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赤と青のハルハル  作者: 高野 ぱら
第二章 七不思議ゴースト
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第二章幕間 夏空

 目覚めたのは昼前だった。辛うじて正午を過ぎなかったのは俺にとって偉業である。カーテンを貫通するほどの太陽を煩わしく感じながら、俺はゆっくりと上体を起こした。

 体を起こすだけで全身に痛みが走る。あの事件から四日が経ったのに憤怒の寵愛を酷使した結果の筋肉痛は消えてくれない。これまでの経験からしてもう一週間は続くであろう。


 カーテンを開ける。強すぎる光がもはやレーザービームのようになって俺の瞳を焼き尽くした。カーテンを閉める。夏の昼間に活動なんてするものではない。

 しかしそうも言ってられない。今日の俺には予定があった。夏休みは一日中家でゴロゴロするのが醍醐味だというのに、休みに突入してからの三日間は外出していた。


 一日目は寵愛現象管理協会が管理するセンターと呼ばれる施設だ。前夜の事件関連で夏休み初日からそこに連行されていた。

 二日目はせっかくの夏休みに東浜高校へと赴き、お化けと長話をしてきた。

 三日目は破壊された現代の文明であるスマホを購入しにショップへと駆け込んでいた。費用は我らの協会様が出してくれるということなので、遠慮なくハイエンドモデルを購入させてもらった。


 そして本日四日目、家でぐうたらしていたい気持ちも強いが、とても強いが、それよりもやっておきたいことがあった。俺は身支度を開始する。

 用事というのは再び協会のセンターに訪問することだ。というのも加藤が今日の夕方にはセンターから退院するらしい。別にあそこは病院ではないため退院という表現が正しいのかはわからないが、何はともあれ自宅に帰って元の生活に戻れるということだ。


 頭の傷も塞がり、七不思議の寵愛が本当に消え去ったのかを判断するための検査も今日の午後には終わる。そして加藤が自宅へと帰ってしまった場合、俺は加藤との連絡手段を断たれる。

 スマホが木っ端微塵に壊れてしまい連絡帳も真っ白になったわけだが、俺はそもそも加藤の連絡先を知らないのだ。俺の連絡先については過去に伝えた気がするが、あちらから連絡が来ないことには彼女とは連絡が取れない。


 加藤以外の面々については、忌々しいことに夏休み五日目である明日もお助けクラブの活動で家の外に出るため、そこで連絡先を交換できる。しかし学校で会うであろう速川や安武、生徒会の連中が加藤の連絡先を持っているとは思えないため、今のうちに直接加藤から聞き出すしかないのだ。


 加藤が自宅に帰ってしまえば、どこに住んでいるのかも知らない俺にできることはもうない。個人情報の取り扱いが厳しいこのご時世に、学校のデータへと侵入して加藤の住まう場所を特定するなんて犯罪に手を染めるわけにもいかない。


 そうして身支度を終えた俺はセンターへと向かった。家の玄関を開けた瞬間、サウナの中かと錯覚するほどに蒸されて暑い世界がお出迎えしてくれる。世界を呪いながら俺は駅へと向かう。


 柏木家から駅までの距離はそう開いてはいないが、センターから最寄り駅の距離が開いているため合計で三十分以上の徒歩を強いられることになる。この炎天下の中で筋肉痛の体を動かすと考えたら憂鬱となり、既に帰宅したい気持ちが溢れ出す。

 だが、俺は足を前へと進める。友達なんていらない、そう豪語した柏木 司はもういないのだ。今も誰とでも友達になろうなんて気は微塵もないが、加藤 愛海という女の子とは友達になると決めた。そのためにまずは連絡先くらい知っていなくては話にならない。


 そうして一時間弱の長旅を終え、俺はセンターへと辿り着いた。道のりのラスト五分がずっと上り坂だったため、着ていたTシャツは汗でびっしょりだ。


「明日速川さんたちと連絡先交換するなら、速川さんからななちの連絡先を教えてもらって、ななちから私の連絡先を聞けばよかったのに」


 お前と連絡先を交換するために炎天下の中、遥々ここに来てやったと恩着せがましく説明した俺に対して、加藤は淡々とした口調でそう言った。


「…」


 俺は返す言葉が見つからない。否、言葉を返す気にもなれなかった。


「あ、わざわざ来てくれたのにごめん。えっと、来てくれて嬉しいよ…ありがとう」


 終いには気を遣われてしまう始末だ。部屋の中は冷房がよく効いていて、Tシャツの汗で濡れた箇所が急速に冷えていく。額の汗も次第に消失していき、まるで俺のここまでの労力をなかったことにするかのようだった。


