第一章幕間 虹
林間学校から十日が経った。梅雨入りしたためここ数日は雨が続いている。あれから生活が一変したなんてことはなく、いつもの高校生活を送っていた。
基本的に誰とも関わることなく好きに生きている。朝起きて、学校に行って、授業を受けて、昼飯を食べて、授業を受けて、帰って、漫画とか読んだりして、寝る。なんとも華やかさの足りない高校生活ではあるが別に不満はない。楽だし、そこそこ楽しい。
廊下でばったり会った七瀬と雑談を交わして、定期的に安武と軽口を叩き合って、結構頻繁に委員長が話しかけてくる。しかしそれらはゴールデンウィーク前からの光景で、あの女子高生ドラゴンとの物語を経験したからといって別に大した変化はないのである。
それでいいと思うし、そのくらいがいいと思う。けれど、今日はそんな変わらない日常にほんの僅かな変化が生じる。
「なんかめっちゃ久しぶりに感じる」
別に感動の再開でもなんでもなく、飄々とした伊吹は十日ぶりのご対面にそう声を上げた。
「俺も久しぶりに感じるよ。たった十日なんだけどな」
「わざわざ日数数えてる辺り、めっちゃ私との再会待ち望んでた感じ?」
伊吹はからかうように歯を見せてにやりと笑った。
「調子に乗るな。むしろ十日くらい意識せずともカウントできるさ。伊吹のほうこそ、たった十日も数えられないなんておつむが足りてないんじゃないか」
煽りには煽りで返すのが柏木 司である。
「言うねぇ。あんまり口答えすると噛みつくよ」
「ドラゴンに噛みつかれるのはこわい」
二人して笑いながら言葉を交わす。
「もともと髪が赤いから血が目立たずに済むね」
「恐っ!」
恐ろしい発言をする彼女に対して警戒のポーズを取る。
「まあ、今日のところは勘弁してあげるよ。今日噛みつきたいのは柏木じゃなくてクレープだからね!」
「覚えてくれてたみたいでよかったよ。実はもう委員長を誘ってるんだ」
「日和にも早く会いたい。安武は?」
「予定入ってるって。今日も今日とてどっかの部活の助っ人を頼まれてるみたいだ」
伊吹が帰ってくることは昨日知らされたことなので、既に予定が入っているのは仕方のないことだ。
「まあ、安武と遊ぶ機会もこれからたくさんあるだろうし、今日のところは三人で楽しもう!」
元気いっぱいに両腕を上げて伊吹は高らかに笑った。
「そういえば、検査は大丈夫だったのか?」
雑談を交わすように気になっていたことを質問する。
「うん、基本的には大丈夫。でっかい機械に通されたり、体のあちこちを触られたりで大体は終わった。ちょっと電気流されたり、ストレス負荷試験をしたりはあったけど」
「電気…それに負荷試験って、本当に大丈夫だったのか」
不穏な検査内容に眉をひそめて俺は尋ねる。
「電気って言っても静電気のピリピリを十秒耐えるのを数セット繰り返したりとかだったよ。ストレス負荷試験もカウンセラーみたいな人と会話していく中で、今までの嫌な思い出に対して考えるみたいな内容で、そんな感じのちょっと変わったのが十種くらいあったかな」
顎に手を当てて考えるポーズをした彼女は一つ一つ思い出すように口にする。
「ま、今はこうしてピンピンしてるんだから大丈夫だよ!」
最後にそうあっけらかんに笑う姿を見て、ひとまずは安心する。
「それよりも検査が終わった後の守秘義務の話とかが大変だったな。色んな人から同じ話を何回もされて疲れたよ」
「ああ、それなら俺も経験してる。政府が隠していることを色々と知ってしまったからな。以前、安武も委員長もそれで休日丸々潰されたし」
伊吹は検査のことを思い出してるときよりもうんざりとした様子だ。寵愛現象のことも、化け物が実在することも、協会の存在も外部に漏らしてはいけない。漏らしたらそれこそ協会員が関係者全員の記憶を消しに来ることだろう。
「それで伊吹はもう自由の身なのか?」
「ううん、経過観察の段階ではあるみたい。定期的に協会員が様子を見に来るんだって」
「そうか、監視対象は免れなかったか」
「まあ、雷落としたり、森の木々を薙ぎ倒したりしておいてそれで済むんなら安いものだよ」
彼女に監視対象であることを気にする素振りは特にない。
「さて、そろそろ教室に戻らないとな。また昼休みに部室で」
俺はそう言ってこの場を去ろうとするが、「あ、待って」と伊吹に呼び止められた。
「どうした?」
「改めてちゃんと伝えようと思って」
そう言った伊吹は僅かに頬を赤らめ、少し照れ臭そうに口を開いた。
