第二章10 フラッシュバック
イベントに向けての作業は早速開始された。それぞれのチームで役割分担をして、非常に円滑な進行が行われる。忙しくはあるが活気はある。現場から感じ取れるその雰囲気に満足したいところだが、生憎俺はその光景を恨めしそうに見ることしかできなかった。
綺麗に役割分担したと前述したが、その中に俺は含まれていない。俺と鳳凰先輩と加藤というそれぞれが異なる方向に癖のある三人チームには役割が与えられていなかった。無職、つまりもう帰宅してもよい、というわけでもない。俺たちのチームの役割は雑用。手が足りていないチームの手伝いや鳳凰先輩が次から次へと提案する予定にない要件を叶えるための部隊だ。格好良く呼べば遊撃隊である。
他のチームが一つのタスクに集中して取り組む中、俺はマルチタスクで常に動いている。各チームのマネジメントや打ち合わせ、小道具作りや作業場所の確保まで行う。それだけで手一杯なのに忌々しい生徒会長からの無茶ぶりに答え続けている。
特に面倒なのは屋台関連の準備だ。なぜ肝試し大会に屋台が必要なのか微塵もわからないが、たこ焼きやら焼きそばやら綿菓子やらの手配を進める。急にそんな屋台を用意できるのかと聞かれれば、通常であればノーと答えるだろう。しかし、誠に残念ながら今回は屋台の当てがあった。
鳳凰財閥。名前を聞けば察せられると思うが、鳳凰 明日香という女は世界トップに君臨する財閥の娘である。俺はつい先日知った内容だったが、これは有名な話だったらしく、なぜ知らないのかと多くの者たちから白い目を向けられた。
鳳凰財閥のグループ内に屋台を出店できる者たちがいるらしく、その方々との調整を全て俺が担当することになった。そういうことは財閥に属する鳳凰先輩ご本人様がすべきではないかと抗議したが、つまらなそうな顔で冷たい視線を俺に対して浴びせた後、私に勝ったら引き受けてやるとか言い出しやがった。
勝負がどうなったかって?もちろん紳士な俺はレディを傷付けることなどできないから、初めて会ったときのように投げ飛ばされて決着したさ。
そしてアポイントから打ち合わせを経て、業者の方々から提案資料の内容に大量のダメ出しを食らい、イベントまでの日数もないため帰ってから自宅で資料を修正し、再度提出に行くというのを三度繰り返した。そうしてようやく四つの屋台を設置できることに決まり、お助けクラブの面々からお褒めの言葉をたくさんいただいた。鼻高々になった状態で鳳凰先輩に報告したところ、「遅い」とだけ言葉が返ってきた。
湧いた殺意に従って襲い掛かるのを必死に耐え、「ガルル」と睨みを利かせながら唸ることだけしたが、鳳凰先輩は「不細工」と一言発した後に俺を投げ飛ばした。あの女、マジで許さねえ。
そうして屋台の手配とその他の雑用をマルチタスクで捌いた結果、最も気に掛けるべき加藤にまで手が回らなかった。前述した通り、遊撃隊のチームメンバーは俺と鳳凰先輩と加藤の三人だ。つまり俺が手一杯の間、加藤は鳳凰先輩と活動していたのである。
「司君助けてー!」
女子生徒の泣き声が聞こえ、音の発生源を見ると見慣れた顔がこちらに迫ってくる。小さな体に大きな黒縁のメガネが特徴的な女子生徒、加藤 ラブマリンが全力疾走でこちらに駆けてくる。
「毎度失敗しているのにも拘らず、毎日私から逃げるその姿勢は褒めてやる。益々気に入ったぞ」
加藤の後方に目をやれば、我が校の生徒会長が美しいフォームで走っている。加藤も足は速い方だが、そこらの陸上部にも圧勝できる鳳凰先輩の脚力を前には歯が立たない。そうして俺のところへと辿り着くと同時に捕らえられる。
「うっ、うぅぅ…。もう少しだったのに」
「いや、仮に俺のところまで逃げ切れたとしても、鳳凰先輩から守り切ることなんて俺にはできないぞ」