「ま、まあ、加藤の連絡先を聞くのはついでだ。俺には他の目的があったんだ」


 取り繕うように俺はそう口にした。つい数分前に連絡先を交換するために来てやったと恩着せがましく説明したのを思い出し、窓に薄く映る俺の姿が痛々しく見えた。


 しかし、連絡先交換以外の用があるというのも嘘ではない。加藤の傷が大丈夫そうかも見ておきたかったし、寵愛現象絡みの検査で非人道的なことをされていないかも確認しておきたかった。それに彼女と友達になりに来たのだ。


「傷のほうは大丈夫か?」


「うん、もう大丈夫。傷口も大きくないからそんなに目立たないし、額に縫い目があるのって漫画のキャラみたいでなんだかカッコいい」


 俺の心配に対してそんな回答が返ってくる。何というか、楽観的になったものだ。


「司君は平気?傷は治ってたけど、痛いところとかない?」


 加藤が心配そうに、というよりは申し訳ないという感情の割合が多そうな表情で尋ねてきた。


「ああ、なんともないよ。あのドレスの化け物が俺に攻撃したこと、あまり気にするなよ。お前の意思だったかもしれないが、寵愛現象なんてものがなければそもそも起きなかった事件だ」


 筋肉痛のことは彼女に伝えない。余計な負い目を与えたくなかった。それに女の子相手に筋肉痛が辛いなんて弱音を吐いて堪るか。

 そして俺はあの日の出来事について話す。加藤がドレスの怪異を使って俺を数十回殺したことは事実だ。しかし悪いのは寵愛現象である。伊吹のときもそうだが普通に生きてた高校生が急に得ていい力ではない。


「ううん、司君にとても痛い思いをさせたことは気にするよ。それが私の罪で、償っていかなくちゃいけないものだから」


「加藤…」


 彼女はそう答える。俺は何と言っていいかわからず言葉に詰まった。


「償う…なんて言葉もズルい気がするね」


 加藤が呟いた。彼女の視線が僅かに下を向く。


「だって償うって言葉は、なんだか償い終われば許されるみたいに聞こえるもの」


 呟きながら、彼女は顔を上げ、俺を見据えた。彼女自身が何度も殺し、傷付けた赤髪の少年と正面から向き合う。


「司君、あの夜のこと、本当にごめんなさい」


 彼女は深々と頭を下げる。艶のある黒髪が揺れる。そして再び顔を上げ、俺と目を合わせる。その目元に今はメガネがかかっていない。あの夜に壊れてしまったから。


「私は自分の罪を忘れない。許したりしない。司君が気にしなくていいって言っても、心に深く刻み続ける。この罪は一生背負っていく」


 力強くその声は放たれた。やや小さめの目には覚悟が宿っている。


「そのうえで償いもさせてほしい。一生背負い続ける罪の、償いをさせてほしい。だから、もし私に何かしてほしいことがあったら何でも言って。無くても私が考えて、償いに足り得ることはしていくから」


 その瞳の奥にあるのは熱だ。自分を許せないという熱、刻まれた後悔、そして罪を背負い償いながら生きていくという熱。消失を望んでいた彼女の、生きていくという熱。


「加藤の気持ちはわかった。もちろん俺としては気にしないでほしいんだが、自分自身が許せない気持ちってのもわかる」


 俺にも同じように罪があった。中学一年生のとき、あの子を救えず、あまつさえ追い込んだ。一生背負う罪であり、償いたくても俺にできることなど何もないという罪。

 俺も罪を背負っている以上、それを背負わなくていいなんて言う資格はないのかもしれない。それでも、彼女の生きる理由を贖罪のためにはしたくなかった。だから、せめて―――。


「何かしてほしいことがあったら何でも言って、だったな」


 俺は先程の彼女の言葉を復唱する。目の前の彼女は動じない。何を言われても遂行する、そんな覚悟を纏っていた。


「だったら、してほしいことがある。でもこれは加藤の罪の償いとは関係ない。それでもいいか?」


 俺は確認する。大事なことだった。これを償いの範囲に含めることは絶対に嫌だから。


「…わかった」


 一瞬考えた後、加藤は力強く答えた。俺は右手を加藤のほうへと差し出す。


「俺と友達になってくれ」


 一年前の俺なら絶対に言うことのないセリフが、この数日の間に二回も告げられた。中学時代の柏木 司の幻影が視界の端に現れる。激昂した様子で俺に非難の声を浴びせる。それを受け止めたうえで、俺は加藤に差し出した右手を下ろさなかった。そんな自分に失望と安堵の相反する感情を抱く。


