第007話:神聖なる車中泊と、助手(ヒロイン)の眠れない夜
有毒な瘴気が立ち込めるダンジョン中層。
本来であれば、冒険者たちが一睡もできずに武器を抱えて震えるはずの死地において、そこだけが完全に隔絶された「絶対の安全地帯」と化していた。
白銀に輝くプレス式パッカー車。
常時展開されている神聖な魔力障壁は、周囲をうろつくスクラップ・グールやゾンビたちを寄せ付けることすらなく、彼らが車体に触れようとした瞬間に青白い閃光とともに浄化の彼方へ弾き飛ばしていた。
「よし、今日のところはこんなもんか。エンジン、ストップ」
芝崎一郎がキーを回すと、地響きのような重低音を立てていたマルチハイブリッドエンジンが、静かにその鼓動を止めた。
パッカー車のキャビン(運転席)の中は、外の地獄のような光景が嘘のように静まり返り、エアコンの吹き出し口からはミントの香りのする清涼な風が心地よく流れている。
「さて、リリィ。腹も減ったし、飯にするか」
「は、はいっ! 一郎様!」
助手席にちょこんと座っていたリリィは、弾かれたように背筋を伸ばした。
一郎は四次元収納機能を兼ねたダッシュボードから、転移のドタバタで一緒に持ち込まれていたらしい、クーラーボックスの『朝の残りの塩むすび』と『ゼリー飲料』を取り出し、二人で遅めの夕食(神聖な晩餐)を取った。
そして、問題は夕食が終わった後にやってきた。
「……あの、一郎様。今夜は、どこで野営の陣を張るのでしょうか?」
「ん? どこって、ここだよ」
「……ここ、ですか?」
「ああ」
一郎は手慣れた様子で、運転席と助手席の間にあるセンターシートの背もたれを前にパタンと倒した。さらに、自分とリリィのシートも限界まで後ろにリクライニングさせる。
すると、2トン車のキャビン内に、大人二人がギリギリ横になれる程度の「フラットな空間(即席のベッド)」が完成した。
「外はまだゾンビどもがうろついてるからな。ダンジョンの中で一番安全で落ち着く場所は、この車の中だ。俺も昔、現場が立て込んでる時は、よくこうやってシートを倒して仮眠を取ったもんさ」
一郎にとっては、何十年も続けてきた「現場の合間の車中泊」という、ただの日常風景だった。
しかし、リリィにとってはその言葉の意味する破壊力が桁違いだった。
「(こ、この、神の奇跡によって作られた『神聖な御車』の、最も奥深くにある心臓部……! そんな至高の聖域で、だ、大賢者様と、夜を共にする……!?)」
ボフッ、とリリィの顔が耳の裏まで真っ赤に染まった。
しかも、ただでさえ狭いトラックのキャビンである。シートを倒して並んで寝るとなれば、その距離はわずか数十センチ。寝返りを打てば、間違いなく肩や足が触れ合うほどの密着空間だ。
「あ、あの……! わ、私のような未熟者が、そのような神聖な空間で、しかも一郎様のお隣で横になるなど、恐れ多くて……っ!」
「馬鹿言え。こんな危険な場所で、女の子一人外に寝かせられるかよ。助手は俺の責任で守るって契約しただろ。ほら、遠慮しないで横になれ」
一郎はそう言って笑うと、ふぅと息を吐きながら、作業服のフロントファスナーに手をかけた。
「それにしても、エアコンが効いてるとはいえ、やっぱり体を動かした後は汗ばむな。ちょっと脱ぐぞ」
ジジジッ、とファスナーが下ろされる音。
「ひゃああっ!?」
リリィは思わず両手で顔を覆ったが、指の隙間からその光景をガン見してしまっていた。
青い作業服の下から現れたのは、汗で肌に張り付いた黒いタンクトップ。そして、そこから剥き出しになった、丸太のように太く逞しい腕と、分厚い胸板だった。
一郎本人は「47歳の腰痛持ちのオッサン」のつもりだが、ポンコツ女神のせいで、その肉体は『最も雄として完成された30歳の男盛り』に若返っている。
(はわわわわ……っ! い、一郎様の、鍛え上げられた神聖な御身体……!)
タンクトップ越しにも分かる、バールを振るうために最適化された広背筋。首筋から鎖骨にかけて流れる、色気のある汗の雫。そして、大人の男特有の、ほんのりと香る雄のフェロモンが、狭いキャビンの中に充満していく。
リリィの下腹部の奥が、ツンと甘く疼いた。
農村育ちで、男と手を繋いだことすらない17歳の少女にとって、この状況はあまりにも刺激的すぎた。
(だ、ダメですわ……! 私は助手であって、決してそのような、よ、夜の奉仕(夜伽)を期待されているわけでは……! いや、でも、これは『定時後』の業務外命令? もしや、魔力を分け与えるための、神聖な交わりの儀式……!?)
