第004話:転移先はダンジョンの中?
真っ白な神の領域が激しい光の渦に包まれ、視界がぐにゃりと歪む。
エンジンの重低音だけが、耳の奥で頼もしく響いていた。
「よし……現場に到着か?」
芝崎一郎は、両手でしっかりと握りしめていたステアリングから片手を離し、軽く首を振った。
転移の衝撃はほとんどなかった。だが、フロントガラスの向こうに広がる景色が変わった瞬間、一郎の五感は「最悪の事態」を感知した。
――ウッ、と肺がひっくり返るような、強烈な腐敗臭がキャビンに満ちようとした。
夏の生ゴミ回収の比ではない。何十匹もの家畜の死骸を、何週間も密閉されたコンテナの中に放置したかのような、鼻が曲がるほどの悪臭と、どろりと重い空気。
だが、その悪臭が鼻腔を通り抜けて脳に達する直前、一郎の身体を淡い蒼い光が包み込んだ。
【システムメッセージ:パッシブスキル『神聖なる病気・毒・瘴気無効』が発動しました。悪臭、精神汚染、および毒性成分の肉体への影響を完全カットします】
「……ふぅ。驚かせやがって。女神様、労災保険の適用はバッチリみたいだな」
一郎は胸を撫でおろし、窓の外に目を向けた。
そこは、洞窟だった。
だが、冒険者が胸を躍らせるようなファンタジーの遺跡ではない。
天井や壁はどんよりとした紫色の苔に覆われ、そこからポタポタと緑色の不気味な粘液が滴り落ちている。
そして、何よりも異常なのは足元――いや、この広大な空間を埋め尽くしている「山」だった。
「おいおい……なんだ、このゴミ屋敷は」
一郎は思わず呆れ声を漏らした。
キャビンのライトが照らし出したのは、見渡す限りの廃棄物の山だった。
異形の魔獣たちの、半分腐りかけた死骸。
へし折れた鉄の剣、割れた木製の盾、錆びついた甲冑の破片。
さらには、冒険者たちが使い捨てたと思われる、謎の液体の入ったガラス瓶、破れたテントの布、得体の知れない生ゴミのような有機物の塊。
それらが、数メートルもの高さにうずたかく積まれ、腐敗して、ドロドロとした黒い泥のようになって床を覆っている。
天井からは有害な有毒ガスが濃い霧のように立ち込め、空間全体を不気味な紫色の『瘴気』が覆っていた。
「通常、ダンジョンは死骸やゴミを自動で吸収して魔力にする……だが、コアがぶっ壊れて処理を拒絶した結果、ここに行き着いたってわけか」
一郎は、女神が見せてくれた立体映像を思い出した。
ここは、ダンジョン中層にある「ゴミ溜めエリア」。
本来ならダンジョンの生態系を循環させるための心臓部へ送られるべき廃棄物が、機能不全によってここにすべて押し流され、放置された結果の成れの果てだった。
「ひどい不法投棄だな……。ルールもマナーもあったもんじゃねぇ」
おっさんの目が、プロの清掃員としての厳しさを帯びる。
長年、街の美化に努めてきた一郎にとって、このような「管理放棄されたゴミ溜め」は、最も腹が立ち、同時に最も魂が燃える現場だった。
「だが、やり甲斐がある。片付けがいのある現場だ」
一郎がギアを入れようとした、その時だった。
フロントガラスの向こう、うずたかく積まれた死骸の山が、不気味にモゾモゾと動き出した。
『――グゥゥゥゥ、オォォォォ……』
湿った土を掘り起こすような不快な音が響く。
半分骨が露出した狼のような獣の死骸、首が不自然な方向に曲がったゴブリンの残骸、それらが紫色の瘴気を吸い込みながら、次々と立ち上がっていく。
死骸を苗床にして発生した、アンデッド――ゾンビやスケルトンたちの群れだ。
その数は数十、いや、奥の暗闇からはさらに多くの影が這い出してきている。
彼らは、突如として暗闇に現れた白銀の巨大な鉄の獣――パッカー車――のヘッドライトに刺激されたのか、濁った目をぎらつかせ、牙を剥いて一斉に襲いかかってきた。
「シャァァァァッ!」
「ウガァァァァッ!」
死臭を振り撒きながら突撃してくる死者の群れ。普通の人間なら腰を抜かす悪夢のような光景だ。
だが、一郎の表情は驚くほどにドライだった。
「動く生ゴミ、それに不燃ゴミの骨格か。……ちょうどいい、まとめて『処理』してやる」
一郎は不敵に笑うと、クラッチを踏み込み、ギアをロー(一速)に叩き込んだ。
「いくぞ、相棒。最初の仕事だ」
アクセルペダルを力強く踏み込む。
『――ドュルルルルルル、ドゴォォォォォ!』
神聖魔力を燃料にするマルチハイブリッドエンジンが、地響きのような爆音を上げて駆動した。
マフラーから排出されるのは、マイナスイオンを含んだ爽やかなハーブの香りの風。それが周囲の陰惨な空気を一瞬でかき消していく。
パッカー車が、白銀のフロントグリルを輝かせ、唸りを上げて急発進した。
「ガァァァ――!?」
先頭を走っていたゾンビウルフが、信じられないほどの速度で迫る鉄の塊に、驚愕の声を上げた。
避けようとした時には、すでに遅い。
――ドガンッ!!!
