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赤と青のハルハル  作者: 高野 ぱら
第一章 女子高生ドラゴン
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16/29

第一章16 友達を作ろう2

 白い空間にいた。何もない空間。右を見ても左を見ても上も下も白、白、白、白。

 でも、真っ白ではない。どこかくすんでいて、灰色ではないけれど、真っ白ではない。


 頭は冴えきっているのに呆然としている。おかしな感覚だ。

 先程まで繰り広げられてた灰色のドラゴンとの戦闘は今も続いている。そう、続いているのだ。

 薙ぎ払われる尾を避けて、人の大きさ程ある一枚の鱗に着地し、そのまま駆け上がるが振り落とされる。

 そんな光景が頭の中に映し出されている。音も匂いも感じるのに、今この目に映し出されているのは白い空間だった。


 そのくすんだ白の空間に馴染むようにポツンと立っている人影があった。

 距離は遠くないのに姿がよく見えない。


「これは一体どういう状況なんだ?伊吹」


 目の前に立つ人影に話しかける。姿がよく見えずとも相手が誰なのかはわかっていた。


「わかんないよ。私は柏木と話そうと思っただけなのに、なんかこんな場所に連れてこられた」


 目の前の人物がそう言葉を発した瞬間、よく見えなかった姿が鮮明になり、肩までの黒髪が浮かび上がり、三白眼が俺を見つめていた。

 見慣れないドラゴンではなく、見慣れた女子高生の姿だった。


「ほんと寵愛現象って何でもありだな」


 言っても仕方のない愚痴を零す。吸血鬼とか精霊とかスピリチュアルな存在を相手にする協会の名前が、寵愛現象管理協会である理由。それはこの世のスピリチュアルな存在の中で、寵愛現象が最も異質で危険なものだからである。伊吹のドラゴンなんてまさにその一例だ。

 吸血鬼が実在することを知っている俺も、ドラゴンが実在しているのかまでは知らない。しかし、仮に実在していたとしてもドラゴンより伊吹のほうが危険度が高い。なぜなら寵愛現象によるドラゴンは伊吹の想像するドラゴンであるからだ。極端な話、伊吹にとってドラゴンが月と同じ大きさの認識なら、本当にその大きさのドラゴンに成り兼ねない。


 そんな考えを数秒の間で頭に巡らせながら、話の本題へと戻る。


「それで何を話したいんだ?」


 形式上そう質問する。本当は彼女の考えていることはある程度わかっている。ドラゴンが灰色の霧を発生させてから、少しずつ頭の中に流れ込んできた記憶の断片。それは伊吹 凛の人生であり、伊吹 凛の嘘偽りない姿だった。


「まずはごめんね。勝手に柏木の頭の中を見ちゃった」


 とんでもないことを口にする彼女だが、驚きはしない。感覚的に己の記憶を見られたことはわかっていた。おそらく、思い出したくもない、けれど忘れることは許されない赤い血が印象的な春の記憶を見られたのだろう。


「複雑な気持ちではある。見られたくなかったし、見せたくなかった。だけど状況が状況だ。今回だけは大目に見るさ」


 伊吹の意志に反応したとはいえ、寵愛現象によって行われた記憶の覗き見だ。伊吹と寵愛現象のどちらが悪いかという判断は難しいところではあるが、俺の独断と偏見から下した判断としては寵愛現象が悪いという結論だ。

 そう結論付けたが、結果的に記憶を覗き見た伊吹に対して大目に見るとは言えても、許すとまでは言えなかった。


「ありがとう。…あの記憶を覗き見て、なんで柏木が友達なんて作らないって言ってたのかはよくわかった」


 目を伏せながら彼女は言葉を紡いだ。まるで同情しているかのような悲しそうな表情だった。俺は彼女の言葉の続きを待つ。彼女はゆっくりと目を開いて、俺の瞳を捉えた。彼女の瞳に映る自分の姿がよく見えた。


「だけど、本当は、柏木は友達を作りたいんだと思うの」


 伊吹の口から紡がれた言葉を頭の中で何度か再生する。俺が本当は友達を欲していると彼女は言った。今までこんなことを言われたことなどなかったが、もし言われてしまえば俺は怒るのだろうと、俺自身がそう思っていた。お前はいったい俺の何を知っているんだと、そう憤怒するのだと思っていた。


 だけど今、俺の中にあるのは怒りではなかった。それは伊吹が俺の過去を知ったうえで放った言葉だからというのもあるのだろう。だけど、それ以上に、俺の中で心当たりがあった。


