第二章12 球技大会
東浜高校は一学年に八クラスが設けられている。三学年を合計すると全二十四クラスだ。その二十四クラスの中で最強を決めるのが球技大会というイベントだ。
年に一度、一学期終了目前のクソ暑い時期に二日間に渡って開催される。スポーツや勝負事が大好きな連中にはいいのかもしれないが、球技が苦手な俺からすれば嫌なイベントである。
もちろんその二日間は授業は行われないので、その点だけは歓迎すべきところと言える。
種目についてはバスケとサッカーだ。男女で分けられるので、クラス内には男子バスケチーム、男子サッカーチーム、女子バスケチーム、女子サッカーチームに分けられる。
俺はサッカーチームに属していた。ポジションはディフェンス。不器用な俺ではボール運びができないのと、そもそもクラス内で浮いていてボールが回ってこないので消去法的に決まってしまったポジションだ。
今この瞬間、眼前に広がる光景は青い空の下で一つのボールを追いかける若き男たちだ。こうやって俯瞰的に見ると滑稽なものである。いったい何が楽しくて男二十二人が一つのボールに執着しないといけないのか。
『つまらないのは司がサッカーのことをよく知らないからだよ。知識を身に付けたら楽しめるポイントが見えてくるもんだよ』
俺のひねくれた意見を真正面から叩き潰したのは安武 晴間である。スポーツ万能な彼は俺の気持ちも知らずにそんなことを言ってきたので、
『できる奴から言われてもな。お前だって俺程度の才能で生まれてきてたら楽しめなかったと思うぜ』
と卑怯な論法で返事をした。この言い方をされてしまっては引き下がることしかできまい。明確に俺とお前ではそもそもが異なるのだから話しても無駄だと言っているようなものである。我ながら嫌な奴である。
『想像だけで楽しめないって決めつけるより、まずはやってみなよ。上手くできないとしても最初だけでも本気で取り組めば、楽しめそうかどうかが見えてきたりするもんだよ。その結果、自分では楽しめないってわかっても、それに費やした時間は無駄にはならないさ』
優しい声音と誠実な口調で安武は答える。なんだか議論でも人間性でも負けた気がする。
そんな会話を繰り広げたのが数日前。球技大会に向けて練習しようとただ遊びたいだけの連中が言い出して、一応メンバーの俺も誘おうとして声を掛けられたときである。
その誘いを断るためにサッカーという競技を批判したのだが、見事に言い負かされてしまった。まあ、どっちにしても練習の参加は断ったのだが。これにしては仕方がない。肝試し大会の準備で忙しかったのだ。
ちなみに安武は忙しくなかったのかと言えばそんなことはない。というか彼は俺よりも多くの仕事をこなしている。そのうえでクラスメイトとの付き合いにも時間を割いているのだ。何から何まで安武に勝っている部分が無くて憂鬱になってきた。
そして今、目の前ではサッカープレイヤーたちが血沸き肉躍る試合を展開している。我らが二年七組にはサッカー部がいない。しかし安武 晴間という超人がいる。だから試合は圧勝できると思っていたのだが、対戦相手は三年四組でサッカー部が四人もいるクラスだった。
普通ならサッカー部にはハンディキャップが課せられるのだが、こちらのチームに安武 晴間がいることで無効となった。訳がわからない。別に安武はサッカー部でもないのだが。それを認めた体育教師に不満を抱くが、当の本人が『全力のぶつかり合いのほうが楽しい』と主人公みたいなことを言っていた。
スコアボードに書かれた文字は両チームとも数字の三。つまり同点の状況だ。十一人のスポーツだと流石の安武でもフィールド全てに手が回らないらしく、相手チームのサッカー部に三得点を許した。そのお返しとでも言わんばかりにチームメイトがパスをつなげるようにフォローしつつ、最後は安武の弾丸のようなシュートが合計三回ゴールネットを揺らす。
