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赤と青のハルハル  作者: 高野 ぱら
第一章 女子高生ドラゴン
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第一章2 真夜中のはじめまして

 ドラゴンの正体が人間だったこと自体に驚きはなかった。人間が寵愛現象によってドラゴンを生み出したか、もしくはドラゴンに成ったのか、そのどちらかだと思っていた。答えは後者だった。


 その人間の正体が女子高生だったことには少し驚いた。いったいどういう悩みを抱えれば女子高生がドラゴンに成るのだろうか。しかし、少し驚きはしたものの完全に想定外というわけでもない。


 故にそこまで取り乱すことなく、俺を下敷きにする彼女に声を掛ける。


「えっと、まずは、体は無事か?」


 そんな問いに対してゆっくりと彼女は頷いた。どうやら言葉は通じるらしい。


「それじゃあ、どいてもらえると助かる」


「あ、ごめん」


 つい先程のスカイダイビング体験を思えばあまりにあっさりした声音で彼女は三歩引いた位置へと離れる。重りのなくなった俺も立ち上がり、彼女と視線を交わした。


「まずは自己紹介といこう。俺は」


「え!?柏木 司!」


「自己紹介の手間が省けて助かるよ。で、なんで俺の名前を知ってるの?」


 目の前の彼女に見覚えはない。ということは一方的に俺の存在を知られているのだろう。もしかすると同じ高校の生徒なのかもしれない。


「だって、有名人だし」


「俺が?」


 思わずそう聞き返す。有名人と言われても全く身に覚えがない。俺の高校生活と言ったら、授業を受けて帰宅するということの繰り返しだ。特に友達とはしゃいでいるわけでもないので、地味な生活を送っている俺が有名人なわけがない。というか、一緒にはしゃぐような友達がそもそもいない。

 ということは、思い当たる答えは一つだ。それは今日も、いや、もう昨日か。昨日の放課後にも委員長から言われた血のように赤くそこらの女性より長いこの髪のせいだろう。多様性という聞こえの良い言葉が浸透してきたこの社会でも、赤髪長髪の男子高生は目立ってしまうらしい。


「あぁ、この髪のせいか。確かに我ながら派手な髪色だが、髪色で言えばうちの委員長、速川 日和のパステルカラーのほうがインパクトあるだろうに」


 有名と言われた原因のわかった俺は反論の意図を交えつつそう返した。


「髪色もあるし、速川さんも有名ではあるけど。それ以前に噂が…」


 そこまで言って彼女は口を閉ざした。なるほど、噂ねぇ。どうしよう、全然心当たりがない。俺はいったいどんな噂を立てられているんだ。噂というのは友達を経由して広まるものなので、友人が二人しかいない俺には乏しい分野だ。


「まあ、噂なんてどうせデマばっかりなんだから気にするなよ。それよりも俺の紹介は不要だったみたいだし、次はお前の名前を教えてくれ」


 いったいどんな噂が流れているのか聞いていると本題からどんどん遠ざかってしまうので、ここいらで軌道修正を試みる。決して噂の内容を聞いて傷つくのが恐いとかが理由ではない。


「私の名前は、イブキ リン。伊能忠敬の伊に、息吹の吹、凛としたの凛で伊吹 凛」


 こちらを警戒するように、というよりは動揺の色を濃くした様子で彼女は名乗った。


「そうか。よろしく、伊吹。俺の名前は知っての通り、カシワギ ツカサ。木へんに白の柏に、林檎の木の木、司るの司で柏木 司」


 こちらも名乗って場を整える。ここからは質問タイムだ。


「さっきのって、どうなってるの。柏木も人間じゃないの?」


 こちらが質問する前に怯えた表情で質問される。こちらとしてはドラゴンになっていた彼女のほうに質問をしたいのだが、こちらが先に答えたほうが話をスムーズに進められると判断する。