「…」


 俺は伊吹に言葉を返せない。返さないのではなく、返せない。俺が友達を欲しているという彼女の言葉を肯定できるほど、俺の中で綺麗に整理されているものではない。かといって思い浮かんだ反論の言葉もどこか嘘が混ざってしまっている気がした。


「柏木は、楽しそうだったもん。日和と話しているときも、安武と話しているときも、私と話しているときも。それにこの林間学校だって、遠目にクラスメイトと話している姿を見ていたけど、結構楽しそうだったよ」


 客観的な俺への見解。それを頭ごなしに否定することはできた。なのに今そうしないのは、彼女の言っていることが間違っていないと、俺自身が思ってしまっているからだ。

 友達なんていらない。人と関わっても碌なことはない。そう豪語している俺自身が矛盾を抱えているのだと、彼女が言葉にしてしまったことで自覚させられてしまう。


「伊吹の言ってることは、否定はしない」


 俺はゆっくりと呟いた。そして、そのまま言葉を続けた。


「だけど、友達なんていらないという俺の意見は変わらない。俺の記憶を見たなら、わかるだろ?」


 赤い春。いじめが原因で仲の良かった同級生が屋上から飛び降りた。この国のどこかで毎年のように起こっていそうなそんな話。

 当時の柏木 司は友達が多かった。

 いじめの加害者たちの中にも友達はいた。

 いじめの傍観者たちの中にも友達はいた。

 あの思い出したくもない醜い光景の中にも友達はいた。

 その光景を思い出す度に、彼ら彼女らと友達だった事実に吐き気を催す。


 でも、彼ら彼女らがたまたま醜悪だったわけではないのだ。その証明とでも言うように似たような事件は常に世界のどこかで起きている。それが人間なのだろう。


 もちろん全ての人がそうでないことは知っている。七瀬や安武のように醜悪さを持ち合わせていない人間もいる。だからこそこんな俺でも彼女らを友人だと認められることができた。


 だけど彼女らは数少ない例外で、この世界の大抵の人間は善人側にいても、環境や状況次第で悪魔になる生き物なのだと知っている。だから俺は友達を作らないというスタンスを崩す気はなかった。


「柏木がそう言うのもわかるよ。私もさ、元々あんまり人間好きじゃなかったけど、柏木の記憶見てもっと嫌いになった。だけどそれは、友達がいらないじゃなくて、友達が欲しいけど受け入れられる相手がいないっていう意味だと思うの。だからこそ安武のことは友達として受け入れているわけだしね」


 彼女は散歩でもするかのように歩き出し、白いだけの頭上を見ながら喋る。


「確かに俺が忌み嫌う人種じゃないことを証明できれば、俺はその相手を友達として受け入れることができるんだと思う。だけど、そんな人間はそもそも希少で、かつ証明の機会なんてそうそう訪れるものじゃない。七瀬や安武だって現実離れした特殊な出来事があったから、証明の機会があっただけだ」


 長々と自分語りをして、最期に自嘲的な笑みが自身の顔に浮かべられたのがわかった。話しながら思うのだ。お前は何様だと。友達の条件について語る自分自身の傲慢さが気持ち悪かった。


「その記憶は見てないな」


 伊吹が呟いた。それは俺が七瀬と安武を友達だと受け入れた出来事の記憶だろう。たまたま見れなかったのか、かなり特殊な出来事だったから見ることができなかったのかはわからない。


「きっと私も、柏木の基準では友達にはなれないんだろうね」


 伊吹が言葉を続ける。その感情は読み取れないが、寂しさや諦めのようなニュアンスを感じだ。


「だって私、もし中学が柏木と一緒だったとしても、いじめの傍観者でしかなかったと思うから。いじめられている光景を見て可哀想だと思って、不快に感じて、でもめんどくさそうだから関わらない。私だったらそういう立ち位置にいたんだと思う」


 目を伏せながら彼女は話す。その赤裸々な本音を聞いて、わかっていたことなのに心の中に僅かな怒りが湧いたのを感じだ。


「仕方ないよ。人間ってそんなもんだから」


 俺は言葉を返した。思ってもいない言葉を返した。


「うん、私もそう思う。人間ってそんなもんだよ。普通ってそんなもんだよ」


 伊吹はどこかを見ながら答える。どこを見ても白い空間しか見えない中で、どこかを見つめながら。


「だけど、私も柏木も人間離れした力を授かってしまった。力を授かる前から、私も柏木も普通から外れた変な人間だった」


 彼女の瞳には何も映っていない。ただその瞳に薄く涙が滲んだような気がした。


「そんな普通じゃない私と柏木は似てるのかなって思ってたの。でも、全然違った。全部めんどくさくて世界を滅ぼしたいくらいに思った私とは違って、柏木はめんどくさいところに突っ込んで行って、全力で行動していた。いじめなんて最低の行為だと言い放って、一人の女の子のためにたった一人で挑んでいた」