その間、俺は大した活躍をせず、せいぜい飛んできたボールを明後日の方向にクリアするだけだった。
「司!」
そうして後ろのほうからフィールドを眺めていると、聞き慣れた安武の声が会場に響いた。敵チームが蹴り上げたボールがこちらに飛んできている。試合の残り時間は十秒。目の前には敵チームのサッカー部二人が最後のチャンスを掴もうとこちらに走ってきている。
身体能力は低くないものの、不器用で球技が苦手な俺にボールを上手くトラップできるはずもない。このままボールを奪取されて敗北する。戦犯扱いされる未来が見える。まあ、別に戦犯扱いされても気にしないのだが。
『上手くできないとしても最初だけでも本気で取り組めば、楽しめそうかどうかが見えてきたりするもんだよ』
数日前に安武から言われた言葉を思い出す。
『私は柏木君のカッコいいところも見たいけどな』
昨日、帰り際に委員長から言われた言葉を思い出す。
俺は集中する。必死でボールの落下地点に走り込む。足で軽やかにトラップなんてできるはずもない。ヘディングしたら空振るか明後日の方向にボールを跳ね返す気しかしない。俺は無理やり体を捻り、不格好な体勢になりながらボールを胸にぶつける。
狙ったわけでもなく、奇跡的にボールは俺の足元に落ちてくれた。試合の残り時間八秒。
俺は思いっきりボールを前に蹴る。クリアするためにテキトーに蹴るのではなく、俺なりに狙ってエースストライカーである安武 晴間がいる方向に蹴り上げた。
今まで狙った場所にボールが届いたことなどない。それは今回もそうだった。しかし俺なりに全集中して蹴り上げたボールは狙った場所からそう外れていない位置に落ちる。そこへ安武が猛スピードで走り込み、目にも留まらぬ弾丸のようなシュートを放った。
ボールは直線的な軌道のまま相手チームのキーパーの手をすり抜けていく。そして、気持ちの良いゴールネットが揺れる快音が聞こえた。
会場は熱狂に包まれる。歓声はヒーローである安武に向けられ、他のチームメイトが彼の下へと駆け寄っていく。
そんな中、遠くにいるヒーローの彼がこちらに向かって拳を突き出した。
『上手くできないとしても最初だけでも本気で取り組めば、楽しめそうかどうかが見えてきたりするもんだよ』
俺はそんな言葉を思い出す。
「クソ、楽しいじゃねえか」
ただ一人、自分にだけ聞こえる声量でそう呟いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「よう、楽しんでるか?」
そう声を掛けてみたものの、彼女からの返答は予想が付いていた。
「私が楽しめると思いますか?はは、笑える冗談だ」
死んだ目で渇いた笑いを漏らしたのは加藤だ。体操着に身を包んだ彼女はいつもより細い腕と足が際立つ。
「まあ、そうだよな。球技はサッカーにしたんだな」
今いる場所はグラウンドの脇。一人で体育座りをしている彼女を発見したので声を掛けた。バスケを選択していれば体育館にいるだろうから彼女はサッカーを選択した可能性が高い。
「当然です。五人より十一人のほうがボールが回ってくる確立が低いですからね」
「俺も同じ理由でサッカーを選択したけど、人から理由を口にされるとなんだか悲しいものがあるな」
そんな感想を漏らすと、試合のほうを眺めていた彼女の顔がこちらを向いた。大きな黒縁メガネを通して目が合う。彼女の小さな目が俺の顔を捉えていた。数週間前は目が合うとすぐに逸らされていたことを思い出し、感慨深い気持ちになった。
「司君ってサッカー苦手だったんですね。少し意外でした」
敬語口調で彼女は話す。出会ったときから変わらず、彼女は俺と話すときにタメ口と敬語が混ざった話し方をする。まあ、喋りやすい話し方をしてもらえれば構わんのだが。
「サッカーに限らず球技全般が苦手だな。自分の肉体でもないボールを思い通りに操るなんてできるわけがない」
「そうなんだ。あ、でも最後のトラップからのパスはカッコよかったですよ」
