第二章3 つながりが一つ、また一つ
下校の時刻まで残り三十分を切った。つまり夜もすぐそこまで来ているのだが、初夏の空はまだ明るい。その明るい空に浮かぶ黒い雲は今にも雷を落としそうだ。
落雷。その単語を聞いて思い出されるのは雷雨の激しい梅雨の記憶ではなく、梅雨が訪れる前のとある事件である。
事件の概要としてはドラゴンに成った女子高生が雷を落とした、である。
概要だけではどうしても頭のおかしい思春期が作り出したエピソードに聞こえてしまうので詳細も記そう。
五月中旬。寵愛現象によってドラゴンに成ってしまった伊吹 凛は力を制御できず、この東浜高校の別棟から飛び出し、文字通り飛んで出ていき、空を舞い、雷を落とした。雷を落とすことで人間の体に戻った伊吹は高い空から自由落下をする。その落下から伊吹を助けるために俺は憤怒の寵愛を発動し、別棟の屋上から空高く跳躍して伊吹をキャッチ。
…うん。詳細を書いたところで頭のおかしい思春期が作り出したエピソードに変わりはないな。
そんな強制的に刻まれた思い出の一幕は、奇跡的に誰にも見られておらず、大事にならずに済んだ。はずだった。
なんとその事件に目撃者がいたことを、一カ月以上経った今日この頃に発覚したのである。
現時点で大事にはなっておらず、龍の寵愛についても解決済みのため、その点はよい。よくないのは一般人が寵愛現象を目撃してしまったことである。これが具体的にどうよくないのかと言うと、その一般人の記憶が消される可能性がある点がよくない。
寵愛現象管理協会。その名の通り寵愛現象と言う摩訶不思議な力を管理しようと努める協会。まあ、寵愛現象以外にも吸血鬼などの化け物との調和を目的とした活動も行っているのだが、それは今は関係ない。
その協会が、公にされていない寵愛現象について知ってしまった一般人に施す対処は二つのいずれかだ。一つ、口外禁止を約束させる。一つ、記憶消去。前者ならばよいが、後者は避けたい内容だ。
がっつりと寵愛現象に関わった者であれば前者になる可能性が高い。その理由は定かではないが、がっつりと寵愛現象に関わってしまった場合は記憶の消去が難しいのではないだろうか。消すべき記憶が少しの人よりも、たくさん持ってる人から奪う方が難しい的な理論だ。
そもそも協会の記憶消去はおそらく科学に頼っていない。忘却の寵愛みたいな能力の保持者がいるか、俺も知らないような記憶を消せる化け物を協会が保有しているかだろう。それらが一体どれくらいの精度で消したい記憶だけを消せるのかがわからないのだ。
「黙っておくしかねえか…」
俺はそう結論付ける。加藤には要確認だが、俺以外にあの出来事を話していないのであれば、俺と加藤が口を閉ざしていれば済む話だ。また協会に秘め事を作ってしまうが、協会と揉めたり加藤の記憶が消されるよりはマシだろう。
それをするにあたって、俺には確認と誤魔化しをしないといけない相手がいた。ヒューマだ。彼は加藤の口から一連の出来事について聞いてしまった。話がぶっ飛び過ぎて信じてはいないと思うが、信じていないうちに誤魔化さなければならない。最悪なのは今日よりも前に加藤から既に話がされており、それをヒューマが信じているパターンだ。
今この場にいるのは俺とヒューマだけだ。加藤は口を濯ぎに行っており、俺たちは絞った雑巾で床を拭いていた。どう話を切り出すかと考えていたところでヒューマから話しかけてきた。
「なあ、つかたん、さっきのって」
場に緊張感が走る。続きの言葉次第で展開は変わり、もしかすると彼の記憶も消す羽目になってしまうかもしれない。
「加藤の妄想だよな。なんかごめんね、妄想癖強い子の生み出したストーリーに巻き込んじゃって。でもできればでいいんだけど、いい感じに付き合ってくれないかな。まずは加藤に心を開いてもらうところからだと思うからさ」
拍子抜けする内容だった。とても都合よく解釈してくれた彼に俺は乗っかることとする。
