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赤と青のハルハル  作者: 高野 ぱら
第一章 女子高生ドラゴン
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10/23

第一章10 林間学校

 火とは人類の文明である。遥か昔から存在する文明は今でも健在で、IHだの暖房だので代替が効くようになった現代社会でも、火という文明が最重要であることは疑いようもない。

 つまるところ、火は偉大なのである。

 そんな偉大なる文明をたった一人の人間が起こそうというのだから、それはとても素晴らしく、尊く、喝采されるべき行いなのだ。


 そのような行いが困難を極めることが当然のことだろう。人類を発展させた文明に挑戦しようというのだから簡単なはずもない。

 もし仮に簡単にできてしまえば、それはこの世の理が間違っていると言える。世界とは足し引きを合わせなければならないのだ。


 苦労して捕らえた獲物のほうが美味く、紆余曲折あり育てた作物のほうが栄養価が高い。それこそが世界のあるべき姿というものだ。


 したがって、そんな世界で火を生み出そうとしている俺は偉大であり、生み出すまでの困難すらも楽しめない人間には生きる価値がないのである。


「へったくそだな~」


 集中力を極限まで高めた俺の邪魔をする鈴木の声が耳に届く。


「他の班はとっくに火付いてるよー」


 次はカッシーに煽られる。まったく、人間というのは何故こうも余計な口出しばかりをしてしまうのか。


「わ、私が代わろうか?」


 聞き慣れた優しい委員長の声が俺の自尊心に鋭い傷を付けた。


「…五月蝿い」


「もー、皆が色々言うから柏木っちが拗ねちゃったじゃん~」


 赤紫ギャルのオギコが発言し、耐えられなくなった俺は言い返す。


「やったこともないで偉そうに言いやがって。火を起こすというのがどれほどの奇跡かわかっていないようだな」


「まあまあ、そう怒るなって。悪かったよ。適材適所は誰にでもあるよな。高島、火起こし頼む」


 鈴木が謝罪をするが、その声から微塵も悪いと思っていないことが伝わってくる。


「いいけど、俺も火起こしをやったことは、、、あ…」


 そう言いながら俺と代わった高島はすぐに火を起こしてみせた。


「島っちすごーい。マジでパチパチのパチえもん」


 オギコが訳のわからない呪文を唱えながら拍手を送る。


「いや、えっと、柏木がもう少しのとこまで頑張ってくれてたんだよ」


 高島は気まずそうな表情を浮かべて俺をフォローする。イケメンな上にいい奴なんだな。でも無理やりなフォローで俺の自尊心を傷つけたお前のことは許せそうにないよ。


「まあ、火も付いたことだしカレー作り始めようか。柏木君って料理はできるの?」


 クラスの陽キャで美人で頭もよく、委員長とは違った意味で人をまとめるのが上手いカッシーが舵を取る。


「できん」


「即答だね。えっと、じゃあ他の皆は?」


 呆れた表情を微妙に隠しきれていないカッシーが他の班員に尋ねる。


「俺こう見えて得意~」


「私も簡単な料理ならできるよ」


「俺も人並みには」


「うちもいい感じにデコレるよ~」


 各々が回答し、料理適正がないのが俺だけだと判断される。一人、デコるだけの奴いたけどな。


「それじゃあオギコは日和に教えてもらいながら野菜切ろうか。鈴木と高島はお肉を炒めておいて。私が野菜の皮とかゴミとか片付けていくから。柏木君は、えっと、火が消えないように薪になりそうな枝とか拾ってきてもらえると…」


 なんか俺だけ気まずそうに指示を出されたな。己の腫れ物具合がよくわかる。


「了解した」


 そう一言返事して俺はその場を去った。もともと仲良しごっこなどしたくないのだ。そもそも自然の中で生きる術を会得することこそ林間学校の目的だろう。必要以上に人数をかけてカレーを作るより、生命線である火を絶やさないための枝拾いのほうが立派と言えよう。…火を起こせなかった時点で自然の中で生きる術から遠ざかってるな。


