第一章20 変わりゆく空
「伊吹、上手くいったみたいだな」
宿泊所から出てきた伊吹に開口一番そう声を掛ける。
「え?上手くいったの?なんで上手くいったってわかるの?」
「なんで阿賀と話に行ったお前が把握してないんだよ…。上手くいったとわかった理由は単純さ。伊吹の今後について姉貴と話をしていたときに安武が口を挟んだ。つまり伊吹への不干渉を強制する寵愛現象は解除された」
俺の説明に伊吹はなるほどーと呑気な反応を返した。
「伊吹さん、肝心なときに大した役に立てなくてごめん」
「いいよいいよ、仕方ないよ」
謝罪の言葉を口にする安武に伊吹が前に突き出した手をブンブンと振りながら答える。
「何はともあれ、これで一件落着だ。落着した直後で申し訳ないが、これからの話をさせてもらうよ」
姉がそう口にしたことで三人の目線が姉に集中する。
「とりあえず柏木のお姉さんに付いて行けばいいんですよね?」
「私の名前は翼だよ」
「そうでした。柏木の記憶で見たんだった。翼さんに付いて行けばいいですか?」
「それで問題ない。できれば今から来てもらいたいが、それでいいかい?」
「おい、流石にそれは急すぎるんじゃ。せめて今晩は寝て明日にでも」
「いいですよ」
今から伊吹を協会へ連れて行こうとする姉に苦言を呈しているところに伊吹の承諾が差し込まれる。
「本当にいいのか?伊吹の中で整理とか、準備とか、時間があった方がいいんじゃ…」
「整理とか別にいいよ。どうせやらないといけないならさっさと済ませちゃいたいし」
協会への連行という内容に対して軽すぎる伊吹の返答に心配の気持ちが出てくる。
「あ、可能なら記憶は消さないでもらえると助かります。命も奪わないでいただけると」
緊張感のない声で伊吹が姉にそうお願いする。
「その点なら愚弟にも伝えているが、そうならないように私が善処するよ」
「もし仮に伊吹さんに危害が加えられたり、記憶を奪うようなことがあったときは俺が協会を潰します」
安武が姉に釘を刺す。
「そのときは俺も協会を潰す側だ」
安武同様、俺も意思表明をする。
「私も記憶消されそうになったら暴れます」
安武と俺に続くように伊吹が挙手をしてそう言った。
「協会でも上位の実力を持つ戦闘員を倒した安武と、愚かながらも憤怒の寵愛を有する弟を敵に回すのは協会としても面倒だろう。それでも協会が負けることはないが、多少の痛手は負う。その痛手を負ってでも、もう龍の寵愛を有していない可能性のほうが高い伊吹ちゃんの記憶を消すという結論にはおそらくならない」
スラスラと喋る姉は「それに」と言葉を付け足して言った。
「協会で私の意見が通らないことはない。仮に私以外の幹部連中が反対意見だったとしても、私の手中で転がして結論をコントロールするさ」
自信満々にそう告げる姉に今回ばかりは恐ろしさではなく頼もしさを感じた。
「それじゃあ、ただの高校生に倒された負け犬を回収して協会に向かおうか」
姉が伊吹にそう言いながら歩き出した。負け犬というのは安武が倒したという協会員のことだろう。あの安武が体のあちこちに傷を負っているのでかなりの手練れだったはずだ。
「んじゃ、ちょっくら行ってくるわ」
そんな挨拶をして伊吹はこの場を去ろうとする。
「待て、俺も付いて行く」
「付いて来るな」
「え、付いて来なくていいよ」
伊吹を一人で協会へと向かわせることを心配して同行を申し出た俺に、姉と伊吹が却下を入れる。
「役立たずが来ても邪魔なだけだ。お前のせいで話がこじれる可能性もある」
「遊びに行くんじゃないんだよ。私がもうドラゴンに成らないか検査しに行くんだよ。邪魔しちゃ駄目でしょ」
姉と伊吹がそれぞれ異なる理由で俺を突き放す。俺が伊吹と遊びたくて付いて行くみたいになっている点がやるせない。
「俺がおかしいのか…」
「まあまあ、ここは翼さんに任せよう」
嘆く俺の肩に手をポンと置いて、安武が俺をなだめる言葉を口にする。
「伊吹ちゃんは忘れ物とかないかい?」
「はい、スマホはポケットに入ってます!」
「スマホへの信頼度が凄いな…」
スマホだけあれば十分とでも言うように伊吹は威勢よく返事をする。
「検査はどれくらい掛かりそうなんだ?」
俺は大事なことを姉に尋ねる。というかこれを聞かずに伊吹はよく付いて行く気になれるものだ。
「最低でも一週間。一カ月は掛けたくないね」
そんな姉の回答に当人である伊吹は「へー」と他人事のようなリアクションをしている。
「じゃあ学校とお母さんに連絡入れておかなきゃ」