「よし、任せろ。加藤の作った設定通りに振る舞ってやるぜ。誰にだって妄想と現実が区別できなる時期はあるさ。今は妄想の世界に寄り添って加藤の心を開き、開いたところで現実に連れ戻してみせるよ」
ペラペラと嘘を言える己への好感度が上昇していくのを感じながらヒューマの反応を待った。
「お前良い奴だなぁ!」
彼は俺の心にもないアンサーに感涙している。素直な人っていうのは都合の良いほうに転がしやすくて助かる。
そうして後は加藤の口封じをすれば解決だなと思いながら、汚れた雑巾を洗おうとトイレに向かうために体を回れ右すると、すぐそこに加藤の姿があった。
「うわぁ!」
なんとも子供っぽいリアクションをした俺に対して加藤も反応する。
「うひゃあ!」
なんでお前も驚いてるんだよ。というか、いつからいたんだよ。もしかしてヒューマとの会話を聞かれてしまったのだろうか。
「驚かせて悪い。いや、驚いたのは俺のほうなんだが。それより話聞いてたか?」
「ううん、ヒューマ君が柏木様に良い奴だなって言ってるところだけ」
どうやら話は聞かれていなかったらしい。加藤の話を妄想扱いしていたので、聞かれていたらまた話がややこしくなるところだった。
「黙って背後を取らずに声掛けてくれればよかったのに」
「話してるところに割って話しかけるなんて、私には、できない」
顔が青ざめ始めた加藤を見て、俺はまた余計な事を言ってしまったのだと自覚する。この子は地雷原が多すぎてめんどくさい。
「そうか。それは悪かった。それにさっきも、強く怒鳴って本当に悪かった」
そう言って俺は頭を下げる。理由はあったと言えど、悪気のない女の子を怒鳴って泣かせたのだ。謝罪くらいできなければ人間失格である。
そう思い頭を下げている視線の先に何かが入り込んだ。黒髪の小さな頭に見える。その頭の前には両手が添えられている。何事かと視線を上げれば床に頭を擦り付けた加藤の全体像が見えた。その姿を何と呼ぶのがと聞かれれば、ジャパニーズ土下座と答えざるを得ない。
「何してるんだ?」
「吐いて汚れた床を掃除してもらっておいて謝罪を受けるなどできません。そうなれば私がさらに上位の謝罪をするしかないかと」
「何を言ってるんだこいつは…。とりあえず頭を上げてくれ。同級生の女子に土下座させてる絵面がヤバすぎる」
「いえ、私なんかは一生このまま」
「いいから頭を上げろって言ってんだよ」
「ひゃい!」
しまった。また怒りの声を上げてしまった。彼女が僅かに心を開いてきたかと思えば、怯えて閉ざされるの繰り返しだ。やはり俺ではなく委員長に来てもらうべきだった気がする。
「俺は怒ってないから安心しろ。それより加藤と話したいことがあるんだ」
顔を上げた加藤は不思議そうに黒縁メガネの中から俺を覗いている。
「時間も時間だしそうだな…。一緒に帰りながら話そう」
「ふえぇぇぇー!」
俺の提案に奇声を上げるというよくわからないリアクションをする加藤を見つつ、まずは手に持った雑巾を綺麗にしてこようと返事を聞かぬままトイレへと向かった。
彼氏いない歴年齢。友達いない歴年齢。誰かと一緒に下校したことない歴年齢。そんな女子高生の気持ちも知らず、柏木 司は人気のない廊下を歩いていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
七月の夏空は夕刻を過ぎてもまだオレンジ色に光っており美しい。その光の中に黒い雲があることでコントラストが出来上がり、それが幻想的な光景に見えなくもない。幸いその雲は遠くに浮かんでいるため、自分たちが歩いているアスファルトの上を濡らすことはなさそうだ。
吹く風は僅かに涼しげで、蒸した夏の空気に些細な救いを与える。視界の端にはランニングをする若者が、前方には小さくなった人影が犬であろう小さなシルエットに散歩綱をつないで歩いている。
そんな光景を瞳に映す俺の隣で女子高生が歩いている。残念ながら彼女には沈みかけている太陽の美しい色合いも見えていないことだろう。理由は単純明快。前を向いて歩いている俺と違って、彼女に見えているのは傾いた日が照らすアスファルトのみだ。
