第一章1 ドラゴンに出会った日
その日、ドラゴンに出会った。
女子高生のドラゴンだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
時はドラゴンに出会う数時間前まで遡る。
ゴールデンウイーク明けの憂鬱な授業を終えた俺は別棟二階の教室に出向く。
「あ!来てくれたんだ!」
扉を開いた瞬間に元気な声が教室に響き渡る。
「一応ここの部員だからな。ゴールデンウィーク明けくらい顔を出すさ」
「おぉ、先月は一回しか顔を出さなかった人のセリフとは思えないね」
少し呆れたような顔をしている目の前の女子生徒を見る。そこで目に付くのは可愛らしい顔よりも、緑色のパステルカラーで綺麗に染められた髪色のほうだ。
「相変わらず、委員長の髪色は凄いな。学級委員長なら黒髪で三つ編みと相場が決まっているだろうに」
「へへ、ありがとう」
「いや、褒めてはないよ。確かにその髪色が似合う素質は凄いと思うけど、今のは全然褒めてなかったよ」
なぜか嬉しそうに照れる彼女にツッコミを入れると、彼女からも反論が返ってきた。
「というか、髪色について柏木君に言われたくないんだけど。まさか私よりも目立つ髪の人がいるなんて思いもしなかったよ」
そう言われて彼女の後方の窓に映る自分の姿を見る。そこには腰辺りまで伸びた真っ赤な長髪の男子生徒が映っていた。
「仕方がないだろ。これは地毛なんだから」
「それはそうかもだけど、その派手髪を長ーくしているのは柏木君でしょ」
「これはアレだから。願掛けみたいなものだから」
そんな適当な会話をしつつ、教室の中央に引き寄せられた椅子へと座る。そこには机と椅子が六つ並べてられているが、六つの席が埋まることがない。単純に席を満たす部員が足りていない。
「それで今日は何か依頼はあったか?」
彼女から一番遠くの席に腰を掛けた俺は尋ねる。
「今日は何も」
「今日も何もなしか。そろそろ廃部になるんじゃないか?」
「廃部にはならないよ。だってうちは部活ではなく同好会だし。それに先月は三件も依頼があったんだよ。柏木君はそのうち一件しか対応しなかったけど」
部活ではなかったという俺の知らない新事実に驚く暇もなく、俺のサボりについて言及される。
「ゴールデンウィーク中の清掃ボランティアをドタキャンしたのは悪かったよ。ちょっと急用ができてしまって。ちなみに残りのもう一件は何の依頼だったんだ?」
「大切なハンカチを失くした子からの依頼でね、探すのを手伝ったんだ。見つけるのに三日掛かったけど、持ち主がすっごく喜んでくれて嬉しかったな。人の役に立つのはやっぱり気持ちがいいね」
そんな綺麗事を本心から語る彼女の名前はハヤカワ ヒヨリだ。漢字は確か速川 日和と書いたはず。そんな彼女の語った内容の通り、この部活…ではなく同好会の正式名称は『お助けクラブ』だ。チープかつ怪しい団体とかが付けそうな名称ではあるが、目の前の陽のオーラ全開の彼女が自信満々に付けた名称なので異議申し立てをしたことは一度もない。
「ハンカチ一枚探すのに三日も費やすとは流石だな。委員長のことだから放課後だけではなく、休み時間も移動教室のときも探していたんだろ?」
「よくわかったね。なかなかやりがいのある仕事だったよ。まあ、見つけたのは安武君なんだけどね」
あっけらかんと笑う彼女の口から出た人物名、安武とは俺の数少ない友人のうちの一人だ。ちなみに俺の友人は安武以外だと残り一人だけだ。
「むしろ安武でも見つけるのに三日掛かったということは、よっぽど厄介なところにハンカチは落ちていたのか?」
「えっと、それは、あはは」
誤魔化すように笑う彼女に疑問を抱き、俺はさらなる追求を試みる。
「ハンカチは落とし物ではなく、隠し物だったとか?」
「解決したことだし、もういいんじゃないかな?それより今後の活動方針について話そうよ」
わかりやすく動揺した彼女の反応で、ハンカチ紛失事件の全貌が見えた気がする。
「委員長もよくトラブルに巻き込まれて大変だなぁ」
「柏木君ほどじゃないけどね。今回の件は、彼氏からプレゼントされたハンカチを依頼主が失くしたことがきっかけで」