目の前で褐色肌の麗しい女性に羽交い絞めされた加藤は涙を浮かべながらそう言うが、俺を盾にしたところで三秒持たずに投げられるだけだ。
「よくわかってきたではないか。ようやく主従関係が身に付いてきたか」
「アンタと主従関係を結んだ覚えはねえよ。それより加藤を放してやってくれ。今度は一体どんな無茶ぶりを言い出したんだ?」
「ひ、酷いんだよ!お化け役の皆への演技指導を私にやれって言うの!」
羽交い絞めにされて足がぷらーんと浮いた状態で加藤はそう訴えてきた。
「確かに酷いな。鳳凰先輩、加藤みたいな陰の者に人前で演技ができると思ってるのか?」
「そーだ、そーだ」
我ながら加藤に対して失礼な発言だったと言った後に自覚するが、当の本人が強く同意を示す。
「お前らは何を言っている?ラブマリン、お前演技をしたことはあるのか?」
「あるわけないじゃないですか!?幼少期のお遊戯会から高校の文化祭のステージ発表に至るまで、木の役以上の大役を務めたことはありません!小学五年生の頃、半強制的にセリフのある役を押し付けられたときには二か月間不登校になってやりましたよ!」
全然誇れる内容じゃないにも拘らず、加藤は堂々と言ってのける。こいつの過去、色んなトラウマが詰まってそうだな。
「やはりな。ならば演技指導を頼んだぞ」
「話聞いてました!?」
驚くべきことにそれでも加藤に演技指導を任せようとする鳳凰先輩に対し、さすがの加藤も声を荒げて言い返した。
「私が話を聞かぬような人間と言いたいのか?」
鳳凰先輩の眼光が鋭く光った。一緒にいる俺まで身震いしてしまう。けど、アンタはかなり人の話を聞かない人間だよと心の中だけで言い返した。
「へ?あ、いや、えっと、ご、ごごごごごめんなさい。そ、そんなつもりじゃ。おおおこらないで」
そんな鳳凰先輩の反応にビビり散らかした加藤は、顔色を夏空のような真っ青に変えて震える声で懇願した。そのまま加藤が嘔吐したり失禁したりするのではないかと心配しながら様子を見守る。
「お前は演技をしたことがないと言った。それは演技ができない証明にはならん。したことがないならばすればよい。演技指導、任せたぞ」
高圧的、だが芯のある口調で鳳凰先輩は命令する。
「は、はいぃ」
その圧に負けて加藤はうるうるとした瞳のまま命令を承諾した。
泣き出したくて堪らないであろう加藤の心情とは裏腹に、世界は雨雲一つない快晴だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
場所は視聴覚室。集められているのはお化け役の生徒たちだ。お化け役には七瀬と委員長、そして俺が抜擢されている。他にも生徒会から二名、協力を仰いだ一般生徒から四名が加わり、計九名となる。
集められた理由は演技指導だ。お化け役をするにしてもコンセプトは重要である。遊園地なんかのお化け屋敷にだってテーマはあり、従業員一同がテーマに沿って、つまりはこういうテイストでお客様に恐怖を与えるという共通のゴールの方角を向いて業務に望んでいるだろう。
だから事前にどういったテーマ、心持ちでお化け役に臨むかは擦り合わせが必要である。今はそのための時間だ。
演技指導をしてくださるのは今回の肝試し大会開催のきっかけとなった人物。加藤 ラブマリンさんである。しかし、この視聴覚室に彼女の姿は見えない。俺は正直不安だった。鳳凰先輩から無茶ぶりをされ、他者とのコミュニケーションが極端に苦手な加藤がどのように演技指導をするのか、そもそもできるのか心配で仕方がなかった。
結果、残念ながら彼女はこの場所に現れなかった。逃げ出したのだ。仕方がないとは思うものの、こうなるくらいならあのときに同じ空間にいた俺が無理にでも演技指導なんて大役を却下すべきだった。俺がそう考えた瞬間、視聴覚室のカーテンが閉められ、プロジェクターが暗い教室内に映像を灯らせた。