 彼女の言葉は贖罪のように紡がれていく。


「敵はいじめっ子たちだけじゃなかったよね。傍観者たちが作り出した目の前のいじめを受け入れる空気感。言い訳のような言葉ばかりを並べて見て見ぬふりをする教師。どんなに大きな声で叫んでも誰にも届かない失望。本当にめんどくさいと思う。それなのに歩みを止めることなく行動する柏木のこと、私は心から尊敬する」


 彼女の口から紡がれる言葉は俺への賛辞なのに、まるで何かを諦めたかのような口調だった。


「柏木はそんな人間だから、ドラゴンが出たって噂話だけで行動して、私みたいな奴のことも助けようとしちゃうんだ」


 彼女はまだどこか遠くを見つめている。同じところを、ただじっと。


「柏木、ありがとう。私、柏木に会えて本当によかった」


 ようやく彼女の視線は移り変わり、俺の方へと向けられた。向けられた彼女の表情は悩みが晴れたかのような笑顔なのに、俺の心は嫌なざわつきを覚えていた。


「柏木に最後に一つだけ伝えたいことがあるの」


 笑顔の表情を変えぬまま彼女は言った。


「もう私のこと助けなくていいよ」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 人間はなぜ生きるのだろう。

 私が生まれてきた意味は何なのだろう。

 たまに考える。一年に一回くらい。

 考えるけれど、考えた結果どういう結論を出してきたのかは思い出せない。


 ただ一つ確かなことは、命の価値は平等じゃない。

 いじめとか嫌がらせとかする人間たちと、そんなことはしない私の命の価値は同じではない。

 それと同じように、めんどくさいとか貧乏くじを引きたくないとかの理由で悪行の傍観者になる私と、貧乏くじだろうが構わず助けようと行動する柏木の命の価値は同じではない。


 柏木の記憶を覗き見て、今の状況を理解することができた。

 私がめんどくさいと感じて、不満で、不快で、嫌になって、全部滅茶苦茶にしようと思った原因の半分は寵愛現象だった。


 不干渉の寵愛。柏木の記憶ではそう呼んでいた。おそらく二年六組の私のことをよく思っていない人が発動した能力。

 私にその不干渉の寵愛のことを伝えなかった理由も、柏木の優しさから来るものだとわかってるから、教えてくれかったことに対して怒ってはない。


 それにもし仮に私が孤立していた原因が寵愛現象によるものだったと知っていても、元を辿れば私に対する悪意がきっかけなわけで、寵愛現象がなくてもクラスメイトからはよそよそしく扱われて、めんどくさいと思いながら苦しむ今と同じような状況になっていた気がする。


 たらればの話を始めたらどうなっていたのかなんて自分でもわからないが、ドラゴンに成っていなかっただけで、私の心境はめんどくさい人間なんて滅べーという同じ考えになっていた気がする。


 本当は、友達なんていらなかった。

 私の本音。人間はめんどくさいから、友達はめんどくさいから、関係を築かないほうがマシ。関わらないほうがマシ。


 なのに、世界は広いもので、めんどくささと醜悪さを兼ね備えている人間を助けようと行動する人間もいるのだ。そのくせ友達なんていらないと豪語している。訳がわからない。だから頭の中を覗いてやろうと思って、思ったら本当に覗けてしまった。


 彼の記憶は酷いものだった。

 いつも談笑していた友達には醜い部分があって、信頼していた友達は一緒に戦ってくれなくて、協力すると言った大人は手のひらを返すように裏切って、私はそんな記憶を覗きながら心底不快でめんどくさいという感想を抱いた。

 終いには助けようとしていた女の子からも責められて、私ならもう絶対に助けようとなんてしないと思った。


 だけど、彼は最後まで助けようとしていた。頑張って、頑張って、頑張って、助けようと、行動していた。

 結果だけを見れば誰一人救われず、幸せにならず、彼とその女の子が深く傷ついて終わっただけだった。


 命の価値は平等じゃない。

 いじめっ子たちみたいな醜悪な奴らと、いじめを傍観するような醜悪な私らと、いじめから助けようと奮闘する彼のような人たちの命の価値は平等じゃない。


 やっぱり頑張っている人、優しい人には幸せになってほしい。反対に性格の悪い人には不幸な人生を送って道半ばで死んでほしい。私はそう思う。きっと柏木ならこんなことも思わないんだろうな。全人類が幸せになるべきだと、本気でそう思っているんだろうな。


