第二章15 祭りも佳境だ
夜は更け時刻は二十一時九分。僅かな眠気を感じる時間帯だ。通常であれば二十一時三十分には就寝する俺としてはあまり夜更かしはしたくない。
明日から夏休みのため遅い時間に起きても問題はないのだが、毎日五時には起床するのが理想だ。これには理由がある。昨今の夏は昼間の気温がかなり高い。六時には既に太陽が完全顕現し、散歩するだけでも汗をかく。
日課となっている二十キロメートルのランニングを六時までには終わらせたい。そうなると五時には走り始めたいのだ。
『え、お前二十キロの距離を一時間で走ってんの?化け物過ぎるだろ…』
司から就寝時間が早いと言われ、早起きしたい理由を話したところドン引きした顔でそんな言葉が返ってきたことを思い出す。
今から肝試し大会の後片付けを行うため、帰宅して寝床に着くのは二十三時になりそうだ。今日に限っていえば仕方のないことだが、素晴らしい夏休みのスタートダッシュを切るためにも残作業は速やかに終わらせたい。
そうして片付けの段取りについて認識合わせするために集まったわけだが、司と加藤さん、ヒューマの三人は現れず、音楽室から大きな物音がしたことで速川と伊吹は飛び出してしまった。すると今度は体育館で生徒がボール遊びをしているらしく、七瀬と先生がそちらへ向かった。
今この場に残っているのは生徒会役員九名とこの俺、安武 晴間の計十名である。現時点で片付けが滞っており、明日のランニングの時間帯をどうするか悩みが生じ始める。
「それじゃあ、俺は別棟のほうを片付けるから、お前は」
「待て。予定変更だ」
指示出しを始めた奈良先輩を制止し、予定変更と発言したのは鳳凰会長である。美しい切れ長の目に収まる翠色の双眼で俺たちを見渡した。奈良先輩は死んだ魚のような目つきで鳳凰会長のほうをめんどくさそうな表情で見ている。
「急に何を言い出してんだ?」
奈良先輩は目に半分程かかった黒髪の隙間から鳳凰会長を睨み、やや低音の声質で不機嫌そうな声を上げた。
「私はこれからプールの始末に向かう」
「あ?明日は水泳部は休みだからプールは今日中に片付けしなくていいって言ったろ?まさか忘れたのか?」
肝試しではプールも使用した。水死体のお化け役がプールから這い出てくる仕掛けだ。
「お前が覚えていて私が忘れていることなどあるわけなかろう。無駄な質問をするな」
聞き取りやすく人を引き付ける声音が罵倒となって奈良先輩に浴びせられる。
「じゃあ一体なぜ」
奈良先輩が苛立ちを抑えながら質問しようとするが、既に鳳凰会長はプールの方角に歩き出す。
「千秋、お前も来い」
鳳凰会長は背を向けてそう言った。千秋というのは奈良先輩の下の名だ。
「はあ?さっきから訳わかんねえよ」
「わからんのはお前が愚かだからだ。いいからついてこい。面白いものが見れるかもしれんぞ」
鳳凰会長は顔だけこちらに振り返って、口角を上げ目を細める。そうやって小さく表情が変化するだけで新たな魅力的な一面が世界に誕生したのだと錯覚させられる美しさだ。
「…ッ。わかったよ。何もなかったら覚えてろよ」
奈良先輩が舌打ちをして彼女の背中を追いかける。鳳凰会長は顔だけこちらを見たまま、俺を含む生徒会の面々にこう告げた。
「その他は全員待機だ。怪我せぬように細心の注意を払え」
全員がポカンとした顔をしている。彼女の発言の意図が全くわからない。わからないままの俺の姿を彼女は翠色の眼で捕らえ、
「安武、頼んだぞ」
そんな言葉だけを残して去っていった。取り残された俺たちは互いの顔を伺いながら、この後どうするのかを考える。
「片付け、どうしようか…」
「でも、待機しておくように言われたし…」
戸惑いの表情を浮かべながら会話が繰り広げられるが、鳳凰会長が待機と命令した時点でそれを破る者は生徒会にいないだろうというのが俺の見解だった。その見解は正しく、生徒会役員内で話し合った結果、待機することが選択される。