「それで話なんだが…聞いてるか?」
俺が口を開いても下を向いたままの彼女に確認を取る。
「…はい」
か細い声が返ってくるだけだった。先程までのほうがお互いに言葉を交わすことはできていたのだが、学校の敷地を出てから会話というものは展開されていない。ただ二人の男女が黙ったまま五分以上歩いている時間だった。
「そんな縮こまらなくていいんだぞ。さっきの一連の出来事については別に怒ってないから」
加藤の嘔吐により汚れた制服の袖にチラッと視線を向けてしまったが、怒っていないのは本当である。だから彼女が委縮する理由などないはずなのだが。
「…それは、気にして、、ません、、、」
気にしろよと咄嗟に口から飛び出そうになった言葉を呑み込む。
「そ、その、さっきはヒューマ君がいたから。私、味方がいないと、無力、無気力」
「無力なのは仕方ないかもだけど、気力は出してくれ」
ワードチョイスが悪い彼女にツッコミを入れつつ、そろそろ本題に移ろうと切り替える。
「まあ、下向いたままでいいから聞いてくれ。話したいのは加藤が見たっていう空から落ちた伊吹の話だ」
「お、私に武勇伝を語ってくれるんですね。聞かせてください!非現実的で胸躍る物語を!」
ドラゴンと成った伊吹が雷を落とした件について話を切り出した瞬間、加藤は顔を上げてペラペラと喋り出した。彼女が落ち着いて話せる状態になるまで待とうを努めた俺の五分間を返してほしい。ていうかヒューマいなくても気力漲らせて喋るじゃねえか。
「待て、落ち着け、早まるな。俺が話したいのは武勇伝でも伊吹の話でもない。むしろ逆だ。それらの話をするなという内容だ」
期待を瞳に宿らせた彼女には落ち着いてもらわなければならない。こいつのテンションは最高と最低しかないのか。
「加藤があの日見たことは秘密にしていてほしい。というか既に誰かに喋ってたりしないよな?」
「それは大丈夫です。私に話を聞いてくれる相手なんていません」
凄く悲しい答えが返って来た。しかし話し相手がゼロではないはずだ。ヒューマがいるわけだし。
「ヒューマにも話してないのか?」
「もし話した結果、私の話をヒューマ君が信じてくれなかった場合、ショックで金輪際ヒューマ君と話せなくなる自信があったから話してません」
絶縁までのハードルが低すぎる。俺の不用意な発言で彼女の心のシャッターが閉じられてしまう日が早いうちに来る気がする。
「まあ、その調子で誰にも話さないんでほしいんだ」
「わかりました。死んでも話しません。命懸けます。でも、どうしてですか?」
「理由を聞く前に命を懸けるな。あと死にそうだったら流石に話していいよ」
彼女の即断に動揺しつつも理由を伝える。問題はどこまでの情報を伝えるかだ。
「加藤が見た通り、俺と伊吹には非現実的な力がある。伊吹についてはもう正真正銘ただの人間に戻ったから、力があったという表現が正しい」
彼女の様子を見るが真剣に話を聞いてくれている面持ちだ。彼女自身が目撃したからだろうが、話の内容を疑う素振りはない。
「その力っていうのは一般人には公開されていない情報だ。そして、これらを管理している団体がいる。その団体に力のことを知っているとバレれば加藤の身が危うくなる可能性がある」
寵愛現象の詳細については敢えて口にしなかった。彼女が詳細を知る必要はない。黙ってくれていればそれでいいのだ。
「ぐ、具体的にどんな危険が?」
恐る恐る質問する加藤に俺は淡々と事実を話す口調で答えた。
「記憶を消される可能性がある。まあ記憶を消されずに守秘義務契約で済む可能性も低くはないけどな。でも守秘義務契約だとしても説明とか署名とかで休日丸々潰れるからな。なんにせよ黙っていれば済む話なんだからリスクを負うことはないだろ?」
俺はわざと同意を求める口調で話した。彼女は何かを考えるような表情を浮かべた後、一拍置いて答える。
「…そうだね。黙っておくよ」
その回答を聞いて安心する。目撃者が理解のある相手でよかった。
「ちなみに記憶を消される可能性はどれくらいなの?」