「なんだ、見てたのか」
「うん、一日中やることなくて暇だから試合観戦しかすることなくて」
彼女の瞳から光が消えていくのが見えた。おかしいな、普通の雑談してるだけなのにな。
「加藤はサッカー苦手なのか?お前って足は速いだろ。運動神経はいいほうなんじゃないか?転んだときの受け身とかも上手いし」
「よく転ぶ時点で察してくださいよ。うーん、まあ、運動神経自体は悪くないんだけど、人に見られてると緊張して体動かなくなっちゃうんだよね。それで中学の時は田中さんとか田辺さんにガチギレされたし、高岡先生からはやる気ないなら帰れって言われるし…」
しまった。雑談のつもりだったのにまた加藤の闇の扉を開いてしまった。
「毎年四月くらいにシャトルランあるじゃないですか」
「あー、あの忌々しいイベントな」
「私、あれ結構得意なんです。無心で走ってればいいだけなんで気が楽で」
「初めて聞くタイプだ」
「でも、毎年六十回あたりでリタイアしちゃうんですよね」
「体力の限界じゃなくてか?」
「余力自体は全然あるんだけど、並んで走ってる人たちが減っていっちゃって、必然的に注目度が上がって、リズム良く走れていたはずの体の動かし方がわかんなくなっちゃう感じで」
目を合わせて話していたが、いつの間にか彼女の視線はグラウンドのほうに戻っていて、声音が僅かに暗くなった。
「それで高岡先生に怒られたんです。それまで余裕そうに走ってたのに、急に止まっちゃったから」
彼女は言葉を続ける。
「いつもそう。自分の体なのに自分の思った通りに動いてくれない。それで周りから馬鹿にされて、笑われて、怒られて、嫌われて」
彼女は話の途中で言葉を切った。数秒間、無言の時間が流れる。風の音とグラウンドから聞こえる歓声が耳に届いた。
「でも、最近はちゃんと体が動いてくれるんです。肝試し大会の準備で、色んな人に作業の手順を説明しなくちゃいけなくて、毎回吐きそうになるのを堪えながら、それでも拙いながらも説明の言葉を発声できて、お手本で動かす体も付いてきてくれて、人に見られてるのに」
もう一度、彼女はこちらに顔を向けた。風が吹き、肩下まで伸びた彼女の黒髪が揺れる。
「きっと皆のおかげ。ヒューマ君とななちと明日香様、そして司君。皆のおかげなんです」
彼女のメガネが反射して青空を映す。その奥にある瞳には言い表せない美しさがあって。
「だから、そ、その、あ、ああ」
彼女の顔が下方向に向けられる。形の良いつむじが見える。
「ありがとう、、、です」
表情の見えない彼女の感情を、その耳の赤さが物語っていた。一滴の雫が水面に落ちるように、俺の胸の奥に何かが広がっていく。
きっとここでこんなことを思うのは不適切だ。不誠実だ。でも、中学時代に救えなかったあの子への罪悪感が、雫一滴分だけ薄まるのを感じた。
それを自覚して、俺はまた自己嫌悪に陥った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「だー!終わったー!」
そう言って彼女は座り込んだ。体育館裏は日陰になっており、夏の昼間でも幾分か涼しい。
「頑張ってたじゃん。結果は残念だったけど」
「いやー、もう無理。キツイ。動けない。昨日も三試合して、今日も二試合。ようやく終わったよ」
そう言いながら自販機で買ってきたのであろうレモン味の炭酸水をがぶ飲みするのは伊吹 凛という女子生徒だ。球技大会は全二十四チーム。それらが四チームずつ六ブロックに分けられて総当たりで試合をするのが一日目。その総当たりで上位二チームが二日目のトーナメントに参加できる。
「相手が悪かったね。まさか鳳凰生徒会長のチームに当たるとは」
トーナメント二回戦にして優勝候補とぶつかり、大敗を喫したのがつい十分前。ちなみに競技はバスケットボール。
「まあ、私個人としては終わってくれてよかったよ。もともと運動は得意じゃないし。同じチームにバスケ部の子が二人もいたからここまで勝ち上がっちゃっただけで、結構足引っ張ったし」