 彼の記憶を覗いて、現在進行形で私のもとに寵愛現象管理協会って人たちが来ていることも知った。私はどうやら拘束及び監禁されるらしい。最悪の場合は記憶を消されるみたいだ。いや、それは私が今こうしてドラゴンに成って暴れる前の話だから、今の状態なら殺される可能性もある気がする。


 そうして、自分の消失という選択肢が現実的なものになったことで私は考える。

 人間はなぜ生きるのだろう。

 私が生まれてきた意味は何なのだろう。


 やっぱりその答えは出てこなくて、強いて言えば幸せになるためとかそんな回答になるが、では幸せとは何かとか考えるともうわかんない。

 だけど、私はさっきこう思ったのだった。


 頑張っている人、優しい人には幸せになってほしい。反対に性格の悪い人には不幸な人生を送って道半ばで死んでほしい。


 私は柏木には幸せになってほしい。

 私は私に幸せになってほしいとはもう思えなかった。きっと柏木の記憶を覗いてしまったからだ。これまでは気にも留めていなかった己の醜悪さに気付いてしまった。柏木のような人間の高潔さに気付いてしまった。


 彼の記憶を覗いたのは、どう生きればよかったのかという問いに白黒付けるためだった。

 空気を読まずに生きていくべきか、空気を読んで生きていくべきか。

 友達を作らずに生きていくべきか、友達を作って生きていくべきか。

 人に対して不干渉に生きていくべきか、人に干渉して生きていくべきか。


 結局のところ、彼の記憶を覗き見ても、その問いに白黒付けることはできなかった。

 だけど、どう生きるのかという問いに白黒は付けられずとも、今から何をすべきかという問いには白黒付けることができた。

 今から、私は、柏木に伝えなければならない。


 そう思うと、くすんだ白い空間に黒髪の私が立っていた。正面には真っ赤な長髪の彼が立っていた。


 伝えたいことの一つ目は、あなたは本当は友達を欲しているということだった。

 私と違ってめんどくさがりではないあなたは、本当はたくさんの友達に囲まれているべき存在だ。あんな出来事があったから、ずっと友達なんていらないと自分に言い聞かせているのだということはわかっている。それを変えろだなんて強制はできない。

 だけど、せめて私の口から、あなたが固く閉ざした扉を開ける僅かなきっかけを与えたかった。いつかあなたが寂しくなったとき、少しでも扉を開けやすくなっていればいいと、そう思って。


 伝えたいことの二つ目は感謝だ。

 あなたに出会って、あなたに助けられて、あなたの記憶を覗き見て、私の中の価値観は大きく揺れ動いた。私がめんどくさいと切り捨てるものを、一切躊躇わずに救おうとするその姿勢に心が揺さぶられたのを感じた。

 あなたを心から尊敬する。あなたに出会えてよかったと心から思う。


 伝えたいことの三つ目。


「もう私のこと助けなくていいよ」


 私はこの身を寵愛現象管理協会の人たちに狙われていて、それを止めようとあなたは奮闘している。ドラゴンに成って暴れる私から何度も死と変わらない痛みを受けている。もしドラゴンと成った私が止まれても、協会の人たちと戦ってあなたは傷つく。仮にドラゴンも協会の人たちも止めることができたとしても、今度は不干渉の寵愛を保持している人を見つけようと奮闘して、自分が傷つくことなどお構いなしに私を助けようとする。

 そうして、肉体も心も傷だらけになりながら、あなたは私を助けようとする。


 だけど、命の価値は平等じゃない。伊吹 凛に柏木 司が酷く傷ついてまで助ける価値はない。

 人間関係をめんどくさいで片付けようとする女の子。いじめがあっても傍観するような女の子。ドラゴンに成って全部滅茶苦茶にしようとするような女の子。本当に、あなたが傷付いてまで助ける価値はない。


「…どういう、意味だよ」


 数秒の間を置いて、たどたどしく発せられた彼の声に私は答える。


「そのままの意味だよ。もう私のこと、助けようとしなくていい。ドラゴンに成った私を協会の人たちに引き渡して。今はまだ暴れてるけど、頑張れば大人しくなれる気がする」


 協会の人たちには申し訳ないが、ドラゴンの始末は任せよう。どこかに監禁するにしても、野山で放し飼いするにしても、駆除するにしても、私はそれを受け入れよう。人権に反するなんて考えなくてよい。私はもう人間ではないのだから。


「…わかんねぇよ。なんでそんな急に」


「急ってほどでもないよ。確かに現実の時間だと数分での心変わりみたいに見えるかもだけど、ここは時間の流れが違うみたいで、これでも結構ゆっくり考えたんだよ。私の人生と柏木の人生を丁寧に見て、じっくり考えて、こういう結論に至った」