「これは…」
小声でそう呟く。いったい何が始まるのだろうか。
映し出されたのは我が校の映像だ。場所は別棟の廊下に見える。そこに一人の少女がポツンと立っている。
『み、皆さん、こんにちは。演技指導を担当する加藤です。あ、えっと、誰かに見られると緊張して真っ白になるので、動画を用意することにしました。い、今からお化けになるので、参考にしてください』
少女がかなり緊張した様子で話し終え、映像が切り替わる。画角が変わり、お化け役の衣装に身を包んだ少女が不気味に映し出される。視聴覚室内に緊張が走る。次の瞬間、映像の中の怪異が呻き声を上げた。次第にその声は叫び声のように変わっていって、途中からすすり泣いているようにも見え始める。かと思えば急に笑い出し、非常に気味が悪い。教室内の何人かが鳥肌に対処するように腕を手の平で温めた。
映像は移り変わりプールサイドになる。夜の映像だ。画面にはプールしか映っていない。すると水面から形に違和感を覚えるシルエットの腕が出てきた。そしてゆっくりと頭が浮いてきて、這いずるようにこちらへと迫っていく。フシュ―、フシュ―、と耳障りな音と共に近づいてくる。
映像が切り替わる。見覚えのある廊下だ。窓の外は暗い夜だ。廊下の奥には扉の開いた教室がある。東浜高校の生徒はその教室が音楽室であることを知っている。そして急に教室の奥から白いドレスを見に纏った長髪の女が走ってくる。体を左右に揺らし、人間の走り方とはとても思えない奇怪な足運びでこちらへと寄ってくる。遠目に見えていたそれは僅か数秒でこちらへと迫り、気色の悪い不気味な奇声を上げる。キンキンと高く、思わず耳を塞ぎたくなる。
それからも映像は切り替わり、合計で九パターンのお化けだった。当初は東浜高校の七不思議に沿って七役のお化けを用意しようとしたが、七不思議の中には実演が難しいものもあり、最終的に怖がらせるアイデアは全部取り入れることになった。現時点では九パターンのアイデアが出て、これからも良いアイデアが出れば増やしていく予定だ。
映像がブツリと切れる。それも演出かと思ったが、プロジェクターから発せられた光は消え失せ、動画が終わったのだと理解する。
「おぉ…おぉー」
教室内の何人かがそんな声を漏らし、その他の何人かがパチパチとまばらに拍手をした。その反応からわかるように、映像に映し出された怪異はそれなりにちゃんと怖く、さらに演技の参考になるものだった。
他者とコミュニケーションを上手く取れない加藤は、お化け役の演技指導という大役をこんな形でやってのけた。
「ほう、面白い。合格だ」
お化け役でもないのに視聴覚室の最後列に鎮座していた鳳凰先輩は、楽しそうな声音でそう呟いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「よくあんな映像作ったな。やるじゃねえか」
視聴覚室でのミーティングを終え、今度は小道具作りへと駆り出された俺は隣の加藤を見る。紙粘土で白い細腕を大量制作している。イベント当日、壁一面に貼り付けるらしい。
「え!?見たの?は、恥ずかしい…死ぬ…死のう」
「死への思考回路速すぎだろ。死ぬな。本当に感心したんだぜ」
照れて頬を赤らめるのではなく、本当に嫌そうに青ざめた顔の加藤にそう伝える。自分で映像を用意しておいて、なぜそんなリアクションになるのだろうか。
「だ、だって、あんな迫真の演技をしてるところを誰かに見られたかと思うと、黒歴史だよ!デジタルタトゥーだよ!」
「デジタルタトゥーの使い方違うと思うぞ。とにかく自信持てよ。他の奴らも凄いって拍手してたぜ」
「ははーん、私を褒めてその気にさせようったってそうはいかないよ!私が誰かに褒められるようなことをできるわけないんだから!」