 目の前の加藤を見る。今見るべきは視界の端で憤怒する過去の自分ではなく、手を差し出した相手である彼女のほうだ。

 驚き、動揺、迷い、喜び、罪悪感、そういった感情が彼女の中から同時に湧き出たのがわかった。ほんの僅かに彼女の表情が崩れる。


「私、酷いことしたよ」


「知ってる」


 先程の力強い声とは打って変わって、泣き声が混じるような音で彼女は言葉を紡いだ。


「私、大人しそうに見えて実は喋りすぎるコミュ障だし、性格も悪いよ」


「それも知ってる」


 俺は努めて優しい声音で返事をした。


「司君は、、本当に、、すごいね。私なんかが、、友達なんて釣り合わないや」


 堪えていたのであろう彼女の表情が決壊する。


「友達に、なってくれないか?」


 俺はもう一度そう告げた。彼女の瞳がやわらかく滲む。


「うん…。私のほうからもお願いするよ。友達になりましょう」


 彼女に細い右腕が動き、小さな右手がこちらへと差し出された。お互いに差し出した手を同じ速度で近づけて、俺の右手は小さな彼女の手を包み込む。


「あんなことをしたのに、、、こんなに、、こんなに嬉しい思いをしてもいいのかな…」


 加藤は空いていた左手で零れる涙を拭った。震える彼女の声音を聞いたとき、ようやく視界の端にいた赤髪の亡霊が姿を消す。


「いいんだよ。嬉しいことなんていくらあってもいいんだ。嫌でも苦しいことや悲しいことはやってくるんだ。それに負けないくらい嬉しいことで満たしていこう」


 冷房により冷え切っていた室内を窓から差し込む灼熱の光が程よく暖める。


「それに加藤、お前はなぜ生まれてきたんだ?」


 俺は問う。彼女が己に繰り返し問い続けたフレーズが音となって空気を伝う。


「…私は、、私は、世界一幸せに生きるために生まれてきた。…だから、今みたいに嬉しいことで、時間という箱をいっぱいにしていくの」


 頬を伝う雫を拭うのをやめ、ボロボロと涙を流しながら、おまけに鼻水まで垂らしながら、口を笑顔の形にして彼女は答えた。


 赤い太陽と青い空に包まれる世界で、小さな部屋の中で、握手を交わした二人の高校生は友人となった。


 夏空がとても綺麗な日だった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 懐かしい、というほどでもない。ここに訪れるのは二か月ぶりだ。一年と四か月前にこの東浜高校を卒業した私だが、五月に龍の寵愛が発現したことにより調査で赴いたのだ。

 それ以外でも文化祭や可愛い後輩の卒業式など、母校に顔を出す機会はあった。つまるところこの東浜高校に訪れても懐かしさを感じることはないに等しい。


 猛暑の中でグラウンドを駆け回る運動部の子らがチラチラとこちらを見ている。それは私が絶世の美女であることも理由の一つだろうが、その他の要因として派手な髪色が目立つというものがある。

 自前の紫色の髪を撫でながら私は校内を進んでいく。夏休みと言えど教師は働いていて、一年四か月前に卒業した私を知っている教師もまだまだ多い。教師どころか事務の方々にもよく知られているため、ほぼ顔パス同然で校内に入ることができた。


 校内には文化部の生徒たちがいて、すれ違う私に目を奪われている。これが自意識過剰ではないことは私の二十年近い人生が証明している。美貌だけに収まらない魅力を私は秘めているようで、多くの者たちが私に対して様々な感情を向ける。好意、妄信、嫉妬、羨望、劣等感、そんな感情を二十年近く向けられ続ければ己がどれほどの存在なのか嫌でも理解するだろう。

 もっとも、多くの感情を向けられたところで私自身はそれにあまり興味はない。興味を抱くとすれば私にはない面白さを有している相手にだけだ。


 そういう意味では、私がこの東浜高校に訪れたのは興味を抱いている相手に用があったからだ。用がある相手というのはもちろん愚弟ではないし、速川ちゃんでもない。もう龍の寵愛を失った伊吹ちゃんにも大した興味は残っていないし、強さ以外は面白味のない安武でもない。


