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赤と青のハルハル  作者: 高野 ぱら
第二章 七不思議ゴースト
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第二章18 絶望の淵

 校内を駆ける。そのスピードが加速するのに呼応するように夜は更けていく。今は何時だろう。時計を確認する時間も惜しんで、余すことなく校内を駆け巡っていく。


 いない。見つからない。加藤の姿はどこにもなかった。電気が点かなくなってしまった校舎は薄暗い。満月が降り注いでくれているおかげで完全な暗闇になっていないことが救いだ。憤怒の寵愛で視力が強化されていると言っても、夜目としての性能向上は大したことがない。


 加藤はどこにもいなかった。初めて出会った別棟四階の空き教室にも、昼休みに話した別棟の非常階段にも、打ち合わせで使用した生徒会室にも、お助けクラブの部室にも、どこにもいない。音楽室ではないほうの本校舎の四階に辿り着く。全教室、男子トイレ、女子トイレまでくまなく探すが見つからない。窓を開いて四階から飛び降りる。


 固いコンクリートに着地して膝の骨にヒビが入る。筋肉も損傷した気がするが、憤怒の寵愛で再生を開始する。窓から飛び下りたのは時間短縮の目的もあるが、それよりも階段を避けるためだ。外付けの非常階段ならまだしも、校舎内の階段は七不思議の一つであるエンドレス階段と化している可能性が高い。倒しても強化されて復活するお化けも厄介ではあるが、抜け出せない階段に引っ掛かるのが一番マズい。その時点で詰みだ。


 飛び降りた先は本校舎横の広場。加藤がイベントの増員スタッフに作業内容をレクチャーした場所だ。しかし、そこにも加藤の姿はなかった。

 俺が知っている加藤の思い入れがありそうな場所は既に回り切っている。校舎内も八割以上が探索が終了した。であれば外だと思いグラウンドのほうに走る。


「なんだあれ!?」


 そう疑問を口にしながら状況を理解する。七不思議にはグラウンドを徘徊する汚ねえオッサンみたいなのもあったのだ。まさしくそんな見た目のオッサンがアクロバティックな動きをしていた。何事かとよく見れば安武 晴間が戦闘を繰り広げており、高速で動き回り攻撃を仕掛けるオッサンに対してカウンターを決め続けている。


「安武!加藤を見なかったか?」


 俺は彼のほうに駆け寄りながら大きな声を上げた。戦闘中の彼の心配などはしていない。どうせ勝てるだろう。


「司!?…いや、見てない。これは加藤さんが?」


 今の質問だけでおおよその状況を理解した安武が答える。視線は常にオッサンに向けて警戒の体勢を取っているが、声音自体は余裕がありそうだ。


「ああ、十中八九加藤が寵愛現象を起こしてる!俺が探すから安武はそのオッサンを抑えててくれ!」


 彼にそう依頼する。この学校には七瀬や伊吹、委員長がまだ残っている。それに生徒会の面々もだ。彼女らに被害が及ぶのは避けなければならない。


「いや、」


 安武はそう声を発して不衛生なオッサンの腹を蹴り飛ばした。オッサンは人の蹴りで飛ばされたとは思えない勢いで後方に飛んでいく。


「この怪異と戦いながら俺も加藤さんを探す。グラウンド周りは俺が探すから司はその他を探してくれ」


 そう言いながら彼はオッサンを投げたり蹴飛ばしたりしながらグラウンドの周辺に移動していく。その化け物っぷりにドン引きしつつ、俺はまだ探していない地点へと走り出した。


 プール周辺は既に鳳凰先輩が誰もいないことを確認したと言っていた。俺がもう一度確認しに行ってもいいが、あの場所にはまた水死体の化け物が湧いているはずだ。戦闘になれば安武のように戦いながら捜索はできないので、今は後回しにする。


「となると、音楽室周辺か…」


 正直近寄りたくはない。白いドレスの女は奈良先輩を攻撃しようとした瞬間、体がゲームのバグのような震え方をし始めて、最後は捻じれるように消失していった。あれが何だったのかはわからないが、せっかく追われる状況ではなくなったのだ。こちらから近づいて見つかる真似は避けたい。


 それに白いドレスの女だけ明らかに戦闘力が高い。水死体の化け物は俺の蹴り一発で消失したし、安武が相手にしているオッサンも速くはあったがドレスの女に比べれば全然弱そうだった。


