第二章11 オレンジ色
朝日が昇る。私の心は複雑だ。つい最近まで朝日が昇るのを呪って、夕日が沈んでいく光景で心を癒していた。
支度をする。顔を洗って、寝癖を直す。よく寝癖を直したつもりになって、実際は間抜けな寝癖のまま登校してしまったことが多々ある私は、度の強い大きな黒縁メガネを通して鏡に映った己の頭をよく観察した。
朝の時間帯は両親も洗面台を使うので、できるだけ早く場を離れられるように心掛ける。別に洗面台を占領することに罪悪感があるとかそういう理由ではない。ただ鏡の前に長居することで、この子も身だしなみを気にするようになったのかなんて思われるのが嫌なのだ。変に分析されるのは恥ずかしい。ただでさえ自意識過剰な私をさらに消耗させてしまう。
家を出る前に今日の時間割を右手に持って、学生鞄の中身に不足はないかを確認する。こうして確認していても定期的に忘れ物をしてしまうくらいには私は抜けているのだが、できる限りそうならないように入念な確認をした。もし忘れ物をした場合は死活問題となる。それが教科書だったら隣の人から見せてもらうなんてできないし、先生に教科書を忘れましたなんて進言する勇気もない。
毎朝そんなことを考えているから私は憂鬱だ。だから朝日が昇るのをいつも呪っていた。
それなのに最近は朝日が昇るのを見て、ワクワクなんて感情が湧いている気がする。これは非常に良くない。学校生活に期待してしまっているのだ。期待という言葉は一般的にポジティブな意味合いで使われることが多いと思うが、これは間違っている。期待した分、期待通りにならなかったときの精神的ダメージは大きい。ちょっとやそっとで立ち直れるものではない。
これまでの人生で私は何度も失敗している。こう見えて私は浮かれやすい。浮かれて、調子に乗って、失敗して、人生の終わりどころか世界の終わりみたいな気分になる。だから、どうせ私は失敗するのだから、自分に期待するべきではない。
そうわかっている。そう理解している。なのに、それなのに私は今日という一日に期待している。
ヒューマ君のせいだ。人生で友達ができた試しのない私に話しかけて、何の言葉も返せないのに傍にいてくれて、一言だけ言葉を返すことができて、そしたらさらに質問してくれて、そうやって一年間を通して本当に少しずつ彼と話すようになった。
そして、彼との会話にすっかりと慣れてしまった私は口が滑る。
『私だって本当は友達が欲しいんだよ。でもきっかけがないんだよ』
私の人生を思い返せば、きっかけなんていくらでもあって、それらを一度も掴めなかっただけだとすぐにわかる。でも、ヒューマ君という話し相手ができて調子に乗ってしまった私は、欲を掻いてしまった私は、彼に対してそんな言葉を漏らした。
『きっかけ、作ってみないか?』
優しい声音でそう言われたものだから、期待なんてしてはいけないのに彼にお願いしてしまった。
凄く後悔した。すぐに調子に乗ってしまう自分を呪った。朝日が昇ると学校に行かなくちゃいけないからその光景を呪って、夕日が沈むと学校から離れられるから心を癒した。
ヒューマ君は柏木 司様を連れてきた。色んな噂が絶えない人物だ。といっても友達のいない私は寝たふりをしているときにクラスの人たちが口にしていた噂しか把握していなんだけど、そんな有名人の彼が目の前に立っていた。
私とは正反対。堂々としていて、寂しい独りぼっちじゃなくて、孤高の孤独って感じで、独りで立派に生きている。憧れた。密かに崇拝していた。そんな柏木 司様が私に話しかけて、色々あって彼の目の前で胃の中身を吐き出すことになって、それも合計三回だ。絶対に嫌われたと思ったし、学校中でゲロ女などのあだ名を付けられるのではないかと恐怖した。