自信満々のドヤ顔で悲しい発言をする加藤に呆れた眼差しを向けながら俺は反論する。
「お前の自己評価が想像以上に低いことはわかったが、実際にメンバーたちには認められたと思うぞ。丁度良いきっかけになったんだし、七瀬以外の誰かともコミュニケーションを取ったらどうだ?」
「まったく司君は何を言っているんだか。私はななち、ヒューマ君、司君、明日香様の四人とコミュニケーションを取れてるんだよ。身に余るほどのコミュニケーションは取れてる。欲を掻いて身を亡ぼすほど私は愚かじゃない。これ以上話し相手は増やさない」
ただ初対面の相手と話すのがこわいだけなのに随分と饒舌なものである。加藤と出会ってもうすぐ二週間。ようやく俺とのコミュニケーションに慣れてくれたのか、最近の彼女は饒舌なことが多い。そして今みたいなドヤ顔をよく浮かべるようになったので若干腹が立つ。
「わかってないな~、加藤は」
俺はわざと溜息をしながら、やれやれとでも言いたげな声音で語りかける。加藤が頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。
「鳳凰先輩に気に入られた今、お前はこれからどんどん無茶ぶりをされていくことだろう。そうなったときに泣きつける先を増やしておかなくていいのか?俺や七瀬、ヒューマが常に傍にいるわけじゃないんだぞ。困ったときに助けてもらえる程度のコミュニケーションは取っていくべきだとは思わないか?」
俺の説明を聞いて「た、確かに」と顔を青ざめさせながら彼女が納得する。
「で、でも、初対面でのコミュニケーションなんてどうすれば…。あ、お化けの演技しながら近づくとか?」
「どういう思考回路でそんな奇策に辿り着くんだよ…。普通に話しかけて、適当に会話してればいいんだよ」
「その普通がわからないんだよぉ。適当な会話ってのも何?適当って何?私は正解を知りたいの!」
そう言われて考えてみるが、よくよく考えていれば俺もコミュニケーションは下手な部類の人間だったのでアドバイザーとして適していない。俺は加藤と違って誰にでも臆することなく話しかけられるが、それはただ相手のことを気遣っていないからできるだけの芸当だ。
「そんなこと俺に言われても」
「急に梯子外された!?」
自信の無くなった俺に対して加藤はオーバー気味のリアクションを返してくる。
「まあ、そこらへんは七瀬にでも聞いてくれ」
「なんか雑になっていませんか…?」
「そんなことより」
俺の顔を見る加藤の視線が懐疑的なものになったため、無理やり話を逸らすことにする。
「加藤って演技上手いんだな。正直、かなり驚いたぞ」
「へ?そ、そう?」
「ああ、プロの女優かと思ったくらいだぜ」
「そ、そんな嘘つかなくていいよ」
加藤のお化けの演技を褒めると、今度は嬉しそうな反応をしてくれる。下がりかけた好感度を取り戻すためにもここはヨイショしておこう。
「おいおい、俺が嘘なんてつくと思うか?つまらない映画を見たら余すことなく酷評をネットに書き込むような人間だぜ。そんな俺が絶賛するんだ。加藤は立派な名女優だぜ」
「へ、へへ、ふへへへへ」
少し大袈裟に褒め過ぎたかもしれない。加藤の顔は緩み切った笑みを浮かべ、少し気持ち悪い声を上げている。でもまあ、加藤の演技が上手かったのは事実だ。名女優というのは大袈裟な表現だったが、そこらの学生の演技にしてはかなりのものだったように思う。
「じ、実はね、昔からホラー映画とか好きで、そんな中でも私が特に怖いと思った怪異たちに成り切って演じてみたんだ。他にも怖がらせる色んなバリエーションを知ってるから、どんな画角が最適かとか結構こだわってみた」
嬉しそうに語る加藤の姿は微笑ましい。ようやく心を開いてくれた感じがして、少しだけこそばゆい。
「なるほどな。もしかして今回ヒューマが肝試し大会やろうって言い出したのって」