「人間だよ。たぶん伊吹と同じで人外の力を持った人間だよ」


 俺は力強い口調で答える。それは"柏木も人間じゃないの?"と、既に自分は人間ではないのだと決めようとしていた彼女を否定するためだった。

 そんな俺の強い口調に対し、先程まで怯えた様子だった彼女の表情に綻びが生まれた。平たく言えば、泣きそうな顔になった。


「…何か、知ってるの?私がおかしくなっちゃったこと」


 縋るように、耐えるように、彼女の問いが俺に届く。やはり今夜行動して正解だった。彼女は苦しんでいたのだ。ドラゴンへと、異形へと変化するようになった己に対して。


「まだ確証はない。だけど九割型、伊吹がドラゴンに成っている原因は寵愛現象だ」


「ドラゴン…?寵愛現象…?」


 寵愛現象に疑問符が付けられるのは予想通りだが、ドラゴンにまで疑問符が付けられるのは意外だった。


「まさか変身した自分の姿を見てないのか?」


「うん。家の中にいたら色々壊しちゃいそうだからすぐに外に出て。え、私ドラゴンに成ってるの?」


 困惑の表情を浮かべる彼女になんと説明すればよいかに迷い、結局はありのままの感想を口にする。


「正確にはドラゴンに見えなくもないって見た目だな。翼も爪もあったし、鱗じゃなかったけど肌は恐竜みたいだった。角は、、今も生えてるし」


「あー、おかしくなっちゃってるときはパニックであんまり状況を把握できなかったや。翼や爪が生えてたのはわかってたけど、ドラゴンっぽい見た目なんだ…。この角と灰色になった髪だけは何なんだろうって一日中謎だったんだけど」


 話しながら状況を理解していく彼女の口ぶりから、確認したい事項のうちの一つを質問する。


「今の口ぶりからして、ドラゴン化するようになったのは最近か?」


「うん。昨日の夜から」


「正確な時刻は覚えているか?急に体に異変が起きたのか?」


 つい質問攻めにしてしまったせいか、彼女の表情に再び動揺の色が出る。


「悪い。伊吹だって急なことで気持ちの整理が付いてないよな」


「ううん、大丈夫。時刻は確か日付が変わったくらいだったと思う。体が熱くなって、気分も少し悪くなって、頭も痛いなって思ってたら急に肌がブツブツになって白くなって」


 ようやく俺を敵ではないと認識してくれたらしく、質問に答え始めてくれた。


「それで恐くなって、体が大きくなったことで本棚とか倒しちゃったから一旦外に出ようとベランダから飛び出したら、まるでいつもそうしてたみたいに空を飛んで」


 彼女は言葉を続ける。思い出しながら話しているのだろうが、言葉はすらすらと紡がれる。その様子を見て、もしかしたら今の今まで誰にも相談できていなかったのかもしれないと思った。


「空を飛びまわってたら、何というか、満足…という表現が正しいのかわからないけど落ち着いて、地上に降りたら人間の姿に戻ってた。でも、角は生えてるし、髪も灰色になってた」


 そう話す彼女の言う通り、肩まで伸びた髪は灰色であり、その頭からは手と同じくらいの長さの角が伸びている。


「私、どうすればいいかな?元に戻れるのかな?」


 その声音にはほんの少しの涙が混じっていた。


「今の話からして寵愛現象の可能性が最も高い。寵愛現象ならば元の姿に戻ることはできるはずだ」


 俺の返事に安心したのか、僅かに彼女の肩の力が抜けたように見えた。


「その、寵愛現象って何なの?」


 当然の問いを投げかけられ、どこから説明すべきか考えた末、一から説明することにした。


「寵愛現象。すなわち大いなる存在から寵愛された者に宿る特別な力のことだ」


「ぜ、全然わからない。中二病?」


「中二病じゃねえよ。一から十まで説明するからまずは聞いてろ」


 そう言って再び口を開く前に咳ばらいをした。


「まず前提として、伊吹が常識だと思っている世界と実際の世界には齟齬がある」


「齟齬?」


「例えば、吸血鬼は実在すると思うか?」


 急に飛躍した質問をされた彼女は戸惑いつつも答える。


「いない、、と思う。けど、私がドラゴンに成ってたり、柏木が超高く飛んで、超高いところから落ちてもピンピンしているのを見ると、吸血鬼がいてもおかしくないって思うかも」