だけど、彼は私の傍から離れなかった。いつも上手く喋れなくて、簡単なことも失敗して、緊張すると嘔吐する。そんな私を見せても彼は傍にいてくれた。それどころか私と仲良くできるような聖人まで連れてきてくれた。
七瀬 千棘ちゃん。私の人生における初めてのお友達。落ち着いていて、声音が優しくて、言葉が温かい。私がべったりくっついても受け入れてくれて、ななちってあだ名で呼ぶことも許してくれる。大好きなお友達。
鳳凰 明日香様と関わることになるとは微塵も考えていなかった。私にとってあのお方は別世界の住人だ。というより、あそこまでの存在だと私以外の人たちからしても別世界のお方なのではないだろうか。それくらいに天上天下唯我独尊って感じで、カッコいいけど、お話しするのはきっと一生慣れない。
そんな明日香様は私に仕事を任せてくる。それは大体が無茶な要求で、私は泣きながら逃げ出す。けれどすぐに捕まって、結局はやる羽目になる。それが上手くいっても、失敗しても、最終的にはお前ならできるって次の仕事を任せられる。
私からすれば非常に困ることなんだけど、これまでの人生、お前はもう何もするなと、ただそこで見ておけとたくさん言われてきた私にとって、明日香様からの無茶ぶりを嬉しいだなんて思ってしまいそうだった。
私は困っている。昨日、多数の一般生徒がイベントの準備を手伝うことになったからお前が指示をしろなんてできっこない命令を下された。
それが嫌で嫌で堪らなくて、朝日が昇ってこないことを強く願っていた。でも、当然朝日はいつも通りの時間に昇ってきて、私が今日を生きる世界を照らす。
嫌だった。無茶な命令を下されたのに、いつもなら呪う対象の朝日のことを、心から呪えていないことが嫌だった。
ヒューマ君と出会って、司君と出会って、ななちと出会って、明日香様と出会って、変化していく私の日常に期待してしまう。もしかしたら、人に指示を出すなんてできっこない命令を下されている今日も、私の人生を変化させるきっかけになるんじゃないかって思ってしまうのが嫌だった。
昨夜、眠りにつく前、学校を仮病で休もうと心に決めていた。それなのに目覚めた私は顔を洗って寝癖を直して、学校に行く準備を進める。
もしかしたら今日…なんて、似合わない期待を胸の内に秘めながら、私は玄関の扉を開いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
私の思考は後悔という文字で埋め尽くされる。眼前の光景に、なぜ仮病で学校を休むという選択をしなかったのかと、十時間前の己を恨む。
膝がガタガタと震えているのがわかる。それに呼応するように顎もガタガタと震えている。なんだかそういう玩具にでもなった気分だ。
私の顔は今何色だろうか。赤か青か。もしくはそれらが混ざり合って紫という線もあるかもしれない。なんにせよ、この状況をどう打破すべきかを今は考えるべきだ。
何も困惑しているのは私だけじゃない。まあ、当然の話だ。目の前に並ぶ人々はイベントスタッフとして補充された方々だ。数はざっと二十といったところだろうか。きっとそれぞれの学年から集められた人たちだろうが、それを判別するための色分けされたスリッパを彼らは履いていない。理由は今いる場所が校舎横の広場で、屋外だからだ。外履き用の靴を履いた二十人の視線が私の方角を見ている。
ひょっとすると私の方角を見ているだけで、私を見ているわけではないのかもしれない。そうなれば私はお役御免だ。ここにいる必要はない。よし、帰ろう。
ガッと肩を掴まれる。大きな手だ。温かくも冷たくもない体温の手。ヒューマ君は私を逃がすまいと肩を掴んだ。それに少し遠い位置に明日香様がいる。あの人、支持出しとか得意なんだから、私にやらせるのではなく自分でやればいいのに。そんな不満を抱えていると良く目立つ赤髪の男子生徒が視界に映った。彼もまた少し遠い位置から心配そうにこちらを見つめている。