 白いドレスの女にバレないように捜索するしかないと判断し、覚悟を決めて走り出す。そして校舎内に足を踏み入れた瞬間だった。


「つかたん!」


 俺を呼ぶ声がした。そんな呼び方をするのはヒューマしかいない。


「っ!びっくりしたぜ。ヒューマ、お前こんなところにいたのか」


 身長百七十六センチメートルの俺よりも目線の高い彼の瞳を見る。その黒い瞳には焦りの色が滲んでいた。


「ラブマリンがどこにもいないんだ!この学校のどこにも!」


 彼が叫ぶ。いつも明るくどこか余裕のある雰囲気を纏っている彼だが、今はそれを感じられない。


「ああ、わかってる。俺も今、加藤を探してるところだ」


「それがずっと前からいないんだ!」


「あ?ずっと前?ずっと前っていつだよ?」


「俺がお化け役の加藤の様子を見に来たときにはもういなかった。肝試しが開始して十五分後くらいの時点でだ!」


 俺は目を見張る。てっきり加藤が姿を眩ませたのは肝試しが終わった後だと思っていた。白いドレスの女が出現したのもそのタイミングだったからだ。


「わかった。引き続き捜索を続けるからヒューマも頼む」


「いや、だからいないんだ!この学校のどこにも!」


「あ?なんでそんなことがわかる?」


「…それは、、、もうずっと探しているからだ。二時間以上、ずっと。校舎内の全ての場所を隅から隅まで。なのに見つからない!」


 彼は悔しそうな表情を浮かべる。二時間以上ヒューマが探して、加えて俺も校舎内を探し回って、それでも見つからない。


「まさか学校の敷地内にもういないのか…?家に帰ったとか?」


 ありえる話だ。ありえる話だが、違和感もある。寵愛現象は対象者を媒介として神力を変換し、特殊な力を発動するものだ。加藤が七不思議の寵愛を発動しているなら、東浜高校で発生した怪異現象は彼女を媒介として具現化されているはずだ。それを学校から離れた状態で発動できるだろうか。


 正直なことを言ってしまえばわからない。寵愛現象とは何でもありの危険なものであり、阿賀 華蓮という女子生徒が伊吹に対して不干渉の寵愛を発動したときは、最低でも林間学校で訪れた森一帯が効果範囲であった。


「いや、ラブマリンは帰っていない、、、まだ校内にいるはずなんだ…。なのに俺が見つけられないんだ!」


 ヒューマが学校の敷地内から出ているという可能性を強く否定する。


「落ち着け。取り乱してらしくないぞ。何を根拠に加藤が校内にいると言ってるんだ?」


「、、、下駄箱にまだ靴があった。それにラブマリンのお化け役の衣装は裸足で、スリッパを脱いでたんだ。さっきそのスリッパも見つけた。流石に裸足で帰らないだろ?」


 それは確かに彼の言う通りだった。しかし、加藤が寵愛現象を起こしている場合、精神的に余裕がなくなっている可能性もある。そんな状態だったら裸足のまま学校の外に出る可能性を消しきれないわけで。


「とりあえず俺は学校周辺を探してみる。ヒューマは引き続き校内を」


「ダメだ!!!」


 大きな声が耳に届いた。いつも声の大きい彼であるが、それは陽気な色を多分に含んであり、今のような焦りの色が濃い大声は初めて聞いた。不思議と彼の声は校舎内に響かず、暗闇に吸い込まれていくような錯覚を感じた。


「すまん、大きい声を出して。だが頼む。ラブマリンは東浜高校のどこかにいるはずなんだ。もしかしたら俺じゃ見つけられないのかもしれない。でもつかたんなら、、、柏木 司ならできるんじゃないかって」


 彼の視線は力強く俺を貫いた。なぜそこまで加藤がまだ校内にいると確信しているのかはわからない。なぜ俺のことをそんなに信用しているのかもわからない。だが、


「わかった。学校の外にいる確信もないしな。校内をもっとよく探してみる」


「ありがとう。頼むぞ」


 力強く彼の思いを託される。俺は再び校内を駆け始める。そしてヒューマとの距離はどんどんと離れていく。


 そんな柏木 司の背中を見ながら、誰にも聞こえない声でヒューマは小さく呟いた。


「君は柏木 翼の弟なんだ。信じてるぞ」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 走る、走る。思考を巡らす。あと探していないのは音楽室がある本校舎北側の四階と体育館だ。体育館でも七不思議の一つ『誰もいない体育館に響き渡るバスケットボールの音』が発生していることは鳳凰先輩から聞いている。

