第006話:ホワイト労働の始まりと、動き出す陰謀
1.初めての「ホワイトな聖域」
一郎はバールを相棒の助手席に放り込むと、作業用手袋を外し、腰をトントンと叩きながらリリィのもとへと歩み寄った。
「怪我はねぇか、お嬢ちゃん。腰を抜かしちまったかい」
一郎が差し出した手は、ゴツゴツとしていて、だが温かかった。
リリィは恐る恐るその手を取り、立ち上がった。
間近で見る一郎の顔は、やはり非の打ち所がないほど精悍な30歳のイケメンだった。だが、その瞳には、まるで数万年の時を生き抜き、人生の酸いも甘いも噛み分けてきた賢者のような、深い「哀愁」が湛えられていた。
「は、はい……! お助けいただき、本当にありがとうございました、大賢者様……!」
「大賢者? あぁ、いや、俺は芝崎一郎。ただのごみ収集業者……いや、ここの現場の清掃員だ。お嬢ちゃん、一人でこんな危険な不法投棄エリアにいるなんて、どうしたんだ?」
リリィはぽろぽろと涙をこぼしながら、事の顛末を話した。
冒険者になるために、田舎から出てきたこと。パーティーの仲間だと思っていた男たちに、最初から囮として連れてこられ、邪魔になったらブーツで蹴り飛ばされて見捨てられ、瓦礫で退路を塞がれたこと。
話を聞き終えた一郎は、深く、そして底冷えするようなため息をついた。
「……ったく、どこの世界にも、そういう『マナー違反の不燃物』みたいな連中がいるもんだな。自分さえ良ければ、他人はどうでもいいってか。そういう奴らは、一度ホッパーにぶち込んでプレスしてやりてぇよ」
一郎の口から漏れた、極めて世俗的な「仕事上の愚痴」。
だが、リリィの脳内では即座に、神聖なる教義へと変換された。
「(『マナー違反の不燃物』……! なるほど、調和を乱し、他者を害する邪悪な魂のことを、賢者様はそうお呼びになるのですね。そして『ホッパーにぶち込んでプレスする』……。それはすなわち、因果の法廷に引きずり出し、魂の根源から浄化を施すという、神の裁き……!)」
さらに、一郎はポケットから、先ほど排出口から出てきた戦利品を何気なく取り出した。
「まあ、ゴミがあるところには、宝もあるんだけどな。ほら、これ」
「ひゃ、ひゃうああっ!?」
一郎の手のひらに乗せられたそれらを見て、リリィは素っ頓狂な声を上げて跳び上がった。
丸いヘーゼルの瞳が零れ落ちそうなほど見開かれ、全身がわななき始める。
「な、ななな……なんですか、これはっ!? い、一郎様、これはまさか、国家予算級の『超高純度魔石』……!? 邪気が微塵も、一滴すら混ざっていません! 通常なら、最高神殿の聖水で何ヶ月も清めの儀式を行わなければ、ここまで邪気は抜けないはずなのに……っ!」
さらに、リリィの細い指先が、その隣にある白銀の金属塊を指さした。
「しかも、呪いが完全に浄化された、純度100%の『ミスリルインゴット』……!? エルフの伝説の鍛冶師が命を懸けて精錬するよりも美しい……。な、なぜ、あの泥塗れの不浄の廃棄物から、このような神の奇跡としか思えない国宝級の資源が、一瞬で生み出されるのですか……っ!?」
あまりの常識外れの事態に、頭を抱えて驚愕するリリィ。
そんな彼女のリアクションを前に、一郎は「まあ、パッカー車のスペックがいいからな」と暢気に頭を掻いた。
「あ、あの、一郎様! あの巨大な不浄の魔獣どもを、まるで小石のように軽々と空へ放り投げた、あの恐るべき御腕力……! あれは地脈の引力を操作し、対象の質量を無にする古代の重力魔術ですね!?」
「あ? いや、ただのゴミの放り投げ(積み込み)だよ。ちょっと最近調子が良くてな、力加減を間違えて勢いよく飛んじまっただけだ。分別の手間も省けるし、仕事の基本だろ」
