を照らしていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
俺たち二人は東浜高校の正門に辿り着いていた。頭上の空は雲で半分ほど覆われており、今日はあまり星空が見えない。雲の隙間から月明りが僅かに零れる。
心許ない外灯が正門を照らしており、奥には校舎の入り口が見えるが、その中間地点に仁王立ちしてこちらを見ている人影があった。
「ここを通りたければ俺を倒してから行け!」
カッと目を見開き大きな声でそう言った人物は快活に笑い始める。なんとも愉快なお化けである。
「こんなに夜が深いってのに元気がいいな」
「当然だろう!お化けとは夜行性なのだ!」
東浜高校の七不思議、虹川 飛雄馬に声を掛けたところ元気な声が返ってくる。
「お前は全くと言っていいほどお化けって感じしないな。七瀬とかのほうが全然お化けっぽいぞ」
「そのセリフ、ななちが聞いたら悲しむぞ。相変わらずつかたんは失礼な言動が多いな。呪い殺すぞ」
「本物のお化けがブラックジョーク言ってんじゃねえよ」
開幕くだらないやり取りが展開され、ヒューマはワハハハハと笑い声を上げる。筋肉質な体に金色の髪をセットしたイケメンはとてもお化けとは思えない。
「ヒューマ、話は聞かせてもらった。まさかヒューマが七不思議の虹川さんだったなんてな」
「つかたん!まさか秘密を洩らしたのか!?これで呪い殺すしかなくなった!」
「お前が安武には教えていいって言ったんじゃねえか!あとすぐに呪い殺そうとするな」
「ハハハ!冗談だ!安武はつかたんと違って勘が良さそうだからな。俺がボロを出して疑われる前に知っておいてもらった方がいいと判断した!」
先程から仁王立ちの体勢を崩さずに彼は大きな声で言い放つ。
「それで、二人は何しに来たんだ?いや、無粋だな。高校生二人が夜の学校に訪れるなんてデートしかあるまい!」
「勝手に話を飛躍させんじゃねえ。なんで男二人の姿を見てデートに結び付けるんだよ?」
「おいおい、つかたん。その発言は良くないぞ。世の中は多様性の時代だ。もはや性別など些細な問題でしかない。安心しろ。生前の俺は友達からボーイズラブのジャンルについて教えてもらっているからな。そっち方面の理解はかなりある方だと自負している」
「その考えはご立派だけど俺と安武はそんなんじゃねえ!変にカップリングするのはやめろ!」
ちっとも話の通じない状況にイライラしながら俺は言い返す。もっとも、ヒューマの表情は先程から変わらず爽やかな笑顔のままだ。俺のイライラは伝わっていないらしい。
「司の言う通りだ。ヒューマ、俺は司と断じてそんな関係ではない。俺には既に恋愛感情を向けている相手がいる。だから司からの告白は断った後だ」
「俺がお前に告白したことにしてんじゃねえよ!そのうえで振られたことになってる俺可哀想すぎるだろ!」
俺は声を荒げて安武に物申す。どうやら普段は真面目なフリをした彼も、この場に俺とヒューマしかいないため気を緩めているらしい。
「つかたん!大声はよくない!見ての通り夜はすっかり更けている!疲れ切ったサラリーマンや成長期の子供たちが目を覚ましたらどうする?睡眠不足は非常に悪いことだ!日本の未来を壊す気か!?非国民め!」
「大声上げたのは悪かったけど、そこまで言われる筋合いはねえよ!あと一番声のデカいヒューマに言われたくねぇ…」
「何を言う?俺はお化けだぞ。お前たち二人以外この声は聞こえていない!つまり叫び放題だ!アーーーーー!!!!!」
「叫ぶな!うるせえ!」
ヒューマの迷惑行為に思わずこちらも叫んで注意してしまうが、傍から見れば俺が一人で怒鳴っているだけの光景なのだろう。とてもやるせない気持ちだ。
「それでデートじゃないなら何をしにここへ来たんだ?まさか俺を除霊するつもりか?怪異の王である俺に挑むとは…貴様らを勇者と認めてやろう!」
「除霊じゃねえしお前は怪異の王なんかでもねえ。安武が射的でお菓子を大量に入手してきたから食べに来ただけだ。ヒューマ、お前お化けだけどお菓子とか食えるんだろ?」
そう言って俺は手に持っていた袋からお菓子を取り出して彼に見せた。
「そういうことだったのか。二人の優しさが染み渡るよ。あぁ、もう心残りはない。成仏できそうだ」
「だから除霊に来たわけじゃねえよ」