 そこに七瀬と教師が向かったという話を聞き、すぐに体育館へと向かおうとする俺を鳳凰先輩は静止した。


『そこには私と千秋で向かう。お前は校舎内を探せ』


 七瀬の無事を何より先に確認したかったため鳳凰先輩の指示には反対したかったが、そんな自分を必死に抑えて冷静さを保つ。その時点では加藤は校舎内にいる可能性が最も高く、憤怒の寵愛で階段を使わずにして校内を駆け回れる俺が探すのが最適だった。俺は迷いながらも、迷ったままで、体育館に行くのではなく校内を探し始めた。


 しかし、ここまで探して見つからないのであれば体育館に加藤がいるのかもしれない。寵愛現象の影響なのか電話もできなくなっているため、体育館へと向かった鳳凰先輩たちの状況はわからない。


 音楽室か体育館、二択を迫られて、俺はふと思った。


 ヒューマは二時間以上校舎内の全ての場所を隅から隅まで探しても加藤が見つからないと言っていた。その発言を信じるのであれば、音楽室がある棟の四階も、体育館も既に探しているはずだ。七不思議の現象が起こる前に探し終えているはずだ。


 …なのに、見つからない?


 これは寵愛現象だ。七不思議の寵愛だ。七不思議…学校の怪談…怪談…怪異…お化け…幽霊…見えない…。


「見えない…、姿が見えない」


 思考しながらそう呟いた。もしかすると、加藤は今、


「透明人間に、、なっている?幽霊みたいに、、視認できない」


 わからない。いつもの如く確証はない。だが、この仮定のもと探してみるしかない。


 どこだ?仮に透明人間になっていたとして、加藤はどこに隠れている?誰にも視認されないのであれば、彼女はどこにいる?


 月下、本校舎横の広場が照らされている。

 広場の大部分はコンクリートで、所々に芝生のエリアがある。鳳凰先輩と初めて会った場所だ。コンクリートの上に立つ彼女に投げられ、芝生の部分に落下した。


 そしてここは、加藤がイベントの増員スタッフに初めて作業説明をした場所だ。オレンジ色に照らされたこの広場で、一通りの説明を終えた加藤が、キラキラとした瞳で世界を見つめていたのを覚えている。


 この広場には先程も四階の窓から飛び降りて訪れた。先程も今もそこには誰の姿もない。俺はその広場を進んでいく。


『だいじょーぶ!!!!!』


 ヒューマが馬鹿デカい声で加藤の肩を叩きながらそう言ったのを覚えている。加藤が心配で遠巻きに見ていた俺はその急な激励にかなり驚いたものだ。それを見ていた生徒たちのリアクションは薄かったが、あのとき加藤の瞳に覚悟が宿るのを感じた。


 ここらへんだったよな。俺はそう思いながらヒューマが加藤の肩を叩いたのと同じ場所に立って、何もない虚空に向かって肩を叩くような動作をする。


 何もない虚空を空振るはずだった俺の手に確かな感触が生じ、瞬間、そこに人影が現れた。小柄な体系に細い腕と足。肩下まで伸びた黒い髪。お化け役の衣装に身を包み、素足のままコンクリートの上に立つ女の子は振り返る。大きな黒縁メガネに収まる小さめの目がこちらを見つめていた。


「見つけた」


 学校全域を使ったかくれんぼは、俺の勝利で幕を下ろした。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「私を捕らえに来たの?」


 加藤にしては随分と落ち着いた声音だった。彼女の表情から感情は読み取れない。


「捕らえる?何を言ってんだ。俺は加藤と話をしに来たんだ」


 意識的に笑みを浮かべて俺は返事をした。彼女の表情に変化が生じる。目線が僅かに下を向いた。


「ごめんね、司君。たくさん怪我させちゃって」


 静かに紡がれる謝罪の言葉。加藤と話していてこんな雰囲気なのは初めてだ。いつもは無駄にハイテンションかオドオドしているかの二択なのに、今はやけに落ち着いている。


「やっぱり学校内にお化けを放ったのはお前か。とりあえず力を解除してくれないか?」


 外れていてほしかった予想は的中し、七不思議の寵愛を発動するのは加藤 愛海だった。彼女は俺から視線を逸らし、十メートル以上離れている柵のほうに体を向けた。柵の向こう側には平凡な町並みが広がっている。東浜高校は小さな丘の上にそびえ立つため、町を見下ろせるのだ。