「『分別の手間を省くための、仕事の基本』……! なるほど、邪悪な魂が細分化して再び現世に彷徨い出ぬよう、一息に冥府へ送ることが、浄化の理なのですね……!」
「……? まあ、空中でバラバラに飛び散って、後でまた拾い集めるのは二度手間だからな。お前も細かいゴミを投げ入れるときは、途中でこぼさないようにしっかり掴んどけよ」
「はっ! この『魂の残滓(細かいゴミ)』をこぼしては、不浄の瘴気が世界に漏れ出してしまう……! 肝に銘じます、師匠!」
「師匠じゃねぇよ、ただの現場監督だっつぅの……」
一郎は頭を掻きながら、ふと、山積みのゴミと広大なダンジョンの奥を見渡した。
「それにしても、この現場、やっぱり一人じゃキツいな……。パッカー車の性能は抜群なんだが、細かいゴミを荷台に放り込む手作業が、オッサン一人じゃ腰にキてな。魔法で怪我を治してくれたり、瘴気を防いでくれる相棒がいると助かるんだが……」
一郎の言う「腰にキてな」は、前世の47歳当時の気分のままでいる、ただの気分の問題(実際はピチピチの30歳なので、全く問題ない)だった。
だが、リリィは胸を熱くして彼を見つめた。
「(世界の因果を一人で背負う大賢者様ですら、この極大の浄化空間を維持するためには、肉体にそれほどの代償を強いるのだわ……! 私のような微力な存在でも、お傍でお支えし、世界の穢れを払うお手伝いができるのなら……!)」
「一郎様! もしよろしければ、私を……私を、あなたの助手(お弟子)にしてください!」
「えっ? 助手、やってくれるかい?」
「はい! 不肖の身ではありますが、神聖魔術による回復と、瘴気の防壁ならお任せください!」
一郎は、この素直で根性のありそうな少女の申し出に、ぱっと顔を輝かせた。
これほどの広大な現場だ。一人で分別回収をするのは限界があると思っていたところだった。
「そりゃ助かる! だが、仕事にする以上、労働条件はきっちり決めよう。俺の現場は、ブラック労働は一切お断りだからな」
一郎は人差し指を立てて、彼なりの「ホワイトな労働条件」を提示した。
「まず、給料(日給)はギルドの相場基準の3倍は保証する。魔石がボロ儲けできるからな。交通費と昼飯代(ポーション代)も、もちろん俺が全額支給だ」
「えっ……!? こ、こんなに潤沢な神殿の活動資金を、毎日いただいてもよろしいのですか……!?」
(リリィの脳内:日給 = 神殿の清めの儀式に必要な、莫大な聖水・供物の購入資金)
「次に、制服の貸与だ。そのお下がりの神官服、袖がダボダボで作業の邪魔だろ。俺と同じ、汚れや傷を完璧に防ぐ『蒼い作業服』の、お前用のサイズを用意してやる。今はお前も泥と汗まみれだ。明日の朝、王都のデカい風呂に入ってサッパリしてから、その新品に袖を通させてやるよ」
「は、はい……! これがあの、あらゆる穢れと物理障壁を弾く大賢者の装束、『万色を拒む蒼の法衣』……! 私のような者が袖を通してもよいだなんて、一生の誉れです!」
(リリィの脳内:作業服 = 賢者一門にのみ着用を許される、超高位の防護結界衣)
「そして、ここが一番重要だ。俺の現場は、『週休二日・定時退社』が絶対原則だ。どんなにゴミが残ってようが、時間になったらキッパリ切り上げて撤収する。自分の体と生活を壊してまでする仕事なんて、この世に一つもねぇからな」
「し、週休二日……定時退社……!? 魂の摩耗を防ぎ、精神の深淵を保つための、絶対なる休息の聖別日……! なんという洗練された、慈愛に満ちた教義(お仕事論)なのでしょう……!」