「だからわかんねぇって!」


 柏木が大きな声を出す。助かることを諦めた私に対して怒っている。本当にあなたは優しい。


「別にいいんだよ。元々そんなに充実した人生でもなかったし、生きるのめんどくさいって思ってばっかりだったから。それにドラゴンに成って炎を吐いて雷を落として、柏木のこともたくさん傷つけてしまった。私には生きる理由がそんなになくて、死ぬべき理由は明確にある」


 言葉にするほど私の頭はスッキリする。人間ではなくなってしまった自分の終着点に納得することができてしまった。


「ふざけるな!なんでそうなる?伊吹は被害者だろ?無視されたくて無視されてたわけじゃない!ドラゴンに成りたくてドラゴンに成ったわけじゃない!」


 何もない白い空間に彼の声がキンと響く。屋内で音が反響する感覚とは全く異なるのに、彼の声は反響するように響いている。この空間は不思議な場所だ。


「私も、私は被害者だと思ってた。だけど、私の記憶を見たならわかるでしょ?私は心のどこかで無視される状況を悪くないと思っていた。今にして思えば、話しかけられてめんどくさい思いをするよりも、無視される状況のほうを望んでいたのかもしれない。それに、私はドラゴンに成りたいと思ってドラゴンに成った」


 お互いに記憶を共有して、もう何一つ包み隠す必要がなくなった。こんなことを言えば変な奴だと思われる、お前はおかしいと言われる、もうそんなことを気にする必要もない。


「人間関係のめんどくささから解放されて、空を漂って、気に入らない人間には天罰を与えて、その日の気分で人を助けて、そんな生き物に成りたいと望んで、私はドラゴンに成った。自分勝手な我儘で人の営みの脅威になった。柏木にたくさん痛い思いをさせた」


「そんなのっ!そんなの気にするな!お前の言うようなことは俺も思ったことがあるし、俺は不死身みたいなものだから痛い思いさせたなんて気にしなくていいんだよ」


 彼の声が僅かに泣きそうな音になる。私が彼の立場ならこうはなれない。私ならきっと冷めた態度で突き放してしまう。


「ドラゴンに成って全部滅茶苦茶にしたいと思っても、柏木ならきっとドラゴンには成らなかった。私がドラゴンに成ったのは、本気でそうしたいと望んだからなの。あと柏木が不死身とかは関係ないよ。私知ってるから。不死身に近くても、痛みは普通の人と変わらないこと」


「…殺されるかも、しれないんだぞ。一カ月前まで普通のどこにでもいる女子高生だったのに、そんなことがあっていいわけないだろ!」


「普通と呼ぶには私はちょっと変わってたけど、でもまあ、そうだね。殺されるほどではなかったか」


「そうだろ!だったら」


 私は彼の言葉を遮る。


「仮に一カ月前まではただの女子高生だったとしても、私は既に柏木に危害を加えた。ドラゴンという化け物の姿で、人間に危害を加えた」


「っ!そんなの、黙っていればどうとでも」


「危害を加えられたのが柏木以外だった場合も同じことが言える?日和や安武だったら?全く関係ない一般人だったら?」


 化け物に成って、人間に危害を加えた。ならば人間からの処罰は受け入れるべきだ。そうでなければ私に人間の部分は何一つとして残らない。


「…それは、でも、それはたらればの話で、危害を受けたのは俺だ。あんだけ高いところから落ちても、ドラゴンの攻撃を受けても生きてる俺も化け物だ。人間に危害を加えたわけじゃない」


「…人間だよ。柏木は人間だよ」


「だったらお前だって人間だ。元は人間で、今だって人間の姿に戻れるはずだ!それでいいじゃないか。ちょっとドラゴンに変身できるだけの人間で、不死身に近いだけの人間の俺と何も変わらない」


 懇願するように彼は言葉を並べた。


「私は、もう、いいよ…」


 生きていればいいことある。そんなことはわかっている。

 生きていれば悪いこともある。それもよくわかっている。

 生きていればめんどくさいこともたくさんある。それと向き合うにはもう疲れた。


「私はもういいかなぁ」


 諦めたような声が私から零れた。

 その声を聞いて、柏木は言葉を返そうと口を動かすが、声にまで至らない。きっと私を説得する言葉が見当たらないのだろう。


「そんなに悲しそうな顔しないでよ。私、柏木に出会えてよかったよ」


 そうだ。こんな暗い話をしたかったのではなかった。私はただ、彼への感謝と別れを伝えたかったのだ。


「もう時間みたい」


 現実世界のほうでお迎えが来たようだ。紫色の髪を背中の辺りまで伸ばした美しい女性が立っていた。


「待て!待ってくれ!伊吹!」


 彼の言葉を聞き終える前に私は彼に最後の言葉を掛ける。


「出会えてよかった。さようなら。私のこと助けないでね」


 そして、何もない白い空間にはヒビが入って、崩壊した。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 気付けば白い空間ではなく、現実世界の森の中にいた。正確には白い空間にいるときも現実世界でドラゴンとの戦闘は続いていた。そんな中でまるで意識が二つあるように彼女とあの空間で話をしていた。