「寵愛現象の力を解除した後は、私をどうする?」


 彼女の発する一音一音が空気に波を作って俺の耳に流れ込む。寵愛現象と彼女は言った。その単語を彼女に伝えたことはないはずだが、如何なる方法かで寵愛現象という言葉を知ったらしい。


「どうもしないよ。伊吹のときと違って協会の連中にもまだ目を付けられていない。どうにか揉み消すさ」


 彼女を安心させようと俺はそう答えた。実際にどうなるかはわからない。今回の件が協会にバレるのか、バレなかったとしてなかったことにするのか、今の段階では決められない。しかし、俺個人としては事が済んだのであれば黙っていてもいいと思っている。


「なんで?私のせいで司君は死にかけたでしょ?司君の力も寵愛現象なのかわからないけど、その再生力がなければ死んでいたでしょ?」


「まあそうだな。でも見ての通り生きてる。俺のことは気にするな」


 柵のほうを見ている彼女の表情は見えない。ただ彼女の拳が強く握られたのを俺は見逃さなかった。


「そっか…司君らしいね。危険性は示したつもりだったんだけど」


 彼女が奇妙なことを言う。俺は耳を疑い、そのまま聞き返した。


「危険性を示したつもりって、、、どういうことだよ?」


「司君が言ったじゃない。寵愛現象を管理している秘密結社?協会?名称はわからないけどそういう団体があるって。私はその人たちを待ってるの」


「いったい…何を言って」


 そう問いかけたとき、加藤がこちらを振り返った。その目を見て息を呑む。なぜ、なぜそんな目を俺に向けるんだ。


「早く私を消してよ。私の記憶を消して」


 俺は言葉に詰まる。彼女の目に見覚えがあった。中学一年生の頃、俺が救おうとして救えなかったあの子が、俺に罵倒の言葉を浴びせたときと同じ目だった。


「司君がその役割じゃないなら話すことはないよ。放っておいて」


 語気を強めた言葉をぶつけられ、俺はたじろぐ。そして次の瞬間、加藤の姿がまた透明になっていって―――、


「ッ!触らないで!!」


 大きな声が夜に響いた。すぐ脇の校舎に反響したその叫びは俺の耳に長く残る。

 彼女が再び透明になろうとした瞬間、俺は考えるより先に駆け寄って彼女の腕を掴んだのだ。そして拒絶の叫びを浴びせられる。


「もういいよ!私に構わないで!私はもういいの!今日、ここで、消えるの!」


 先程までの冷静さとは打って変わって、彼女は取り乱しながら叫ぶ。


「落ち着けっ!まずはなんでそんな考えになったのか聞かせろ!記憶を…消すって…」


 俺の言葉は次第に弱弱しくなっていく。記憶を消してと彼女は言った。なぜ、なぜだ。変わりたいと強く思って、変わるための勇気を振り絞って、変わり始めていた彼女がなぜそんなことを言い出すのか、俺にはちっともわからなかった。


「もうっ!駄目なの!無理なの!私じゃ…、私なんかは…」


 加藤の目に涙が溜まる。しかし、その涙が零れる前に彼女は蹲った。蹲って彼女は口を押える。


「大丈夫か?」


 そう言って背中に手を添えようとするが、強い力で振り払われた。たかが女子に叩かれただけの俺の腕は、やけに痛みを感じ取った。


「…私は危険な力を扱うの」


 蹲ったまま、加藤は涙を零すように一音ずつ静かに発していく。


「司君も、明日香様も、奈良先輩も、安武君も、傷付けたの。怪我させたの」


「ななちにも、先生にも、伊吹さんにも、速川さんにも、怖い思いをさせてるの」


「私は寵愛現象で、皆を傷付けたの…。だから、」


「私の記憶を奪ってよ。そうすればこの寵愛現象は収まるから」


「それもしてくれないのなら、どうか私を、」


 とても短く息を吸って、加藤は顔を上げた。その瞳を絶望に染めたまま、何よりも聞きたくない言葉が発音された。


「殺してよ」


 ぐわんぐわんと脳が揺れる。臓器一つ一つを撫でられているかのような感覚に陥る。…錯覚だ。その感覚は錯覚に過ぎないが、受け入れがたいその言葉は、紛れもなく彼女の口から出た言葉だった。