 用があるのはこの学校の七不思議において唯一実在する虹川 飛雄馬、でもない。

 飛雄馬の話については愚弟から報告を受けた。概ねそんなことだろうと予想していた内容であったが、それが確信に変わったのは収穫だ。愚弟も極稀に役立つものである。


 それにもし仮に飛雄馬に用があったとしても、彼の友人であった私には再会の権利がないらしい。まあ、死んだ旧友と再会できるなんてのはあまりに都合がいい話だ。飛雄馬を亡霊に変えた宇龍 愛も死後の彼とは会えていないらしいし、いい気味である。


 宇龍 愛。そう、宇龍 愛だ。その人物に用があって私はこの学校に訪れたのである。

 彼女の正体は愚弟に説明した通り寵愛者そのものであり、つまるところ人間ではない。化け物だ。ただ有象無象の化け物とも性質がかなり異なるため、神と呼称するほうが表現としては正しいのかもしれない。


 私は教室に辿り着く。室名札には『二年六組』の記載があった。私が三年前に使っていた教室であり、虹川 飛雄馬と宇龍 愛が在籍していたクラスでもある。

 教室内には誰もいない。今からの私の行動を誰かが見ればいらぬ誤解を生むだろうから、誰もいなくてよかった。


 私は教卓に腰を下ろす。教師に見られれば叱られる行為ではあるが、高校生だった頃の私もよく教卓に腰掛けていた。敢えてそれを再現してみせる。

 実を言ってしまえば、別に二年六組の教室に来る必要はなかった。もっと言えば、おそらくこの東浜高校に訪れる必要すらもないのだと予想している。なぜなら私が用がある宇龍 愛は、寵愛者は、きっと今もどこからか私を見ているのだから。


 寵愛者とは日本の怪異である。怪異としての異質さを格の違いから神の地位に等しいと言っても過言ではない。寵愛者の能力は悩み苦しむ者へと特別な力を与えることだ。ドラゴンに成れる力だったり、七不思議を具現化する力だったり。

 そんな寵愛者がどうやって悩み苦しむ人間を見つけているのかと言えば、神力を通して日本に存在する人間たちを見ているからだ。


 そもそも神力というのが何なのかを説明すれば、この世界のどこにでもある特別な粒子のことを指す。大気中や生命の体内にその粒子は存在しており、基本的には何の効果も害もない。海外ではマナやチャクラ、エーテル、気、オドなどと呼ばれることもある。

 まあ、呼び方はどうでもいい。その神力を吸血鬼や狼男などの化け物と呼ばれる生命体は特殊な能力に変換することができる。再生、肉体強化、未来予知、魔法、そういったものである。


 寵愛者の恐ろしいところはその特殊能力が何でもありなところである。女子高生を空想上のドラゴンにしたり、妄想によって作られた存在しない七不思議の怪異を具現化したり、まさにイカれた能力だ。


 上級吸血鬼のような強力な化け物でも、能力に法則性があれば幾らでも対処できる。しかし、相手が寵愛現象になると常にイレギュラーへの対応となる。必ず後手に回る羽目になる。


 だからこそ私が所属する組織は、化け物殺し集団や怪異対策機関などの名称ではなく、寵愛現象管理協会と名乗るのだ。化け物や怪異の事件対応も行うが、最も比重を置くのは寵愛現象である、そういう意図を組織名に強く反映しているのである。


 そしてこの寵愛現象の特徴の一つが、日本でしか発生しないということである。これは寵愛者が日本の怪異であり、日本特有の神力にしか干渉できないからだろう。さっき言った通り、寵愛者は日本の大気に含まれる神力を介して悩み苦しむ誰かを探している。だから今も私をどこからか見ているはずだ。