「うん、私が得意そうなことを選んでくれたんだと思う」
とにかく元気で突っ走る男というのがヒューマに対する印象だったが、ここ最近は意外と気配りができる奴なのかもしれないと思い始めてる。調子に乗りそうなので本人には言わないが。
「まあ、ここまで来たんだ。どうせならイベントを成功させてやろうぜ」
俺はそう言いながら加藤のほうに拳を突き出した。
「うん、頑張る」
加藤はそう言いながら俺の突き出された拳に千円札を置いた。
「なんでだよ!!!」
加藤の思わぬ行動に俺は大きい声を上げてツッコんでしまう。
「え、拳を突き出してきたからカツアゲかと思って…た、足りなかった?」
「カツアゲじゃねぇ!ただのグータッチだよ!今の会話の流れでカツアゲする奴なんざこの世にいねぇよ!」
出会ってもうすぐ二週間。加藤について随分理解した気になっていたが、どうやらまだまだらしい。
「そ、そんな!私が誰かとグータッチなんておこがましい!」
そう言って加藤は俺からのグータッチを拒否した。俺の差し出された拳には、風に飛ばされてしまう程に軽い千円札が虚しく乗っかっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ありえない終わらない間に合わない帰りたい」
そうブツブツと呟きながら俺は手を動かしていた。先程までは足も動かして大きな荷物を運んでいたため、体はもうクタクタである。視野を広げれば、俺以外にも多数の生徒が忙しなく動いている。
作業はそれなりに順調に進んでいる。けれどイベント当日まで十日を切っており、このままでは間に合わないという現実が見えてきた。割り当てられた要員でよく回しているほうだと思うが、そもそも人が足りない上に準備期間も短いため、最初からが無理ゲーだったのだ。
もちろんこのまま開催しても一応の形にはなる。ただ全校生徒強制参加、おまけに屋台まで呼んでしまった手前、肝心の肝試しの中身がクオリティ不足だ。今の状態で開催しても微妙な反応をされて終わるか、強制参加に不満を抱く生徒を爆発させかねない。
現時点では強制参加という強行に対して生徒たちから不満の声は上がっていない。それは奈良先輩の作戦が上手くハマり、イベントへのポジティブな印象を与えることに成功したからにほかならない。しかし、逆説的に言えば上げた期待度に見合わぬ成果物だと炎上案件に成り変わるということ。
「ひゃー!」
そんな心配事をしていると、校内に叫び声が響く。が、ちらりと視線を向けるだけで誰も心配していない。
「そう逃げるな。お前ならできる。私が言うのだから間違いない」
「無理です無理です無理ですぅ!私、もう、おぇ」
「吐くのは許さんぞ。またその口を塞いでやろうか?」
「ふんぬっ!」
傲慢で強欲な女王に捕まった彼女は嘔吐を何とか堪えた。
「でも私…ゼロ人以上の人間相手に指示なんて」
「私ができると言っているのだ。まさか傲慢にも私ではなくお前自身の考えを信じるのか?」
傲慢なのはアンタだ、と心の中でツッコむが口には出さない。
「ひぃぃぃぃー!」
聞き慣れた加藤の悲痛な呻きを聞きながら、俺は今日に至る数日間を振り返り、俺はよくやってきたと自画自賛することで心を保つ。
「司」
後ろから俺の名を呼ぶ声が聞こえる。声の主は安武 晴間だ。遠目に見える加藤がこちらに助けを求めるように手を伸ばしているが、俺はそれを見なかったことにして安武と会話することを選択する。
「どうした?」
「奈良先輩からの指示だ。このままじゃ間に合わない。よって一般生徒から人員を補充する方針になった」
「ま、妥当だな。そもそも校内全域の肝試しイベントなんて、お助けクラブと生徒会だけで終わるわけなかったんだ」