「そう。実際に吸血鬼は実在する。他にも日本の妖怪である河童なんかも実在している。まあ、どちらも絶滅危惧種同然なんだがな」


 昨日までただの女子高生だった彼女からすれば突拍子もない内容だが、俺はそのまま話を続ける。


「西洋の吸血鬼、中国のキョンシー、中東の精霊、アメリカのビッグフット。それらと同じように日本にも"ソレ"は存在している。さっき言った河童とか吸血鬼とかよりも特殊で大いなる存在。それが日本の"寵愛者"だ」


「寵愛者…」


 ただ言葉を復唱するだけで、彼女は内容を理解できていないようだ。急にこんな話をされれば当然の反応である。


「まあ、今はとにかく常識では存在しない化け物が実は存在して、その中でも最も特殊な力を持った寵愛者が今回の件の原因だと理解してくれ」


「…わかった」


 まだ受け入れられてはなさそうだが、常識外の情報を必死に飲み込もうとはしてくれているように見える。


「吸血鬼は血を吸って生き、日光とかの弱点に晒されなければ不死身の存在だ。特殊な生命体ではあるが、寵愛者って言うのはもっと特殊な存在だ」


 そこまで話して困る。どう説明すればよいか。必要な前提知識が多いせいで、彼女の理解力が追い付くか心配だ。しかし説明しなければドラゴン化という問題の解決も始まらないので、俺はそのまま言葉を続けた。


「次に必要な前提知識なんだが、この世界には神力っていう力が漂っている」


 露骨に彼女の顔にハテナが浮かぶのが見えた。


「神力って言うのはこの吸って吐いてる空気にも、あとは俺たち人間とか生物全てに宿っている神秘的な力だ」


「漫画とかで出てくるマナとかチャクラとか、そういうやつ?」


 具体例を出してくれて説明する側としては非常に助かる。まさにそういうやつだ。


「その認識で問題ないよ。要するに宇宙の不思議パワーだ。実際、日本では神力って呼んでるけど、他の国ではマナとかエーテルとかの呼び名だったりするらしい。まあ、呼び名はどうでもいいが、その不思議パワーを使って伊吹をドラゴンに変えているのが寵愛者だ」


「なるほど…。でも、なんでそんなこと…」


「それは寵愛者から選ばれた人間が、心のどこかで望んだからだ」


「望んだって、何を…?」


「ドラゴンに成りたい、もしくはドラゴンに成ることで解決する何かをだ」


 僅かに彼女の顔が引きつったように見えた。寵愛者はその名前の通り、対象に好意を持って願いを叶えてあげようとする優しい存在だ。まあ、そう言い伝えられているだけで実際にそうなのかはわからないのだが。


「何か心当たりはあるか?」


「…」


 彼女は黙り込んだ。それは心当たりがある様子にも見えたが、実際のところはわからないため俺は注釈を入れる。


「別に寵愛者が選んだ対象が伊吹だったとは限らない。例えば誰かが伊吹にドラゴンに成ってほしいと願って、そうなった可能性だってゼロではない」


 一番高い可能性としては、伊吹自身の悩みか何かが原因でドラゴンに成っているのだと俺は睨んでいる。しかし他の可能性もある以上は、現時点で絞り込むわけにはいかない。


「そっか。教えてくれてありがとう。それで、寵愛現象って言うのは、その寵愛者って人が起こした現象のことで合ってる?」


「その認識で正しい。ただ寵愛者を人って呼んでいいのかは微妙なところだ。人外の力を使える俺も、ドラゴンに成る伊吹も、人かどうかで言えば人に分類される。でも寵愛者は吸血鬼とかの分類だから、人ではないというのが専門家の言い分だ」