「その辺は協会でやるから問題ない。事実を捻じ曲げて世間へのそれらしい言い訳を用意するのは協会の十八番なんだ」
そんな十八番のせいで寵愛を授かった子供を協会が軟禁しても世間で騒ぎになることはないのだから、誘拐とかよりも質が悪い気がする。
そうしたやり取りを交わして、姉と伊吹は歩き出す。俺と安武はそれを見送ることしかできない、なんて考えていたときに伊吹が「あ」と声を上げて立ち止まった。
「そういえば柏木はなんで私に干渉できたの?不干渉の寵愛があったのに」
伊吹が不思議そうに首を傾げながら俺のほうを見た。
「それは友情パワーで」
「違うよ」
ちょっと愛のあるジョークを挟もうとした俺の言葉は即否定されて、否定した姉が説明を始めた。
「不干渉の寵愛は阿賀 華蓮のコンプレックスから発生したものだ。標的にされたくないから空気を読む。スクールカースト上位になりたいから空気を乗りこなす。そんな彼女が発動する能力は空気を読む人間を対象とした」
「だから空気の読めない柏木は不干渉の寵愛を受けなかったのか」
失礼な納得の仕方をしている伊吹に抗議の眼差しを向けていると、姉が追加で補足する。
「いや、愚弟も不干渉の寵愛の効果を受けていた。流石の愚弟も全く以て空気を読まずに生きているわけではないからね。ただ他者よりは明らかに空気が読めないから不干渉の発症が遅れた。そして寵愛の影響下に入る前に伊吹ちゃんの記憶を見た。体験した。重なった。伊吹 凛と近しい存在となった」
「伊吹さん自身が伊吹 凛に不干渉になるわけではないから、伊吹さんの人生を追体験し、ある意味で存在が重なってしまった司もまた、伊吹 凛という存在に不干渉になることはなくなった」
姉が言葉を区切ったタイミングで安武が言葉の続きを代弁する。
「そういうことだ。つまりは結構ギリギリだったわけだ。愚弟まで不干渉の寵愛の影響下に入り、伊吹ちゃんの龍の寵愛を解消することができなかったら、いよいよ殺すしか選択肢はなかった」
最後に姉が恐ろしい内容で言葉を締め括る。
「まあ、何はともあれ」
「無事でよかったね」
そんなヒヤリとする話に対して俺と伊吹は呑気な言葉を返し、今宵の事件は幕を下ろされた。
「それじゃあ、また何日か後に」
「ああ、またな。今度は美味いクレープでも食べに行こう」
「いいね」
二っと笑った伊吹は踵を返し、今度こそ姉と暗闇の中へと消えていった。疲弊した俺と安武は宿泊所へと戻っていく。お風呂にも入りたいし、安武は体中の傷跡の言い訳を考えないといけないが、二人ともそんな余裕はなく、布団に倒れ込んですぐに眠ってしまった。
月明かりがやけに眩しいその夜は、薙ぎ倒された森の木々を照らしながら、朝日が昇るのを静かに待った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
真夜中の山道を自動車が走行する。山道というほど高低差のある道ではないが、車道は狭く、急カーブがいくつもあるため非常に運転しずらい。それに夜道であるから視界も悪く、先程は鹿が飛び出してきて危うく事故になるところだった。
乗車しているのは協会の車であり、敷地内に残っていた車が小さな軽自動車であったため、普通車がよかったと内心思いながらこの地にやって来たのだが、こうした狭くうねった道を見ると小回りの効く軽自動車で良かったと思う。
そんなことを考えながらミラーに映った後部座席のほうを見ると、涎を垂らしながら爆睡する女子高生の姿があった。
「よくこんな状況下で爆睡できるな。この子からしたら知らん大人二人が怪しい施設に連行してる状況なんやけどな」
「疲れていたんだろう。夜も深いしね」
助手席側の窓から月を眺める翼はんがそう口にする。
「翼はんも疲れたんちゃう?寝とってもええで。運転は僕に任しとき」
気遣い半分、あんまりこの女と会話したくない気持ち半分で僕はそう伝える。
「私に指図するな」
そんな僕の気遣いに対してクソみたいな返事が返ってきた。
「まあ、疲れてるんは僕のほうやからな」
皮肉を込めてそう伝える。実際、殴打により気絶していた僕を無理やり叩き起こし、こんな山道を運転させるなんて人のすることではない。
「仕方ないだろう」
翼はんは感情の籠っていない声を返してくる。
「仕方ないって…あ、翼はん免許持ってないんやっけ?」
もしそうだとするならば配慮が足りなかった。
「いや、持ってるよ。仕方ないっていうのは役に立てなかった負け犬に仕事を与えないと給料泥棒になってしまうという意味だ」