「この学校に来るのは久しぶりでもないんだが、この教室に入ったのは随分と久しぶりな気がするよ」


 私は独り語り始める。きっと大気に含まれる神力を通じて聞いているであろう寵愛者に向けて。


「愛、君に向けて話してるんだよ。どうせ性悪の君は聞いているんだろう?私がこの学校に訪れたら何をしているのか気になるだろうからね」


 寵愛者であり、私の旧友である宇龍 愛へと語りかける。当然、返事が返ってくることはない。


「君について推論を立ててみたんだ。聞いてくれるかい?ま、聞きたくなくても話すんだけど」


 私がここに訪れたことで、もしかしたら愛だけでなく飛雄馬も傍に来て聞いているのかもしれない。だとすれば乙女同士の話を盗み聞きするなんてとんだ変態野郎である。


「私が高校一年生の頃、それと高校二年生の頃にこの学校では何件か寵愛現象が起こったね。私が寵愛現象の存在を知ったのもそのときだ」


 懐かしい青い春を思い出す。当時の私は寵愛現象への対処を喜々として行っていたものだ。新鮮で面白かったのだ。寵愛現象管理協会の幹部となり、仕事になってしまった今は別に面白くも楽しくもない。


「この東浜高校だけでなく、周辺の地域でも何件か寵愛現象が発生している。私の愚弟が中学一年生の頃に憤怒の寵愛を授かったりね」


 私は言葉を続ける。誰からの返事もない空間で語り続ける。


「愛、君だろ?当時この地域に寵愛の力をばら撒いていたのは」


 協会員となった私は過去に発生した寵愛現象のデータを見た。


「それで気になって過去の事例を調べてみたんだ。寵愛現象管理協会は古くから存在する組織だからね。過去にいつどこでどんな寵愛現象が発生したのか詳細な記録が残っている」


 データを見た私は驚いた。明らかにここ数年で異常なことが起きていたからだ。


「一年あたり約三件。私が高校生になる以前、発生を確認できた寵愛現象の数だよ。しかも発生場所は日本各地バラバラ」


 窓の外の木々が風に揺られている。廊下の窓から微かにその風たちが舞い込んでくる。


「そして私が高校生になってから、つまりは君が、宇龍 愛が女子高生として現れてからの発生数なんだが」


 なおも静まり返った教室の中で私の声だけが響く。


「二年間で二十一件。そのうち十六件はこの辺の地域で発生している」


 教室の窓は締め切られているため、廊下の窓が開いていると言っても室温は高い。


「つまり君が黒幕だ、なんてことを言いに来たんじゃないよ。そんなことは二年前からわかっていたからね。問題はその後だ」


 室温が高くても私は汗を流さない。暑さを感じない。


「私が高校三年生の頃の寵愛現象発生数だが、僅か三件だった。それもこの地域ではなく、日本各地で三件だ。つまりはその一年間、君は姿を消していた。もっと言うと君が姿を消していた一年間も、私が高校生になる以前と同じくらいの数の寵愛現象は日本各地で発生している」


 暑さを感じないのは魔道具のおかげだ。二千年前を生きた知力の魔女の骨董品から便利な物を見つけたのだ。


「このことから導き出される結論は、君は寵愛者であるが、寵愛者という存在は君だけでは完結しないということ」


 魔道具の復元には苦労したが、こうして暑い夏を快適に過ごせるようになった。


「そもそも言い伝えでは、寵愛者は実体無き存在であると言われてたんだ。実体はなく、日本全土に漂っているような存在。精霊とかに近い存在だって。なら君はいったい何者なのか。これは私の推測の域を出ないが、日本全土に薄く引き伸ばされた実体無き寵愛者が何らかのきっかけで異常なまでに密集したんじゃないかな。密集して形を成した。その結果、意思を持ってしまった。そしてその個体は、宇龍 愛と名乗った」


 体内の温度を自動で調節する魔道具を扱えるのは私だけだ。私は少しばかり特別なのだ。


「安直だよね。ウ冠に龍に愛で寵愛。そのネーミングセンスの無さはまさに君らしくて笑えるよ。…でも、笑えない事態がここ最近起きている」


 魔道具のおかげで快適な私も、旧友の悪行に対しては語気を強めてしまった。暑さを感じない程度の恩恵では旧友への怒りを鎮められない。


「私が大学生になってからしばらくして、またこの地域で寵愛現象が発生するようになった。協会が把握している数は昨年が九件で、そのうち七件がこの地域。そして今年については現時点で八件の寵愛現象が確認されている。そのうちこの地域で発生したものが七件だ」


 彼女はまた現れたのだ。ここら一帯の地域に。


「さらにその七件のうち、この東浜高校内で発生した寵愛現象が五件。直近だと不干渉の寵愛、龍の寵愛、七不思議の寵愛。どれも危険なもので、特に龍の寵愛には肝を冷やしたよ」