「噂だけで真夜中にドラゴンを探して私に出会ってくれたこと、心細かった私の相談に乗ってくれたこと、日和と友達になれるように手引きしてくれたこと、クラスに乗り込んで怒ってくれたこと、学校の上空から落ちる私を受け止めてくれたこと、お昼ご飯を一緒に食べてくれたこと、ドラゴンに成った私と戦ってくれたこと、私に友達になろうって言ってくれたこと、いっぱいいぱいありがとう。たくさん迷惑かけてごめんね。たくさん傷付けてごめんね。本当にたくさんありがとう」
一音一音に感謝の想いが込められているのがわかった。胸の奥に心地良い熱が宿る。
「俺のほうこそありがとう」
それは自然と出た言葉だった。
「何のお礼?」
伊吹にそう尋ねられるが、その理由を言葉にはしなかった。きっと言葉にすればチープになってしまうから。
俺のそんな様子を見て答えが返ってくるのを諦めた伊吹は、こちらへと手を差し出した。
「これも改めてちゃんと伝えようと思ってたの」
真っ直ぐにこちらを見る伊吹の瞳にはキラキラとした光が宿っているように思えた。その瞳を見て銀色のドラゴンの美しい姿を思い出した。
「友達としてこれからもよろしくね」
俺は差し出された手を握り返す。
「ああ、よろしくな」
交わされた握手は友情の証明をするように強く握られた。
気付けば先程まで小雨を降らせていた空から眩い太陽の光が漏れ出している。次第に雨雲が避けていき、世界は淡いオレンジ色に染められる。伊吹と二人して空に目を向けると、「あ!」と同時に声が漏れた。
二人の視線の先には、始まりから終わりまで途切れることのない美しい虹が架かっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
女子高生のドラゴンとの物語は柏木 司が経験する奇怪な出来事の一つでしかない。
これから柏木 司が送る青春と呼べる高校生活も、思い返せば束の間の平和でしかない。
世界に衝撃を与える一年後の大事件の前日譚でしかなく、番外編でしかない。
当然、そんなことを知らずに柏木 司は生きていく。
過去の赤い春も、これからの青い春も、一年後に訪れる赤き平和の前の小さな日々でしかない。
それでも柏木 司は進み続けるしかない。赤い春と青い春の狭間で、赤と青の日々を歩んでいくしかない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
外は雨が降っており校舎内は薄暗い。既に下校の時刻が迫っており、生徒数は少ない。歩く廊下は電気が付いておらず、人気を感じられない。
「先輩」
「わっ!」
そんな中で急に背後から声を掛けられて驚く。跳ねる心臓が鳴りやまないままに声の主を見ると、見知った女子生徒が立っていた。
吸い込まれるような黒髪でおかっぱの髪型。背丈は小学生と間違えられるほどに小さく、線も細い。無表情で俺を見つめる顔は整っている。
「なんだ黒木か。驚かせるなよ」
クロキ マコ。黒い木にひらがなでまこ。黒木 まこという一つ下の学年の女子生徒だ。彼女が入学してまだ二ヶ月が経ったところだが、俺と彼女は知り合いである。というのも四月に我らがお助けクラブに訪ねてきたのだ。
「先輩、私、予言を見たの」
彼女は予言を見る。四月に俺たちの元を訪ねたのもこの予言の力が原因だった。
「一体どんな予言なんだ?」
予言の寵愛。それが彼女に授けられた寵愛だ。夢を見るように未来が見えるらしい。四月に彼女が抱えていた悩みは解決したのだが、この予言の寵愛の解消にまでは至らなかった。まあ、伊吹のドラゴンと違って危険性は低いから経過観察程度の扱いである。
「この夏、先輩はお化けに会う」
「は?」
素っ頓狂な声が己の口から出た。お化け、随分と可愛らしい表現が出てきたものだ。これまで化け物と対峙したことはあったが、お化けとはそれらとは違うのだろうか。
「一応、不服ながら夢に先輩が出てきたから、不服ながら伝えておこうと思って」
「どんだけ俺に対して不服を抱いているんだよ…」
呆れながら返事をすると、彼女は不穏なことを言った。
「先輩、死なないでね。ちゃんと生きて二学期も私を構ってね」
相変わらず感情の乗っていないその声で、予言の寵愛を有する黒木 まこはそう言った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ねえねえ知ってる?東浜高校には七不思議があるんだよ」
「一つ、どこまでも続くエンドレス階段」
「二つ、プールに住まう水死体の化け物」
「三つ、音楽室のピアノを奏でる白いドレスの女」
「四つ、グラウンドを徘徊する汚れまみれのおじさん」
「五つ、誰もいない体育館に響き渡るバスケットボールの音」
「六つ、事故で亡くなっちゃった虹川さん」
「七つ、林間学校に現れる老婆の怪異」