逃げられなくなった以上はやるしかない。なーに、私だってやるときはやる女だ。その証拠にお化け役への演技指導は上手くいったらしい。らしいというのは、私が用意した動画の感想を司君からしか聞けていないので、彼が私を励ますために嘘をついている場合は演技指導についても失敗していることになる。
あ、せっかく自分を奮い立たせようとしたのに成功体験のはずの演技指導の実績も信じられなくなり、体内の血がスーッと下のほうに落ちていく感覚に苛まれる。
私がなかなか喋り出さないものだから、集められた二十人の生徒の表情が曇り出す。その中には私の知っている顔もちらほらある。例えば私と同じ二年一組の平和島さん。とっても可愛くて優しい話し方をする女子生徒だ。クラスの中心的な存在で、班活動のときなんかに私が余っていると優しく班に入れてくれる聖女様だ。だから私は平和島さんが好きだ。まともに会話できたことはないんだけど。
その他に二年二組の陽キャグループがいた。あの人たちは騒がしくて内輪ノリがキツイから嫌いだ。あとは二年六組の三人組の女子生徒もいる。名前は確か阿賀さん。他の二人は名前までは知らない。彼女たちもクラスの中心にいるような人たちなので、私とは無縁の人種だ。傍から見ていると言葉遣いとかが粗くて苦手な人たちだった。
そんな感じでクラスの中心にいるような陽キャばかりが増員スタッフとして招集されている。それもそうか。私みたいな陰キャの人たちがキラキラした青春イベントのお手伝いなんて参加するはずがない。
カースト上位の方々が私を見ている。指示を待っている。早く説明を始めてないといけないのに、怖い。失敗したらどうしよう。変なこと言ってキモがられたらどうしよう。声が裏返って笑われたらどうしよう。ガタガタと震えていた体がピタリと止まる。それは覚悟を決めたからでもなんでもなく、極度の緊張で停止した思考に合わせて体も固まってしまったのだ。
あぁ、長い。頭の中ではこんなに色々と考えているのに、実際に過ぎた時間はどのくらいだろうか。十秒は経ったと思う。二十秒は経ったかな。
そうだ。私はいつもそうだ。結局は何もできない。小学生のときも、中学生のときも、似たような場面に出くわしたとき、私は俯いて黙りこくって、誰かが助け船を出してくれるのを待っていた。今日も、、、そうなのだろうか…。変わることができずに、そんないつもの結末を辿るのだろうか。
視界の隅で赤髪の男子生徒が動いたのが見えた。あぁ、彼が助け船を出してくれる。私は卑しくもそう思い、それに頼ってしまうのが悔しいはずなのに、助け船をじっと待った。
しかし、美しい褐色肌に銀髪の女性が赤髪の男子生徒の肩を掴んだ。私を助けようと動いた彼は止められてしまった。どうしよう。どうしよう。
頭が真っ白になる。助けて、助けないで、矛盾した言葉だけが脳みその中を右から左へ、左から右へと移動し続ける。
そして、私の肩に添えられた手が一度離れて、急にバンバンと叩かれた。ヒューマ君は筋肉質な体で私の肩を力強く二回叩いて、
「だいじょーぶ!!!!!」
そう叫んだ。私はびっくりして振り返る。ヒューマ君は私より頭二つ分高い位置にある顔をこちらに向けて、ニッと白く輝く歯を見せて笑った。
私は前を向く。二十人の生徒たちは少しだけ怪訝な顔でこちらを見ている。離れた位置にいる司君だけがぽかんと驚いた表情をしていた。私は肩の感触を確かめる。力強く叩かれたけれどちっとも痛くない。
「き、肝試し大会のための準備を手伝ってもらいます!」
私は裏返ってしまった声のまま集められた二十人に話しかける。脳内でシミュレーションしてきたはずなのに、何から話せばいいのかわからなくなって、そのまま思いついた言葉を放ってしまった。まずは自己紹介からだ。
「あ、えっと、わ、私は肝試し大会の運営スタッフの加藤です。えっと、その、今、人手が足りなくて間に合いそうになかったので皆さんに集まってもらいました!」