「そうなんだ。難しいね。でも、じゃあ、その寵愛者さんに元に戻してって言えば戻してもらえるの?」


「いや、それはできない。寵愛者は行方不明らしい」


「…そう、、なんだ。でもさっき寵愛現象なら元に戻れるって言ったよね。どうすれば…」


 不安そうに彼女は問う。三白眼の鋭い目つきには威勢がなく、よく見れば目元には隈ができていた。昨日発症したと言っていたから、今の今まで碌に寝ていないのかもしれない。


「基本的には寵愛現象は個人の悩みを引き金に発生する。だからその悩みが解決すれば寵愛現象も消え去るはずだ」


 そう告げられた彼女の反応は、解決策が見つかって安心したというようには見えなかった。むしろ表情はより一層暗くなった気がする。その様子から、やはり今回のドラゴンに成るという寵愛、さしずめ龍の寵愛は彼女自身に問題があるように見える。その問題解決のためには彼女の悩みを聞き出さなければならないわけだが。


「わかった。色々教えてくれてありがとう。あとは私で何とかしてみる」


 そう彼女は言った。初めて聞く訳のわからない現象。その現象について詳しそうな俺を目の前にしながら、残りは自分自身で解決しようとしている。ということは悩みを聞き出すことは難しいだろう。


「…何かあったらいつでも連絡してくれ。これ俺の電話番号」


 そう言って携帯電話の番号を書いた紙きれを彼女に渡した。俺と彼女はついさっき出会ったのだ。そんな相手にドラゴンに成ってしまうほどの深刻な悩みは話せまい。つまるところ少しずつ距離を縮めるしかなさそうだ。もしくは本当に彼女一人で解決できるのであればそれが一番だが。


「それで、確認してなかったけど俺のことを知っていたということは同じ学校だよな?学年とクラスは?」


 今は警戒されない範囲の当り障りない彼女の情報を集めるべきだ。そのためにまずはクラスくらい知っておかねば。


「二年六組。出席番号三番、伊吹 凛だよ」


 ご丁寧に出席番号まで答えた彼女を見ながら俺は言葉を返す。


「なんだ、隣のクラスか。俺は二年七組、出席番号七番、柏木 司だ」


「うん、知ってる」


 ほんの僅かな笑みを浮かべて彼女は答えた。ふと彼女の姿を改めて見ると思った以上に小さな体だった。スラっと細い体つきに身長は百五十センチちょっとくらいか。


「家はこの辺か?近くまで送る」


 もう少し話を聞きたいが夜も深い。詳しくは夜が明けてから聞くとしよう。女子高生が夜道を歩くのは当然危険だし、何よりドラゴン化は彼女にコントロールできていないようだ。せめて彼女の家の近くまでは送るとしよう。


「そこまでしてもらわなくて大丈夫だよ。…でも、私ももう少し聞きたいことあるからお願いしようかな」


 そう言って彼女は数歩先を歩き出した。一定の距離を保ちながら俺も歩く。


 そうして、赤い長髪の男子高生と黒い角を生やした灰色髪の女子高生という奇天烈な二人が、月のない夜空の下、歩いていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 体が怠い。己に授けられた寵愛を短時間ながらも全力で行使した結果、怠さと痛みが体にのしかかる。丸一日肉体労働をしたような疲労感で今夜は泥のように眠れそうだ。それでも明日から数日は筋肉痛で悶え苦しむことになるので憂鬱な気分にもなる。


 何時間も前からすっかり夜には成り果てていたので、夜空の色にも周囲の明るさにも変化はない。それは気温についても同じで、まだ五月の真夜中は肌寒かった。先程の人の力を超えた大運動で火照った体も完全に冷えてしまった。それは三歩前を歩く彼女も同様らしく、僅かに体を震わせる。


