第二章21 正体
目を覚ます。いつの間にか朝は通り過ぎ、夏休み二日目にして起床時刻が昼過ぎになっていた。それもこれも七月に入ってからの激務と、肝試し大会後の七不思議事件のせいである。
たっぷり十五時間ほど眠ったにも拘らず肉体の疲労は取れていない。憤怒の寵愛を酷使したせいで数週間は筋肉痛に苦しむことも確定している。
目覚めた俺は洗面台で顔を洗い、朝食…ではなく昼食を取ろうとリビングに向かった。
「げっ」
「げっ」
リビング内に男女の声がそれぞれ響く。声を上げたのは俺と妹の柏木 姫だ。姫が露骨に嫌そうなリアクションをしたのは俺と遭遇したからだろう。同じ屋根の下で生活していても俺が姫と遭遇するのは週に二回程度だ。お互いに極力合わないようにしている。
しかし、俺と同じで中学三年生の姫も夏休みに突入したらしく、家に滞在する時間が多くなったせいで遭遇率も上がってしまった。姫は俺との遭遇を心底嫌そうにしているが、俺は別にそこまで嫌ではない。そもそも俺は姫のことは嫌いではない。姫が俺を嫌い反抗してくるから言い返すだけで、他二人の姉妹と比べれば年相応の女の子である彼女は幾分マシなのだ。
であれば何故俺が「げっ」と声を上げたのかと言うと、姫が俺に遭遇したくないのと同じようにように、俺にも遭遇したくない人物がいるからである。
「二人して同じリアクションなんて仲が良いね。姉の私としては嫉妬してしまうよ。やはり一緒にいる時間が長いほど絆が深まるのかな。私も実家暮らしに戻ろうかと悩んでしまうよ」
俺と姫の仲が悪いのを知っていてベラベラと話し始めるのは俺の姉、柏木 翼である。普段は女子大生という肩書きで一人暮らしをしており、その実態は寵愛現象管理協会の幹部を務めている。大学にも通っているとのことだが、活動のメインが協会の仕事で、単位を落とさないようにだけしているらしい。
「実家には戻ってくるな。俺の平穏を脅かすな」
俺は姉に対して開口一番で辛辣な返事をする。いつもは言葉の暴力を振るわれる側だが、たまにはビシッと言ってやらないといけない。
「そんなに寂しいことを言うなよ。また四人でトランプでもして家族の仲を深めようじゃないか」
「嫌だよ。いっつも翼姉か聖菜が勝って、私とそいつは一度たりとも勝ったことないんだから」
姉の発言に異議を唱えたのは姫だ。俺が小学校を卒業する前までは、姉妹たちとよくトランプをしていた。四人それぞれがお菓子を持ち寄り、勝者が独り占めできる勝負だ。勝負は常に長女の翼か次女の聖菜が勝利しており、俺と三女の姫は完膚なきまでに叩きのめされていた。
「おいおい、まるで俺と姫が同格だったみたいに言うんじゃねえ。姉貴と聖菜が一位と二位は独占してたが、三位だったのはいつも俺だ。姫が常に四位だったろうが」
姉二人と違って姫はあまり賢くない。天才的な頭脳を持つ長女と次女には勝てずとも、そこそこ頭の出来が良い俺もまた姫相手には圧勝していた。
「はぁ!?マジムカつく!大体二つも歳が下なんだから勝てないのが普通じゃん!何偉そうに勝ち誇ってんの?恥ずかし」
俺に煽られた姫は怒りを露わにしながらヒステリックに叫ぶ。その態度に俺もイラっとしたとき、姉貴が口を挟んだ。
「まあ、その愚弟も歳が二つも離れた妹の聖菜に負けてるんだけどね」
さすが性格が悪いで定評のある姉だ。俺と姫のプライドを同時に傷付けた。聖菜は姫の双子の姉で、姉貴同様に何をやっても完璧超人だ。姉に負けるのはまだ仕方ないと割り切れるが、妹に負けるのは心へのダメージが大きい。しかも煽り散らかしてくる姉と違って、「兄様の戦法も立派でした」なんて言ってくるのだから、俺の自尊心はボロボロにされたものだ。
「私、部屋戻る」
不貞腐れた姫がそう言って立ち上がる。
「おい、姉貴のせいで姫が不貞腐れたじゃねえか」
「何を言う?どう考えてもお前が余計なことを言ったからだろう?」
俺も姉貴も一切悪びれずにいると、
「二人ともだから!ああ、もう!翼姉は意地悪ばっかり言うしクソ兄貴は息臭いし本当ムカつく!!」
そう言って姫はドスドスと怒りの足音を立てながら自室に戻っていった。
「反抗期だねぇ。可愛いことだ」
