第二章9 良い知らせと悪い知らせ
昨日の夕方、肝試し大会に関する方針が大きく変わった。悪いのは全て生徒会長である鳳凰 明日香なのだが、それは話し出すとキリがないので一旦は置いておく。
何はともあれ、方針の変更は既に決定事項だ。したがって俺のすべきことは関係者への速やかな情報共有と要員計画の組み直しである。和気あいあいと準備して、身内ばかりだが楽しいイベントになったねで終わらせられる話ではなくなった今、メンバーたちにはそれ相応の覚悟をしてもらわなければならない。
珍しく早起きした俺は、気温が上がり始める前の通学路を快適に進み、まだ所々にしか電気が灯っていない学校へと入った。
流石に他のメンバーにも登校時間を早めてもらうのは申し訳ないため、登校してくるのを待ち、順番に説明していくことにする。全員まとめて集まってもらい説明する方が効率的かもしれないが、十中八九加藤が騒いで話が進まないので一人一人と話していこうと決めた。
意外にも一番早くに出会ったのはヒューマだった。
「おはよー、つかたん。なんでいるの?」
「この学校の生徒だからだよ。朝っぱらから酷い奴だぜ」
「あー、ごめんごめん。そういう意味じゃなくて。やけに早い時間から登校してるなと思って」
「それはこっちのセリフだ。毎日こんな朝早くに来てるのか?」
「ふはは。意外だったかね?こう見えて毎朝五時に起床して、トレーニングをした後、自転車をかっ飛ばして学校まで来てるのだよ」
鍛えられた二の腕の筋肉を見せびらかすように膨らませ、ドヤ顔で彼は説明する。
「意外って程ではないが…ヒューマって部活とか何かやってるのか?」
「やってた、というのが正解だな。サッカーを嗜んでたんだが」
「そんな貴族みたいに言うな」
「わるいわるい。サッカーをやってたんだが怪我してできなくなってな。自転車をかっ飛ばしたり、こんな風に美しい筋肉を作り上げたりすることができるんだが、長時間のキツイ練習に耐えられる体じゃなくなっちまった」
いつもの爽やかな笑顔で彼は答えた。センター分けでセットされた金髪が廊下を走る風に揺らされる。まだ熱を帯び過ぎてない心地良い朝日が窓を突き抜けて彼を照らし、会話の内容とは裏腹に清々しい雰囲気がその場にはあった。
「そうか。それは辛かっただろ?思い出させて悪いな」
「お、まさかつかたんが気を遣うとは。俺はその姿が見れただけでもう涙が止まらないよ」
「茶化すな。それより良い知らせを悪い知らせがある。どっちから聞きたい?」
俺は本題である昨日の話をしようと彼に二択を提示する。
「良い知らせから頼む!」
迷わずに即答した彼に清々しさを覚えつつも、お望み通り良い知らせから話すこととする。
「生徒会の協力を得られた。よって費用も人員も追加できた」
「おお!やったじゃん!つかたんお手柄だよ!」
「なーに、そう褒めるな。生徒会との話し合いには安武と委員長もいたんだ。二人の力あってのことだ」
俺はクールにそう返事する。この謙虚さこそが一番格好良く映ることを賢い俺は知っているのだ。
「悪い知らせっていうのは?」
「イベントの規模が拡張された。全校生徒強制参加だ。よってチープなお化けでは許されん。今日から生徒会とお助けクラブ、それから暇そうな生徒たちを巻き込んで文化祭ばりの準備期間に突入する。下校時刻ギリギリまで帰れると思うな」
「良い知らせに対して悪い知らせの内容が釣り合っていない気がするな。まあ、けど、イベントを派手にできることは良いことだ!皆で力を合わせて頑張ろうー!…ラブマリンが心配だけど」
ヒューマは予想通りポジティブな反応をしてくれたが、最後に懸念点をポロリと呟いた。それは俺も懸念している内容だった。