「どちらかと言えば低いとは思う。まあ、ケースバイケースだから俺にもわからんが」
「そっか。記憶って全部消されちゃうのかな?」
「いや、消されるのは一部の記憶だけとは聞いている。けど消す方法も安全が保証されたものではないだろうし、消さなくていい記憶まで消えてしまうリスクもあると思う。その団体は結構過激な考えの奴らもいるから、場合によっては全ての記憶が消されるかもな」
脅しも兼ねて不安を煽るような伝え方をした。ここまで伝えれば誰かに言いふらすことはないはずだ。それに記憶の全消去もあながち嘘ではない。伊吹なんかは龍の寵愛を解消するための手段として全ての記憶を消される可能性があったわけだしな。
「私、喋らない。もう、声帯を震わせることなく生きていく」
「…いや、そこまでの覚悟はしなくていい。というかちゃんと話せ。明日から肝試し大会の準備に参加するんだろ?」
そんな俺の言葉を聞いた彼女の顔は青ざめていき、口元に両手が当てられた。
「待て、吐くな、頑張れ。初対面の女子が一日に三回も吐く姿を見たくない」
もはや彼女の嘔吐に慣れ始めてしまった俺は冷静な口調で語りかける。俺の冷静な様子で安心させられたのか、はたまた加藤自身がこの短い交流によって成長できたからなのかは定かではないが、なんとか沈む夕日に照らされたアスファルトを汚さずに済んだ。
「私、耐えましたー」
顔は青ざめたまま、どこか誇らしげに呟いた彼女に「よく耐えた」と賛辞を贈る。
その後の二分程は特に言葉を交わすこともなく、互いの帰宅路の分岐点に辿り着く。加藤はもちろん、俺も別に友達でもない相手と仲良く話す性分ではないので、寵愛現象関連の口封じが完了した今、話すことは特にない。
そのまま「また学校で」と短く言葉を伝え、その場を去った。加藤の口から返事はなく、ただ控えめに胸の位置まで上げた右手を微かに振っていた。
もうすぐ完全に沈み切る太陽のほうを見ると、雷を纏っていそうな黒い雲は随分と遠くまで流れていた。明日からも忙しそうだと考えながら、黒い雲の行く末を眺めていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
コンッ、コンッと仕切られた空間に快音が響く。一定のリズムのその音は時に加速し大きくなる。
白く眩しい照明の下には長方形の台が設置されており、その台を挟む形で一組の男女が向かい合う。男が攻撃し、女が防御と反撃を同時に行う。その度にまたコンッと快音が響いて、熱き決闘の中に心地良さが見出されてしまうことは否定できない。
その空間にはもう一人の女がいた。白熱する決戦を大きな目に浮かぶ小さな瞳が捉えていた。しかし、その四白眼から目の前の熱量程の熱が発せられることはなく、ただ冷静に決着のときを待っていた。
開戦時はゆっくりとしたリズムで奏でられていた快音も、終わりに指が掛かった今は加速する一方だ。互いに退かぬ攻防の決着は、より強い攻撃を仕掛けた者の勝利で終幕となるのが少年漫画の習わしではあるが、現実はそう甘くない。実際、敗北を喫したのはより速くより強い攻撃を仕掛けた男のほうだった。
「しゃあぁぁぁ!」
「くっそぉぉぉ!」
勝負が決した瞬間、両者がそれぞれの叫びを上げる。
「これで私のほうが強いと証明されたね!」
「たった一勝で調子に乗るんじゃねえ。これまでの戦績は俺の六十六勝二十五敗だろうが!」
「そんな過去のことは覚えてないよ。最新の記録が全てなんだよ」
戦績というどちらが優れているか示す明確なデータを掲げたところで、勝利を飾った直後の者に優位を取れることはなく、敗北者は悔しそうな表情を浮かべる。審判を担当したこちらに助けを求める視線が向けられるが、こればかりはどうしようもない。
そうして柏木 司と伊吹 凛による決戦は女傑の勝利で幕を閉じた。というか、卓球のワンゲームが終わっただけだった。
「それにしても、たった一ヶ月の付き合いでよく百戦近く試合をするよね。卓球部でもないのに」
私こと七瀬 千棘は目の前の友人たちに呆れながらそう言った。