「本当にお前は愚かだね」


 背後からそんな声が聞こえて振り返れば、特徴的な紫色の髪よりも目を引くほどの美しい顔の女性が立っていた。その美しさに目が眩まないのは、俺が彼女のことを見慣れているのと、性格は全く美しくないと知っているからだ。


 俺はドラゴンのほうを見る。先程まで激しい戦闘を繰り広げていたドラゴンは、今は蹲るように座り込み、その金色の瞳で静かに俺と協会の使者を見つめていた。


「姉貴、待ってくれ。伊吹はまだ間に合う。あと少しでいいから時間を」


 俺が言い切る前に姉はドラゴンへと指を向けた。手でピストルの形を作って姉は呟く。


「"ウィッチ・ブリング"」


 姉がそう呟いた瞬間に指先に光が集まる。よく見ると姉の手首にブレスレッドのようなものが巻かれており、それも同じ光を発している。

 そして、その光はドラゴンの瞳に向けて発射された。


「クソッ!」


 俺は悪態をつきながら光線の射線に入る。姉が無策でドラゴンと戦うわけがない。つまりこれはドラゴンを仕留める程の攻撃だ。いくら不死身に近いと言っても、ドラゴンすらも屠るかもしれない攻撃を俺が耐えられるかはわからない。わからなくても俺は動かずにはいられない。


『私のこと助けないでね』


 伊吹の声が頭の中で再生される。その言葉を聞いてなお、俺は、俺は。


「まだ話の途中だ!」


 光線が目の前に迫る。伊吹を守るためなら何度でも受けてやると覚悟を決める。だが、俺に光線が当たることはなかった。俺と光線の間にドラゴンの腕が割って入ったからだ。


「伊吹!大丈夫か!?」


 焦って俺は声を上げる。光線を受けたドラゴンの腕は焼け爛れ、俺が全力で殴ってもビクともしなかった硬い鱗は剥がれていた。振り返ってドラゴンの様子を窺うが、悲鳴を上げることもなく、じっと俺の方を見つめていた。感情の読み取れないはずのドラゴンの顔が、酷く悲しそうに見えた。


「本当にお前は愚かだね」


 先程も投げかけられた言葉を姉が発する。


「それは一体なんだ?伊吹をどうするつもりだ?」


 姉の手首に巻かれた銀色の装飾品を指して俺は語気を強めながら問う。


「質問は一つずつしたまえよ。子供じゃないんだから。いや、愚弟はまだまだ子供か。失敬失敬、私の認識が甘かった」


「いいから早く答えろ!」


「会話も交渉も下手だね。まあ、この魔女の遺品は私も相当頑張って修復したんだ。自慢がてら教えてあげよう」


「魔女の遺品?」


「知力の魔女の遺品。龍をいじめるために魔女が発明した二千年前の骨董品さ。それを今回の仕事のためにヨーロッパまで取りに行って、使用可能なレベルまで修復したんだ」


 知力の魔女という知らない単語が出てくる。それに姉の口ぶりからドラゴンは二千年前には実在したらしい。しかし、今重要なのはそんな知識ではなく、やはり協会はドラゴンを殺す手段を用意していたということだ。


「伊吹のことは、どうするつもりだ」


「天変地異を巻き起こせる巨大な生物が人間相手に暴れたんだ。ここで殺すしかなくなった」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は姉に向かって一気に距離を詰めた。十メートル程の距離は一秒で埋まり、姉の手首に巻かれた装飾品を奪い取ろうと手を伸ばす。