 この話を聞いているであろう愛は一体どんな表情を浮かべているのだろうか。私の前に姿を現してくれれば、そのムカつく顔面を殴ってやるところなのだが。


「私はまたお前がこの東浜高校に身を置いているんじゃないかと思えてならないんだ。そして東浜高校の悩み苦しむ生徒たちに寵愛の力を配り回っている。由々しき事態だよ」


 私は腰を下ろしていた教卓から立ち上がり、誰もいない教室に向かって宣言する。かつて共に青春を謳歌した宇龍 愛が目の前にいるつもりで声を上げる。


「どこかに潜んでいるお前を必ず見つけ出し、余裕ぶったその面をぶん殴ってやる。悩み苦しむ高校生に身に余る力を与えて楽しもうだなんて、子供じみた遊びは終わりだ」


 返事はない。先程までと変わらず、青春の記憶が詰まったこの部屋には私一人だけがポツンと立っている。


「愛、お前は私と一緒に大人になるんだよ」


 親友を亡くし、親友を失くした柏木 翼は、どこか寂しそうな色を混ぜて、力強くそう呟いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 夏休み五日目、俺はお助けクラブの活動で東浜高校に来ていた。

 仕事内容は生徒会の手伝いだ。書類整理や備品の運搬など様々な雑用をさせられた。これは生徒会の仕事なのかと疑問に思うものがいくつもあったが、奈良先輩が大体は鳳凰のせいと言っており、何となく察しが付いてしまった。


 朝の八時に全員集合し、三時間の作業を終え、ようやく一息つくことができた。俺と速川と安武の三人は、まだ部活動として認められていないお助けクラブが部室と言い張っている空き教室で休息を取る。


「司君!お疲れ様!ジュース買ってきたよ!飲んで!あ、安武君の分もあるよ!どうぞ召し上がれ!」


 三時間の重労働の後とは思えない元気さで、速川が俺と安武にジュースを手渡す。


「お、サンキュな。いくらだった?」


「ノンノン、私と司君の仲だからね!これは奢りだよ!ふふ、ふふふふーん」


 異常なまでのご機嫌さを披露する速川に対して俺も安武も若干引いている。安武は俺の下へとやってきて、速川には聞こえない声で耳打ちする。


「司、お前速川に何したんだよ?今日ずっとあの様子だぞ」


「いや、知らねえよ。俺も気味が悪くて怖いんだ。今日も遅刻したのに全然怒られなかったし」


 男性陣二人が怯えているのに気付かない速川は自分用に買ったのであろう緑茶を美味しそうにゴクゴクと飲む。


「何か速川に言ったのか?」


「いや、別に何も。…強いて言えば三日前に友達になろうって言っただけだよ」


 コソコソと話していたが、それを聞いた安武は急に声を大きくする。


「絶対それじゃねえか!?というか司が俺と七瀬以外を友達として認めるとは…悪い物でも食ったのか?」


「うるせえな。そう言いたくなる気持ちもわかるが、俺にも心境の変化があったんだ。あんまり深掘るな。恥ずかしいから」


 俺の返答を聞いて安武もニマニマと笑い出す。ああ、鬱陶しい…。


「ふふふーん。そうなんだよ。なんと司君と私は友達になったんだよ」


 鼻高々といった様子で安武に対して速川が発言する。


「よかったな、速川!お祝いにパフェでも食べて帰るか!もちろん俺の奢りだ!」


「ええ!?いいの!?行きたい!行こう!司君も行くよね!私たち友達だもんね!」


 どうやら俺が拒絶し続けた反動で速川はおかしくなってしまったらしい。俺と友人関係になれたことをここまで喜んでくれるのは嬉しいが、その上機嫌さには若干引いてしまう。安武まで上機嫌に話し始めたし、居心地が悪い。


 そんな居心地の悪い部室から救ってくれる存在が現れた。部室の扉がバンと開かれたのだ。


「まだいるか?お助けクラブ」


 そう言って扉を開けたのは奈良先輩である。奈良 千秋、生徒会役員の一人だ。相変わらずの目つきの悪さだが、肝試し大会の準備を通じて信頼を育んだからか、初めて会ったときよりも態度に刺々しさはない。