「言われてみれば確かに卓球やり過ぎだね。次は別の戦いにしようか」
別に戦いでなくてもいいのではという感想は内心に留めつつ、そう言った友人の姿を見る。
彼女の名前は伊吹 凛。平均よりも低い背丈にスラっと細い体つき。目が大きめで瞳が小さいところは私に似ているが、四白眼の私よりは瞳が大きいのが三白眼の彼女だ。ややつり目の三白眼は恐い印象を与えそうなものだが、彼女に関して言えば顔に配置された鼻や口のバランスがよく、簡単に言えば容姿が整っているため可愛い女の子という印象を受ける。
彼女と違って容姿が整っているわけでもないのに四白眼の私としては羨ましい限りだ。私の目自体はやや垂れ目気味なので、恐い印象を与えずらいところは唯一の救いである。まあ、私のことをゾンビみたいと酷いことを言う人もいるのだが。
「いーや、卓球はまだ続けるぞ。伊吹に負けたまま終わるのは御免だ」
まだ友達ではなかった頃、私のことをゾンビみたいだと言った酷い男が子供じみた言葉を返す。彼の長い赤髪はやはり目を引くもので、黒に近い茶色の癖毛を肩まで伸ばした私の髪型では派手さという観点で対抗できない。別に派手さを競う気持ちはないのだけれど。
「まあ何でもいいけど次は私にさせてよ。二人の実力が拮抗しているせいで毎試合が長いんだよ」
そう言いながらラケットを持って私はプレイヤー側の位置に立つ。相対するのは伊吹だ。柏木を通して彼女と友人になって早三週間、すっかり仲良しになった。しかし勝負に友情は関係ない。柏木に勝利した彼女を倒すことでこの場のナンバーワンになろうと意気込む。
「柏木は四天王の中でも最弱。四天王を束ねる私に勝てるかな?」
「なんで七瀬が魔王ポジなんだよ。てか他の四天王誰だよ」
柏木のツッコミに満足しつつラケットを構える。
「七瀬って常にやる気なさそうなわりに、実はやる気に溢れてるよね」
卓球台を挟んだ位置にいる伊吹がそんな意見を呟く。私はよくテンションが低いと言われる。自分ではあまりピンと来ないのだが、柏木や伊吹に限らずクラスメイト達からも言われるからそうなのだろう。声の抑揚があまりないからだろうか。別に改善する気はないが、表情や声音にすぐ感情が出る柏木なんかを見ていると羨ましい気持ちも稀に生まれる。
「私は大体いつもテンション高いよ」
ローテンションにしか聞こえない声音とともにピンポン玉をラケットで弾いた。急な先制攻撃に伊吹が驚きつつもなんとか返し、ラリーが始まる。
「そういえば七瀬に頼みがあるんだけど」
「なーに?」
そう話しかけてきたのは審判の位置でぼんやりと私たちの勝負を眺める柏木だ。
「というかこの話がしたくて呼んだんだったわ。ついでに伊吹も呼んだせいで本題を忘れてた」
「私はついでかい!」
柏木の失礼な発言に伊吹がツッコミながら渾身のスマッシュを放つ。私は難なくそれを返し、スマッシュの体勢から立て直すのが遅れた伊吹は失点を許す。これでまず私の一ポイント。
「実は今日凄い人見知りの女子に会ったんだけど」
「結婚なら私の許可はいらないよ」
「話の初手で飛躍すんな。七瀬に結婚の許可を求めるわけねえだろ」
「でも結婚式には呼んでほしいかな」
「結婚から離れろ。頼みってのはその子と友達になってほしい的なあれだ」
「いいよー」
「軽いな」
そんな冗談を交えたやり取りの最中も卓球のラリーは続いていく。
「その人見知りの子と友達になるのはいいけど、なんで私?柏木が女子と関わるってことはお助けクラブの仕事でしょ。速川さんのほうが適任なんじゃない?」
彼が所属しているお助けクラブというよくわからない部活には速川 日和という東浜高校のアイドルがいる。とても可愛く、とても元気で、とても愛想がよく、とても友達が多い子だ。そんな速川さんと比べてしまえば、友達を作るのが得意な方だと自負している私も最適解にはならない。
「それが俗に言う陰キャってやつで、それもかなり重症で、委員長の光エネルギーを目の前にしたら蒸発しかねん」
「その子は悪魔か何かなの…」