 そんな悲しい事実に悲しみながら形の良い枝を探す。適当にいくつかの枝を拾い上げるが、これなんか良さそうだ。形がとても良い。手にフィットする。太さも、軽すぎない重みも、剣士になれてしまいそうな長さも。家に持って帰ろうかな。


「何してるの?」


 素振りを始める俺に声を掛けたのは呆れた顔をした伊吹だった。


「見てわからんか。素振りだ」


「本当に何してんだよ…」


「おっと、間違えた。鍋の火を絶やさないための枝を探してたんだ」


「あー、なるほど…。柏木が持ってる枝、絶対に燃えにくいけどね。若干湿気ってるし、そもそも鍋の下に収まる大きさじゃないよ」


 そんな聞くに堪えない正論を言われ、俺は持っていた枝を手放した。本当に何やってるんだろう俺。


「伊吹のほうこそ、こんなところで何してるんだ?まさかお前も班員から仲間外れにされたのか?」


「こんなのと一緒にされたくないな…。ただトイレに行ってただけだよ」


 そう返事した伊吹はじっとこちらを見つめてきた。俺の顔に何か付いているだろうか。じっと俺から視線を外さないものだから、首を横に傾けクエスチョンマークを作る。


「んーと、言うタイミングなかったけど、その、ありがとう」


 若干頬を赤らめて彼女は礼の言葉を口にした。


「ん?何に対するお礼だ?俺何かしたっけ?」


 ここ数日を思い返すが心当たりがない。俺がやったことと言えば委員長に頼まれて手伝ったレクリエーションの準備くらいだ。伊吹にお礼を言われる筋合いはない。


「クラスの皆に、その、怒ってくれたこと。結果的にクラスの人たちと普通に話せるようになったし、それに私のために怒ってくれたことは嬉しいから。…な、なんかむず痒いね」


 伊吹は照れ笑いを浮かべた。二年六組が伊吹に不干渉だった理由が、おそらく寵愛現象であったことは彼女には伝えていない。ただでさえ伊吹自身には龍の寵愛があるのだ。必要以上に混乱させる情報は伝えなくてよいと判断した。


「それはどういたしまして。学校中の人気者になった甲斐があったぜ」


「人気者ってより、厄介者っていう評価だけどね。その件もごめんね。私のせいで、柏木についてネガティブな噂が流れちゃって」


「気にするな。もともと厄介者だったのが、明確になっただけだ」


 俺は軽口で答え、実際に気にしていないのだが、伊吹は罪悪感を抱えているように見える。


「そんな顔するなよ。本当に俺は気にしていない。他人からの評価とかマジでどうでもいい」


「…ごめんね。ありがと」


 色々と頭の中で考えていたようだが、最終的に彼女が発した言葉は短い謝罪と感謝だった。俺はそれで十分だった。


「体のほうは大丈夫か?どこにも違和感ないか?」


「ふふ。毎日それ聞いてくるね。大丈夫だよ。角も翼も尻尾も生えてないでしょ。それに瞳を普通でしょ?」


 そう言って大股で一歩近づいた彼女が顔を上げる。そうしてぱっちり開かれた三白眼には、爬虫類のような瞳孔はなかった。


「それならよかった。そりゃ毎日確認するさ。またドラゴンに成って雷を落とされたら堪ったもんじゃないからな」


 彼女には冗談交じりにそう答えるが、もしもまた同じことが起きたら本当に堪ったものではない。その時点で安武は寵愛現象管理協会に連絡を入れるだろうし、安武の危惧している通り今度こそ被害が出るかもしれない。