「まあ、こうなってしまった以上は加藤にも受け入れてもらうしかない」
また加藤が泡拭いて倒れないか心配になるが、彼女の成長を応援すると決めた以上は全力で鼓舞するしかない。
そんな未来を想像しながら俺は窓越しに遠くを見た。太陽はぐんぐんと天へと昇っている。その光は地上を熱し、すぐに夏の暑さを完成させることだろう。もうじき登校してくるはずの加藤を想いながら、外の暑さよりも熱を帯びているあの生徒会長に彼女が耐えられるのかを心配する。
ヒューマと目が合った。俺たちは言葉を交わすことなく、ハッと小さい笑いとも咳払いとも取れるような音を上げた後、加藤の行く末に思考を巡らせるのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
校舎内の生徒数も増えてきた。東浜高校の生徒は今日も真面目に決められた時刻を守って登校してきているらしい。遅刻常習犯の俺としてはその姿勢に涙しそうである。
用があるのは七瀬と加藤だが、先に登校してくるのはどちらだろうか。勝手な偏見だが、七瀬のほうが時間に余裕を持って登校してきそうな気がする。
そんな俺の予想通り、現れたのは七瀬だった。七瀬だったのだが、彼女は俺の顔を見るなり駆け寄ってきて、心なしか表情に焦りを浮かべている気がする。しかし、あまり感情が表情に出ない七瀬が相手だと核心は持てない。
「柏木、おはよう」
「おはよう、七瀬」
挨拶を交わす。大きい目に小さい瞳の四白眼と目が合った。目の前に立たれると女子にしては高い身長が際立つ。百七十センチには届いていないだろうが、俺との身長差は十センチもないような気がする。
「大変なの。聞いて」
出会って二言目がそんな言葉だった。いつもの如く感情が声に乗っていないせいで本当に大変だと思っているのかが疑わしいが、俺も七瀬とは短くない付き合いだ。ローテンションな声音でも彼女が本当に焦っている場合があることを俺は知っている。
「朝からいったいどうしたんだ?」
「ラブちゃんのことなんだけど」
ラブちゃんと言われて脳内に疑問符が浮かぶ。三秒ほど脳内を検索した結果、ラブちゃんというのが加藤 ラブマリンの愛称だということに辿り着く。そういえば昨日、互いのことをラブちゃん、ななちと呼び合うことにしていたな。出会って僅かな時間で距離を縮めて微笑ましいものだと思っていたのだが、早速トラブル発生らしい。
「仲良くなったから一緒に登校しようって話になったんだけど…今朝ラブちゃんからこのメッセージが届いて…」
七瀬が顔の前まで差し出してきたスマホに書かれたメッセージに目を滑らせる。
『ななせさんへ。昨日は失礼な態度を取ってしまい誠に申し訳ございませんでした。私自身、慣れないことで上手くコミュニケーションを取れず、過剰なスキンシップ並びに重たい言動を繰り返してしまいました。心よりお詫びいたします。大変恐縮ではございますが、私ではお詫びの何かをお返しすることも難しく、考えた末、金輪際ななせさんに干渉しないことで迷惑を掛けないようにすることといたしました。昨日の思い出は私にとってかけがえのない幸せな時間でしたので、誠に勝手ではございますが、その思い出を胸にこれからの苦難の人生を歩んで行こうと思います。どうか、私の謝罪と感謝を受け止めていただければ幸いです』
「どうしよう…」
表情も声音も普段とあまり変わらないが、その言葉から七瀬の動揺が伝わってきた。俺は答える。
「とりあえずは後方にダッシュだ」
「へ?」
七瀬はキョトンとした表情になる。彼女が俺の言葉を理解するよりも先に俺は走り出す。ついでに七瀬の腕を取って彼女にもついて来てもらう。
「かーとーうー!」
「ぴぎゃぁー!」