まったく意味の分からない説明をする柏木にそう反応するが、彼の表情は真剣そのものだ。どうやら本当に速川さんとの相性はよくないらしい。
「そこでお前の出番だ。速川ほどキラキラしてなくて、でも友達は多くて、俺みたいなはぐれ者にも平気で話しかけて、誰よりも優しい七瀬が最適だと思うんだ」
キラキラしてないとか言われて馬鹿にされているのかと思ったが、後半にやたらとお褒めの言葉が出てきて、彼に私を馬鹿にするような意図はないと気付く。ただ思っていることをそのまま言っているらしい。
「だからモテないんだよ」
「俺はなぜ急に批判されたんだ?」
「柏木はデリカシーないもんね」
私の発言に柏木が疑問を抱き、伊吹が疑問の答えを提示する。
「まあ確かに人見知りの子だったら日和よりも七瀬のほうが話しかけやすいかもね。日和は最初から結構グイグイ来るし」
経験者の伊吹は語る。速川さんは私に対してはあまりグイグイ来ないのでちょびっとジェラシーだ。
「というわけでまた明日に学校で紹介するよ。名前は加藤…そう言えば下の名前聞いてないな。まあ、どうでもいいや。その加藤って女子の女友達一号になってくれ」
「だから柏木はモテないんだよ」
今度は伊吹が柏木に対してそう言った。
「だからなぜ俺は批判されてる?あのな、俺はモテない訳じゃない。俺はあまり好きな人とかを公言しない女子からモテてるタイプなんだ」
「そうかなぁ?根拠は?」
「顔が良い」
「自分で言ってて虚しくならないの?」
柏木の謎な自信過剰に伊吹が呆れた様子で問いかける。
「ほ、他にもあるぞ。俺にファンがいるってことも判明したんだ。そのファンから俺の良いところを熱く語られたんだぜ」
「はいはい、よかったねぇ。どんな良いところを語られたの?」
全然信じていない様子の伊吹が柏木に尋ねる。柏木は記憶を探るような仕草をした後、どんどん悲しそうな顔になっていく。
「…」
「え?何その反応?本当に何言われたの?実は酷いこと言われたの?私、話聞くよ?柏木の良いところいっぱい言ってあげるよ?」
切ない姿の柏木を見た伊吹が本気で心配そうに声を掛けていく。
「う、うるさいやい!俺は他人からの評価なんて気にしないもんな!」
小さい子供を見ている気持ちになってきて、どこか微笑ましさすら覚えてしまう光景だった。
「柏木、強く生きて!私は柏木の味方だよ!」
今日一番の優しい声を発した伊吹だったが、柏木の様子を見るに心の傷はしばらく残っていそうだ。
「話を戻して、その加藤って女子とはどんな理由で関わることになったの?」
「ああ、それは、ヒューマっていう陽キャ男子がお助けクラブを訪ねてきて、終業式の日に肝試し大会をしたいって依頼してきたんだ」
「へー、楽しそう」
「私、怖いの苦手なんだよね」
「東浜高校の七不思議になってる奴が怖いの苦手とか言ってんじゃねえよ」
肝試し大会について肯定的なリアクションをした伊吹に反して、否定的なリアクションをした私は柏木に指摘される。彼の言っているのは東浜高校七不思議の七つ目、林間学校に現れる老婆の怪異だろう。あれは私が柏木をからかうために老婆のマスクを被ったことがきっかけであり、その後に伊吹を含む班の人たちを脅かしたことで広がった噂だ。現在進行形で熱く語られるその心霊現象について、今さら私が犯人ですと言い出すことはできなかった。
「あの老婆は心臓止まるかと思ったよ。いや、止まってたな」
伊吹にも私のお化け役は好評だったらしく、それは誇らしいのだが噂のほうには早く鎮まってほしいところである。
「で、ヒューマがその肝試しイベントの運営に参加させたい人がいると言って紹介されたのが加藤だ。ヒューマの目的としては加藤に友達と青春の思い出を作る機会を与えたいらしい」
「いいじゃんって言いたいところだけど、昔の私がその加藤さんの立場だったら余計なお世話だと思っちゃうかもな」
伊吹が独自の観点で意見を述べる。私はそれを聞いて確かにそう思う人もいるよなと納得する。
「それについては大丈夫だ。加藤の口から現状を変えたいからやってみたいという言葉を聞けている」