「何かあったらすぐに言えよ。別に俺じゃなくて、委員長にでも安武にでもいいから」


「確かに客観的に見れば日和と安武のほうが頼りになりそうだね」


「オイ」


 失礼なことを言いだす伊吹を説教しようと口を開くが、伊吹が続きの言葉を発した。


「でも、一番最初に頼るのは柏木にするよ。初めて会った時からずっと、私のことを助けてくれてるのは柏木だしね」


 ニッと笑う彼女に絆されて、俺の頬も思わず緩んでしまう。


「クラスの連中とは仲良くできてるのか?」


「まあ、それなりに。同じ班のメンバー以外と話すことはないけど、班員とは楽しくお喋りするよ」


「そうか。それはよかった」


 己は友達などいらないと言っておいて、伊吹に友達ができるのは嬉しく思ってしまう矛盾を抱えながらも、それでも総合的な感情としてはよかったと思った。


「だから、私のことを気に掛けるのはもういいんじゃない?別に迷惑とかじゃないけど、やっぱり少し申し訳ないし」


 伊吹は眉を下げてそう言った。悟られないようにしていたつもりだが、人の姿に戻って約二週間が経ったにしては過干渉だったのだろう。毎日、どころか会う度に体の調子を質問してしまっていた。彼女の言う通り、そろそろ警戒を緩めてもいいのかもしれない。

 部室にいることが少ない安武もここ最近は毎日顔を出して伊吹を気に掛けていた。後で彼にも警戒レベルを下げるか相談するとしよう。


「そんでさ、私を気に掛けるのをやめてもさ、柏木が友達を作らない主義の変人なのはわかってるけどさ、別に友達じゃなくていいからさ、これまで通りお昼休みに談笑したり放課後に遊びに行ったりしようよ」


 そう提案する彼女の表情は明るい。明るい未来を見ているような眼差しだった。


「そうやって言葉にされると友達の定義に自信が無くなってはくるが、そうだな。気分次第で談笑にも放課後の寄り道にも付き合ってやるよ」


「偏屈な返事だな~」


 呆れた様子の伊吹の表情には、喜びの色も混ざっているような気がした。


「それじゃ、私カレー作ってくるからまた今度ね」


「おー、行って来い。俺もよく燃えそうな枝を探すとするよ」


 そんな俺の返答に笑いながら手を振って伊吹は去って行った。その後ろ姿は異形のバケモノに成る女子高生ではなく、どこにでもいる普通の女子高生だった。


「仲良さげじゃん」


「うわっ!」


 背後から急に話しかけられて驚く。慌てて振り返るとそこには女子生徒が立っていた。

 黒に近い茶色の癖毛が肩まで伸びており、背丈は女子にしては高いほうで、胸が大きい。目は大きく瞳は小さい四白眼だが、つり目ではないためそこまで目つきが悪い印象は与えない。その他はこれといった特徴のない普通の容姿。


「なんだ七瀬か。驚かせるなよ」


「別に驚かせようとはしてなかったんだけど」


 ナナセ チトゲ。数字の七に瀬戸際の瀬、千本の棘で七瀬 千棘だ。


「それで何か用か?」


「別に用はないけど、伊吹さんと話してるの見かけたから話しかけてみた」


 言葉に覇気がない喋り方で七瀬は話す。本人曰く普通に喋っているつもりとのことだが、少しハスキーな声質と力の籠っていない話口調のせいで、よく元気がないと言われるらしい。