「実際は失くしたのではなく、その彼氏さんに好意を寄せていた女子生徒の嫌がらせで盗まれたと」
彼女が結末を言う前に俺の口から続きを紡ぐ。彼女はその通りだと言わんばかりに眉尻を下げた。
「でも最後はちゃんと仲直りできたんだよ。だからやっぱり人の役に立つのは気持ちがいいね」
その仲直りまでに委員長と安武は苦労したのだろうが、苦労部分には全く触れずにハッピーエンドの部分しか語ろうとしないところがとても彼女らしい。
「そうか。何はともあれお疲れ様」
労いの言葉を口にすると彼女は満足そうに笑みを浮かべ、次の話題を提供してくる。
「そういえば聞いた?昨夜、隣町にドラゴンが出たんだって」
「急にぶっ飛んだ話題だな。ドラゴン?いったい誰の作り話なんだ」
「作り話というには目撃者が多そうなんだよね。この学校だけで三人、あとはSNSに同じ内容を投稿している人が十人前後」
ドラゴンが出ただなんて今時の中二病でも言わなそうな嘘を付く人間が十人前後。少し興味が湧いた。
「その話、誰から聞いた?」
「カッシーだよ。カッシーも実際に見たわけではなくて、その話を友達から聞いただけみたいだけど」
「カッシーって誰?」
「神代さんだよ」
「神代って誰だ?」
「もう!同じクラスの神代 瑞樹さんだよ!新しいクラスになって一か月になるんだからクラスメイトの名前くらい覚えてほしいな」
「あー、委員長とよく一緒にいる二人のうちのどっちかか」
クラスのカースト最上位。我ら二年七組を代表する三人のうちの一人がそんな名前だった気がする。委員長とよく一緒にいる二人の姿を思い出す。一人は特にこれといった特徴はないが美人で、まさに陽キャな雰囲気を纏っている人物。もう一人は赤紫に染めた髪を腰辺りまで伸ばし、クリンとした長いまつ毛にいつも黒いマスクをしているギャル。
「それで、黒髪のほう?赤紫のほう?」
「人を髪色で判断しないでほしいな。黒髪のほうがカッシーだよ」
呆れたように溜息をついて彼女は答えた。クラスメイトの顔と名前が一致したわけだが、我ながら明日には忘れている気がする。話は逸れてしまったが、今はドラゴンの話だ。自分から聞いておいて何だが、カッシーが誰かという情報はどうでもよかったな。
「それでドラゴンっていうのはどういう見た目なんだ。今、俺の中だと超巨大で一枚の鱗が人より大きい赤くてカッコいいドラゴンを想像しているんだけど」
ドラゴンの妄想をしていたらつい楽しくなってきてしまった。俺の背丈くらいある牙に、大木のような翼、黄金の鋭い瞳、炎を吐き、雷を落とす。己の中二病の才能が開花しそうになったタイミングで委員長が答え合わせをする。
「そんなに大きくはないみたい。馬より大きくて象より小さいとのことだよ」
「結構振れ幅あるな」
「まあ、目撃されたのは空を飛んでいるところだから、正確な大きさは誰にも測れてないんじゃないかな」
その口ぶりから彼女がドラゴンの目撃情報を信じているのだと察する。そんな非現実的なことを信じるなんてと思うかもしれないが、別に彼女は中二病でも人の言うことを何でも信じるわけでもない。
「柏木君はどう思う?ドラゴンは存在すると思う?」
少し真剣な表情になった彼女が問うてくる。
「つまるところ委員長はドラゴンの件も例の現象だと思ってるわけか」
そう言いながら思い出されるのはここ数年間の記憶。その現象に遭遇した回数は指で数えられるほどしかないが、一つ一つが非現実的なものなので記憶には強く残っている。その現象とは―――
「"寵愛現象"」
俺の思考を先読みしたように彼女は呟いた。忌々しく、神々しい、その現象の呼び名を。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ここ最近はすっかり暖かくなった。ゴールデンウィーク中も日によっては半袖のシャツで過ごしていたくらいだ。しかし、そんな暖かさも日中帯の話であり、太陽が隠れ月が顔を出せば凍える寒さはまだ健在だ。
もっとも今日は月は出ていない。駅近くといっても終電の時間をとっくに過ぎており、都会でも田舎でもないこの場所は人気が無い。ぼやけた光を発する街灯が点々と並べられており、世界は薄暗い。かといって満点の星空が見えるほど暗い世界というわけでもない。