これまで何度か鳳凰会長と行動したことがある俺としても、今回の彼女の意図はわからなかった。何か事情があるのか、何かを企んでいるのか、そんな邪推をしてみるが思い当たることはない。何もせず待機するくらいなら先程大きな音がした音楽室のほうに向かいたいのだが、鳳凰会長から「頼んだぞ」と言われた以上は俺も動くわけにはいかなかった。
そうして戸惑いの空気が流れていると、生徒会の女子生徒が声を上げた。
「あそこ、誰かいない?」
彼女が指差したほうを見ると、のそのそとした足取りで歩いている人影が見える。
「残ってる生徒かな…?」
他の生徒会役員がそう口にするが、視力に優れる俺の目には異様な姿が映っていた。ボロボロの作業着に身を包み、その人影の周りには小さな虫が大量に飛んでいる。男だ。低い背丈の中年の男。肌はブツブツのできものだらけで、所々が爛れている。それと目が合う。ニヤリと笑った口内から数本の黄色い歯が浮かび上がり、口元からは吐瀉物のような液体が滴っている。
「全員、校舎内に入ってください」
俺は努めて冷静にそう指示をした。あれは人間ではない。視覚からの情報だけでなく、自身の本能がそう訴えていた。
俺たちが今いる場所は肝試しのスタート地点。校舎の入口だ。入口の正面には正門が見え、左手にはグラウンドが見える。先程まで屋台や簡易的なステージが設けられていたグラウンドは既に片付けが完了し、サッカーゴール以外の物は何もない。そのグラウンドの校舎寄りの位置を男が歩いている。
「一体どうしたんだよ?」
男子生徒の一人が遠巻きに見える男へと視線を向けた瞬間、男は全力疾走でこちらに向かって駆け始めた。陸上競技でよく見る走行フォームは美しいが、進む度に体や作業着の中から何か気色の悪い物体が零れ落ちる。
こちらに急接近をしてくる男に生徒会役員たちは焦りを示す。
「なにあれ?不審者!?」
「ヤバッ!めっちゃ走って来てるって!」
「早く中に!鍵閉めろ閉めろ!」
急いで校内に入り下駄箱の前まで非難した彼らは扉を閉め、鍵を掛ける。
「安武君も早く!」
最後の扉一枚を開けて生徒会に属している俺の友人が叫んだ。
「いや、あの不審者は俺が食い止める。皆さんは絶対に外に出ないで!」
そう力強く叫び、開けられた最後の扉を外側から閉めた。こちらへと迫る男を敢えて不審者と表現した。あれがおそらくは人間でないなどと言っても誰も信じないだろうし、余計なパニックを生むだけだろう。
「警察に電話!」
「け、携帯がつながらない!」
ガラス張りの扉越しに生徒会役員たちの声が聞こえる。どうやら通信は遮断されているらしい。頭に浮かぶ可能性はあの現象だ。
寵愛現象。おそらくは何者かが東浜高校の七不思議を具現化している。体育館から跳ねるボールの音が聞こえ、グラウンドから汚れた姿の中年の男。そして音楽室の方角から聞こえた大きな音。
もちろん東浜高校の七不思議が事実で、本物のお化けという可能性もある。しかし、不出来な設定の七不思議の怪異が実在する可能性よりも、何でもありな寵愛現象が原因の可能性のほうが遥かに高いだろう。
「司…、皆、、無事でいろよ」
そう呟いて目の前に迫る男と相対する。その男はおそらく、
『東浜高校七不思議四つ目』
『グラウンドを徘徊する汚れまみれのおじさん』
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「おい、いい加減に説明しろよ。なんでわざわざ俺を連れ出してプールの片付けなんだよ?」
苛立ちを含んで目の前を歩く女に質問する。もはやまともな回答が返ってくるとは思っていないが、それでも黙って言いなりになることは耐え難かった。
「行けばわかる。黙ってついてこい」