「アレ見て可愛いという感想はどうかしてるだろ。ったく、俺の息が臭いだなんて根も葉もないこと言いやがる」
「まあ、兄として広い心で受け止めてやりなよ。それより早く歯を磨いたらどうだい?」
「おい、暗に俺の息臭いって言ってないか?別に臭くないだろ。…臭くないよな?」
臭いとか一番言われたくない言葉なので心配になる。毎日歯磨きは五分以上かけてしっかり行い、舌まで磨いているので俺の息が臭いはずはない。臭くないよな…念のため今度安武に嗅いでもらって確認しておこう。
「それよりなんで帰ってきたんだ」
「姉がただ帰省しただけだというのに、何だいその目は?何かやましいことでもあるのかな?」
「しらばっくれるな。協会の幹部様が一昨日の事件を知らないわけないだろ」
個人的には知らないでいてくれると助かるのだが、この姉に限ってそれはない。
「まあその件は聞き及んでいる。大変だったみたいじゃないか」
妹の聖菜が昔作ったクマのぬいぐるみを弄りながら、ソファに腰を下ろした姉が答える。吸い込まれるような魅惑を宿した紫色の瞳をこちらに向けることはせず、まるで何気ない雑談でもしているような口調だ。
「その件で帰ってきたんじゃないのか?」
姉の姿を見た瞬間、真っ先にその可能性を疑った。もしかすると今も協会の施設で検査を受けている加藤の処遇に関わるかもしれない。
「そんなに構えなくても今回の件の担当は私じゃない。もう既に授けられた寵愛も失われているようだし、加藤 ラブマリンさんの身に危険が及ぶことはないよ」
姉の発言ではイマイチ安心できないが、判断材料の一つとする。姉は背中辺りまで伸びた紫色の髪を指先で弄りながら、人形のように白い肌をこちらに覗かせた。間違いなく美形ではあるのだが、それとは別の異様な存在感を漂わせている。
「私が家にいるのは本当にただの帰省さ。丁度そのタイミングで愚弟がまた寵愛現象に巻き込まれたに過ぎない」
「…そうか。まあ信じてやらんでもない」
下手に出たくない俺は上からものを言うような態度を示す。
「それに愚弟とは事件のことよりも話したい話題があったんだ」
姉が初めてこちらに視線を向ける。その瞳に吸い込まれそうになる錯覚を覚えながら、俺には姉と話したい話題などないと内心で思う。
「なんだよ…話したい話題って」
「東浜高校の七不思議についてさ」
「諸に事件の話題じゃねえか!」
いつもの姉の軽口だと思い、そうツッコミを入れるが、姉は表情を変えないままこちらを見ていた。
珍しく嘲笑うような表情ではなく、真面目な話をするみたいな無表情で姉は話し始めた。東浜高校の七不思議について話し始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
夏休み二日目。時刻は十七時前。東浜高校には部活動に励む生徒たちの姿が見える。グラウンドを駆け回るサッカー部たちはまさに青春の中を生きているように映った。
本当は今日はスマホを買いに行く予定だった。二日前の夜に木っ端微塵になってしまったスマホとは涙ぐましい別れを告げ、新品のスマホを購入する。そういう手筈だった。
予定変更したのは東浜高校に用ができたからだ。別に緊急ではないのだが、自分の中で早く済ませておかないと落ち着かない、そんな用だった。
俺は校舎内を一ヵ所ずつ回っていく。あまり損害は出なかったとはいえ、寵愛現象管理協会がしっかりと復元できたのかを確かめていく。
体育館、異常なし。グラウンド、異常なし。下駄箱、異常なし。各教室、異常なし。
そして広場に辿り着く。白いドレスの女の怪異が俺を殺しまくったため、あちらこちらに血痕が残っていたはずだ。俺の憤怒の寵愛は不思議なもので、体のパーツが切り離された場合、一定時間を過ぎると血の霧のように霧散して消失する。しかし流れた血液だけは消失せず残るのだ。おかげで血塗れになった白シャツとタンクトップは廃棄することになった。
スマホといい制服といい出費が嵩むのが悲しいと思っていたが、そこはなんと寵愛現象管理協会様がお支払いしてくださるそうだ。普段は不信感をかなり抱いている協会だが、今回については満点を与えたい。