「がっ!」


 しかし、俺の突撃は華麗に躱され、躱すついでとでも言わんばかりに足を掛けられ転倒する。そのままかかと落としを背中に受け、俺は地面に這いつくばる。


「お前から質問してきたのだから、話は最後まで聞いてほしいものだね」


 人を見ているとは思えない冷え切った目つきで俺を見下ろす姉に抵抗しようと、憤怒の寵愛を再発動する。そして姉に反撃をしようとした瞬間―。


「ヴゥゥゥ」


 ドラゴンが重低音で唸った。見れば折りたたんでいた前足を立てて、蹲るような体勢から座っている体勢へと変わっている。


「先程まで君が愚弟を吹き飛ばしていたというのに、私が愚弟に攻撃すると怒るか。いったい霧の中で何があったのやら」


 姉はそう呟きながら俺を押さえるために乗せていた足を離す。その様子を見てドラゴンはピタッと動くのをやめる。


「ただ死ぬ準備はできているみたいだね。懸命だ。まだ人の心があるうちに葬るとしよう」


「待て!姉貴!」


 姉が再びドラゴンへ向けて指先で照準を合わせる。それを止めようと叫ぶが姉が止まることはない。


「"ウィッチ・ブリング"」


 その詠唱とともに姉の指先から発射された光線がドラゴンの頭に直撃する。


「伊吹ィィィ!」


 俺は叫ぶことしかできず、光線が直撃したドラゴンの頭部を見る。頭部の右側の鱗が剝げ、焼け爛れたような見た目になっている。俺は走って姉とドラゴンの間に立つ。ドラゴンを背にして姉が構える指先を警戒する。これ以上は攻撃させない。不死身の肉体を駆使して肉壁になる。そう決意した。


「なっ」


 そんな決意を挫くように俺の体は巨大な何かに掴まれた。それがドラゴンの腕だと気付いたときには宙を舞い、巨大なドラゴンがどんどん小さくなっていくのが見える。投げられたのだ。遥か遠くへと。戦地から強制退場させられらのだ。


『私のこと助けないでね』


 あの白い空間で伊吹から言われた言葉が頭に響いた。


 俺はどうするべきなのだろうか。

 伊吹は助けを求めていない。

 協会は人類の平穏のためにと伊吹を駆除しようとしている。


 俺にとって伊吹は別に友達ではない。知り合ったのだって最近だ。

 それは助けない理由になるのか。諦める理由になるのか。


『もうやめてよ!助けようとしないでよ!迷惑なの!』


 中学の頃、そんな言葉を投げかけられたことを思い出す。

 迷惑なら、もう助けようとしないほうがいいのか。迷いが生じる。わからない。俺なんかには、わからない。


 まるで走馬灯のように中学での記憶と、この数週間の伊吹との記憶が再生される。

 あの子と好きな漫画について語り合った昼休み。

 伊吹と一緒に行ったカラオケ店。


 俺はなぜ助ける。何のために助ける。助けを求めていない相手を、なぜ、なぜ、なぜ―――。


『友達なんていらない』


 己の声が頭の中に流れた。


『だけど、本当は、柏木は友達を作りたいんだと思うの』


 伊吹の声が頭の中に流れた。


 そうか。本当は。俺は―――。


 何もかも失敗しそうな今この瞬間に気付く。


 俺は―――。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 痛い。痛くない。自分でもよくわからない。痛覚は確かにあるんだけど、その痛みはどこか他人事だ。

 こわい。こわくない。これも自分ではよくわからない。死ぬのはこわいはずなのに、それもどこか他人事で、そう在るべきだと納得感すらあった。


 目の前の美しい女性は手元に美しい光を纏って立っている。既に受けた二発の光線はドラゴンの体に重傷を与えている。その傷も回復を始めている感覚があるが、このまま光線を放たれ続ければ回復も間に合わないだろう。


 あれだけはっきり伝えたのに、やっぱり柏木は私を助けようとした。それに対して心配と怒りの感情が湧くが、それよりも嬉しいという気持ちがある。柏木 司はそういう人間で在ってほしいと思っているのだ。助けないでと言っておいて、まったく酷い話である。


 私が死ぬのはドラゴンに成って人間に危害を加えたからだ。人間に危害を加えた熊なんかを駆除しないといけないのと同じ理由だ。無闇に命を奪うのではなく、生き残るために命を奪う。仕方がないことだ。だから目の前に迫る死を私は納得している。


 けれど、私が死を受けれた理由はそれだけではない。そんな大人な考え方だけで死ねるほど私の心は大きくない。

 なぜ死を受け入れたのか、終わりを受け入れたのか、その理由は疲れてしまったからである。

 生きるのはめんどくさくて、もー嫌っ!となるようなことが何度もあって、その度に死んでしまおうかと薄っすら思う。これまでは薄っすら思って終わりだった。だけど今の私は死ぬべき理由がある。


 きっと丁度よかったのだ。死にたくても死ぬほどの理由はなかったから、理由を与えられて私は安堵したのだ。これでもうめんどくさい思いをしなくて済む。

 生きていれば、美味しいパンを食べて幸せで、ジェットコースターではしゃいで幸せで、テストでいい点を取って幸せで、家族団欒の時間が幸せで、友達とカラオケに行ったりして幸せで、きっと幸せなこともたくさんある。