負けた彼女はもう十分といったご様子だ。確かに彼女の小さく細身の体は運動が得意そうには見えない。だが、それで言うとラブマリンも小さく細身の体だが、実は運動が得意なので見た目だけでは一概に言えないところだ。
「柏木と戦いまくったから卓球なら自信あったんだけど、競技に含まれてなかったからな。チクショウ」
そんなことをぼやいた後、彼女は一息つく。
「ヒューマのほうこそどうなのさ。クラスは勝った?」
俺の名前を呼ばれる。そう、俺は飛ぶ雄の馬で飛雄馬。通称ヒューマという男である。
「俺のクラスは昨日で敗退しちゃった」
「あら、そうなんだ。知らなかった。ヒューマってスポーツ得意そうなのに負けるなんて意外」
ジュース片手に胡坐をかいている彼女は三白眼で俺の鍛え上げられた肉体を見る。
「まあ実際、スポーツは超得意だよ。これでもサッカー界の名選手だったんだから」
俺は鼻を高々にしながら厚い胸板を張って答える。
「でも、脚を怪我しちゃって、今は激しい運動控えてるんだ」
いつもの元気な口調で快活さを前面に押し出し俺は答えた。
「そうなんだ。得意なのにできないってのは悔しいね。脚は良くなりそうなの?」
「いや、無理だね。でも気にすることはないよ!今はこの美しい肉体を鍛え上げてボディビルダーになるのも悪くないと思ってるから!そして世の女性を虜にするのさ!」
もし仮に本気でボディビルダーを目指すなら強い負荷に耐えられない脚では厳しいだろうが、今の発言は重くなりかけた空気を軽くするための発言だった。
「本当にヒューマはポジティブだよね。感心するわ。ボディビルダーが女性ウケするのかは知らないけど」
俺の明るさに合わせるように、彼女は表情から心配の色を消し、飄々とした態度で言葉を返す。
『うぉー!!!』
体育館から歓声が聞こえた。球技大会も終盤に近付くにつれ盛り上がっているらしい。
「凄い歓声」
彼女がそう呟く。そんな彼女を眺めながら俺は次の話題を提供する。
「いぶりんはさー」
「前から思ってたけどその呼び方やめて。なんかゴブリンみたいでキモイ」
「えー、可愛くない?それにゴブリンが可哀想」
あだ名を付けるのが好きな俺としては、それが不評のようで悲しい。
「うーん、じゃあ、リンリンは?」
「あー、まあそっちの方がマシか」
あくまで気に入った様子は見せない彼女の反応を残念に思いつつも、伊吹 凛の下の名前から取って新たなる呼び名を命名する。
「リンリンはさ、クラスどんな感じ?」
「へ?急にどうしたの?」
不思議そうにこちらを見つめる彼女に言葉を返す。
「いや、五月くらいの時期、色々大変そうだったじゃん。見てたんだけど、そのとき助けになれなかったからさ」
七百人以上の生徒がいるとしても、学校なんて小さな世界だ。そこでは悪い環境というのも目に付きやすい。彼女を取り巻く悪環境を見ていながら、力が及ばない俺は問題が解決した今になってその話題を持ち出した。そんな自分を卑怯だと思いつつも、彼女の答えを聞いておきたかった。
「それならもう大丈夫だよ。お助けクラブの皆が助けてくれたからね。それにクラスも、あー、説明するの難しいから色々省くんだけど、とりあえず林間学校以降は居づらい雰囲気じゃなくなったしね」
彼女の発言に嘘偽りは感じられない。本当に平気そうな声音で淡々と言葉が続く。
「クラスにも雑談する友達はいるよ。休日遊びに行くって程じゃないけど、まあ休みの日は柏木や日和と遊んでいるわけだし、最近は楽しいかな」
彼女の表情は柔らかくなり、僅かに上がった口角から喜びが漏れ出ているように見えた。
「ま、仮にクラスが居づらい雰囲気のままだったとしても、今の私ならへっちゃらなんだけどね。色々と吹っ切れてるから!」
そう言ってニッと笑う姿はとても逞しい。心底良かったと思う。思ったからそれを言葉にして出力する。