また大声でツッコミを入れそうになる気持ちを抑え、近隣住民の迷惑にならない声量でツッコミを入れる。…お化けの相手、疲れるな。
「いやー、それにしても嬉しいな。お菓子を食べるなんて死んでから初めてだ!つかたんの言う通り食べれるよ!今までは世界の歪みを発生させないために生徒たちのお菓子を盗み食いするのを避けていたが、俺が食べたお菓子をつかたんと晴間っちが食べたことにしてくれれば歪みも生じない。では、お菓子パーティーといこうじゃないか!」
そう言った彼はご機嫌な様子で校舎のほうへと歩いていく。俺と安武はその後ろに続いた。
雲が風に流されて満月と半月の間くらいの中途半端な形の月が全貌を現す。煌々と輝く月明りが俺と安武の足元に影を作った。ヒューマの足元には影はなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
風が吹く。やや強めの風だ。男たち三人は地べたに座る。その男たちに取り囲われる形でお菓子たちは並べられていく。
場所は別棟の屋上。当然校内は鍵がかかっているため侵入は容易ではないが、場所が屋上ともなればジャンプすればいいだけだ。
「そんな簡単に憤怒の寵愛を発動してもいいのか?」
呆れた様子でそう言うのは安武だ。
「いいんだよ。あるものは使わないともったいないだろ?」
「でも筋肉痛になるんだろ?」
「一日くらい激痛に耐える期間が延びるだけだ。気にするな」
「やっぱり司ってイカれてるよな」
安武は俺に対してそういう評価を下すが、彼には言われたくなかった。
「安武に言われたくねえよ。まさか壁を走って屋上に昇ってくるとは思わなかったぞ。いよいよ人間やめてるじゃねえか」
俺は憤怒の寵愛を発動して跳躍により屋上に辿り着いた。ヒューマは瞬間移動で辿り着いた。安武が屋上に行くために俺が抱えて跳ぼうかと提案した結果、彼はそれを拒否し自力で昇ってきたのだ。
「壁を走るなんて大袈裟な。屋上までの高さ分の壁を走ったわけじゃないよ。外付けの非常階段の四階の場所から数メートル走っただけだよ」
「いや、数メートルでも壁走ってるじゃん。流石の俺も晴間っちの運動能力にはドン引きだよ」
あのヒューマですらドン引きしてしまうのだから、俺の周りで一番おかしな人間は安武なのかもしれない。
「まあ、そんなことよりお菓子食べようぜ」
「こいつ、壁を走ったことをそんなことで済ませやがった…」
そうして俺たちはお菓子の袋を開けて中身を広げていく。ポテトチップスやチョコクッキーなど種類に一貫性のないお菓子をボリボリと食べる。
「そういえば晴間っち、さっき好きな人いるって言ってたけど誰?俺の知ってる人?」
「この三人の最初の話題が恋バナなのかよ」
ヒューマが言い出した内容に対してツッコミを入れるが、二人は俺の口出しをスルーして会話を続ける。
「いや、ヒューマの知らない人だよ。俺の中学の同級生なんだ」
「ほへー、つかたんは知ってたの?」
「好きな奴がいるってのは以前聞いた気がするが、詳しくは知らん。安武の恋愛事情に興味などない」
俺ははっきりとそう言い切る。ただでさえ完璧超人の安武から惚気話なんて聞いて堪るか。
「その子とは付き合ったりしてないの?」
俺と違って興味津々のヒューマは興奮した様子で尋ねる。その姿はどこにでもいる男子高生のようだった。
「いや、付き合ってないよ。一世一代のプロポーズをして、バッサリと振られたからね」
「おいおい、そうだったのかよ。それならもっと早く言ってくれよ」
「つかたん、急に嬉しそうにするのやめな」
完璧超人の安武にまさか失恋話があったとは。これはお菓子を食べる手が進む。
「でも、安武に告られて振るような奴か。どんな奴だったんだ?」
「ふふ、まさに最強って言葉が似合う美少女だったよ。容姿も賢さも強さも彼女より優れている人を俺は知らない」
まさか安武にそこまで言わせるとは。しかし、俺の姉の柏木 翼や現生徒会長の鳳凰 明日香を知る彼が、その二人を差し置いて誰よりも優れていると評価するのは些か疑いの感情を向けてしまう。
「流石にそれは過大評価なんじゃないのか?ステータスが姉貴や鳳凰先輩越えってことはないだろ?」
俺の質問にヒューマもうんうんと頷いた。生前の彼は柏木 翼の友人であり、お化けとなった今は鳳凰 明日香のことも知っている。あの二人を知っているヒューマもまた、それを超える存在などいるはずないと思っているのだろう。