「私、柏木のこと誤解してたよ。色々と噂が流れてたから恐い人なんだと思ってた」


 先程は聞きそびれた俺の噂について話題が戻る。


「その噂っていうのは何だんだ?まあどうせ、噂っていうのは九割は嘘っぱちなんだろうけど」


「色々あるよ。最悪の不良"近藤 英汰"をボコボコにして更生させたとか、ヤクザの藪岡組を壊滅させたとか、ロシアからの暗殺者を返り討ちにしたとか」


「…あー、、、あー」


 彼女の口から出された噂の内容に何と返すか悩む。


「え、その反応…噂は本当なの?」


「…噂っていうのは五割は嘘っぱちなんだと思うぞ」


「さっき九割って言ってたじゃん!?噂は本当だったってこと…?」


 せっかく徐々に心を開いてくれていた彼女が再び警戒の色を濃くした。この状況はマズイと思い弁明を図る。


「確かに噂の結果部分は本当だ。だけど俺が戦闘したわけじゃない。俺はその件に関わっていただけだ」


「そ、そうなんだ。てっきりさっきの人外パワーでやっつけたのかと思っちゃった…」


「あのなぁ、あの力は見ての通り人にぶつけていいものではない。普通の人間相手なら簡単に殺せてしまう力だ。だから一般市民相手にあの力で危害を加えたことはないよ」


 今言った通り俺はあの力で普通の人間に危害を加えたことはない。たとえあの力が一般市民に向けるために授けられたものだとしてもだ。


「そっか。少し安心したよ。普通の人間にってことは、私みたいに普通じゃなくなった人間には使ったことあるの?」


「…あるよ。俺に足りないものが多すぎるばかりに、あの寵愛の力に頼ったことは」


「…。変なこと聞いちゃってごめんね」


 彼女がそう謝罪した。少し辛そうな顔をしてしまった俺を気遣ったのだろう。


「ちなみに例の三つの噂は、柏木が戦ったんじゃないならいったい誰が戦ったの?」


「俺の友人だよ。俺や伊吹と違って普通の人間なのに、バトル漫画の登場人物並みに強いやつがいるんだよ」


 その友人の顔を思い浮かべる。優しくて誠実で俺のような人間とも気軽に話そうとする善人なのだが、強さだけがおかしい。寵愛現象や吸血鬼などの特殊種族かと疑いが掛けられたこともあったが、正真正銘ただのクソ強い人間だった。


「へー、それ聞くと噂より実話のほうが信じ難いね」


 そんな感想を零す彼女は会話が続いてきたからかリラックスしてきたように見える。


「あと、一番気になってる柏木の噂なんだけど…」


「え?まだあるの?俺の噂多いな…」


 そうぼやきながら彼女の後ろを歩いていると、足を止めた彼女がクルっと振り返って聞いてきた。


「あの柏木 聖菜のお兄ちゃんだっていう噂は本当?」


 問いの中にあった人物名の姿が頭に映し出される。カシワギ セナ。木へんに白の柏に、林檎の木の木、聖なる聖に、菜の花の菜で柏木 聖菜。世間の視点で言えば超が付く有名人で、俺からすれば…。


「本当だよ。聖菜は俺の妹だ」


「えー!すごい!私、聖菜ちゃんが四歳の頃からファンなんだよね」


「あのドラマは大ヒットしたからな」


「聖菜ちゃんの実力でしょ。あの頃から十年以上、人気は変わらないどころか上昇していってるからね」


「サインとかを俺に頼んでくるなよ。事務所の人から止められてるからな」


「そんな図々しいことはしないよ。まあ、内心ちょこっと期待したけど」


 人気子役。中学三年生になった今は子役というべきか女優というべきかわからないが、つまるところ国民的スターである。


「聖菜ちゃんの話、あんまりしたくなさそうだけど仲悪かったりするの?」


 恐る恐る彼女は尋ねてくる。


「いや、仲はいいよ。気味が悪いほどに仲がいい。ただ俺は姉妹のことがあまり得意ではないんだよ。家族だし嫌いではないけど、そんな常日頃関わりたい相手ってわけでもない」