偉そうにそう指示をしてくる鳳凰の背中を睨みながら俺は後に続く。
「何を黙っている?面白い話を聞かせろ?」
「お前が今黙ってついてこいって言ったんじゃねえか!」
理不尽極まりない彼女の物言いに声を荒げてツッコむ。
「愚問に耳を貸す気はないが、退屈の埋める程度の面白い話には耳を貸すぞ」
「なんでそんなに偉そうな発言ができるんだか」
心底呆れながら俺はそう口にした。どうせ何を言っても罵倒されるのだからこいつとは喋りたくないのだが、黙っていればそれはそれで罵倒される未来が見える。
「レモンより苺のほうがビタミンCが多いらしいぞ」
俺はとっておきの雑学を披露することにする。この雑学で興味を引かれなかった者は過去にいない。いや、生徒会の数人と幼馴染にしか披露したことないから、語り聞かせた総数は数回だけなんだけど。
「そうか。次」
つまらなそうな声で返事が返ってきた。どうやらお気に召すことはなかったらしい。
「ビール瓶が茶色か緑色なのって紫外線から中身を守るためらしいぞ」
「次」
「黒板が緑色なのに黒板と呼ばれる理由って、日本に初めて輸入されたものは本当に黒色だったかららしいぞ」
「もうよい」
「なんでだよ!結構面白い雑学ばかりだっただろうが」
俺のとっておきの雑学が不評で不満を抱くが、そんな会話をしていたらプールの傍まで到着する。
「油断するなよ」
「あ?」
愉快そうな喋り方か露骨につまらなそうな喋り方の二パターンで構成される鳳凰の口調が、珍しく真剣さを感じさせるものとして発せられる。それを耳にし、思わず緊張感が走ると同時に気が引き締まる。
彼女の様子にいったい何事かと思いながら後ろを歩きプールサイドまで辿り着いた。プールの片付け、といってもプール自体に設置している不気味さを演出する小道具は少量なので片付けはすぐに終わるだろう。
「別にこのくらいの小道具を回収するくらいお前一人でもできたんじゃないか?」
鳳凰の態度がいつもとは異なることに気付きつつも、俺は敢えて軽口を叩いてみせる。これで罵倒の言葉が返ってくればいつもの彼女だ。逆説的に別の反応が返ってきた場合は何か異常事態が発生していると捉えるべきだ。
「まさか夜のプールは怖くて一人で来たくなかったなんてわけじゃあるまいし」
そう挑発してみても彼女は真剣な表情でプールのほうを見つめているだけだった。どうやら何かしらの異常事態らしい。俺は緊張感を高めつつ、鳳凰が警戒する何かに備える。
べちゃり。
音がした。水の音だ。水がプールサイドに落ちた音。
音のほうを見る。プールの中から何かが出ている。いや、何かではない。それははっきりと人の手の形をしていた。
水に濡れた手がプールサイドに飛び出したことでべちゃりと音を立てたらしい。
飛び出た手が体を持ち上げるように力を加えられ、プールの中から人型の何かが出てきた。それが人でないことは明白だった。
緑色の肌。浮腫んでいるなんて表現の範疇を軽く超えたパンパンに腫れたような体。腐ったような肉体。そんなドロドロとしている姿の中で、二つの目玉だけはやけに白く気色が悪い。ゆっくりと這い出てきたそれの目玉は俺たち二人を捉える。
「鳳凰、あれは?」
「わからん。未知のナニカだ」
真剣な表情の鳳凰の口角が僅かに上がった。これが彼女の言っていた「面白いものが見れる」に該当するのだろうか。全然面白くはないが、珍しくはある。
「俺へのドッキリで特殊メイクをした人間ってオチは?」
目の前のナニカの姿はとても高校生に用意できるクオリティじゃない。細かなディティールがあまりにもリアル。しかし昨今の特殊メイクならこのクオリティの化け物の見た目も作れるだろう。例えば鳳凰財閥の金の力で金持ちの遊び的な。
「ないな。私がお前程度をドッキリの対象として手間暇かけるわけがなかろう」