俺はドラゴンと会うべく待機していた。着慣れた厚手のパーカーに身を包み、雑居ビルの屋上に立つ。防寒してきたつもりではあったが、屋上は風もあるため寒さがやや勝る。
委員長と話をした後、目撃者に話を聞いて回ろうとしたが、既に三人とも帰宅しているようだった。仕方がないのでSNSを確認してみたところ、例のドラゴンに関する投稿は十一件。この中にドラゴン目撃の投稿に便乗しただけの嘘つきも含まれている可能性を考えると、本当に目撃した人数はさらに減るだろう。
SNSの投稿にドラゴンの写真を載せていたのは一人だけ。その写真も夜のせいか画質が粗く、夜空に白っぽい光が浮いているようにしか見えない。昨今のAI画像生成の技術を駆使すればもっとそれっぽい画像を作れることを考えると、ここまで微妙な写真をわざわざ投稿するというのは逆に本物のように感じる。
まあ、写真の真偽についてはどうでもよい。実際にこの目にすることができれば辿り着ける答えだ。三分前に日付は変わったが、ドラゴンはまだ出現しない。昨日はこのくらいの時刻に目撃情報があったのだが。
風の音が耳に届く。その風に揺らされる木々の音も一緒になって鳴る。そんな些細な音が響くくらい世界は静まり返っていて、夜はだんだんと深まっていく。
安物の腕時計を見る。薄っすらと暗い世界では時計の針が見えずらいが、時刻は淡々と過ぎていく。
十分が経った。二十分が経った。三十分が経った。あと二時間待って出現しなければ今日は引き上げるかと思ったその時だった。
時刻は零時四十二分。"ソレ"は東の空からやって来た。
『それでドラゴンの見た目はどんな感じなんだ?色とか、角の形状とか、翼の有無とか』
『それがはっきりとわからないの。ただ色に関しては白っぽいんだって』
『白?てっきり赤とか青を想像してたぜ』
『というのも、ドラゴン本体の色っていうより、、、』
委員長と交わした会話を思い出しつつ、その言葉の続きが目の前の光景とリンクした。確かに色は白だった。いや、正確に言うと灰色というほうが近いようにも見える。しかし重要なのはそれがドラゴン本体の色というわけではなく、その空を浮遊する生命体が纏う輝きの色だった。
「あれが、、ドラゴン、、?」
そう呟きながら対象の"ソレ"をよく観察する。距離が離れているので正確な大きさはわからないが、確かに馬より大きく象より小さい。全長三メートル程だろうか。何よりインパクトを生むのはその大きさではなく、やはり体に纏われた灰色の輝きだ。おそらく炎。理科の授業で見た覚えのある炎色反応でも灰色はなかった気がするが、眼前に広がるその輝きは炎と呼ぶのがもっとも相応しく映った。
俺は観察を続ける。まずはアレが寵愛現象なのかどうかを見極めたい。人間が科学力を行使して生み出した技術の結晶という可能性も捨てきれない。まさか本物のドラゴンというオチではないと思うが。
しかし、浮遊する"ソレ"をドラゴンと呼んでいたのには少し感心する。普通に見れば遠い夜空の上に出現した灰色の輝きにしか見えず、人より視力のある俺がまじまじと観察してようやく纏われた炎の中身を認識できたからだ。
その肌は鱗というよりもざらついた皮に見える。色は灰色に近い白。翼は生えているが、そこまで大きくはない。三メートルの巨躯を空に維持させるにはやや小さいように思える。頭部には黒い角が二本生えており、太く円錐状の形だ。そして、その角を生やしている顔が何とも奇怪だ。ドラゴンに見えなくもないが、どちらかと言えばそれは、、そう、、まるで人の顔の形に近かった。正直に感想を語れば、中途半端に人を連想させるような異形であり、気味が悪い。
「つまるところ、寵愛現象の可能性が高いな」
まだ確信は得ていないが一旦は仮で結論付け、次なる行動を開始する。つまり、ドラゴンとの会話である。そう方針を決め、宙に向っておーいと声を掛けようとしたときだった。
「アァ、、、アアァァ、、」