「聖菜ちゃんみたいな天使が妹でもそんな感じなんだ…。姉妹ってことはお姉さんもいるの?」


 有名人の家庭事情に興味という蜜を見出した彼女は質問を重ねる。別に隠すようなことでもないので答えてやる。


「姉が一人。妹が聖菜以外にもう一人」


「へー、柏木は真ん中なんだ。ちょっと意外」


 そんな感想を口にする彼女に姉妹の補足情報を少しだけ追加する。


「癖の強い姉妹に挟まれて苦労してきたんだよ。化け物みたいな姉に、凡人の妹、そして化け物の妹」


「化け物…。そんな言い方って思うけど、もしかしてその寵愛現象だったっけ?それが絡んでたりするの?」


 心配そうな表情を浮かべて彼女は質問する。


「いや、たぶん寵愛現象とは関係ないよ。まあ、化け物っていう表現については俺の個人的な感想だから気にしないでくれ」


 そこまで告げてから俺は話題を変える。


「伊吹は昨日どうしてたんだ。学校は休んでたんだろ?」


「…うん。この髪にこの角だし、一日中家に引き籠ってた」


「だよな。髪はいいにしてもその角はな、、、親御さんは知ってるのか?」


「ううん、うち父親は単身赴任で、お母さんは朝が早いから。朝は誰にも会わずに、お母さんが帰ってきてからは体調が悪いって言って部屋に隠れてた」


「なるほどな。ドラゴン化してベランダから飛び出してきたって言ってたけど、家の鍵はあるのか?」


 ふと疑問に思ったことを聞いてみる。


「あ!鍵ない…。家に入れない…」


「マジかよ…。昨日はどうやって家に戻ったんだ?」


「昨日は確かドラゴンから今の姿に戻ってる最中にゆらゆらーっとベランダに着陸したの。正直、ドラゴンに成ってる時の記憶って夢みたいに曖昧だから定かではないんだけど」


 つまり今日は俺がびっくりさせたことで落下して人間の姿になってしまったため、戻れなくなってしまったらしい。あれ?もしかして俺のせいか?


「どうしたものか。自発的にドラゴンに成れないのか?」


「どうだろう。やったことないからわかんないけど、感覚的にはできそうな気もする。でもさっき言った通り、ドラゴンになると夢の中にいるみたいであんまり自分をコントロールできないんだよね」


「うーん、少しリスクはあるか。普通にピンポン押して親御さんに開けてもらうか?」


「すごい心配かけると思う。いや、すごい怒られる気がするな」


「といってもその角を隠し通すのは無理だろ?髪は染めたで切り抜けられるとして」


「うーん…折るか」


 検討の末まさかの結論を出した彼女に驚く。


「折って大丈夫なのか…?そもそも折れるのか」


「わかんないけど触ってる感じ痛覚ないし、爪みたいなものなんじゃないかな」


 いまいち信用に欠ける解決策ではあるが、角を折ることができれば隠せるようにはなる。


「仮に折るとして、腕力だけで折れそうか?」


「ちょっと難しそうかな」


 そう言いながら己の腕力で角を折ろうとする彼女の行動力に動揺しつつも話を進める。


「斧とか鉈を調達して折るか。最悪俺の力を使えば折ることもできると思うけど」


 いずれの方法も物騒なのであまり選びたくはないが、選択肢としては持っておいたほうがよいだろう。


「じゃあさ、力使って先端の部分だけ折ってみてよ。先端のほうは細くなってるから簡単に折れるんじゃないかな」


「意外と根性あるなぁ」


 角を俺の目の前に持ってきた彼女に対してそう呟く。


「いいか、本当にやるぞ」


「バッチコーイ」


 野球男児のような返事があり、俺は角の先端部分に手を添える。触った感じはただの角だ。いや、動物の角なんて別に触る機会はないので比較はできないが、想像していた通りの無機質な触り心地。強いて言えば若干の暖かさがある気がするが物は試しだ。痛覚のないという彼女の発言を信じて指先に力を込める。