「ならよかった。あ、私もその加藤さんと友達になろうか?」
優しい伊吹は柏木にそう提案する。
「いや、伊吹はいいや。俺と同じで心無い言葉を加藤に浴びせそうだし」
「む。そんなことないよ。柏木以外が相手なら優しい言葉しか浴びせないよ。私も七瀬と一緒で陰のオーラ持ってるから、人見知り女子に話しかける条件は満たしてるよ」
「早速私が心無い言葉を浴びせられたな」
陰のオーラ持ちとか言われて私が少し傷付いたことで、今回ばかりは柏木の意見が正しいと証明されてしまった。二人ともデリカシーないんだよなぁ。
「とりあえず柏木の頼みについては任せてと回答させてもらうよ。時間もいいくらいだし、今日はそろそろ解散しよっか」
そう言いながら私は伊吹が放ったコースの甘い攻撃をスマッシュで打ち返す。ここまでの一連のやり取りの間も伊吹との卓球は続いており、私の今の一球で勝負が決した。結果は私の圧勝である。
「うー、くそー!もう少しだったのに」
「いや、全然もう少しではなかったぞ」
悔しがる伊吹に柏木が冷静な意見を述べる。
「これで私がナンバーワンだね」
相変わらずローテンションと言われるのであろう口調で私は堂々と胸を張る。
「それにしても卓球上手いな。中学で卓球部だったとか?」
「違うよ」
二人が下手なだけだよ、という言葉はなんとか呑み込んだ。ラリーを続けられる時点で致命的な下手さではないのだが、柏木も伊吹も基本的にスポーツ全般が弱い。柏木は不器用だし、伊吹は運動神経があまりよくない。それに比べて器用さも運動神経も平均よりかは上の私がスポーツで二人に負けることはないのである。
「ふわぁ。楽しかったね。また遊ぼう。今度はその加藤さんって子も誘ってさ」
「そんな欠伸しながら言われても…。でもまあ、そうだな。そうしよう」
私の提案に柏木も賛同する。その姿を見て随分丸くなったものだと感心する。一年前の春、柏木と出会った当初はかなり心を閉ざされていた。話しかければ不機嫌な態度で辛辣な言葉が返ってくるだけだった。だけど今はこうして一緒に楽しく卓球をしている。
何が彼を変えたのかはわからない。ある日突然、感極まった様子で友達になろうと言われて驚いたのを今でも覚えている。それから少しずつ、安武とか速川さんとかと関わって、最近では伊吹とも仲良くなって、彼は随分と丸くなった。
私は知らない。彼の過去に何があったのかも、彼が何を思って生きて、何を想って変わったのかを知らない。
でも、私は知っている。彼がいつも誰かのために行動していることを知っている。速川さんを、黒木さんを、伊吹を、他にも何人かの人たちを、彼が助けようと奮闘している姿をいつも遠目から見てきた。
今回の加藤さんっていう女の子のことだって、放っておくことができない彼は助けになろうと奮闘するのだろう。
「柏木、私を頼ってくれて嬉しかったよ」
トイレに行った伊吹を待っている時間で私は柏木にそう告げた。
「当たり前だろ。俺が誰よりも頼りにしているのは七瀬なんだぜ」
自信満々にそう言う彼が少しおかしくて笑ってしまう。別に私はそう言われるほどの何かをしたことはないのだが。
「これからもどんどん頼ってよ。友達に頼られると嬉しいから」
「七瀬が音を上げる寸前まで頼ってやるよ。だから七瀬も何かあればいくらでも俺を頼れよ」
そう言った彼の瞳に視線の先がぶつかった。大きな赤色の瞳には私への信頼が宿っているように感じられて、こそばゆくて嬉しい。
「とりあえずは、また遊ぼうね」
彼を頼れる悩みなんて持ってない私は、次の楽しい時間を求める。赤く美しい彼の瞳から視線を外し、ガラスの扉越しに夜空が見える。七月と言えどすっかり暗くなってしまった空には、ちらほらと星が点在していた。
小さな瞳に映る星座たちは私たちのようだと思う。最初は散らばっているだけで、次に一つのつながりができて、もう一つつながりができて、気付けばつながった線に意味が生まれる。一年前まで知る由もなかったつながりの中で、こうして何気ない日常を楽しいと思える日々を、私は愛おしく思った。