「伊吹のこと知ってるのか?」


「知ってるよ。一年の頃に同じクラス」


 まさか身近なところで伊吹の知り合いがいるとは思っていなかった。


「世の中は狭いもんだな」


「同じ学校内での話だから、言うほど狭くはないんじゃない?」


 話す速さは普通なのだが、覇気のない話し方だからか、七瀬の喋り方はゆっくり目に感じる。


「伊吹とは仲良かったのか?」


「席が近くだったりしたら話してたりしてたけど、それ以外ではそんなにかな。それより、柏木は伊吹さんとどういう関係なの?恋人?」


「なんでそうなるんだよ。違う。ただの知り合いだ」


「あっ、そうなんだ。柏木が私や安武、速川さん以外と話してるの珍しいから、特別な関係かと邪推してたのに」


 妙な邪推をしないでほしい。


「そういえばあの噂は何なの?柏木が六組に乗り込んで伊吹さんへの愛を叫びながら暴れたとか」


「俺の知らないところでとんでもない内容になってるな!」


 冒頭部分しか合っていなくて、噂というものの恐ろしさを体感する。


「なんだ。ただのデマか。ようやく柏木にも春が来たかと思って祝福の用意をしてたのに」


 七瀬はローテンションな顔と口調でパチパチと拍手のジェスチャーをする。


「仮に春が来たとしてもそんな奇行には走らねえよ」


「それじゃあ一体どんなことをすれば、あんな噂が流れるというのさ」


「伊吹がクラスから不干渉な姿勢を取られてたから、二年六組の連中全員に向けてそれをやめろって言っただけだ」


「えー、十分に奇行な気がするけど。ほんと、柏木のすることには驚かされるよ」


 驚かされるなんて言っておいて、全然驚いているようには見えないのが七瀬 千棘という女だ。しかし、これも本人曰く「本当にびっくりしてるのに誰も信じてくれないんだよねー」と以前愚痴を零していた。


「仕方ないだろ。二年六組に乗り込むことがその時の最善だったんだから」


「いや、絶対最善ではないでしょ。もっとクラスの人たちに避けられることになりそうじゃない?」


 七瀬の言う通り、確かに急に関係のない赤髪の男がクラスに入ってきて、伊吹への態度を改めよと言っても、そんなヤバい奴と関わりのある伊吹にはより関わりたくなくなるだろう。しかし、今回の件はおそらく寵愛現象が絡んでおり、それならば俺の行動は有効となる可能性が高かったのだ。

 しかし、それを七瀬に説明することはできない。理由は単純。七瀬は寵愛現象なんていう突飛な話を全く以て知らないからだ。

 まあ、寵愛現象の存在を認知している委員長や安武、伊吹のほうが特殊ケースなのだが。


「まあ、でも、結果的に伊吹さんもさっき楽しそうに喋ってたし、柏木の行動に救われてるってことなのかな」


 俺が何と説明しようか考えているうちに七瀬は結論を出した。


「自分でやっていて言うのもなんだが、七瀬の言う通り事態を悪化させる可能性もあったんだけどな」


 あの日を振り返って俺は反省する。結果だけ見れば効果的な対応となった。しかし、それは結果論でしかない。あの日、冷静に考えてリスクを考慮した上で行動に移したのかと問われれば、答えはノーだ。二年六組の班決めの話を聞いて頭に血が昇ってしまっていた。


「可能性の話をし始めたらキリはないんだろうけどね。結局最後は行動するか否かを選択するしかない。そうなったとき、結局は行動してしまう柏木を私は尊敬しているんだよ」


 頭の中で反省会が始まっていた俺に対して、友人からそんな言葉が掛けられる。嬉しい言葉ではあるのだが、選択を誤ることの多い俺としては複雑な心境だ。


「それじゃあ次からはもう少し考えたうえで行動するよ」


「うん。柏木には無理だと思うけど、頑張って」


「なんでそんなこと言うの…」


 ちょっと悲しくなってしまったじゃないか。


「ごめんごめん。そういえば、夜の肝試しは参加するの?自由参加らしいけど」


 俺の悲しみなど気にしてなさそうな態度で謝罪の言葉だけ口にした後、七瀬は次の話題へと移った。


「するよ」


「え?するの?何かあったの?脅されてるとか…あ、ひょっとして実は凄くオカルト好きだったりした?」


 俺の参加表明に対して七瀬は失礼な返答をする。なぜ俺が学校行事に参加するだけでこんなリアクションをされないといけないのか。


「別にオカルトは好きじゃねえよ。どちらかと言えば嫌いだね」


「じゃあ一体誰に脅されてるの?安心して。私も一緒に怒ってあげるから」


「なんでオカルト好きじゃなかったら、誰かに脅されるのが確定するんだよ」


 どちらかと言えば恐い人物として学校中の人間から認知されているのが柏木 司とのことらしいのだが、委員長といい七瀬といいひょっとすると俺は凄く舐められているのかもしれない。