ここ数日の疲れから荒んだ瞳を宿し、俺は感想を零す。僅か三週間の準備期間を二十人弱の人数で準備する。しかも昼休みや放課後、土日しかやる暇はなく、部活や塾がある者はそちらを優先するため人手はさらに足りない。
「と言っても、準備開始の時点だと何をするのかも大枠しか決まっていなかったからな。そのときに増員してても、仕事内容が決定していない状況で手持無沙汰のメンバーが増えていただけだろうな」
安武が正しい見解を示す。彼の言う通り、つい数日前までは探り探りで作業を進めてきたのだ。そしてようやく詳細な部分まで何が必要なのかを明確化でき、メンバー全員が手持無沙汰にならずにフル稼働を開始した。まあ、その結果、俺は激務で疲れ切っているのだが。
「それで協力者は得られそうなのか?」
俺は懸念している内容を口にする。一般生徒からしたらイベントの手伝いなど何一つメリットがない。楽しくワイワイダラダラと準備できるなら青春に飢えた愚か者たちが集まってくるかもしれないが、この状況でダラダラと作業をされるくらいならいないほうがマシだ。今求められる人材は不平不満を言わずに与えられた膨大なタスクをこなしてくれる従業員なのである。なんだか日本社会の縮図みたいで嫌だな。
「それについては問題ない。生徒会のメンバーや速川なんかは人望があるからな。人手を集めるのにこれ以上適したメンバーはいないよ」
それを聞いて確かにと納得する。それに人望があるで言えば安武自身も該当する。むしろこのメンバーで人が集まらなかったら、東浜高校から人材を確保するなんて無理に等しい。
「こういう時に日頃の行いが表面化するよな」
俺はそうぼやいや。仮に俺が協力者を募っても誰一人として後を付いて来る者はいないだろう。日頃から人助けをしている委員長や、部活の助っ人をしている安武だからこそ人は付いて来る。
「ま、そういった事情の結果、加藤さんは鳳凰会長に追い回されてるってわけ」
安武はそう言いながら鳳凰会長に捕らえられた加藤のほうを指差した。
「なるほど。次の加藤の仕事は増えた作業員のマネジメントか。…不安だなぁ」
鳳凰先輩は加藤ならできると思っているようだが、俺としては不安が勝る。複数人とコミュニケーションを取りながら作業指示をして、進捗も把握し、遅れが生じていれば順調なチームから要員を補充する。そんな役割を今の加藤にこなせるとは正直思えない。
「可愛い子には旅をさせよ、ってやつなんじゃないか?」
安武はそう言うが、俺の表情から心配の色は抜けなかった。俺自身にもマネジメント業務をこなせるか自信はないが、何かあれば加藤をフォローできるように努めようと心に決める。
時刻は十七時を過ぎた。まだ日は高く、外で作業をしているため汗が額から流れ続ける。滲む太陽を睨みながら俺は作業に戻った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
東浜高校の下校時刻は十九時三十分である。大体の部活動は十九時のチャイムと共に片付けを開始し、十九時半には校門を通り過ぎる。その時刻を過ぎれば警備のおじさんが戸締りの確認を兼ねて校内の巡回を始める。
現在の時刻は十九時二十四分。下校時刻ギリギリだ。他のメンバーは十分前には校門を通過した。キリの良いところまで作業を続けた結果、俺だけこんな時間となってしまった。そうして電気も消されてしまった廊下を歩く。
外に目をやれば流石に日は沈んだらしく、暗い夜の光景が展開される。渇いた汗の感覚も気持ち悪くて、早くシャワーを浴びたいという欲求に駆られる。一定のリズムで足を前に進め、速やかに帰宅すべく歩いた。そうして二階から一階へと下りる階段の傍に人影が見えた。
校内はもう暗いため、そこに立っている人物が誰かまでは確認できない。シルエットが女子生徒の制服であることだけがわかる。
「あ、つー君」