「どうしたんですか?」


 速川が質問する。その表情はまだ緩んでいる。部長なのだからもう少ししっかりしてほしい。


「実はお助けクラブに依頼したいことがあるんだ」


「依頼?生徒会の手伝いか?」


 俺は奈良先輩に用件を聞いた。せっかく一仕事終えたところなのに、また生徒会の手伝いかと思うと気分が落ちる。


「いや、生徒会は関係ない。俺個人としての依頼だ」


 その予想していなかった回答に俺たち三人はキョトンとした顔になる。


「八月の中旬、俺の地元に来てくれないか?」


「奈良先輩の地元って…」


 安武がそう口にして何か思い出すような素振りをする。俺は奈良先輩の地元などそもそも知らないので、その答えを待つ。


「檻ヶ島っていう小さな島だ。ちょっとしたリゾートになってるんだが、知り合いの店の人手が足りなくてな」


 檻ヶ島、聞いたことのある気がする島の名前だ。この時期になるとCMとかでリゾートの映像が流れていたような、いなかったような。


「旅費もバイト代も払うから、そこの仕事を手伝ってくれないか?」


 奈良先輩からの依頼はそういうものだった。俺はこの後の展開を思い浮かべる。それは俺の望まぬ展開になることが予想された。

 俺は夏休みにバイトなんてしたくない。基本的には家でダラダラして、三日に一度くらいの頻度で友人たちと遊べればそれでいい。


 しかし、リゾート、離島、バイト、それも最近友達になった相手と、そんな条件に目を輝かせる存在がいた。まあ、うん、速川だ。


「やります!絶対行きます!お助けクラブ三人とも参加します!」


 俺たちの予定も確認しないで、手を挙げて飛び跳ねながら速川は依頼を受けた。


「司は夏休み特に予定ないって言ってたよな。俺も空いてるぞ」


 そう言ったのは安武だ。俺が依頼を拒絶しようとするのを見越して先手を打ってきやがった。ニヤリと笑う彼の顔が憎らしい。彼の発言に速川が満面の笑顔を見せて飛び跳ねた。さっきから喜びをピョンピョンと体で表現しているのは可愛らしいが、もう少し落ち着きを持ってほしい。


「お、おう。そんな即答してくれるとは思わなかったが、日程とか内容はまた後で説明するよ」


 奈良先輩がこの場の誰よりも戸惑ったリアクションをしていた。


「えっと、三人には俺と一緒に島に来てもらうんだが、もう一人同行する奴がいるんだ。そいつを紹介させてくれ」


 気を取り直した奈良先輩がそんな発言をする。まさか鳳凰先輩じゃないだろうなと身構えるが、廊下から部室に入ってきた生徒は初めて見る顔だった。


 身長百七十六センチの俺と同じくらいはありそうな背丈に、スラっと長い脚。そのモデル体型に搭載された顔も非常に整っており、速川といい勝負をするかもしれない。まるで海外女優のような目鼻立ちは人の目を引くが、それよりも目を引くのは特徴的な髪と瞳である。

 その髪色は水色だ。青系のパステルカラーはアイスブルーと表現するのがしっくりくるかもしれない。そんな奇抜な髪色を後ろで三つ編みにし、背中辺りまで伸ばしている。程よく梳かれた前髪は眉下くらいの長さで、その下にはこれまた特徴的な黄色の瞳が付いている。カラーコンタクトレンズでもしているのだろうか。


「こいつの名前はオニノ レン。鬼が野原で恋するで鬼野 恋だ」


 奈良先輩に名前を紹介された彼女は腕を組み、まるで俺たちを見下すようにこちらを見ている。いや、睨んでいるようにも見える。


「この学校の一年生なんだが…如何せんコミュニケーション能力が低くて友達の一人もいない。仲良くしてやってくれると」


 奈良先輩がそう言いかけたときだ。扉の前に仁王立ちしていた彼女は奈良先輩の脛を思いっきり蹴った。急に訪れた激痛に対して奈良先輩は床を転げながら悲痛の声を漏らしている。


「え、えっと、大丈夫か?」


 俺が不憫な奈良先輩にそう声を掛けたときだ。女子生徒が再び仁王立ちの姿勢を取って大声を張り上げた。


「アンタたち!舐めてんじゃないわよ!旅行気分でうちの島に来ようものならぶん殴ってやるんだから!千秋はアンタたちのことを認めてるみたいだけど、私はこれっぽっちも認めてない!こき使ってやるから覚悟しときなさいよ!」


 鬼野 恋という一年生の女子生徒は、初対面の先輩三人に対して敵意全開でそう言い放った。


 これが、鬼のような女と過ごす夏休みのプロローグだった。

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