「去年の文化祭では空き教室で寝てたり、去年の体育祭はシンプルに欠席したり、学校行事から最も遠い存在なのが柏木じゃん。そんな柏木が林間学校に参加したうえに、自由参加の肝試しまで参加しようとしているなんて、脅されている以外の理由は思いつかないよ」


「お前から見た俺がどういう人間かってのがよーくわかったよ。まあ実際、参加したくて参加するわけじゃない。お助けクラブとしてお化け役をやんないといけないんだよ。全く、俺みたいな労働者のおかげで青春の一ページを刻むことができているってことを理解してほしいものだぜ」


「なーんだ。そういうこと。速川さんの頼みは断れなかった結果か。相変わらず女の子の頼みは何でも聞いちゃうんだね」


「ちょっと待て、それはとても語弊のある発言だぞ。別に俺は女の子から頼まれたから引き受けたわけではない。お助けクラブの部員として責任があるから引き受けたんだ。つまりは責任感のある大人の行動というわけなんだ」


「安武から頼まれてたら引き受けたの?」


「断るに決まってるだろ」


「ほら。やっぱり」


 しまった。七瀬の仕掛けた罠にまんまと引っかかってしまった。なんて誘導尋問が上手いんだ。

 しかし、釈明させてほしい。俺は別に女の子から頼まれたから引き受けたわけではないのだ。今回の伊吹の件で速川にはそれなりに協力してもらった。働きには報酬が必要なものだ。俺は報酬として己の労働力を提示したに過ぎない。決して、速川の澄んでいて大きな瞳が上目遣いで俺を見ていたからでも、お願いしてきたときの声が声優さんみたいに可愛らしい声音だったからでもない。


「でも柏木がお化け役かー。それは別の意味で参加者たちに恐怖を与えそうだね」


「そこは心配いらねえよ。がっつり衣装に包まれた状態での参戦だから、誰も俺だとは気付かないさ」


「そうなんだ。私的にはちょっと残念。夜寝る前は赤髪お化けの話題で盛り上がろうと思ったのに」


「俺を女子トークの肴に使おうとするな」


 そんな会話をしながら七瀬はふふふと静かに笑う。ローテーションな彼女は笑い方まで覇気がない。常に声が大きい委員長と足して二で割ったら丁度良くなりそうなものである。


「それじゃあ、楽しみにしてるよ。あ、でも私怖いの苦手だから手加減してね」


「ああ、一睡もできないくらい恐怖のどん底に突き落としてやるよ」


 そんな俺の返事に嫌そうな表情を返して彼女は去っていった。

 彼女は出会ったときから一貫して変わらない。当時は今のように俺の噂など流れていなかったと思うが、それでも赤髪長髪の男であることに変わりない。当然、周りからは尖った奴だと見られ、俺に声を掛ける者などいなかった。いや、入学初日から声を掛けてきた安武だけは例外か。


 七瀬 千棘とは運命的な出会いをしたわけでも、必然的な出会いをしたわけでもない。ただ図書委員という余った係を担当した俺と同じ当番になったのが彼女だった。

 特に女子からは警戒の眼差しを向けられていたので、内心申し訳ないと思いながら初めての図書当番の時間がやってくる。てっきり俺を恐れて距離を取ってくるかと思っていたが、平気そうな顔といつものローテンションな態度で彼女は俺に挨拶をする。