「良かったな!!安心安心!!俺も嬉しいよ!!ははは!」
そう言って快活に笑う俺に対してリンリンは「声うるさ」と怪訝そうな顔で答える。それでも俺は気にせず「はははは!」と笑う。
歓声がひしめく体育館の裏で、それに負けない愉快な笑い声が響いていた。
学校生活を楽しんでほしいという気持ち一心で行動する男の声が、大空に届く勢いで響いていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
球技大会が終わりを迎える。長い戦いを勝ち抜いた勝者が壇上に上がってゆく。
まずは男子バスケ部門の一位だが、見事一年生が勝利をもぎ取っていた。一応顔見知りである『黒木 まこ』という女子生徒が所属するクラスなのだが、これは男子部門なうえに彼女はサッカーのほうを選択していたので俺との関連性は皆無に等しい。
続いて女子バスケ部門の一位が発表される。表彰状を受け取るのは見知った顔だ。ここ数週間、俺を振り回し続けている悪の元凶『鳳凰 明日香』である。彼女は優勝なんて当然といった立ち振る舞いで壇上に君臨していた。実際、全試合を通して鳳凰先輩の独壇場だったらしい。
お次は我らがクラスが登壇する番だ。男子サッカー部門一位に輝いた二年七組は代表としてお調子者で陽キャのスズキングが表彰状を受け取る。初戦で対戦し、決勝でも再戦することになったサッカー部四人を含む三年生チームには苦戦を強いられたが、それ以外では難なく白星を上げられた。
その間、俺は大した活躍をすることもなく、かといって貢献ゼロかと言われればそこまででもなく、といった具合の成果だった。俺と違い、我がクラスの主砲である安武 晴間は計二十得点という快挙を成し遂げていた。
スズキングが壇上で一発芸を披露する。俺はその鋼のメンタルに敬意を示しつつ無表情を貫くが、浮かれた会場からは笑い声が上がっていた。
それに触発されたのか鳳凰先輩が前に出てなぜか舞踊を披露する。俺自身が舞踊に明るくないため、そのクオリティについては測りかねるが素人目に見ても美しく迫力のある動きだ。それでもこの人は何をやっているんだという感情のほうが大きく、白けた視線を彼女に飛ばすが、俺以外の生徒たちは鳳凰先輩の舞踊に大喝采だ。強火のファンもいるのか、狂気とすら呼べる女子生徒の歓声が各所から上がる。
そうして会場が盛り上がり切った後に女子サッカー部門一位のクラスが壇上に上がる。心なしかそのクラスの代表者は気まずそうな表情を浮かべている。鳳凰先輩が会場を盛り上げすぎてしまった後だから気まずいのだろう。せっかくの一位なのになんだか可哀想だ。と思っていたら鳳凰先輩が壇上に上がった女子生徒に何か声を掛け、その女子生徒が至極恐悦な表情に変化する。一体何を言ったのかはわからないが、鳳凰先輩の有する影響力は俺が思っているよりも遥かに大きいのかもしれないと思い、今よりもさらに彼女とは距離を置きたくなった。
閉会式も終了し、生徒たちが帰宅を始める。二日間の球技大会の後ということで部活動は休みとなっているところも多いらしい。しかし我らがお助けクラブは帰れない。遅れ気味のスケジュールをスタッフ増員でなんとか巻き返したとはいえ、まだやらねばならない仕事は残っていた。
仕事は残っていると言っても、球技大会を終えて疲れている増員スタッフに作業をさせるわけにもいかず、学校には生徒会役員とお助けクラブ、あとは部活が休みにはならなかった生徒たちだけが残っていた。
「さて、クタクタだが今日中に別棟のほうのセッティングは終わらせないとな」
俺はそう言いながら肝試し用の小道具が敷き詰められた段ボールを持ち上げた。
「…うん、そうだね」
それに対して眠たそうな声が返ってくる。平常時でさえローテンションな声は、眠たそうな声となったことでさらに覇気がない。
「眠そうだな」
そう言って俺よりも一回り小さい段ボールを持ち合上げた七瀬 千棘のほうを見た。