話を戻して広場の状態だが、これも見事に復元されていた。再生し続ける俺が大量に刻んだ血痕は見当たらず、それに加えてドレスの怪異がヒビを入れたコンクリートの地面も元通りだ。
僅か二日、いや昨日も学校に訪れる生徒はいたはずだから事件の直後の数時間で復旧したのだろう。見事なものである。それでいて恐ろしい。あれだけの大事件を起こしたとしても、僅かな時間で証拠を隠滅してなかったことにできる力を協会は有しているのだ。できることなら今後もあまり関わりたくない団体だ。
続いて音楽室に向かう。もういないとはわかっていても、白いドレスの女が出没するのではと内心ビビる。肝試し大会はとっくに終わっているというのに、今後この廊下を通る度に肝試しの気分を味わう羽目になりそうだ。
もちろん白いドレスの女が出てくることはなく、見慣れた廊下の風景が広がるのみだ。割れた窓ガラスも元通りになっていることを確認し、音楽室の前まで辿り着く。
音楽室の扉は鍵がかかっており、扉の上半分が透明のガラスになっているため、そこから部屋の中を覗く。
あの夜、音楽室の中でも派手に暴れ、ドレスの女もポルターガイストのような技を使用して部屋の中の楽器や肖像画まで飛ばしまくっていたので悲惨な状態になっていたはずだ。
しかし、視界に映るのは授業で訪れたときと同じ光景だ。つまりここも復元は完璧らしい。
俺は最後に別棟のほうへと向かう。別棟も肝試し大会に使用した場所だが、そこには七不思議の寵愛による怪異の出現はなかったため、協会側が復元するようなところもなかったはずだ。
別棟は薄暗い。この別棟を使う部活自体が我々お助けクラブのようなマイナーな部活しかなく、そんな部活も夏休みまで活動する意欲はないらしい。人の気配はない。
俺は別棟を一階から順に巡っていく。別棟の光景もいつも通りだ。これがどういうことかと言えば、肝試し大会用に設置した小道具たちが綺麗に片付けられていることを意味する。
もちろんこの片付けには生徒会役員もお助けクラブも参加していない。鳳凰先輩の悪知恵であの日校内にいた七瀬や生徒会役員に向けて校内放送を行った。その放送で片付けは全て鳳凰財閥が行うと言ったことにより、その辻褄合わせで協会の連中がこの別棟まで片付けを行ったのだろう。
お陰様で面倒なお片付けの仕事をせずに済んだのだが、この三週間イベントの準備を頑張ってきたせいか片付けまで自分たちでやり切りたかったと思わなくもない。…いや、やっぱりめんどくさいから協会がやってくれて良かったな。
一階を見終わった俺は二階へと上がる。二階に上がってすぐのところにお助けクラブの部室はある。本日は活動日ではないため当然誰の姿もない。俺は部室で野暮用を済ませ、二階のその他の教室も巡っていく。
同じように三階も巡り終え、四階へと続く階段に足を踏み入れた。陽が傾いてきたのか別棟の薄暗さが増していく。
四階に辿り着き、一番奥の空き教室へと進む。この空き教室は初めて加藤と出会った場所だ。つい三週間と少し前のことなのに懐かしい。
その空き教室の中央には四つの机が並べられており、それを囲むように四つの椅子が置かれている。肝試し大会の小道具を制作するときにこの教室を使っていたので、そのときの作業スペースだ。
俺は置かれた四つの椅子のうち、窓側の椅子に腰を下ろした。窓を背にして、廊下側が見える。窓からは西日が差して、電気を点けていない別棟はオレンジ色の光が強調される。どこかノスタルジックを感じさせる雰囲気が教室内に満ちる。
「わ、つかたんじゃん。こんなところで何してるの?」
廊下からそう声を上げたのはヒューマだ。いつも通り綺麗に染まった金髪をセンター分けでセットし、モデルのように整った顔はこんなただの教室にも華を添える。
「ちょっと用があってな。ヒューマこそどうしてこんな校舎の隅っこに?」
「忘れ物だよ。ほら、肝試し大会の当日までこの教室で小道具作ってたろ?俺こう見えて不器用でさ、小道具作りは戦力外通告を受けたんだ。だからこの教室で泣きながら夏休みの宿題をやってたってわけ。するとびっくり、この教室に夏休みの宿題を忘れちゃった」
彼は照れ笑いを浮かべながら教室に入ってくる。筋肉質の体は今日も逞しく、彼と喧嘩をしたら普通に負ける未来が見える。