一体どういう風に育てばこんな悪魔みたいな人間が出来上がるのだろうか。協会員としての任務の中で本物の悪魔と遭遇したこともあるが、悪辣さで負けていないような気がする。天才女優である妹の柏木 聖菜はあんなに天使のような性格をしているというのに、まるで正反対だ。
「まあ、僕が負けたんは事実やから強くは言い返せんな。でも、」
そう言葉を区切って柏木 翼に一瞬視線を向ける。
「僕が負けることも計画のうちやったんやろ」
彼女は黙っている。だから僕はそのまま言葉を続ける。
「協会は一刻でも早く危険性があまりにも高いドラゴンの対処を求めていた。伊吹 凛の拘束及び監禁という方針が決定したのは十日前。通常であればそれから三日以内には実行に移る。なのにわざわざ僕を戦闘員として起用し、満月の日まで任務の実行を引き延ばした」
僕が狼男に成れるのは満月の夜だけ。人間の状態の僕は化け物たちを相手取るには実力不足だが、狼男となってしまえば一気に協会内の最重要戦力として名前が上がる。万が一ドラゴンとの戦闘になったとき、狼男の戦力が必要だと言われてしまえば協会も首を縦に振らざる得ない。
「そしてこの地に到着したとき、司君に電話までして戦闘が起こる状況を作り出した。憤怒の寵愛を扱う彼と、実際に狼男を倒してしまえる安武君を敵に回した。任務失敗の言い訳を用意した」
協会の邪魔をするなと伝えるための電話だと彼女は言っていたが、あれは明らかに敵対するように誘導した電話だった。
「任務失敗、正確には邪魔が入ったため計画の立て直しという状況にするために翼はんは動いていた。満月の日まで引き延ばして、司君たちに邪魔させることでさらに引き延ばして、時間を稼いでいた。その理由は」
そこまで口に出してからようやく彼女はこちらへと顔を向けた。それ以上喋るなと目が言っていた。
だから口に出すことはやめて胸の内に留める。時間を稼いだ理由は、伊吹 凛が龍の寵愛を解消するまで待つためだ。
「ま、色々言ってもうたけど、結果的に龍の寵愛も不干渉の寵愛も消えて無くなってめでたしめでたしやな」
これ以上追及することで彼女から言葉の反撃を食らって精神的苦痛を与えられるのも嫌なので、無理やりに話を締め括る。
「けど、まさか僕らが来たタイミングでドラゴンに成ってしまったのは想定外やったな」
伊吹 凛は二週間ほどドラゴンに成っていなかった。だから本当にただの女子高生を連行するだけで任務完了の可能性もあったのだ。
「でもおかげで知力の魔女の遺品を試すこともできたな」
僕はそう言いながら彼女の手首に装着された銀色の装飾品を見る。
「ああ、そうだね。試し打ちで私が魔女の力を引き出せることはわかっていたが、本当に龍特攻の品だとは確信できていなかった」
彼女は右腕を頭の位置まで持ってきて、目の前で光る魔女の遺品を眺める。
「ま、ドラゴンは既に絶滅しているからな。せっかく苦労して復元したのに、今後使う機会がなさそうで残念やな」
「構わないさ。知力の魔女が残した骨董品は世界中に散らばっている。そのうち有用な品も見つかるだろう」
そう口にする彼女に対して、己の糸目を開いて気になっていることを質問する。
「でもなんで魔女の遺品を翼はんが使えるんやろうな。あれは魔女にしか使えへんから骨董品以上の価値はない代物やったわけやろ?」
僅かに己の声が低くなったのを感じる。この質問は協会どころか世界にとっての重要事項に当たるからだ。
この世界に魔女は存在する。しかし現代の魔女に大した力はない。せいぜいしょうもない手品レベルの魔法が使える程度だ。確認されている数も二桁に届かない。
そんな現代の魔女と違って、中世の魔女の力は大きかったと言われている。雷を落としたり、雪を降らせたりと人の域を超えた力を操り、吸血鬼にすら匹敵すると言われていたのだ。
その中世の魔女たちが使っていたとされるのが知力の魔女の遺品だ。知力の魔女は万を超える魔道具を開発し、現代でも千を超える数が世界中に眠っているという。その遺品には戦争の勝敗を左右するほど強力なものまであると聞く。実際、今回使われた龍特攻の魔道具は硬い鱗を簡単に剝がし、ドラゴンに致命傷を与えた。
そんな知力の魔女の魔道具も衰退した現代の魔女には扱えず、ただの骨董品に成り下がっていた。それを柏木 翼は扱ってみせた。魔女の家系でも何でもない彼女がだ。
「さあ、何でだろうね。見当もつかないよ」
僕の問いに彼女は答える気がないらしい。