「…殺さない、殺さないよ。…記憶も、奪わない」


 俺は肺の中の空気をなんとか振り絞ってそう答える。言葉を吐き出すために使った空気が足りないのか、その声量は小さい。それでもその言葉はちゃんと彼女の耳に届いたはずで、


「…そう」


 諦めたように呟いた彼女は、俺のほうを強く睨んで言い放った。


「ならもっと、私が危険だって示さなきゃ」


 瞬間、窓ガラスが派手に割れる音がする。窓ガラスの破片が地面に散乱するよりも早く、それは目の前に現れた。ここからは少し離れた音楽室のほうから現れた。


 長い黒髪の隙間から、血走った剥き出しの目を覗かせて、赤く薄い唇の中で乱杭歯が光った。白いドレスに身を包んだ女が、この一時間以内で何度も見たグランドピアノを持ち上げる。


 急な状況の変化に反応が遅れ、俺の肉体はグランドピアノに潰される。その重みに耐えかねて、痛みなのか苦しみなのかわからないまま涙が滲み出た。


 しばらくするとグランドピアノが塵と化して消失し、俺の肉体の修復も完了する。仰向けになった俺の視界には星空が映し出されていた。


 体を起き上がらせろと神経に命令し、その命令が遂行される。立ち上がった直後、先程まで星空を映し出していた視界は突如として暗闇に埋め尽くされた。視界が埋め尽くされた理由に気付く。

 女の化け物の巨大な口が俺の頭部を包み込んだのだ。気付いたときにはもう遅い。


 大きく開かれた口の中で、乱杭歯は用いて咀嚼されながら、首から上が無くなった男子高校生の肉体がどさりとその場に倒れた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 酷いことをした。その分の酷い光景が目の前で繰り広げられる。


 司君がちょっとやそっとで死なないのは知っていた。とても高いところから落ちても生きているのを見たから。

 彼の傷は再生する。私の生み出した音楽室の怪異が彼を殴ってもすぐに立ち上がった。顔面を砕いてもすぐに綺麗な顔は元に戻り動き出す。グランドピアノに潰された。それでも再生し蘇る。


 それは不死身と変わらない。だから彼の心を砕きたかった。彼は頑なに私を助けようとしているみたいだが、私はそれを望まない。だから圧倒的な力の差と、痛みによる恐怖で彼を諦めさせようと試みる。


 彼の肉体がグランドピアノに潰される。再生する。彼の頭部が食われる。再生する。腕を千切られる。再生する。内臓を掻き回される。再生する。目玉を繰り抜かれる。再生する。頭蓋を割られ液体が零れる。再生する。もう一度グランドピアノに潰される。再生する。


 グロテスクな映画を見たことは何度かある。ショッキングな光景には耐性がある。それでも、生身の人間が目の前で惨殺されていく光景は私の体に不調を与える。

 気持ちが悪い。お腹が痛い。腸の中をばい菌が駆け巡るような、脳ミソの上を虫が這い回るような、そんな悍ましい気持ち悪さを感じる。もちろん錯覚だ。私はただ突っ立って惨殺され続ける彼を見ているだけだ。


 吐き気が込み上げてきた。もう吐く物が入っていない胃は液体だけを運んでくる。それを吐き出しそうになり、抑え込める。私に嘔吐する権利なんてあるわけがなかった。

 嘔吐したくなる目の前の光景を作り上げたのは私だ。私が彼の心を砕こうと望んで、死なないからと割り切って怪異に殺し続けてもらう。全て私の意思なのだ。それなのに嘔吐するなんて虫がいいなんて次元の話ではない。