あぁ、この言い方だとなんだか偉そうだ。ちゃんとお礼の言葉を口にしないと。
「あ、ありがとうございます!」
文脈的に少し変なタイミングでお礼の言葉を言ってしまう。頭にお集まりいただきとかを付けたほうが自然だっただろうか。何人かの生徒と目が合う。困惑しているようにも、なんとも思っていないようにも見える。何を思われているかちっともわからない。怖い。でも、続ける。
「今日は、イベント当日に校内で設置する大きめの装飾を作ります。場所がないのでこの広場に物を広げます。や、ややや、っ…ん」
噛んでしまい咳ばらいを挟む。心が折れてしまいそうだ。涙が出そうだ。声はずっと上擦っている。
「やり方を教えるので、見ていてください!」
私は広場の隅に集められた未完成の装飾を手にし、実演しながら説明していく。皆さん無言で見ている。こんな説明でちゃんとわかってもらえているのだろうか。不安が肥大化していく。
「それで、この辺はこんな感じで塗ってもらって」
それでも説明を続ける。もはや自分の意思で声を出しているのか、自動的に喉から声が発せられているのかもよくわからない。
耳に小さな声が届く。私の説明に飽きた一部の生徒が小声で雑談を始めたようだ。私の体から温度が抜けていく。私の話を聞いてくれていない。誰も私なんか見ていない。
そう思って作業する手から目を離し、彼らを見る。でも、ちゃんとこちらを見ていた。雑談し始めてしまった生徒もいるけど、それは極一部で、集められた二十人のうち大半の生徒がちゃんと私の説明を聞いてくれている。
平和島さんと目が合った。一応同じクラスなので顔見知りだ。目が合ったのに気付いて、彼女は優しく微笑んだ。ちゃんと話を聞いてもらえているのだと、ちゃんと私を見てくれているのだと嬉しくなる。
私は一生懸命に説明を続けた。手を動かした。その手は震えていて、いつもはもっと上手くできるところを少し失敗する。それが悔しくて、泣きそうになって、でもそんな私の稚拙な説明をしっかり聞いてくれて、涙を堪えるので必死だった。
嬉しくて泣きそうなのか、悔しくて泣きそうなのか、はたまた怖くて泣きそうなのか自分でもわからない。
それでもできる限りわかりやすいように、ちゃんと聞いてもらえるように大きな声で、全神経を注いで私は説明をする。
五分経って、十分経って、ようやく大まかな説明を終える。それでは皆さん作業お願いします、わからないところは私かあっちにいるメンバーに聞いてください、そんな感じの言葉を伝えて、集められた二十人は広場内に散り散りになる。
散り散りになった生徒たちを私はその場に突っ立ったまま呆然と眺めていた。夏の太陽は薄く広げられた雲に遮られ、いつもより弱い熱しか地上に伝えられない。それでも蒸し暑さが残り、私の額から一粒の汗が顎先まで伝っていった。
人の気配を感じて振り返ると、私のことをずっと心配そうに見つめていた赤髪の男の子が立っている。
「頑張ったな。凄いよ、お前」
聞き慣れたその声は聞いたことのない優しい声音で、顎先にまた一粒の水滴が滴った。それが目に溜まっていた涙だと気付くこともできずに、私の口は少し歪んだ形で笑顔を作った。
薄く広がった雲の隙間から太陽が覗く。オレンジ色の一閃の光が、私の瞳を美しく照らす。視界では私の説明を受けた生徒たちが作業に取り掛かっている。オレンジ色に照らされたそんな世界は、初めて見る美しさだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「うぅ…、痛い、痛い、いたい、いたい、イタイ」
蹲った少女は傷だらけの腕を抱えようにして泣き、その音は不協和音となって耳に届く。
「イタイ、イタイ、なんで私ばかり…」