「まあ、座れよ。肝試し大会はヒューマがお助けクラブに依頼してきたのがきっかけだ。俺しかいなくて申し訳ないが、総評と行こうぜ」
俺はそう言いながら正面の椅子に座るように促した。
「お、いいねいいね。夏休み二日目の夕方にして宿題を忘れてることに気付いたおかげで、たまたまつかたんと肝試し大会の総評をすることになるとは」
彼はそんな軽口を叩きながら正面の椅子に座った。
「それにしても鳳凰 明日香生徒会長には驚かされるね。まさか肝試し大会が終わった後にドッキリを仕掛けられるとは思わなかった。鳳凰財閥の皆さんもお化け役が上手くてびっくりしたよ」
加藤が発動した七不思議の寵愛による騒動については、言い訳できないレベルの体験をした俺たち以外には鳳凰先輩のドッキリでしたということになっている。
「そうだな。あの生徒会長様は色々とぶっ飛び過ぎている。二学期以降はあまり関わらないようにしたいな」
「ハハハ!辛辣だな!つかたんと生徒会長は結構相性いいと思うけどな~」
「勘弁してくれ」
俺は何気ない会話を重ねていく。
「そういえばラブマリンがどうしているか知ってる?肝試し以降連絡が取れないんだけど」
加藤が寵愛現象管理協会の施設で治療と検査を受けていることなど知らないヒューマは心配そうに尋ねる。
「ああ、それなら心配ない。加藤は元気だよ」
「そっか~。よかったー。ラブマリンにも連絡よこせって伝えといて」
「伝えておくよ」
軽いテンションでそう言う彼だが、内心でかなり安堵していることがわかる。実際に事件当時、加藤が行方不明になったときもヒューマはかなり取り乱していた。心配だったのだろう。
「ちなみに鳳凰先輩が財閥の力を使ったドッキリ、ヒューマはどんな怪異現象を体験したんだ?」
俺は問う。彼の表情をじっと観察した。
「それが俺はラブマリンを探して校内を走り回ってたから、ドッキリには遭遇できなかったんだよー。あ、でも、後から生徒会の皆に"グラウンドを徘徊する汚れまみれのおじさん"と、"誰もいない体育館に響き渡るバスケットボールの音"は再現されてたって聞いたよ」
彼の言う通り、生徒会役員と七瀬、あと先生が体験した七不思議はその二つである。
「ああ、あの時の学校では東浜高校の七不思議が具現化されてたんだ」
俺は補足説明を入れる。目の前の彼は俺の話に耳を傾ける。
「速川と伊吹が"どこまでも続くエンドレス階段"を体験したらしい」
「へー、そりゃ怖い。でも鳳凰財閥は抜け出せない階段なんてどうやって再現したんだろ?」
彼はそう疑問を口にするが、それには答えずに俺は言葉を続けた。
「鳳凰先輩と奈良先輩は"プールに住まう水死体の化け物"を体験したらしい」
「ふーん、名前的にそれが一番怖そうだな。って、仕掛け人の生徒会長も体験する側だったの!?」
俺の補足説明一つ一つに彼は良いリアクションをくれる。
「俺は"音楽室のピアノを奏でる白いドレスの女"を体験した。これが恐ろしいのなんの。もう二度と体験したくないね」
「そんなに怖かったのか…つかたんって意外と怖がり?」
そんな反応をする彼に俺はリアクションを返さず、そのまま七不思議についての話を続ける。
「でも、七不思議が具現化したあの日、確認できなかったものがあるんだ」
雲が夕日を覆ったのか、急に教室内は暗くなる。
「一つは"林間学校に現れる老婆の怪異"。まあ、これは当然だよな。あの日は林間学校じゃなかったんだから」
目の前に座るヒューマの表情が変化する。彼は普段から元気な笑顔でいることがほとんどだから、真顔の表情は珍しい。
「最後の一つは具現化されなかったんだと思ってた。でも違った。具現化する必要がなかったんだ」
雲に覆われた夕日が再び顔を出し、窓から差し込む光として俺たちを照らした。
「東浜高校七不思議六つ目、"事故で亡くなっちゃった虹川さん"は、ヒューマ、お前のことだったんだから」
俺はひと月ほど前に予言の寵愛を有する女子生徒、黒木 まこから伝えられた予言の内容を思い返す。
『この夏、先輩はお化けに会う』
「俺が出会うお化けの正体、それはお前だ」
俺から正体を突き止められたお化け『虹川 飛雄馬』はそれを聞いて微笑んだ。