一人で勝手に勘違いを加速させ、頭から湯気を出しそうになっているリリィ。
そんな彼女の極限の緊張とときめきなど露ほども知らない一郎は、備え付けのタオルでゴシゴシと汗を拭くと、どっこいしょ、とリリィの隣に横たわった。
ギシッ、とサスペンションが鳴り、シートが沈み込む。
リリィの心臓が、早鐘のように鳴り始めた。
「……窮屈な思いをさせて悪ィな、リリィ」
不意に、すぐ隣から、低くて優しい男の声が響いた。
「えっ……?」
「お前も今日は色々とあって疲れただろ。まあ、まだ初日だから設備もこのパッカー車のシートしかないが、実績を積んで進化していけば、そのうちもっと広いキャンピングカーみたいに良くなるだろうよ」
「し、進化すれば、よくなる……」
「ああ。だから、今日のところはこれで勘弁してくれや」
一郎は気だるげに天井を見上げながら、フッと笑った。
「明日は朝一番でギルドに行って、魔石を換金する。そうしたら王都で、一番うまいもんでも食って、デカい風呂にも入ろう。……今日はお疲れさん。おやすみ、リリィ」
そう言い残すと、一郎はわずか数秒で「スゥ、スゥ……」と規則正しい寝息を立て始めた。
どんな劣悪な現場でも一瞬で眠りに落ちることができるのは、長年の労働で培われた、プロの清掃員としての特技でもあった。
だが、残されたリリィの脳内は、先ほどの言葉で大爆発を起こしていた。
(『設備が進化すればどんどんよくなる』……!? そ、それはつまり、大賢者様の御力でこの空間がさらに拡張され、いずれは広大な『愛の巣』になるということ!?)
リリィはダボダボの神官服の胸元をぎゅっと握りしめ、荒い息を吐いた。
(しかも、『今日のところは勘弁してくれや』だなんて……! お優しい……! 私がまだ心の準備ができていない初心な娘だと見抜いて、初日の今夜は、あえて手を出さずに純潔を守ってくださるのですね……!)
リリィのヘーゼル色の瞳が、感極まったように潤んでいく。
自分を囮にして見捨てたケビンたちとは、天地ほどの差だ。隣で眠るこの逞しい青年は、圧倒的な力と富を持ちながらも、どこまでも自分を大切に扱ってくれる。
(さらに、『明日は風呂にも入ろう』……!? ふ、ふ、ふおおおお風呂!? そ、それはつまり、明日こそ、身を清めた上で、混浴という名の神聖儀式が執り行われるという予告……っ!!)
「あぅ……っ、一郎、様ぁ……っ」
リリィは熱くなった頬を両手で押さえながら、身悶えした。
寝返りを打った一郎の逞しい腕が、ぽすんとリリィの肩に触れる。その途端、ビクゥッ!とリリィの体が跳ねた。
伝わってくる、大人の男の圧倒的な体温。安心感と、恐ろしいほどのドキドキ感が同時に押し寄せてくる。
「(だ、だめ、こんなの、眠れるわけがありません……っ! 一郎様の寝顔、とっても凛々しくて、睫毛が長くて……ああっ、胸の鼓動がうるさくて、一郎様を起こしてしまったらどうしましょう……!)」
外では、パッカー車の魔力障壁に弾かれたゾンビたちが、時折「ギャアァ!」と悲鳴を上げて消滅している。
そんなダンジョンの地獄の光景をよそに、白銀のキャビンの中では、17歳のヒロインが、イケメンに若返ったおっさん清掃員の色気と圧倒的な包容力に完全にノックアウトされていた。
「すぅ……。……ん、分別、しっかりやれよ……」
「(ふふっ、夢の中でも世界の浄化を……。本当に、尊いお方……)」
一郎の寝言に、リリィはとろけるような笑みを浮かべ、そっと彼の大きな手に自分の小さな手を重ねた。
ダンジョンでの初めての夜。
一郎にとってはただの「いつもの車中泊」だったが、リリィにとっては、生涯忘れることのできない、勘違いとときめきに満ちた、甘く眠れない夜となった。
――そして数時間後。
夜が明け、この「無敵の清掃コンビ」が莫大な魔石を抱えて冒険者ギルドの扉を蹴り開けることで、ケビンたち『青銅の牙』の運命が、物理的にも社会的にも完璧に「プレス(粉砕)」されることになるとは、この時の二人はまだ知る由もなかった。