「あ、うん、ごめん。私ももうクタクタで…正直眠い」
四白眼の目をしょぼしょぼさせながら七瀬はふわぁと控えめに欠伸した。
「別に無理に参加することないんだぞ。俺が手伝いを頼んだだけで七瀬はお助けクラブの部員でもないんだし」
正確には部活動ではなく同好会扱いのお助けクラブだが、それを毎回説明するのも面倒なのでここ最近は勝手に部活動だと名乗っている。
「ううん。私が手伝うって決めたことだから、最後まで関わってたいの」
穏やかな口調でそう告げられて、毎日のように逃げ出そうかと考えていた自分が恥ずかしくなる。
「七瀬は偉いな。俺なんか逃げ出したくなる気持ちを抑えるだけで精一杯だよ」
気心が知れた七瀬相手だからか、逃げ出したいのを耐えるので精一杯だというありのままの本音を零してしまう。
「いや、柏木は実際に何回か逃げ出してたじゃん。その度に鳳凰先輩に捕まって投げ飛ばされて、地面に這いつくばった状態でさらなる仕事を課せられてたじゃん」
七瀬が呆れた顔で余計な指摘をしてくる。クソ、謙遜する感じでカッコつけようと思ったのに失敗したじゃねえか。それもこれも全て鳳凰先輩のせいだ。あの女、許さん。
「そんなことより早く荷物を運ぶぞ。ほら、眠そうな顔してんじゃねえ」
「痛いところ突かれたからって急に辛辣になるじゃん」
誤魔化すように歩き出した俺の後を彼女は付いて来る。生徒会室の隣にあるちょっとした小さな物置部屋から別棟まで運ぶので道のりは長い。
明日は午前中の終業式で学校が終わりのため、別棟の教室が授業で使用されることはない。だから今日のうちに小道具を設置していく。もちろん一部の部活動は明日の午後も別棟にいるわけだが、そんな少数の生徒に小道具を見られるくらいは許容していいだろう。むしろクオリティの高い小道具を見て、他の生徒たちに期待を煽るような宣伝をしてくれればこちらとしても有難い。
「良い感じになりそうだね」
段ボールに敷き詰められた小道具を見ながら七瀬は呟く。それらは不気味なオブジェだ。人数と時間を掛けただけあってクオリティはそれなりに高い。近くでマジマジと見れば粗も目立つが、暗い校内という環境で目にすれば期待する効果は得られるだろう。
「お化け役のクオリティも高いしな」
そう言って思い浮かべるのは後ろを歩く七瀬と、今はお化け役の衣装の仕上げに取り掛かっている委員長だ。特にこの二人のお化け役は板についており、下手なホラー映画よりも怖い。その他にも演劇部から二人が参加してくれて、内一人は正直大したことないのだが、もう一人は流石と呼べる演技を披露していた。
お化け役は全部で十三人。当初九人だったが新たに脅かすバリエーションのアイデアが生まれ、それに伴いお化け役も増えた。その中には演技指導の動画が評価された加藤も含まれている。
『あの動画あなたが作ったの!?凄く怖かったよ!』
『俺もめっちゃビビッて見てたわ。今は演技の参考のために見過ぎて平気になったけど』
お化け役の三年生二人からそう詰められていた加藤の姿を思い出す。動揺と吐き気と喜びが混じったような顔でオドオドしていた。急に知らない上級生から詰め寄られて嘔吐するかと思ったが、傍を鳳凰先輩が通ったことで悲劇は回避される。いつの間にか鳳凰先輩の存在は加藤の嘔吐阻止装置と化していた。
「良いイベントになるといいね」
七瀬がそう言って立ち止まった。振り返ると彼女は別棟までの渡り廊下の窓から沈みゆく夕日を見ていた。西の空はまだオレンジ色に明るいのに、東の空はすっかり紺色の宇宙が姿を見せている。
「ああ、こんなに頑張ったんだ。最高のイベントになってもらわないと困る」
俺はそう答えて再び歩き出した。渡り廊下を歩き切り別棟へと到着する。誰もいない別棟は電気が点いておらず薄暗い。明日の今頃はここで生徒たちが悲鳴を上げながら青春の一ページを刻んでいるはずだ。そんな光景に思いを馳せながら俺は仕事に取り掛かっていく。