強固な合金製バンパーが、ゾンビウルフを正面から撥ね飛ばした。
神聖な加護を受けた魔力障壁が常時展開している車体だ。衝突の瞬間、ゾンビの肉体に宿っていた穢れた邪気が、障壁の光によって一瞬で「無害化(滅菌)」され、物理的な衝撃によって骨ごと粉々に粉砕される。
パッカー車は、まるで発泡スチロールの箱を轢いたかのように、何一つの衝撃も受けることなく前進を続けた。
「ルァァァ!」
横から飛びかかってきたゴブリンゾンビたちが、キャビンの側面に爪を立てようとする。
しかし、車体に触れた瞬間、パチパチと青い火花が散り、彼らの腕は腐った木切れのように焼き切れて弾け飛んだ。
「よし、ボディの強度も、バリアも問題ねぇな。傷一つついてねぇ」
バックミラーで車体の無事を確認した一郎は、一度車を大きく旋回させ、ゴミの山とアンデッドの群れに向かって、車両の後部を向けた。
「バックオーライ……!」
ガガガガ、と電子音が響く中、安全にアンデッドたちを轢き潰しながら、パッカー車をゴミの山の直前までバックさせる。
一郎はサイドブレーキを引き、運転席のドアを開けた。
手には、あの長さ60センチメートルの炭素鋼製バール――『解体用聖杖』が握られている。
運転席から地面に降り立つと、そこは膝まで浸かりそうなほどの腐敗泥だったが、一郎の『芝崎清掃の蒼い作業服』は、泥や酸を完璧に弾き、汚れることすらなかった。
「さて、手早く分別して、ぶち込んでいくか」
一郎はバールを肩に担ぎ、襲いかかってくるゾンビたちを冷静に見据えた。
もはや、彼らを敵とは認識していない。彼の『分別眼』は、目の前の動く死体をこう定義していた。
【対象:腐乱死体(可燃ゴミ:要処理)】
【対象:スケルトンの骨(不燃ゴミ:カルシウム資源)】
「ウガァァァッ!」
一体のゾンビが、引き裂かれた腕を伸ばして一郎に襲いかかる。
「立ち止まってんじゃねぇよ、作業の邪魔だ」
一郎は半歩身をかわすと、ゾンビの足元をバールですくってホッパーへ蹴り飛ばし、スケルトンはバールの先端をその関節の継ぎ目にねじ込み、テコの原理で軽くひねる。それだけで魔力的な結合が解け、不燃ゴミ(骨)と可燃ゴミ(腐肉)が瞬時にバラバラになる。一郎はそれを流れるようなステップで掻き集め、次々とホッパーへと蹴り込んでいく。
それは戦闘などではない。熟練の作業員による、完璧に効率化された『超高速のゴミ拾い』だった。
「よし、次はそっちの骨(不燃)だ」
ガシャガシャと骨の音を立てて突撃してくるスケルトン。
一郎は、バールのフック部分でスケルトンの持つ錆びた剣を引っ掛け、力任せに奪い取る。そのまま不燃ゴミとしてホッパーに投げ入れ、残った骨の身体も、バールのフックを使って手際よく関節を外し、バラバラになった不燃ゴミを一気に掻き集めた。
「ほら、どんどんいくぞ! 溜まったゴミは、その日のうちに片付けるのが鉄則だ!」
何十年間も、毎日何トンものゴミを手作業で回収してきた男だ。その肉体に染み付いた「作業効率」は、並の冒険者の剣技を遥かに凌駕する。
無駄のない動き。完璧なステップ。
ゾンビが来れば効率よく荷箱へ蹴り込み、スケルトンが来れば関節を外してフックで回収し、周囲に転がっている錆びた武器や防具、腐った木箱もろとも、容赦なくパッカー車のホッパーへと放り込んでいく。
あっという間に、ホッパーの中はモンスターの残骸と瓦礫で一杯になった。
「よし、一時保留域が一杯だな。相棒、プレス開始だ」
一郎は車両の側面にあるコントロールパネルへと歩み寄り、慣れ親しんだ『プレス』の赤いボタンを押し込んだ。
――『ブゥゥゥン! ギギギギギギ!』
強烈な油圧駆動音が、洞窟の中に鳴り響く。
ホッパーの奥から、白銀の神聖装甲で作られた、分厚い「回転板」と「押し込み板」が、ゆっくりと、しかし絶対的な質量を持って動き出した。
『次元圧殺結界』の起動である。
「グガァァァ……!?」
「カチカチ、カチ……!」
ホッパーの中に放り込まれたアンデッドたちが、まだ生きて(動いて)いる状態で、スライド板によって荷箱の奥へと押し潰されていく。