それなりに離れていた場所から七瀬の様子を窺っていた加藤を追いかける。隠れてこちらを窺っていたはずなのに俺に発見された加藤は驚きの表情を浮かべて奇声と共に逃げ惑う。別に隠れていた加藤の姿が見えていたわけではない。だが短い加藤との付き合いで、彼女なら遠くから七瀬をストーキングしているのではないかと思ったのだ。あんなメッセージを送ったのなら、七瀬が怒ったりしていないか気になって仕方がなかったのだろう。
「相変わらず足速えな」
見た目に反して俊足な彼女との距離を詰められない。校内で生徒の目もあるため、この前のように憤怒の寵愛を発動するわけにもいかない。というか、人の目がなくとも女子高生を捕まえるために寵愛現象を利用すべきではないのだが。
「止まれ!加藤!さもなくばお前の真名を連呼しながら追いかける!」
俺は仕方なく卑劣な手段を選択した。本人が嫌がることをするのは気が引けるが、彼女が止まってくれればその手段も実行に移さずに済むので、どちらの未来を選ぶかは彼女に選択させることとしよう。
そんな卑劣な策を提示されても彼女は止まることなく走り続けた。しかし、彼女が動揺したのは明らかだった。なぜなら、わかりやすく足がもつれ、彼女は綺麗な転び方をした。どてっと転んだ彼女の格好は不細工なものだが、受け身はしっかり取れているようで、彼女の運動神経の良さが窺える。
「だ、大丈夫か?なんかごめん」
受け身は取れていたとしても、俺の卑劣な策のせいで人目の少なくない廊下で無様に横転しているのには変わりない。流石に申し訳なくなり謝罪を口にする。そして逃げないように腕を掴んで捕らえた。
「ラブちゃん大丈夫?」
走る俺たちに追いついた七瀬がそう口にする。ややハスキーな抑揚の小さい声音からも心配していることは伝わってきた。
「もうお嫁にいけない」
「そのセリフは今の状況とは別に噛み合ってないぞ」
おそらくは混乱しているせいで訳のわからないことを口走っているのであろう加藤に指摘を入れる。
「派手に綺麗に転んでたが痛むところはないか?」
俺は捕えるために掴んだ加藤の腕を引き上げ、立ち上がるのをサポートする。
「心」
加藤は一言ぼそりと呟く。もう一度転ばせたくなったが、大人な俺は我慢した。
「そうか。心を傷付けてしまって悪かったな。そんな加藤は誰かの心を傷付けていないか?」
俺は彼女の目を見る。あっ、こいつ全力で目を逸らしやがる。
「七瀬と話さなくていいのか?」
気まずそうに目を逸らす彼女は、その視界に隅で七瀬の姿を捉える。その表情は怯えているようにも、何かを期待しているようにも見えて。
「ラブちゃん、私とお話、してくれる?」
ローテンションなハスキーボイスのまま、その音は優しく空気を振動させて加藤の耳に届く。
加藤は何も言わないまま、コクンと首を縦に振った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
場所を変えて話し合いが行われる。人通りの少ないこの空間では、風によって揺れる木々の音だけが目立って聞こえる。辛うじて朝練に勤しむ運動部の掛け声が遠くから響く。
二人の話し合いの傍に身を置いていたが、俺が口を挟むことはなかった。挟む必要などなかった。
「私みたいな人間には人付き合い無理だと思って、だから嫌われる前に弁えて身を引こうと」
「そんなことないよ。そんな必要ない。私はラブちゃんと友達でいたい。もしラブちゃんが人との距離感が苦手で、私が嫌だなって感じるようなことがあっても、ちゃんと優しく伝えるし、その上で絶対に離れたりしないから」