痛々しく、そして悲しげに呟かれる音は冷たい汗を俺に掻かせた。
「イタイ、イタイよ、お母さん…、パパ…、痛いよ」
ぶるぶると震える少女が目の前にいれば優しく抱きしめたくなってもいいはずなのに、目の前の少女にそういった感情を抱けない。それはぶるぶると震える彼女震え方がどこか異常で、自分の知らないナニカだと本能が告げているからだ。
「イタイ、イタイの、イタイよ、傷むから、次は…」
「アナタ」
冷たいのに湿度の籠った音域が耳を通過し脳内を満たす。冷や汗は量を増し、肌にはブツブツと鳥肌が生まれ始める。
そして、そっと目の前まで差し出された少女の両手は、俺の首をゆっくりと触れ、気付いたときにはもの凄い力を込められて窒息死する未来が見えた。
「こわっ!!!超怖い!トラウマなりそう!!」
俺は首元に添えられた手から逃げるように後方へと下がる。人の温かい体温が首元に残っており、その温かさから目の前の少女が幽霊ではなく生身の人間だとわかるのに、脳内に分泌された危険信号は一向に収まってくれない。
「えへへ~。ありがとう~」
顔の力をへにょんと抜いて嬉しそうに照れるのは委員長こと、速川 日和だ。
「褒めてるけど、あんまり素直に褒めたくねえな…。委員長を見る目が変わってしまいそうだぜ」
彼女の演技にビビり散らかした俺はそんな感想を漏らす。
「そこまで言ってもらえると自信になるね!よーし、これで三日後の肝試しはバッチリだね!」
いつもと同じ元気な姿を俺に見せるが、先程の演技のせいで緊張から抜け出せない。俺の心臓はまだドクドクと強く速く脈打っている。
「まさか委員長がこんなに演技上手かったとはな。正直、ガオーくらいのクオリティだと思ってたぜ」
「ふふーん。実はこう見えて中学生のときに文化祭の劇で主役を務めたんだよ」
ピノキオのように鼻が伸びそうな表情で胸を張って彼女は答える。
「へー、そうなのか。だったら林間学校のときもお化け役をすればよかったのに」
委員長発案で開催された林間学校の肝試し大会。そのとき彼女はお化け役ではなく、レクリエーションの司会進行を務めていた。
「そうなんだよ。司会進行も楽しかったけど、お化け役もやりたかったんだよね。だからヒューマ君が肝試し大会やろうって言ったとき、実は内心で燃えてたんだよ」
彼女はガッツポーズを作りながら瞳にメラメラとした炎を宿している。
「まあ、これでお化け役のクオリティはクリアだな。老婆の怪異役の七瀬に、自殺した虹川さん役の委員長」
東浜高校の七不思議の内の二つは俺も身をもって体験したクオリティの高いお化け役となった。残りの五つの内、プールの水死体、音楽室の白いドレスの女、グラウンド徘徊の汚いおじさんもそれぞれ別の生徒が配役されている。
どこまでの続くエンドレス階段については再現不可のため諦めた。体育館に響き渡るバスケットボールの音はそもそも別に怖くないため、色んな要素を足してアレンジを加えた状態で提供する予定だ。
「柏木君も狼男役がんばってね」
「俺だけ林間学校のときと一緒だな。しかし、委員長や七瀬の演技を見た後だと己の演技のチープさが際立って恥ずかしくなってくるな」
これは謙遜でもなんでもなく本音である。俺は主観的に見ても客観的に見ても別に演技は上手くない。壊滅的に下手というわけでもなく、まあ要するに普通の演技力なのである。
演劇部よりも演技力が勝っていそうな委員長や七瀬と比べてしまうと、俺の演技なんてかなりしょうもなく見えてしまうのが現実だ。
「だったら加藤さんに相談してみれば?私も加藤さんの演技指導の動画をかなり参考にしたし」
「確かにな。それで言うと加藤もお化けの演技上手いわけか。周りのレベルが高いとプレッシャーが強力だ」
以前、加藤に演技について言及すると、『お化け役の演技が上手いだけでその他はそうでもないと思う。それに人前だと演技できないから発揮されることはないよ。ハハ』と渇いた笑いを聞かせられたのであった。