『私、七瀬 千棘。よろしくー。柏木君だよね。髪赤いね』


『ああ、よろしく』


『髪いつから染めてるの?綺麗に染まってるね』


『別に、お前に話すことはないよ』


『ありゃ、ごめん。あんまり触れちゃマズイやつだった?それじゃあ別の話題を。そうだな…せっかく図書委員になったことだし、好きな本でも教えてよ。あ、漫画でもいいよ』


『…別に、無理に話そうとしなくていいぞ。仲良くする気とかないから。仕事は真面目にするから、それこそお前は本でも読んでればいい』


『別に無理に話そうとは…。うーん、話してくれないなら、私の話したいこと話すから聞いててよ。実は布教したい本があってね』


 初めて七瀬とした会話を思い出す。当時の俺は人と関わる気が全くなかったので、なかなかに態度が悪かった。そんな俺の態度など気にせず、いつものローテーションな口調でダラダラと一方的な雑談が行われていた。彼女の話が一区切り付いたタイミングでいつも俺の感想を求められ、適当に一言返すだけの時間だった。それが半年ほど積み重なり、人とのコミュニケーションを絶っていた俺にとって彼女は唯一の例外となっていた。

 当時は安武とも必要最低限の会話しかすることがなかったので、学校内で最も話をする相手は七瀬だった。


 それでも俺は七瀬と友達になりたいなどと微塵も思わなかった。中学での一件以降、人は嫌いで、信じたくもなくて、近くにいることが不快でしかなかったのだ。

 だからこそ、今こうして七瀬と安武を友人として認めている事実は、一年前の俺が知ればとても驚く内容であろう。というか、一年前の俺は絶対に信じない。


 友達など生涯不要だと、作らないと、作りたくないと強く思っていた俺を変えたのが七瀬だ。安武よりも先に俺と友人になったのは彼女だった。

 語れば長くなる。俺だけは何があっても一生忘れない高校一年の秋。雑談を交わし終え、目の先を歩いていく彼女の背中を見ながら、俺にとって最も重要な記憶を思い出していた。


 といっても、友達などいらない、作らないという俺の思想は変わっていない。あくまでも七瀬と安武が特殊なケースというだけだ。なので委員長とも伊吹ともこれ以上に仲を深めることはないだろう。


 痛い奴だと言われても、めんどくさい奴だと煙たがられても、可哀想な奴だと憐れまれても、俺は人間に備わった悪意を受け入れることはできないのだ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「うわーーー!!!!!」


 そんなドスの効いた叫び声が夜の森に響き渡った。

 時刻は二十時。肝試しの時間である。肝試しにおいて悲鳴が起こるのはなんともイベント冥利に尽きるというものだろう。響き渡る悲鳴が参加者たちにさらなる恐怖を提供する好循環。


 そういう意味ではこの響き渡った悲鳴も肝試しの運営側としては加点ポイントであろう。実際に俺もせっかくお化け役をするのであれば、本気でやるというのが大人の対応なので、脅かし方のバリエーションを豊富に準備してきたのである。僅か一週間で用意した衣装はチープな出来だが、それは仕方があるまい。衣装の不出来も受け入れたうえで絶叫を提供するのが本物のお化け役と言えるであろう。


 そうして準備した俺の実力はそれなりに発揮され、既に十組以上のペアが俺の担当する地点を通ったが、内八組には大小あれど悲鳴を引き出すことに成功した。ここまで順調に進み、そして今日一番の絶叫が夜の森に鳴り響いて今に至る。


 そんな今日一番の悲鳴を轟かせられたのなら俺も満足して気持ちよく眠れたことだろう。しかし、残念ながらそうはいかなかった。


 なぜなら、次に絶叫を轟かせたのは俺自身だったからだ。


「わーーー!!!わーーー!!!」


 そんな間抜けな悲鳴を叫び続け、後で振り返れば恥ずかしさで布団に顔を埋めるのだろうが、現在進行形で心臓が口から飛び出るほどの取り乱し方をしている俺はそれどころではない。