こんなやり取りが十回以上繰り返された。つまりは何十回と「でも私は」と悲観的な発言をする加藤に対して、「そんなことない。大丈夫。絶対に私は離れたりしない」と七瀬が優しく返答をし続けた。雪解けのように、次第に加藤の心が開かれる。
その光景を見て俺は想定通りだと内心思っていた。これが俺や伊吹だったらめんどくさくなって悪態に近い発言をし、加藤は心の扉を硬く閉ざしていただろう。だが、七瀬 千棘という人間なら絶対にそんなことにはならない。今となっては三人も友人のいる俺だが、そんな俺の友人第一号は七瀬なのだ。彼女に対する信頼は厚い。
「ななち、私は一生ななちのために生きる」
気付けば甘ったるい声音を漏らしながら七瀬に抱きつく加藤の姿が視界に映った。
「一生私のために生きなくていいけど、明日からはちゃんと一緒に登校しようね」
七瀬が優しく加藤の頭を撫でる。高身長の七瀬と低身長の加藤がくっついているその光景からは、二人が同学年には見えない。大人に甘える子供そのものだった。
「それにしても、加藤のその人間関係リセット癖、どうにかならないのか?」
甘ったるい女子同士の交流に耐えかねた俺は口を開いた。七瀬がお前がそれを言うのかとでも言いたげな顔をしているが無視する。別に俺が人間関係をリセットしたのは中学の頃の一度だけだ。それから七瀬と友人になるまではそもそも人間関係を築いていないのでリセットするものもなかった。
「それは…すみません…。ぜ、善処します」
流石に今回の件で反省したのか、加藤はそう答えた。
「そ、それから、柏木様」
「様はやめろ」
「か、カッシー」
「カッシーもやめろ」
「ひえんっ!」
加藤は怯えた小動物のように七瀬の胸に顔を埋める。
「もー、ラブちゃんをいじめないの」
「別にいじめてるつもりはねえよ。様付けもカッシー呼びも却下だと昨日も言ったろ?」
「で、では、なんとお呼びすれば?」
七瀬の大きい胸から片目だけを覗かせて加藤が質問する。
「柏木でも柏木君でも好きに呼んでくれ」
「じゃ、じゃあ、司君」
「…まあそれでいいや」
いきなりファーストネーム呼びなのは相変わらず距離感がおかしいが、様付けやカッシーでなければ何でもいいのでそれで受け入れる。加藤の表情がパアァっと明るくなったのが見えた。
「司君、私たち、友達?」
「違う」
加藤の表情がしょぼんという効果音をともに暗くなる。七瀬が真顔でこちらに訴えてくるが、こればかりは俺にとってはっきりと答えておかなければならない内容だった。
「ラブちゃん、気にしないで。これに関しては柏木が変なだけだから。柏木の奴もこれまで通り仲良くしてくれるとは思うから」
七瀬が聖母のようなオーラを纏って加藤に言い聞かせる。
「そうだよね!司君が変なんだよね!ななちが言うことは間違いないもん!」
すっかり七瀬信者になってしまった加藤は自信満々にそう言った。俺としては内心複雑なものだが、また加藤がネガティブモードに入っても面倒なので黙っておくこととする。
「イタッ!」
「もー、なんでそんな意地悪するの?」
「すまん、つい」
黙っていたら加藤が俺のことを小馬鹿にしたような目つきでニヤニヤしていたので、手加減しつつ良い音の鳴るデコピンをお見舞いする。
「よし、ひとまずは一件落着したことだし、本題に移ろう」
「へ?」
「本題」
加藤と七瀬がキョトンとした顔でこちらを見つめる。加藤が奇行に走ったせいで遅くなってしまったが、俺の目的は肝試し大会のイベント内容に大きな変更が生じたと二人に伝えることだ。
「肝試し大会のイベントについてだ。昨日、生徒会に話を持ち掛けた結果、色々と状況が変わってな。良い知らせと悪い知らせ、どっちから聞きたい」
「悪い知らせ」
加藤が即答する。こいつ、ヒューマとは正反対だな。
「悪い知らせから発表すると良い知らせが霞むので、良い知らせから発表します」