(リリィの脳内:定時退社 = 魂の侵食を防ぐため、魔力が活性化する夜間(残業)を徹底して避ける、完璧な安全管理の儀律)
リリィの大きな丸い瞳に、崇拝と、そして大人の男性としての逞しさに惹かれる、無自覚な熱い光が宿る。
そんな彼女の凄まじい「認知の歪み」など露ほども知らない一郎は、素直に頷く少女を見て、「いい助手が見つかった」と大満足で頷いた。
「よし! 交渉成立だな。お嬢ちゃん、今日からよろしく頼むぞ」
「はい! 一郎様! 私、一生お掃除(世界の浄化)に励みます!」
こうして、年齢「30歳の男盛り」になったことに気づいていない47歳精神の清掃員と、その作業のすべてを神の奇跡と信じ込む「重度の勘違いヒーラー」による、噛み合っているようで180度噛み合っていない、異世界最強の「ホワイト清掃コンビ」が結成された。
2.次なる「現場」への投資計画
「よし、リリィ。まずは初回の試験回収としては、上々の出来だな」
一郎は目の前に半透明のブルーに輝く『ステータス画面』を呼び出した。
【対ダンジョン専用環境浄化重機・芝崎清掃カスタム】
実績累計:850kg / 1000kg
「実績が850kgか。あの女神様、累計で1トン回収したら、新しい機能をアンロックしてやるって言ってたな」
一郎は画面をスクロールし、暗くロックされている『有毒瘴気吸引フィルター』の項目を見つめた。
「よし、相棒。次の目標は、あと150kgでアンロックされる『有毒瘴気吸引フィルター』だな。これがあれば、もっと奥の瘴気がキツい現場まで安全に行けるようになる」
一郎はポンとパッカー車の車体を叩き、リリィを振り返った。
「そいつがあれば、お前が瘴気に当てられて体調を崩す心配がなくなるからな。お前の安全管理のためにも、早めに欲しい設備だ」
「大、大賢者様……っ! 私の肺の摩耗すら考慮し、大気浄化の秘奥を解放せんとするそのお心遣い……!」
リリィのヘーゼル色の瞳が、みるみるうちに熱い感動の涙で潤んでいく。
「(私のような、出会ったばかりの未熟者の肺の摩耗すら考慮し、即座に大気浄化の秘奥を解放せんとするそのお心遣い……! ただの『助手』である私に、これほどの慈愛と安全を保障してくださるなんて……。なんという洗練されたホワイトなお仕事、そして、なんて素晴らしい殿方なのでしょう……!)」
リリィは胸元で小さく手を握りしめ、イケメンすぎる30歳の肉体を持つ一郎の、逞しい背中を熱い眼差しで見つめるのだった。
「……と言いたいところだが、残念。今は17時ちょうどだ。今日の現場はここまで! 定時だしな、続きは明日だ! 撤収するぞ!」
「ええっ!? そ、そんな目前で!?」
「あ、そうだ、リリィ。明日の朝一番で、この魔石とインゴットを『冒険者ギルド』に持ち込んで換金するぞ。ついでに、あのゴミ溜めみたいなパーティーからお前を正式に引き抜くために、冒険者登録の解除……いや、移籍手続きも兼ねてな」
「は、はいっ! ぜひお供いたします、一郎様! ギルドでの手続き、責任を持ってお手伝いします!」
白銀のパッカー車が、ピー、ピー、ピーと澄んだ鎮魂のブザー音を響かせ、有毒なダンジョンの闇をクリーンに切り裂きながら、今夜の野営ポイント(車中泊エリア)へと静かに後退していった。
3.幕間:酒場に響く、偽りの鎮魂歌(ケビン視点)
その頃、ダンジョン中層から命からがら逃げ出してきたパーティー『青銅の牙』のリーダー、戦士ケビンは、王都の冒険者ギルドに併設された酒場の中心にいた。
「――おいおい、マジかよ……」
「なんて悲劇だ。あの若くて健気なヒーラーの女の子が……」