「検査せなあかんのは後ろで爆睡してるこの子やなくて、翼はんのほうなのかもしれんな」
中世の魔女は吸血鬼に匹敵する。けれど、その程度では世界の脅威とは呼べない。
協会内の資料には世界を滅ぼす力を持ったと言われる三魔女の記録が残っている。
暴力の魔女。
知力の魔女。
魅力の魔女。
二千年前を生きたとされる三人の魔女だ。そのうち、知力の魔女が残した魔道具を柏木 翼が扱った。現代ではもう誰も発動させることができない魔道具を発動させた。
十代にして歴史ある寵愛現象管理協会の幹部に上り詰めた女。美しく、妖艶で、賢く、強く、完璧なこの女は一体何者なのだろうかと糸目の隙間から見ていた。
「よそ見していないで前を向き給え。こんなにノロノロと運転していては協会に辿り着く前に朝日が昇ってしまうよ」
彼女はいつもの調子で上から目線に発言する。その指示に従って僕は車を走らせた。
ようやく山道を抜け、田舎の広い道へと出る。変わらず明るい満月が田んぼ道を照らしている。
僕は愛する満月に視線をやり、一年後も平和な世界があることを祈った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「そんなことがあったんだ」
話を聞き終えた速川 日和はそう言った。姉にしたように一から十まで説明はしてない。それなりに省略しつつ、要点だけを押さえて俺は彼女に説明した。
「というわけで龍の寵愛に頭を悩ませる必要はもうなさそうだ。もっとも、伊吹が帰ってくるまで安心はできないがな」
「肝心なときに凛の力になれなかったな」
委員長は落ち込んだ声のトーンのまま項垂れる。
「仕方ないさ。むしろ不干渉の寵愛の影響下にあったのに伊吹のために行動できた安武のほうがおかしいんだよ」
「そんな安武君も林間学校はリタイアしちゃったね」
そう言って委員長は遠くの町のほうを見る。憤怒の寵愛で傷が治る俺と違って、朝起きたら傷だらけの体で班員たちを驚かせた安武は早々に病院へと連行されていった。
「まあ、大丈夫だろう。あいつ頑丈だし、再生力高いし」
ただの人間でありながらビルの五階から落ちても打撲で済み、その怪我も二日で完治するのが安武 晴間という男だ。あいつの存在が一番のファンタジーな気がしてきたな。
「安武君が朝起きたら傷だらけになっていて、森の奥の大量の木々が何故か折れていて、生徒たちの間では老婆の怪異の噂がさらに強まってるよ…」
「むしろあれだけ暴れてその程度の噂で収まってるのが驚きだよ。これも協会側が何かしら手を施した結果かもな」
実際、伊吹が姿を消した理由も全体に周知済みであった。どうやら伊吹の遠い親戚が亡くなって、近所に住んでいた親戚が迎えに来たというシナリオになっているらしい。
伊吹の母親に対して協会がどのような説明をしているのかは不明だが、それらしい説明をでっち上げているのだろう。
「それじゃあ、私たちもそろそろ皆のところに戻ろうか」
委員長がそう言いながら伸びをする。綺麗な黄緑色の芝生に座り込んでいた俺はその姿を見上げながら、絵になるなーという感想を抱く。大体いつも元気が漲っている委員長には、芝生と広い青空がよく似合う。
「連中は今何してるんだ?」
「連中って…皆は紙飛行機大会中だよ」
「すっげー子供っぽい大会開いてんな」
「わかってないなー、紙飛行機って奥が深いんだよ。遠くに飛ばせる折り方を私が教えてあげるから早く行こうよ」
明るい声と満天の笑顔で彼女はこちらに手を差し出してくる。その姿は無邪気な子供のようだ。
差し出された手を見て昨日の光景を思い出す。あの白い空間で伊吹へと手を差し出したときの光景が重なる。
「…委員長、俺は」
そう呟いて止める。言葉の続きはまだ整理しきれていない考えだった。
「え?何か言った?」
「いいや、何でもない。まあ、俺が一番遠くに飛ばして紙飛行機王の座に着くとするか」
「そうこなくっちゃ!」
差し出された手を取ることはなく、でも委員長と二人肩を並べて歩き出した。
伊吹と友達になった。友達なんていらない、とはもう思わない。だからといってこれからは積極的に友達を作っていく気はない。
けれど、委員長のような人間ならば、もしかしたら俺は。そこまで考えて一旦止まる。この考えを整理できるほどの余裕は今の俺にはない。だから、もう少し先の未来で、きっと、
「委員長」
「ん?」
「伊吹が戻ってきたら一緒にクレープを食べに行こう」
委員長の嬉しそうな反応の後ろで、少しずつ変わっていく季節の空模様が目に映った。