しかし、ドッキリの可能性を彼女は否定する。
「いや、お前は結構俺をドッキリの対象にした前科があるだろ。生徒会で何度恥を掻いたことか」
そんな生徒会での青春を思い出し、お涙頂戴しそうになるが流石に今回のこれは異なるとわかっていた。
化け物はこちらに敵意を向けている。俺はその敵意を第六感とも呼べる感覚で敏感に感じ取る。
「さあ、祭りも佳境だ」
「このシチュエーションでそんなセリフ吐けるの?カッコよすぎだろ。俺が言いたかったぜ」
身を低く構えて化け物と殺り合う姿勢を取る。お化けを見て逃走ではなく戦闘を選ぶ高校生なんてどうかしていると我ながら思う。それもこれも隣で戦闘の構えを取っている生徒会長のせいだ。
目の前の化け物は突如としてこちらへと襲い掛かる。構えていなければ攻撃を受けていただろう。その化け物の姿を見て思い浮かべるのはこの学校の七不思議だ。化け物の見た目もそうだが、登場した場所があからさますぎる。
『東浜高校七不思議二つ目』
『プールに住まう水死体の化け物』
俺は化け物の攻撃を両腕で防ぐ。化け物が「キィィィィ」と不気味な声を発していて怖い。怖いが俺は勇気を振り絞って化け物の腕に該当する部分を掴んだ。そして、
「そのまま押さえていろ」
手始めに、体を宙で回転させながら放たれた鳳凰の蹴りが化け物の顔面に直撃した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
体はもう修復を終えている。しかし学生服は赤く染まっている。いや、それは赤というより黒という表現が近いかもしれない。そんな赤黒い半袖の白シャツに身を包み、繰り返される攻撃を避け続ける。
襲ってくる白いドレスの女は強いパンチを繰り出すが当たらなければなんてことはない。最初こそ数発食らって痛い思いをしたが、既に一分以上は攻撃を食らっていない。そう慢心した瞬間、またもどこから出てきたかわからないグラウンドピアノが放り込まれる。
今度は下敷きにならずに済んだが、直撃は免れず大きく吹っ飛ばされた。痛みでおかしくなってしまう前に肉体の再生を行う。通常の殴る攻撃はいいとして、グランドピアノの投擲というのがヤバい。廊下にせよ教室にせよスペースのない空間に質量攻撃を仕掛けられたらとても避けられなかった。
グランドピアノは俺に直撃してから約二十秒以内に消えていく。物体が塵のように消えていく様は物珍しくはあるが、今はそれを観賞している余裕はない。既に五回もグランドピアノの重みを味わってわかったことだが、投擲されたグランドピアノが消失するまでは次のグランドピアノは生成されない。
廊下から教室に逃げ込んでは襲われ、教室から廊下に逃げても襲われる。そんな繰り返しの中で俺は音楽室に逃げ込んだ。追い込まれたという表現が正しいのかもしれないが、この音楽室で戦うメリットはこちらにもある。
二メートルを超える巨大な女はパンチを繰り出す。しかしそれらは単調だ。身体能力は高くとも戦いの技量はないに等しい。そして繰り出した数発のパンチが命中しないと判断した女はグランドピアノを生成した。白いドレスに身を包んだ女が血走った剥き出しの目でグランドピアノを持ち上げている光景は何ともシュールだ。
六度目の投擲が行われ、黒い光沢が高級感を感じさせる物体が目の前に迫る。
「ふんぬっ!」
俺は不細工な声を上げて右手側に飛び込むように回避した。すぐ真横で轟音を響かせてグランドピアノが横たわる。ようやくピアノの攻撃を避けることに成功した。音楽室は他の教室に比べて広いため、避けるスペースを確保できたのだ。
俺はすかさず反撃を試みる。すぐ左側に横たわっているグランドピアノが消失するまでは次のグランドピアノは生成されない。叩くなら今だ。