 吐き気を堪える。私のためにたくさん行動してくれた司君が、優しい言葉を掛けてくれた司君が、潰れる、捻じれる、バラバラにされる。


 なのにまた、立ち上がる。


「加藤」


 先程まで擦り潰されて消えていた頭部から声が聞こえる。


「絶対に」


 見れば美しい顔は再生しており、赤色の瞳が私を映していた。


「助ける」


 誰がどう見ても助けが必要なのは司君で、悪の元凶は私のこの状況で、彼はそう口にした。


 そしてまた、彼の頭部が弾け飛んだ。


 怪異の白いドレスが赤黒く染まっていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 何度死んだのだろう。何度潰されたのだろう。わから―――。


 また殺された。でも復活する。死なない。この程度では死なない。俺の死亡記録、正確には普通なら死んでいる致命傷を受けた回数の最高値を更新することはできない。


 もしこれが一年前の自分ならとっくに心が折れていた。当時は痛みへの耐性や四肢が喪失する恐怖に今ほど強く心を保てていなかった。


 でも、俺はもう覚悟を決めている。壊れてしまっているというほうが正しいかもしれない。痛い思いなんかしたくない。怖い思いなんかしたくない。でも、救えるはずの女の子を救うためなら、何回でも立ち上がってやる。

 それが悪魔相手に立てた俺の誓いであり、俺の唯一無二の価値なのだ。


 白いドレスの女の強さは遥か高みへと到達していた。戦いにおける技量は変化せずとも、スピードとパワーが最初に比べて桁違いだ。こちらが攻撃を仕掛ける間もなく猛攻を受ける。


 痛い痛い痛い。泣きそうになる。実際に涙が出る。涙が流れ切る前に再生するか頭部ごと潰される。


 数秒、記憶が飛ぶ。もはや赤いドレスになった女の口元を見るに、今度は食われたらしい。その口の中の俺の頭部にもはや原型はない。そして赤い血の霧となって消失する。


 柏木 司の部位が肉体から切り離され、そこを再生した場合、切り離されたほうの部位は赤い血の霧と化して消失する特性を持つ。それがどういう仕組みなのかは俺も知らない。


 女の怪異の顔面を殴る。こちらの攻撃の頻度は減ったが、それでもまだ差し込める隙はある。問題は俺の全力のパンチがあまり効いていないことだ。

 ノーダメージではない。しかし、決定打には程遠い。百発近く打ち込めれば一旦は女を塵に変えられるかもしれない。だがそうして倒したところで結局はまた復活するだろう。


 視界の端で佇む加藤の姿を見る。酷い顔だ。そんな後悔で溢れた顔をするくらいなら力を解除してくれればいいのに。


 選択肢に上がるのは加藤を気絶させることだ。力の発動者が気絶すれば七不思議の寵愛は収まるかもしれない。だが、逆に暴走する可能性がある。おそらくは現状だと怪異に見つからない限り襲われることはない。そして怪異たちはそれぞれの地点に停滞している。この女の怪異なんかは加藤が呼び出すまで音楽室周辺に留まっていた。


 加藤を気絶させた結果、制御が外れた怪異たちが校内で暴れ始めれば、今も下駄箱付近で待機しているであろう生徒会役員や、校内のどこかにいる委員長と伊吹、ヒューマに危険が及ぶ。