 思わず走馬灯のように直近数時間の出来事が思い出される。


 俺が集めてきたよく燃えそうないい感じの枝は出番が訪れることはなく、学生の手作りにしては美味しいと言えるカレーは完成してしまった。

 そんな美味しいカレーをクラスメイト達が楽しそうに頬張る隅っこで、拾ってきた枝を積み重ねてミニキャンプファイヤーを制作する。あとはそのミニキャンプファイヤーに火をくべるだけだと委員長にチャッカマンを要求したら、「危ないことしようとしない」と言って積み上げた枝たちは無慈悲に倒されていった。


 俺の一世一代の制作物を破壊した委員長への恨みは生涯忘れないとして、しばらくはご歓談タイムとなる。会話の輪に入れないのではなく入らない俺は施設を適当に散歩して時間を潰す。

 そうして肝試しの時間がやってきた。あとは前述した通り、お化け役は各々が配置につき、俺は丁度折り返しの地点でスタンバイする。

 およそ十組のペアが地点を通過し、慣れてきた俺は新たなるバリエーションで驚かそうと配置につく。


 そうして一分を経たないうちに次のペアが来て、今か今かと待ちわびながら、頭の中で飛び出すまでのカウントダウンを開始する。


 十、九、八、七、六―。


「わっ!」


 そのタイミングで突如耳元で声がした。背後を取られたどころか、背後に立つ者と俺との距離は十センチにも満たない。


「うわーーー!!!!!」


 油断している状況からそんな至近距離で声を上げられ、俺は森に響く本日一番の絶叫を轟かせることになった。

 叫びながらこんなことをするのは誰かと確認をする。暗い世界で俺の目の前に浮かび上がっているのは、シワシワになった真っ白い顔の老婆だった。


「わーーー!!!わーーー!!!」


 そうして俺の絶叫は続く。落ち着くどころか叫ぶ声はさらなる高みへと更新される。


「出たーーーーー!!!!!」


「イヤアァァァーーー!!!!」


 俺の叫び声に呼応するように、俺が驚かす予定だった女子のペアが絶叫を上げて走り去っていく。俺は置いていかないでと彼女たちに手を伸ばすが、届くはずもなく彼女たちの背中は遠ざかっていく。


 冷静になるのだ。柏木 司。俺はこの世に化け物が存在することを知っている。吸血鬼や河童とは会ったことがあるし、現代まで生き残っているかは不明だが、言い伝えられている妖怪の八割は本当に実在したものだという。

 白い顔の老婆は聞いたことがないが、俺には憤怒の寵愛がある。その超パワーで老婆の怪異など倒してしまえばいいのだ。寵愛の力を一般人に使用しないと誓っている俺だが、相手が化け物となれば話は別である。


 絶叫を上げながらも冷静に頭を回転させたクールな俺は戦闘態勢に入ろうと構えを取った。しかし、俺の両膝は崩れ落ち、とても戦える状態ではなくなってしまう。まさか、これが怪異の力だというのか。


 …違う。腰が抜けたのだ。


「ぷっ、あは、あはははは」


 目の前の怪異は急に笑い出した。大笑いと呼ぶには大人しいその声を俺は聞き覚えがあった。


「へ?」


 間抜けな声を上げる俺に対して怪異はなおも笑いながら、そのシワシワの皮の面を引き剥がしだした。その異常な光景にさらに心臓がドクンッと跳ねるが、次の瞬間、怪異の正体があらわになる。


「ごめんごめん。柏木が一睡もできないくらい恐怖のどん底に突き落としてやるって言ったから、気に食わなくて逆に脅かしちゃった」


 大体いつも無表情の彼女の顔は、俺がこれまでに見てきた中で一番の笑い顔になっていた。


「七瀬ーー!!!」


 羞恥心と敗北感で満たされる俺は怪異の正体である七瀬 千棘に怒りの声をぶつけた。


 高校二年の五月。柏木 司。十六歳。お化けにビビッて、犯人である友人に惨めな敗北を刻む男子高生の姿がそこにはあった。

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