「まあ、容姿については人それぞれ好みがあるからな。でも賢さと強さはあの二人の上を行ってると思うよ。と言っても、賢さについては俺自身のレベルが低くて、あの三人の実力を正確には見積もれていないんだけど」
「その言い方だと強さについては正確に見積もれてるみたいに聞こえるな。鳳凰先輩もかなり強いと見受けられるけど、姉貴なんかは人間で勝てる相手いるのかって感じだぞ。安武でも姉貴に勝つのは難しいレベルだろ?」
「確かに俺でも翼さんに勝つのは苦労するだろうね。でも正々堂々とした勝負なら俺が負けることはないよ。俺を倒すために翼さんが手段を選ばないなら話は変わってくるけどね」
それは意外な回答だった。手段を選ばなければという部分は意外でもなんでもないが、正々堂々とした勝負でも姉貴と安武は同格かと思っていた。しかし、安武曰く姉貴には負けない自信があるらしい。まあ、どっちも化け物の領域に足を踏み入れているため、憤怒の寵愛を抜きにしたら戦闘力が低い俺にはわからない世界だ。
「じゃああの姉貴より強い女がいるってことか。恐ろしいな。それこそその人に勝てるのって安武くらいしかいないんじゃねえの?」
「いや、彼女は俺より強いよ」
「は!?おいおい冗談だろ?上級吸血鬼とかならまだしも、その人は人間なんだろ?それとも実は化け物でしたってオチか?」
「あはは、正真正銘の人間だよ。間違いなく人類最強だね。俺が手も足も出ずに負ける相手なんだから」
安武はなぜか嬉しそうにそう言った。好きな子の話だと己の敗北エピソードすらも楽しく話せるものなのかもしれない。それにしても安武より強い人間がいただなんて信じられない。もしかすると安武が知らないだけで、俺のような身体能力を強化する寵愛を授かっていたのかもしれない。
「あのー、恋バナをしてたのに何で強さの話になってるの?」
ヒューマが呆れた表情でそう声を上げた。俺としてはもう恋バナなどしている気分ではなくなったのだが、好きな子のことを語りたいのか安武は話を戻した。
「ごめんごめん。確かに俺が惚れたのは強さの部分だけじゃないね」
「そうそう!そういう話が聞きたかったんだよ!どんなところに惚れたの?」
恋バナの路線に戻って興奮を取り戻したヒューマが楽しそうに質問する。
「生き様」
質問に対して安武はそう一言で答えた。なんだよ、生き様って。高校生の恋バナで出てくる単語じゃねえぞ。
「なるほど!安武が普通に見えて結構変人なのはよくわかった!じゃあ次はつかたん!好きな子とかいないの?」
ヒューマは安武の特殊な恋バナではなく、どこにでもあるような男子高生の恋バナを求めているらしい。話題の矛先が俺へと変わった。
「いねえよ」
「えー、うちのラブマリンとかどう?」
「加藤のことをお前の家族みたいに言うな。それに加藤は友達だ」
「えー、それじゃあ」
「言っとくけど伊吹や速川たちも友達だからな。お前が求めているような恋バナはねえよ」
「ちぇっ、今を生きる若者から生気を吸い取ろうと思ったのに」
お化けのヒューマが言うと冗談で済まなそうだからよしてほしい。
「あ、それじゃあ昔好きだった子とかは?流石に初恋もまだなんて言わないっしょ」
ヒューマがそう問いかけてきた。俺は考えるつもりはなかったが、問われた内容について自動的に考えてしまう。
俺の初恋。柏木 司の初恋。それは今となっては忌々しいものでしかなく、思い出すだけで反吐が出る記憶だった。過去の自分をぐちゃぐちゃにして殺したくなるような衝動に駆られる。
「…司?」
安武に声を掛けられて我に返る。気付けば嫌な汗が左頬を垂れていた。
「何でもない。語りたい恋バナなんて一つたりともありはしねえよ」
俺はそう言って話題を無理やり打ち切る。
「そう言うヒューマはどうなんだ?翼さんと同級生だったんだろ?何か色恋話はあったりしたのか?」
様子のおかしかった俺に気を遣ったのか、安武が話題の向き先をヒューマに変えた。
「バッサーとは親友だよ。彼女と色恋話はなかったな。あと二人も名前を聞いたであろう宇龍 愛とも健全な友人関係だった。いや、親友関係だった!」
わざわざ親友と言い直したヒューマは恥ずかしがる素振りもなく堂々と話す。
「まあ、俺は見ての通りナイスガイだから、バッサーと愛の二人が密かに恋心を抱いていた可能性は捨てきれないけど」