酒場の喧騒の中、周囲の冒険者たちが同情と、そして畏敬に満ちた眼差しをケビンに向けていた。
ケビンの前には、すでに空になった高級エールのジョッキがいくつも転がっている。彼はわざとらしく顔を覆い、肩を小刻みに震わせて、涙を絞り出すようなしゃがれ声で熱弁を振るっていた。
「ああ……! 思い出すだけでも胸が張り裂けそうだ! まさか中層のあのエリアに、あんな凶悪なスクラップ・グールの変異種が潜んでいるなんて……! 俺たちの剣じゃ刃が通らなかったんだ!」
ケビンはジョッキをテーブルに叩きつけ、大仰に天を仰いだ。
「俺たちが全滅しかけたその時、あの初心者のリリィの奴が……『ケビンさん、皆を連れて早く逃げて! ここは私が食い止めます!』って、あの健気な笑顔で、ゾンビの群れに一人で突っ込んでいったんだ……!」
「おお、なんということだ……」
「リリィ……。冒険者登録をしたばかりの農家上がりの娘だったが、まさかそんな高潔な魂を持っていたとは」
周囲の冒険者たちが、ケビンの語る「美談」に深く感動し、次々と涙を拭っている。
「俺がもっと強ければ、瓦礫を崩してでも助け出せたのに……! クソッ、俺の力不足だ! リリィ、俺たちのために自ら犠牲になって死んでいくなんて、お前は最高の仲間だったぞ! ううっ……!」
ケビンは両手で顔を覆い、激しく男泣きするふりをした。
だが、その指の隙間からのぞく彼の目は、全く濡れてなどいなかった。
(けっ、ちょろいな。どいつもこいつも、涙ぐましい自己犠牲の美談が大好物だな)
顔を覆った腕の影で、ケビンの口元は卑劣な嘲笑に歪んでいた。
(あの役立たずの田舎娘、どうせ今頃はスクラップ・グールどもに生きたまま内臓を引きずり出されて、無様に泣き叫びながら食い殺されて骨も残ってねぇだろう。
おかげで俺たちは、高難度ダンジョンから傷一つなく逃げ帰ってこられた上に、ギルド内での好感度も知名度も爆上がりだ。悲劇の英雄として、明日からはもっと割のいい仕事が回ってくるに違いねぇ)
ケビンは、酒場の冒険者たちが自分に注ぐ「同情と尊敬の眼差し」を全身で浴びながら、内心で邪悪な高笑いを上げていた。
(リリィ、お前みたいな農家上がりの出来損ない、最初からこのための『肉壁』なんだよ。死んで俺たちの役に立ったんだ、むしろ感謝してほしいくらいだな。
よし、好感度が上がったところで、次はもっと乳のデカくて、経験豊かなベテランヒーラーの女を新メンバーに誘い出してやる。次はどの女をハメてやろうかねぇ……!)
「リリィの自己犠牲を、俺たちは絶対に無駄にしない……! 彼女の魂を弔うためにも、俺たちはもっと強くなることを誓う!」
ケビンが再び大袈裟にそう叫ぶと、酒場全体から「そうだ、ケビン!」「お前は悪くない!」「よくぞ生きて帰ってきた!」と、嵐のような称賛と同情の拍手が巻き起こった。
己の犯した卑劣な裏切りが、美談として完璧に処理されたと確信し、ケビンはニヤリと汚い笑みを浮かべた。
(よし……! 明日の一番でギルドマスターに直訴し、リリィの犠牲を正式に報告して『特級の慰労金』をたっぷり受け取ってやる! あの役立たずの女、死に際まで俺の財布を潤してくれるとはな!)
――彼が、その「生贄」にしたはずの少女が、今や国家予算級の富を生み出す『最強の清掃賢者』の隣で、この世で最もホワイトな労働条件に守られながら、元気いっぱいに生きていること。
そして、明日の朝一番――その少女と、規格外の重機を駆る男が、ケビン自身と「最悪のタイミング」で鉢合わせるためにギルドへ向かっていることなど、夢にも知らずに。