人影は声を発した。瞬間、俺の内臓は急激に調子を崩したように痛み、気分が悪くなったのがわかった。
「…」
俺は返事をしない。したくない。
「つー君、久しぶりだね。元気だった?」
可愛らしい女性の声が鼓膜を揺らし、俺は心底不快な気分になる。
「…同じ学校なのにこんなこと聞くのも変か」
彼女は無理して明るく振舞い、作られた照れ笑いの表情を浮かべている。俺は階段のほうへ歩き、彼女は頼んでもいないのに俺のほうへ歩いてきたので、せっかく暗くて見えていなかった顔も視界に映った。
「お前と話すことはねえよ」
俺はただ一言そう発して、彼女の傍を横切った。横切る瞬間に彼女から甘く優しい香水の香りがして吐き気を催す。
「…」
冷たい言葉を掛けられた彼女は黙り込む。俺は罪悪感を抱くことなく、僅かに歩みを速めた。
「…私ね、肝試しのイベント、手伝うことになったの!」
後ろから彼女が俺に語り掛けた。その言葉を聞いて俺は目を見開く。最悪の展開で、最低な気分だった。
「このままだと間に合いそうにないって聞いたよ。だからさ、つー君のお手伝いを私にさせてほしい。昔みたいに一緒に頑張ろうよ」
綺麗な声。委員長や鳳凰先輩のように特徴のある綺麗な声質ではなく、自然と耳に馴染むような綺麗な声質。
「私も今日頼まれたばかりでさ。あんまり状況を把握できてないから、よかったら聞かせてくれないかな?久しぶりに…一緒に帰ろうよ」
俺は振り返る。階段を半分ほど下りた俺は、階段を下り始めていない彼女を見上げる。視界に映るのは可愛らしい女子高生の顔だ。黒髪ショートボブの髪型。整った目鼻口のパーツ。大きな瞳に微かな涙を浮かべてこちらを見つめている。
「消えろ」
俺は可能な限り精一杯に感情を押し殺してそう答えた。それでも彼女の姿を映した俺の瞳に宿る殺意まで隠し切れなかった。
俺は歩みを進める。憤怒の寵愛が発動しているこの体で、下駄箱を破壊しないように慎重に手を掛けて、外へとつながる扉を開く。その間、彼女が黙っていたのか、後ろから声を掛けていたのかはわからない。俺は意識的にそれらをないものとして扱った。
歩く歩幅を大きくする。一歩前に踏み出すスピードを速くする。忌々しいことに彼女とは帰り道が被っている。これ以上、彼女を視界に入れたくないし、彼女の視界に入りたくない。その一心で俺は歩き続ける。
何も考えないようにする。何も考えないようにした。なのに頭の中ではぐるぐると過去の光景がフラッシュバックされる。
大切な存在を失う瞬間。信じていた者から裏切られた瞬間。
どれくらい時間が経っただろうか。どれくらい歩いただろうか。いつもと同じ通学路なのに、自分が今どこにいるのかがわからない。
もう大丈夫だろうと、もう大丈夫であってくれと願って、俺は後ろを振り返った。そこには誰の姿もない。外灯に群がる虫たちだけが視界に映る。
もう大丈夫だ。もう大丈夫だ。そう言い聞かせるのに、頭の中の酷く醜い光景は消え去ってくれない。
自分の家が見えた。いつもは意識しないようにして、意識しないことに成功するはずの隣の家が視界にこびり付いた。その家の表札には『平和島』の文字が書かれている。
東浜高校には三大美女と呼ばれる女子生徒がいるらしい。
『紅女王』鳳凰 明日香。
『陽姫』速川 日和。
『聖女』平和島 飾寧。
平和島 飾寧。ヘイワジマ カザネ。その忌々しい名が脳内で繰り返される。
形の良い鼻が、綺麗な黒髪が、大きな瞳が、小さな口が、ピンク色の唇が、きめ細かい透明感のある肌が、嫌いで、嫌いで、嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで―――。
憤怒の寵愛は学校を出たときから発動し続けている。平和島 飾寧を殺すために授けられた寵愛が、いつまでも発動し続けていた。