彼らは必死にもがき、爪を立て、魔法の障壁を破ろうとしたが、新生パッカー車の圧倒的な「油圧プレス」の前には、そんな抵抗は無意味だった。
――『メキメキ、バキバキバキバキッ!!!』
凄まじい破壊音が響き渡る。
いかなる高位の聖職者が放つ浄化魔法よりも冷徹に、そして物理的に、数十トンもの油圧プレートがアンデッドたちを文字通り「ペシャンコ」に押し潰した。
彼らに宿っていた怨念や、呪縛の魔力、有毒な瘴気は、超高圧の油圧空間の中で分子レベルにまで圧縮され、神聖な魔力によって瞬時に中和・消滅していく。
そして、プレス完了と同時に――
『プシャァァァァッ!』
心地よいエアブレーキの音が響き、パッカー車の上部排気口から、ミントのような爽やかな香りがする清浄な空気が吹き出した。
「ふぅ……いい風だ」
一郎が額の汗を拭いながら、車両の後方、右側にある「資源排出口」へと目をやった。
カラン、カラン、カラン。
小気味よい金属音を立てて、排出口の下にあるトレイに、何かが転がり落ちてきた。
一郎がそれを覗き込むと、そこには濁りのない、透き通った紫や青の『高純度魔石』が数十個。
さらには、錆びた武器や鉄屑が完璧に分別・精錬された、手のひらサイズの『鉄インゴット』と、白銀に輝く『ミスリルインゴット』が、綺麗に積み重なっていた。
【システムメッセージ:処理完了。
回収量:350kg(うち有機廃棄物220kg、無機廃棄物130kg)
無害化効率:100%
リソース峻別結果:
・高純度魔石(中)12個
・高純度魔石(小)24個
・精錬鉄インゴット 5個
・精錬ミスリルインゴット 1個
実績累計:430kg /1000kg(『有毒瘴気吸引フィルター』解放まで、あと 570kg)】
「……おいおい、マジかよ」
一郎は、魔石の一つを拾い上げて光にかざしてみた。
傷一つない、息を呑むほどに美しい結晶。女神が言っていた「国家予算並みの高額で取引される」という言葉は、どうやら誇張ではなかったらしい。
これまでは、命がけで魔物を倒し、その死骸からナイフで苦労して切り出していた魔石。
あるいは、危険な鉱山でドワーフたちが命を削って採掘していた希少金属。
それが、一郎にとっては、ただ「ゴミをパッカー車に入れてプレスしただけ」で、自動的に100%の純度で抽出されて出てきたのだ。
「燃料は、ゴミを圧縮したときに出る熱エネルギーで自己充電されてるから、実質タダ(燃料費ゼロ)。
道具は、神様公認のこの頑丈なパッカー車とバールだから、メンテナンスフリー(機材費ゼロ)。
ゴミの不法投棄場所だから、土地の所有権もへったくれもねぇ、使用料も当然タダ(地代ゼロ)。
そして、回収したゴミそのものが、高値で売れる魔石や金属に化ける……」
一郎は顎を撫でながら、暗算した。
このビジネスの、恐るべき数式を。
{経費(燃料費} + {人件費} + {処分費} + {移動費)} = 0
{売上(魔石} + {希少金属)} = 100% の利益
「運搬費も処分費もかからねぇ。ゴミを詰め込めば詰め込むほど、利益が無限に湧き出てくる。……これ、ただの『ボロ儲け』じゃねぇか」
くたびれたおっさんの口元が、だらしなく吊り上がった。
前世では、どれだけ真面目に働いても給料は上がらず、マナー違反のゴミに愚痴をこぼし、クレーマーに頭を下げて、泥水をすするようにして生きてきた。
それがどうだ。
この異世界の「最悪のゴミ溜め」は、彼にとっては、競争相手が一人もいない、利益率ほぼ100%のブルーオーシャン――いや、ただの『黄金の山』だった。
「やりがいのある現場だと思ったが、これほどとはな。……よし、サボってる暇はねぇぞ」
一郎は再びバールを強く握りしめ、周囲にまだうごめいているアンデッドたち、そして山積みになった不法投棄ゴミの山を見渡した。
「おい、そこらで突っ立ってる生ゴミども! 残業代は出ねぇが、俺のモチベーションは最高だ。全員まとめて、きれいに分別回収してやるから、おとなしくホッパーに入りやがれ!」
エンジン音が、洞窟の奥へと力強く響き渡る。
芝崎一郎の、世界を美しくしながら大富豪へと駆け上がる「最強のダンジョン清掃ビジネス」が、今、最高のスタートを切ったのだった。