 そんな幸せを捨ててでも、めんどくさい苦しみを手放したかった。


 別にいいではないか。私の人生だ。生まれたくて生まれたわけではない。ならば死の選択くらい自分に決めさせてほしいものだ。

 人間が定めた道徳とか常識とかそんなのに囚われず、ドラゴンに成った化け物らしく、ここで終わろう。


 十メートル程の距離を取って構える協会の使者と目が合う。その目から感情は読み取れない。ただ指先の集まる光の量が先程までより明らかに大きく、次の一発で確実に仕留めようとしているのがわかった。

 それは必要以上に私を苦しめないための配慮か、それともただ効率的に殺すためなのかはわからない。柏木のお姉ちゃんみたいだから前者だといいなと思った。


 目の前で大きくなっていく光を見ながら脳裏に映し出されたのは両親のことだ。

 休みの日にリビングでゴロゴロとしていると苦言を呈してくる母。それを無視してテレビを見ていると、いつの間にか隣に座ってテレビの内容にゲラゲラと笑っている。私も一緒になってゲラゲラと笑う。

 父は単身赴任のため半年に一回くらいしか家に帰ってこない。でも父が帰ってきたときは美味しいお寿司を食べに行くのが我が家のしきたりなので、いつも楽しみにしていた。今まではお寿司が楽しみだったのだと思っていたが、今にして思えば父にくだらない話を聞いてもらう時間を楽しみにしていたのかもしれない。


 朝倉 亜美のことも思い出す。私の数少ない友人の一人だ。といっても中学を卒業してからは季節が変わる頻度でしか会っていない。別に私がいなくなっても亜美は困らないだろう。でも、きっとあの子は泣くんだろうな…。


 そんなことを考えて、ちょっとだけ泣きそうになって、それでも私の選択は変わらなかった。

 これでもうめんどくさいと思わなくて済むようになる。そんな怠惰な覚悟を決めた直後、大きく集められた光が協会の使者の指先から放たれた。

 放たれた光線が随分とゆっくりに見えるのは、迫る死を回避したい本能が頭の回転数を上げているからか、それとも単にドラゴンの動体視力がいいからか、どちらの理由なのかはわからない。ただその光から目を離すことだけはしないようにしていた。


 光が私への距離を半分ほど詰めたとき、ドラゴンの双眼に人影が映り込む。まさかと思った瞬間に人影が声を発した。


「伊吹!俺は!」


 あれだけ助けないでと言ったのに、もう助けさせないために遠くに投げ飛ばしたのに、それでも諦めることなく彼は私を助けようとする。しかし、このままでは彼が言葉を言い切る前に光線は彼を焼き尽くしてしまう。

 次の瞬間、私の龍体は考えるより先に動き、ギリギリで光線と彼の間に翼を滑り込ませた。彼を包むように展開された両翼は光線を浴びて、左翼は焼かれて面積の七割以上を失い、右翼にも酷い焼け跡が残った。


「なんでっ!」


 私は叫ぶ。けれどドラゴンの体となった私の声が日本語を発音できることはなく、ウガァ!と大きな音を発するだけだった。彼の再生力を以てしても耐えられたかわからない光線は一旦は姿を消し、次なる光線が協会の使者によって作り出されていく。


「伊吹!俺は!」


 そんな命の危機を背にしながら、彼は私の双眼を見る。睨むように、嘆くように、目に涙を浮かべて、見ていた。そんな彼をドラゴンの両腕を使って包み込むように持ち上げる。片方は焼け爛れたドラゴンの腕が痛々しい。


 ドラゴンの手中から発せられる彼の声を聞き逃すまいと息を止める。


「俺は伊吹がいないと寂しいよ!」


 彼の後方で作られた光が再び放たれる。なのに彼も私も命を奪うための光を見ることなく、互いに見つめ合っている。ドラゴンの美しく金色に輝く双眼が彼を見ていた。彼の赤い瞳に宿る何かを見ていた。彼は必死に叫ぶ。




「俺と友達になろう!」




 その彼の叫びがドラゴンの聴覚に届いた瞬間、彼を抱えたまま私は宙に舞った。彼の言葉についてまだ頭で考えられていない。でも死を受け入れていたはずの体は勝手に動いて、命を奪う光線から遠ざかっていく。


 わからない、わからない、わからない。

 彼が何を想うのか。

 私はどうしたいのか。

 わからない。


 ただ、もう一度だけ彼と話をしたいと思った。

 めんどくさくてもいいから、話をしたいと、そう思った。

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