「なんで聞いたんですか!」
加藤が抗議の視線を向けてくる。その指摘はごもっともだがスルーして知らせを聞かせることにする。
「生徒会の連中にも肝試し大会のスタッフをしてもらえることになった。それに予算も生徒会のほうでなんとかなりそうだ」
「おー、よかったね」
「ということは、また知らない人たちとのコミュニケーションが…うっ、吐き気が」
肯定的な反応をしてくれる七瀬とは対照的に、加藤の表情には絶望の色が宿る。
「そんな顔をするな。これは良いほうの知らせだぞ」
「悪いほうの知らせ聞かなきゃダメ?私、もう余裕ない…」
「残念だが聞いてもらう。もう一つの知らせってのは、イベントの規模が拡大した。全校生徒強制参加で、学校全体を使う。おまけに出店まで呼ぼうとしてやがる」
悪いほうの知らせを聞いて七瀬が目を見開く。ただでさえ大きい目がより際立った。四白眼の彼女の目からは爬虫類っぽさを感じる。そんな彼女はローテンションな声のまま俺に尋ねる。
「なんでそうなったの?」
「生徒会長がイカれてんだよ。知ってるか?うちの生徒会長」
「それはもちろん。鳳凰会長でしょ。そっか、解釈一致ではあるけど、そこまで思い切った決断をするとは驚き」
驚いているようには見えない表情と声だが、見た目に出ていないだけで七瀬が動揺しているのは確かだろう。一方で加藤のリアクションはどんなかと目を向けると、白目を剥いて天を仰いでいる。比喩でもなんでもなく、本当に白目を剥いているので俺はドン引きしながら彼女に声を掛ける。
「加藤、戻ってこい。こうなってしまった以上は仕方がない。お助けクラブと生徒会とのアットホームな職場で激務に勤しもうぜ」
「もうちょっとモチベーションが上がるような言い方ないかな」
七瀬のそんな返答が心地良い夏風に流されるように耳を通り抜けていった。白目を剥いた加藤は依然戻ってこない。いよいよ日も高くなってきた世界には、セミの鳴き声だけが五月蝿く響いていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「というわけでお前も手伝え」
今日に至るまでの話を綺麗にまとめた俺は目の前の女子生徒にお願いをした。
「それが人にお願いする態度かー?」
肩まで伸びた黒髪を揺らしながら二歩分こちらへと迫ってきた彼女は、その鋭い三白眼で俺の顔を覗く。
「他にどんな頼み方があるって言うんだよ?」
百五十センチちょっとの身長にスラっと細い体形の彼女を見下ろしながら俺は答える。
「普段から日和と行動してるのに学習してないみたいだね」
彼女の口から委員長の名前が出てくる。学内での彼女の友人は俺以外にも七瀬や安武がいるが、特に仲が良いのは委員長である。もちろん目の前の彼女との仲の良さなら俺が一番だと自負しているが。
「俺が委員長みたいに可愛らしくお願いしても、キモいの一言で終わるだろうが」
「偉そうな頼み方よりキモい頼み方のほうがまだマシ…ごめん、キモい頼み方のほうが無理かも。私が間違ってたわ」
「そのリアクションが一番傷付くんだけど」
そんな軽口の叩き合いの末、笑いながら「ごめんごめん」と言っているのは伊吹 凛だ。夏服に身を包んだ彼女は、二カ月前ドラゴンに成っていたなんて信じられないくらい普通の女子高生の見た目だ。
「ま、柏木の頼みだから聞いてあげるよ。脅かす用の小道具とか作るんでしょ。任せて!私、不器用だけどイケる気がする」
右肘を曲げて二の腕に力こぶを作るようなポーズを取る。しかし、筋力がゼロに等しい彼女の二の腕は細く直線的だ。
「まあ、林間学校の準備のときも俺と伊吹は失敗作を量産してたからな。あと委員長もやや不器用よりか。あれ?思い返すと安武以外の全員が足引っ張ってないか?」