彼はわざとらしく身を捻るような仕草をしながら、おちゃらけた口調でそう言った。
「姉貴が恋してる姿とか想像つかねえ。あいつこそ恋とかしたことないだろ。というか人の心ないだろ」
「ははは、つかたん酷い言いよう」
俺の姉への悪口に対してヒューマがケラケラと笑う。実に愉快そうだ。
「でもヒューマはモテそうなのには。恋人とかいなかったのか?」
腹を抱えて笑い続けるヒューマに安武は質問する。
「あー、中学の頃に短い期間付き合ってた恋人はいたな。でもあの頃はサッカー優先だったから、学校以外で会う暇もなくてすぐに振られちった。それからは恋人作るのもやめてサッカーに集中」
ヒューマの口調からは特に後悔しているようなニュアンスは感じられない。割と淡々と語るものである。
「脚を怪我してからは恋愛してもよかったんだけど、丁度その時期くらいからバッサーや愛と絡み始めたからなー。悪友たちと遊ぶのが楽しすぎて恋愛してる暇がなかったわ。ワハハ」
彼は脚を怪我したエピソードも笑いながら語る。彼にとって過去は悔しいことも悲しいことも含めて最終的には良い思い出なのかもしれない。
「あ、でも、俺好きな子はいたよ」
「え?そうなのか?」
「うん。バッサーや愛とは違って大人しくて優しい子でねー。一緒にいると胸がポカポカするんだ」
彼は恥ずかしがる様子もなく、いつもの快活さで恋していたエピソードを語る。
「その言い方だと如何に姉貴と宇龍 愛の性格が悪かったのかがわかるな」
「ぶははっ、間違いない」
口を挟んだ俺の言葉に彼は大笑いする。
「その好きだった子とは付き合ってたのか?」
「いーや、結構いい感じだったけど付き合う前に俺が死んじまった。あ、でもそんな気にしないでくれ。人間いつ死ぬかわからないのがこの世の理だし、十七年と数か月を俺は最高に楽しんで生きたから大して悔いもないんだ」
安武からの質問に彼はあっけらかんとした様子で答える。その言葉から嘘は感じられず、彼の人生に対する価値観が薄っすらと見えた気がした。
「まあ、人生に大きな悔いもなかったけど、こうしてお化けになれたことには感謝もしてるんだ。ラブマリンと仲良くなれたし、今もこうして楽しくお喋りする相手がいることだしな!」
相変わらずの大きな声でそう言った後に彼は笑う。夏の夜空のほうに顔を向けて、心の底から楽しそうに笑った。
「まあ、俺らが卒業するまではこうしてお菓子パーティーしてやるよ」
「卒業したらもう俺のこと見えなくなっちゃうからなー。あ、二人がよければなんだけど留年してくれない?」
「よいわけねえだろ」
冗談口調で言われたとんでもない提案を拒否し、彼のほうに視線を向けた。
「まあ、残りの高校生活約一年半でヒューマの中に色褪せることのない楽しい思い出を刻んでやるから覚悟してろ」
「お、それは楽しみだな。よろしく頼む」
俺の発言にヒューマは嬉しそうに頭を下げた。
「司だけじゃなくて俺もヒューマとたくさんの思い出を作るつもりだからな」
「おー、晴間っちまで!いやー、二人ともいい奴だな~。思わず友達認定しないように気を付けないと」
ヒューマが友達と認識した相手には、金輪際ヒューマのことを認識できなくなるというルールがある。だから俺たちはヒューマとは友達になれない。でも、友達かどうかの定義なんて関係ない。
「俺はヒューマと友達にならねえけど、卒業までこうしてバカみたいな話をお前とするって約束してやる」
「右に同じ」
俺の意思表示に安武も同意する。ヒューマは愉快そうに笑った。
「ああ、約束だ。俺も二人とは残り約一年半、バカな話をして過ごすって決めた!」
俺たち二人以外には決して聞こえることのないヒューマの大声が東浜高校に響く。男たちが宴をする頭上で流れ星が光ったことに気付く者はいない。そんな風情など必要ないとでも言わんばかりに、三人の男たちはくだらない話で盛り上がっていた。
月の位置が大きく動くほどの時間が経つまで、くだらなくて笑いの絶えない談笑は続いた。
残り約一年半の高校生活のうちに何度もこんなくだらなくて笑いの絶えない談笑をする、虹川 飛雄馬とそんな約束が交わされた日だった。
この約束が破られる未来が訪れることを、このときはまだ誰も知らない。
卒業式のその日、この三人が揃うことがないことを、このときはまだ、誰も、知らない。