実際にお化け役以外の演技を見たことはないので真偽は不明だが、俺より優れている人間がいると妬ましいので、加藤自身の言う通りお化け役以外は大したことなければいいと思う。俺、器小さいな。
それで言うと七瀬も演技は得意ではないと言っていたことを思い出す。声に感情が乗ってなさ過ぎて、去年の文化祭で劇をしたときは練習で何度もリテイクを食らったと愚痴っていた。今回の老婆の怪異は、七瀬のローテンションのハスキーボイスがたまたまハマったらしい。
「加藤さんもかなり皆と馴染んできたよね」
委員長が嬉しそうに話す。彼女の言う通り、増員されたメンバーへの説明を成し遂げた後から加藤はメンバーの一員として受け入れられたように感じる。未だに雑談を交わすのは俺とヒューマ、それに七瀬の三人だけだが、業務連絡については色んな人たち相手に頑張っている。もちろん未熟な部分は多く目に付くが、それでも初めて彼女に会ったときのことを思えば凄まじい進歩である。
「私もようやくお話できるようになってきて嬉しい。まだ目を見てくれないけど…」
委員長が悲しそうにそう言うが、こればかりは加藤が慣れるまで待つしかない。キラキラした委員長と目を合わせるには、まだ加藤の生物としての適応が追い付いていない。
「まあ、時期に普通に話せるようになるさ。なんたってあの鳳凰先輩相手に会話できるようになった奴だからな。俺は未だにあの女王様とまともな会話できないぞ」
「それはいいことだけど、その言い方は失礼だよ」
委員長は僅かにムッとした表情で、声音は優しいまま答える。
「それにしてもあと三日か。あっという間……いや、全然あっという間じゃなかったな。凄い長かった。憤怒の寵愛使ってないのに色んなところが筋肉痛だし、脳ミソもクタクタだ」
流石にこの三週間弱の激務をあっという間なんていう言葉で片付けることはできず、意識しないように努めていた疲労感は目の前に迫る。
「あはは。だね。さすがの私も疲れちゃった。今日はゆっくり寝て、明日に備えないとだね」
「まあ、明日は授業もないから昼間はゆっくり寝られるな」
「む、ダメだよ。明日は年に一度の球技大会なんだから。クラス一丸となって優勝を目指すよ」
明日から二日間、球技大会である。俺としてはサボって別棟の屋上とかでお昼寝しようと思っていたのだが、それは委員長に阻まれそうだ。
「どうせ安武が無双するだけだから結果は目に見えてるけどな」
俺はそう言葉を零した。安武 晴間。強いだけでなくスポーツのほうも万能だ。ありとあらゆる部活の練習に助っ人として参加し、各部活のエースに指導する立場を確立しているよくわからん奴だ。
「私は柏木君のカッコいいところも見たいけどな」
「おいおい、俺にボールが回ってくるわけないだろ?」
「すごい悲しいこと言うね…」
委員長の悲哀の視線が痛い。
「ま、そんな球技大会も終われば、いよいよ終業式で夜には肝試し大会だ」
「お祭り続きで楽しいね!」
委員長はワクワクした素振りでそう言うが、俺は内心で別に楽しくはねえよと感想を抱く。口にはしないところが俺の偉いところだ。
「あ」
委員長がそう声を上げたのは下校の時刻となり、それを知らせるチャイムが鳴り響いたからだ。外を見ればすっかり暗い。つい数十分前まで明るかったのが嘘のようだ。
「それじゃあ帰るか」
「そうだね。途中まで一緒に帰ろう」
そう提案する彼女に頷き返しながら静かな廊下を歩く。二人の足音が響いた。
風の音が聞こえるが窓に塞がれて俺たちの特徴的な髪をなびかせることはできない。窓の外を見上げると浮かぶ星空が見える。林間学校のときほど空気が澄んでいないからか綺麗にくっきりとは見えない。それでもあと数日で満月になるであろう月だけは、くっきりとした輪郭で強く光り輝いていた。