林間学校で開催された肝試し大会用の小道具を四人で制作した記憶を呼び起こす。成果物の半分以上は安武が作った物だったような気がしてきた。
「大丈夫、大丈夫。今回はあのときの経験を活かしてバンバン作りまくるから。大船に乗ったつもりでいなよ」
「協力を仰いでおいてなんだが、人選間違えたかなと思っている自分がいる」
いまいち信用に足らない伊吹の豪語に対してそんな反応を返してしまう。
「そういえばこの間言ってた子はどうなったの?」
「加藤のことか?それなら無事に七瀬と友達になったよ」
「さっすが七瀬。私たちと違ってコミュ力あるね~」
「俺をコミュ力ない組に括るなよ。俺は誰にでも物怖じせずに話せるだろうが」
「私だって誰にでも物怖じせずに話せるよ。でも私たちって思ったことすぐ言っちゃう系のコミュ障じゃん」
そう言われてしまっては言い返せない。実際、加藤の友人候補として七瀬を指名したのは、彼女が相手を配慮しながらコミュニケーションを取れる人材だからだ。
「まあ、加藤がもう少し人馴れしてきたら伊吹のほうからも接してやってくれ」
「その加藤って子、子犬か何かなの?」
人馴れというあまり人間に対して使わない言葉をチョイスしてしまったことで伊吹の眉間に皺が寄った。
「どこにでもいる人見知り女子…の皮を被った奇行に走りがちな人見知り女子だな」
我ながら的を得ている説明だと思ったが、伊吹は顔をしかめながらクエスチョンマークを浮かべている。
「とりあえず加藤って人ともイベントの準備で絡むことになるだろうし、そん時にでも仲良くなるよ」
彼女は飄々とそう言ってのけた。気負うことのないその姿勢は結構頼りになる。
「ま、忙しいのも含めて一緒に楽しもうぜ!私と柏木なら余裕っしょ!」
ニッと歯を見せて笑う彼女は拳を突き出してくる。
「そうだな。伊吹がいるなら憂鬱なお仕事もちょっとはやる気が出てきたよ」
俺は突き出された彼女の拳にコツンと己の拳をぶつけた。頭上には水で薄めたような青空が広がっている。気温も湿度も高く、額から汗が滲み出る。そんな不快感を感じさせないスッキリとした雰囲気が二人の空間にはあった。
輪郭のぼやけた白い雲が水で薄めたような青を漂う。そのさらに彼方の赤い太陽が白い光となって地上に降り注ぐ。そんな光に熱せられながら、今も化け物の男子高生と元ドラゴンの女子高生は見つめ合う。自分たちが普通の高校生ではないことなど忘れて、ただの男子高生と女子高生の友人として、笑い合った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
とんでもないことになった。
「鳳凰 明日香だ」
つい数十分前、七瀬や伊吹も含めたお助けクラブと生徒会役員フルメンバーとで打ち合わせを行った。
「お前、名は?」
お互いの自己紹介と今後の進め方について、話し合いは順調に進んだ。
「何を黙っている」
各メンバーの役割分担も完了した。お助けクラブと生徒会とでチーム分けするのではなく、この二つの組織をごちゃ混ぜにしてその中で細かくチームを割り振った。
「お前に聞いているのだぞ」
悪手だったのは加藤がこの打ち合わせに参加しなかったことだ。超絶人見知りの彼女は不参加を主張し、話し合いの場で吐かれても困るので俺はそれを承諾することにした。ヒューマが打ち合わせの間に加藤が逃げ出さないよう監視しておいたほうがいいと提案したため、彼にはその監視役をやってもらった。
「私の質問だぞ。答えんとは言わせん」
打ち合わせの前に俺から加藤の紹介は事前にしておいた。人見知りだけどやる気はあるからフォローしてやってほしいと各面々に伝え、我ながら素晴らしい根回しだと思った。