「加藤!本当は誰も傷付けたくなんかないんだろ!」


 俺は叫ぶ。加藤と目が合うが、ドレスの女に邪魔をされてすぐに視界から外れる。


「学校に出てきた怪異たちにおかしな点があった!」


 いつの間にか二メートルから三メートルの巨体になった赤いドレスの女の攻撃を避ける。


「このドレスの女、プールから出てきたらしい化け物、安武が相手してるオッサンの怪異、強さに差がありすぎた!」


 答え合わせの時間だ。戦闘で余裕がなく加藤の反応が見れないが、俺は話を続ける。


「ドレスの女だけやたらと強かった!理由は相手がこの俺だったからだな!」


 目の前から飛んでくる拳を避ける。広場の地面に女の拳がぶつかり、コンクリートに亀裂が走る。


「お前の目的は自身の危険性を示すこと!最初から誰も殺す気なんてなかった!」


 隙のできた女の溝落ちに目掛けて渾身の蹴りを放つ。数メートル後方へ女は飛んでいく。


「お前は俺が特殊な力を持っていて頑丈であることを知っていた!だからそんな俺を傷付けられる程度に怪異の強さを設定した!」


 久々の有効打となったらしく、女の怪異は呻き声を上げてなかなか立ち上がって来ない。


「それでも俺の強さが女の怪異を上回った。俺だけじゃない。安武も鳳凰先輩らも怪異を倒してしまった」


 女の怪異が立ち上がる前にできるだけ多くの言葉を吐き出す。


「だから怪異を復活させ、倒されるほどに強くなるようにした!難易度調整をしてたわけだ。殺しはしないけど怪我を負わせられる程度に」


 それも少しずつ強くなるようにしていたのだろう。一気に強くして鳳凰先輩とかが殺されるようなことがあってはいけないから。


「だから殺せない俺を相手にしたこの女の怪異はここまで強化された。殺さないのであればどこまで強くしてもいいから」


 女の怪異が立ち上がる。血走った剥き出しの目の血管が切れて血が噴き出す。


「そしてこの女の怪異が奈良先輩に攻撃を加えようとした瞬間、ゲームのバグみたいに小刻みに震えながら動きを止め、体が捻じれて塵となって消えた」


 怪異たちが加藤の制御下にあると気付いたのはそれがきっかけだ。


「殺せない俺に合わせて強化された女の怪異の攻撃を食らえば、奈良先輩は確実に死んでしまうからだ」


 女の怪異がこちらへと走る。鳳凰先輩が指摘した通り、その走り方は加藤がお化け役への演技指導用に撮影した動画と同じものだ。


「つまり加藤!お前は危険でもなんでもない!力を制御できている!誰一人として殺す気もない!」


 こちらへと迫る怪異にぐちゃぐちゃにされるのを覚悟して、俺は敢えて加藤のほうを見た。真っ直ぐと彼女と見据えて訴えかける。


「能力を解除しろ!そしてもっとお前の話を聞かせてくれ!」


 俺は手を差し出す。距離が離れていて届かないが、彼女が寵愛現象を解除してこちらまで歩み寄ってくれればこの手に届く。


 彼女の表情は複雑に歪み、様々な感情が渦巻いているのではないかと思えた。


 歩幅一歩分のところまで女の怪異が迫る。そして鞭のように薙ぎ払われた女の左腕が俺の頭を吹き飛ばす。


 …。


 俺の頭は吹き飛ばされなかった。女の怪異はピタリと動きを止める。今度はゲームのバグのような震え方ではなく、コンピューターがスリープモードに入ったように無気力に腕を下ろした。


「…加藤」


 俺の瞳に希望が宿り、怪異を停止させてくれた彼女の名前を呼ぶ。


 彼女は泣き疲れた子供のような表情で一歩一歩こちらへと近付いてきた。俺は無意識に下ろしてしまっていた手を再び差し出す。

 彼女が俺の目の前まで辿り着き、その差し出した手を取ってもらえるのを待った。彼女と目が合う。俺は微笑みかける。


 そして、彼女も穏やかに微笑んだ。


 ――その瞬間、停止したはずの女の怪異が動いたのを視界の端で捉えた。そして、女の怪異の腕が加藤の頭目掛けて放たれた。


「危ないっ!」


 そう叫びながら彼女を庇おうと飛び出すが、間に合うことなく彼女は吹き飛ばされる。


 仰向けで倒れた彼女の頭から、ゆっくりと赤色の液体が流れ始めた。女の怪異の暴走かと思い目を向けるが、女の怪異は何事もなかったかのように再び停止していた。


「加藤!大丈夫か!?加藤!」


 俺は叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。


 怖い、恐い、こわい。思考が恐怖に支配されていく。


「やめてくれ…いなくならないでくれ…」


 そう呟く。あれだけ女の怪異に殺されても平気だった心が恐怖で満たされていく。


 ゆっくりと流れる彼女の血液が俺の素足を濡らしていく。動きづらいスリッパを脱ぎ捨ててずっと靴下で走り回っていたが、その靴下も四肢をもがれたときに失ったのだと、やけに冷静に思い出した。


 小柄な女の子。倒れている。頭から血を流す。助けられたはずの女の子。重なる。カサナル。


 脳裏にこびり付いた赤い春の記憶が呼び起こされ、屋上から飛び降りたあの子と、目の前で倒れている加藤の姿が重なる。


「…もう、、失いたくないんだ、、」


 無力感に苛まれる赤髪の少年は、絶望の淵でそう呟いた。

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