先程まで再生にばかりリソースを割いていた憤怒の寵愛を攻撃のための全てに集中する。曲げられた膝を伸ばす反動で爆発的な速度を生み、白いドレスの懐まで潜り込んだ。その速度を落とさぬまま、腕に籠めた力を思いっきり開放する。
「ホギャァァァァァァ!」
白いドレスの女は悲痛の叫びを漏らす。殴られた腹を抑えて体をくねくねと動かしている姿が不気味だが、攻撃が効いたのは明らかだ。俺はすかさず顔面にもう一発叩き込み、もともと浮かび上がっていた女の頬骨が砕ける。異様に大きい口が激しく歪んだ。
大振りの薙ぎ払いが俺を襲う。当たれば簡単に骨が砕けるであろう一撃だが、その単調な攻撃も避けるのは容易だった。避けるために身を屈めた体勢のまま、俺は足を伸ばして体を回転させる。そうして細く白い両足を薙ぎ払われた女は無様に床と衝突するかと思ったが、上手いこと受け身を取って体勢を立て直した。
後方のグランドピアノに目をやる。消失は始まっているがまだ数秒は次のグランドピアノが生成されることはないだろう。ここで仕留める。そう思ったときだった。
「なっ」
目の前の光景に驚きの声を上げる。驚きの声を上げはしたが、ドレスの女の行動は当然と言えば当然である。ここは音楽室だ。本物のグランドピアノも設置されている。女の化け物は本物のグランドピアノの傍まで移動した。
本物をグランドピアノを投擲されると思った俺は反撃の手を止め、後方に下がった。いつ投げられても回避できるように構えるが、グランドピアノの傍まで辿り着いた女の行動は予想していないものだった。
「え」
女は鍵盤蓋を開ける。そしてメロディを奏で始めた。美しいメロディ、その中に雑音のような音が挟まれる。美しい音と雑音が混ざり合い、奇妙な曲が紡がれる。
演奏をする女は隙だらけだ。俺は再び攻撃をしようとした。そのときだった。
「ぶっ」
突然脇腹を殴られた。否、違う。殴られたのではなく、脇腹にホルンが突っ込んできたのだ。状況を理解できないまま次々と飛んでくる楽器たちを避ける。避けて、避け切れず頭から血を流し、また避ける。飛んでくるのは楽器だけでなく、花瓶や肖像画を収めた額縁もだ。ベートーヴェンと目が合った。その間、視界が封じられ頭上から降ってくるドラムに気付けない。
ドラムは嫌な角度で脳天に直撃し、その質量に耐え切れず首が折れる。呼吸ができなくなる。死ぬ、死ぬ、しぬ、しぬ、し…。
「死なねえよ!」
折れた首が憤怒の寵愛により再生した瞬間、俺はグランドピアノの前に座る白いドレスの女へと突撃する。四方八方から飛んでくる攻撃は厄介だが、致命傷になるのはせいぜい今のドラムの攻撃くらいだ。ならばもはや避ける必要もない。
憤怒の寵愛による超再生という恩恵に甘えて、俺は楽器たちに殴られながら突き進む。そして鍵盤から手を離し、防御の姿勢を取ろうとした女へと放つ拳に力を籠める。
直前まで鍵盤から耳心地の悪いメロディを奏でることを優先していたせいで女の防御は間に合わない。全力を籠めた俺の拳が再び女の顔面に直撃した。
凄い音が鳴る。骨が折れる音だ。折れたのは女の頬骨で、頭蓋骨にはヒビが入っただろう。その代償として強度が増しているはずの俺の拳の骨にもヒビが入る。
女は倒れ込み、そして塵になっていくグランドピアノと同じ散り方をした。
「ハァ、ハァ、ハァ」
息を整える。それと同時にヒビの入った拳を修復する。気付けば後方のグランドピアノは消失しており、数秒を掛けて白いドレスの女も消失した。
なんとか勝利したが、これで終わりではない。この女が本物の怪異である可能性も考えたが、それよりも寵愛現象の可能性を疑っていた。間違いなく対峙したこれは東浜高校の七不思議の一つだ。もし仮に他の七不思議も具現化しているのであれば皆が危ない。
俺は音楽室を飛び出し、長い廊下へと戻ってくる。そして、
「…うそ、、だろ、、」
長い廊下の奥に佇む白いドレスの女と目が合った。