「なぜ口元を押さえている?」
それが良くなかった。厄介な生徒会長は何故か打ち合わせには不参加となった人見知りの女子生徒に興味を持ってしまった。
「まさか世界で最も美しい私を目にして嘔吐する気か?」
お助けクラブと生徒会のメンバーをごちゃ混ぜして作った小グループ。そのうちの一つが鳳凰先輩と加藤のペアとなった。それは鳳凰先輩の指名であり、普段は止めに入ってくれるであろう奈良先輩も加藤のことをよく知らないので我関せず状態だった。
「見惚れることを許しても、嘔吐することは許さん」
もちろん俺は止めた。断固拒否した。委員長相手でも嘔吐した加藤が煌々と存在する鳳凰先輩を前にして生存できるとは思えなかった。
「ほれ、私に委ねろ」
しかし、俺に鳳凰先輩を制御できるはずもなく、今に至る。別棟四階の非常階段で待機していた加藤が吐くのを必死に堪える。口元に添えられた手を鳳凰先輩が引き剥がした。
「ちょっと、鳳凰先輩、加藤の状態がヤバそうなので一度離れて」
そんな俺の言葉など聞く気もない鳳凰先輩は加藤をぐっと引き寄せた。そして、
「えっ!?はっ!?ちょっ、ちょっと!」
加藤の唇が奪われる。…俺の理解は追い付かなかった。間抜けな声しか上げられない。
「なっ、何してっ!?あんた何してっ!」
目の前で繰り広げられる接吻に声を荒げることしかできない。混乱の中で何もできずに十秒ほど過ぎる。そしてようやく鳳凰先輩が唇を離した。
「加藤!大丈夫か!」
俺は加藤に駆け寄る。幸い嘔吐する様子はない。しかし、目の焦点が合っていない気がする。そのとろんとした瞳では駆け寄った俺の姿を捉えられていないだろうと察してしまう。加藤の口元からツーと涎が垂れていくのを目にしながら彼女の返事を待つ。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の」
「おい!加藤!しっかりしろ!戻ってこーい!」
平家物語の世界に迷い込んでしまった加藤を呼び戻す。肩を掴んでブンブンと揺さぶるが、未だに意識は朦朧しているようだ。
「騒がしい。お前は落ち着きを知らんのか」
「誰のせいでこうなってると思ってんだ!」
こんなことをしておいて何故か退屈そうな顔をしている鳳凰先輩に俺は声を荒げる。
「ハッ!いったい何が…」
鳳凰先輩を睨んでいると正気を取り戻した加藤の声が聞こえた。
「よかった。このまま死んでしまうんじゃないかと心配したんだぞ」
加藤の生還に涙を浮かべながら俺は彼女の肩を掴んでブンブン揺らす。目を回しながら周りを見渡した加藤の視界に鳳凰先輩が映る。加藤が再び静止する。そしてボンッと急激に顔を真っ赤にしたかと思えば唇を押さえた。
「あ、あわ、あわわわっ」
「吐き気は治まったようだな。では名を名乗れ」
トマトくらい顔を真っ赤にしている加藤のことなど気にせず、鳳凰先輩は淡々とした口調で命令する。
「か、加藤です。ただの加藤です」
「ただの加藤なんて人間はこの世におらん。全ての愚民が皆等しく一個体として存在している。お前の名は?」
跪く加藤を見下ろすように鳳凰会長は言い放つ。言っている内容は酷いのか凄いのかもはやよくわからんが、その声はやたらと耳心地が良い。
「加藤…ラブマリンです」
「ほう、ラブマリンか。良い名だ」
俺でも知るのに時間の掛かった下の名前を鳳凰先輩は短い時間で引き出した。何より、俺や委員長が相手でも初見時は嘔吐したあの加藤が、吐瀉物を撒き散らすことなく自己紹介を終えられた。そんな予想外の連続に圧倒されながら、絶対に交わることはないと思えた二人の人間の出会いを見ていた。
息を呑んで、見ていた。