静かな夜の世界でも響かない程の小さな声が耳に届いた。よく耳を澄まさなければ聞こえない風の音にも負けるようなその声は、ライオンのように重低音で、子犬のように弱弱しかった。その声音をどう捉えるかは人によって様々だとは思うが、少なくとも俺には助けを求めているように聞こえた。
よく見れば苦しむように浮遊していたドラゴンは、少しずつ高度を下げている。
瞬間、己の体に力を込める。運動神経は悪くない。喧嘩はその辺のチンピラ一人に負けるくらいには弱い。しかし、ある条件を満たせばそんな些細な枠組みから抜けられる力を俺は有している。いや、俺の力ではなく、寵愛を授かっているというほうが正しい。
俺は寵愛を受けるための条件を満たそうと過去を思い出す。心が汚染された泥のような何かに浸食されるのを味わいながら、大きく膝を曲げた。
次の瞬間、俺は跳躍する。この辺で最も高い位置である雑居ビルの屋上から、遥か上空のドラゴンへと向かって加速していく。
「灰色のドラゴン!」
そう叫んだ。そのまま跳躍による加速は続き、ドラゴンと目線が同じになる。
「うおっ!」
思わず俺は叫んだ。というのも、ドラゴンは驚いたのか俺の頭上に灰色の炎を放ったのだ。その炎は宙へと飲み込まれていく。
俺への攻撃なのか判断はつかないが、そうではないような気がした。なぜなら驚いた様子のドラゴンは体勢を乱し、そのまま地面へと落ちていったからだ。
「まずい!」
そう言って跳躍の最高到達点から自由落下する速度を少しでも上げるために空気抵抗を減らそうと体を伸ばした。予定ではおそらく最近まで普通の人間であっただろうドラゴンと話をするため、自分が人外の力を持っているある意味で同じ立場だとアピールし、会話を試みるつもりだった。しかし目の前のドラゴンは真っ逆さまになって落下していく。
その落下から守るために手を伸ばし、ドラゴンの腕を掴もうとする。掴もうとしたそのとき、ざらついた白い皮に鋭い爪を有した腕が変化していった。
「なっ!」
驚きに目を見張る。ドラゴンの体はどんどんと縮んでいき、ざらついた白い皮は半分ほど柔肌へと変化する。気づけば先程は気味が悪いという感想を抱いた顔も、人間の顔へと変化していた。
焦りが心の中に宿る。現在、俺の体はこの高さから落ちて全身骨折しても数秒で完治するような異常体質となっている。目の前にいたドラゴンも俺と同じかそれ以上に頑丈だと推測した。しかし、寵愛を受けていない俺がそうであるように、人の姿に戻りかけているドラゴンも頑丈さが失われているのであれば、最悪死んでしまうかもしれない。
半分ほど人間と同じになった腕を掴み、体を引き寄せ、せめて下敷きになれるように体を無理やり回転させた。ちらりと目下に視線をやると、小さな公園に植えられた木が目に付く。全力の抵抗でほんの少しだけ落下地点を変更させることに成功し、見事大きな木へと吸い込まれていく。
当然、木の枝葉だけで受け止めきれるはずもなく、僅かに勢い削った速度で地面に衝突した。背中から激しい衝撃が全身に広がり、痛みを感じる前に意識が飛ぶ。
とんだ意識はおそらく十秒ほどで戻ってきてくれて、目を開けると同時に俺の胸に抱えられたドラゴンがゆっくりと起き上がるのが見えた。
「いてて」
そう声にしたのは俺ではなく、俺を下敷きにしているドラゴンだ。ドラゴン、、、否。それは屋上から観察していた異形のドラゴンではなく、人間だった。
「いったい、、お前は、、」
俺の口からそう言葉が漏れ出た。余裕がなく認識できていなかったが、思い返せば確かに落下中もその姿は俺の瞳に映っていた。
目の前のドラゴンだった存在は、ざらついた白い皮も、やや小さいと思った翼も、跳躍により近づいて確認できた尻尾もなくなっていた。纏っていた灰色の炎すら確認できない。
確認できるのは小さな顔と鼻と口に、やや目つきが悪い三白眼、それを含めて整った容姿だと感想をいう抱く女性だった。女性と呼ぶには幼く、少女と呼ぶには大人な顔つきと体の大きさから、自分と年齢が近いのだろうと察する。
そんな人間に戻った彼女からドラゴンの要素が全て消えたというわけではなく、黒く鋭い円錐状の角が、染めたのかどうかわからない灰色の髪から伸びていた。
俺はその日、ドラゴンに出会った。
世にも珍しい、女子高生のドラゴンだった。