 ポキッと思ったよりも可愛らしい音を立てて角の先端が宙を舞った。折れた角の断面に肉感はなく、無機質な黒い部分しか見えない。


「痛みは?」


「全然何も感じない。やっぱり折ろうか。斧は恐いからノコギリとかでザクザクと」


 ノコギリも恐そうだけどなという感想は口にせず、今後の方針を話す。


「とりあえずは家に帰ろう。ベランダまでは俺が運んでやる」


 本当は出会ったばかりの男に家を知られたくないだろうと思い、家の近くまで送り届ける予定だったが、家に入れないとなれば予定変更だ。


「私を抱えて大ジャンプするの?」


「嫌なら別の方法を考えるけど」


「ううん。楽しそう」


 なぜか顔にワクワクの雰囲気を纏った彼女に呆れながら言葉を返した。


「明日、というより夜が明けたらか。そしたら今後の生活について作戦会議しよう」


「わかった。ノコギリ買わなくちゃだしね。それより柏木は学校大丈夫なの?」


「そんなの休むからいいよ」


「…柏木は学校サボってること多いから実は不良なんじゃないかって噂も流れてたけど、もしかしてさ、今までもこうやって誰かを助けるために動いてたの?」


 そう言う彼女の表情にはいくつかの感情が含まれている気がしたが、敢えてそれを見ないようにして俺は答える。


「別に俺が助けようとしているのは優しさとか自己犠牲とかじゃない。ただの…贖罪だ」


 そんな俺の言葉に彼女は返事をしなかった。ただ黙って俺を見つめていて、何を考えているかわからない。


「まあ、柏木がどう考えてたってさ、私はこんな状況を一緒に解決しようとしてくれる人が現れて、なんというか、その、嬉しいよ」


 ふさわしい言葉を探すように頭を捻っていた彼女の出した言葉はそんなものだった。


「そうか。それはどういたしまして」


 無感情のまま俺はそう返事したが、彼女は特に気分を悪くした様子はない。


 そう話をしているうちに彼女の住まうマンションに着く。


「あそこの五階の部屋が私の家」


 七階建てのマンションの五階の一室を指差して彼女は言った。


「よし、じゃあ飛ぶからしっかり捕まってろよ」


 そう言って彼女をお姫様抱っこする。彼女は特に照れたり嫌がったりする様子はなく、無感情に俺に身を預けた。

 そして俺は膝を折る。寵愛を引き出すために過去の光景を思い出して力を込める。瞬間、ポーンと俺と彼女が宙に浮いた。


「うひょー」


 小さい声でそう声を上げる彼女に対して、意外と能天気なやつだなと感想を抱く。見事ベランダにストンと華麗なる着地を決めた俺は、彼女を腕から降ろす。


「跳躍ってのはドラゴンの飛行とはまた違う感覚だね」


「なんか楽しそうだなお前」


 呆れた俺の返答を気にすることなく、彼女は言った。


「今日はありがとう。また起きたらさっき教えてもらった携帯番号に電話する」


「ああ、そうしてくれ。あんまり早起きするなよ。俺はぐっすり眠りたいから」


「うん、私も昨日寝てないから正直眠い」


 そう言いながら欠伸をする彼女を背にして、俺はベランダから飛び降りる体勢を取る。


「じゃあ、お休み」


「ああ、お休み」


 そう短い言葉を交わして五階のベランダから跳躍した。月のない夜、汚れたしまったパーカーのフードをたなびかせながら俺は宙を舞う。

 ぼんやりと視認できる星々が瞳に映り、一時間前の未完成なドラゴンの姿を思い出す。そんな想像とは違ったドラゴンの姿を思い出しながら、俺は幼稚な感想を抱いていた。


 ドラゴンに跨って空を飛んでみたい。幼少期の頃に妄想した、そんな幼稚な願いを思い出していた。

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