第020話:特任監査役の天下りと、労働基準法の洗礼(ツナギへの着替え)
1.現場の朝と、招かれざる豪奢な馬車
ダンジョン最下層における未曾有の危機――メルトダウンを寸前で食い止め、王都の生態系を救った凱旋の翌日。 かつて「呪われた館」と呼ばれた王都貴族街の一角は、今日も朝から活気にあふれた清浄なる建設現場へと戻っていた。
「よぉし、お前ら! 基礎工事の遅れは取り戻したな! 今日も安全第一、ゼロ災害でいくぞ!」
「「「おうっ!!」」」
芝崎一郎の号令に、トリプル賃金と完全週休二日制という超絶ホワイト労働に狂喜するドワーフの職人たちが、威勢よくハンマーを天に突き上げる。 王都の闇を牛耳っていたガルシア商会と腐敗神官ザルバを、パッカー車の圧倒的な油圧プレスによって「分別処理」し、完全なる非課税特権とインフラ独占受注権をも手に入れた。 圧倒的な富と権力を手にしたはずの一郎だが、その態度は昨日までと何一つ変わっていなかった。使い慣れた「芝崎清掃の蒼い作業服」に身を包み、首に巻いたタオルで汗を拭いながら、現場監督として職人たちに的確な指示を飛ばしている。
「一郎さまぁっ、おはようございますぅ」
そこへ、豊満な胸を強調するように身を乗り出しながら、ギルド受付嬢のセリアが甘い声をかけてきた。
「昨日は王都の皆様に向けて、一郎さまの偉業をたっぷりと宣伝しておきましたわ。これで一郎さまの『正妻』としてのわたくしの立場も盤石……いえ、ギルドとの連携も完璧ですわね」
「泥棒猫っ! 朝から一郎様に破廉恥なフェロモンを撒き散らさないでください! 一郎様の第一助手は私です!」
純白の特級聖女の法衣を翻し、リリィが猛然と二人の間に割って入る。
「一郎様、冷たいお茶をお持ちしました! 昨夜のキャンピングカーでの……あの、あま~いお時間(ただの順番待ちのシャワー)の疲れも、これで吹き飛びますよっ!」
「ははは。お前ら、今日も朝から元気だな」
二人の美しいヒロインによる、おっさん清掃員を巡る「正妻戦争」は、もはやこの現場の微笑ましい日常風景となっていた。 一郎が黒茶を啜り、今日も平和な定時退社スローライフが始まる――そう誰もが信じて疑わなかった、その時だった。
「パカッ、ポコッ、パカッ、ポコッ……!」
現場の仮設門の向こうから、不釣り合いなほどに優雅で、そして威圧的な馬の蹄と、金属の鎧がこすれ合う重厚な足音が近づいてきた。
現れたのは、王家の紋章が金箔で施された六頭立ての豪華絢爛な大型馬車と、それを囲むようにして歩く、白銀の全身甲冑に身を包んだ数十名の「王室近衛騎士団」だった。
「道を空けよ! 我が国の至宝、第二王女エレノア様のお通りである!」
歴戦の猛者であることを窺わせる大柄な近衛騎士隊長・ガレスが、ドスの効いた声で怒鳴る。周囲のドワーフたちが「王家の馬車だぞ!?」とどよめき、作業の手を止めた。
馬車のドアが恭しく開かれると、豪奢なフリルが特徴的な純白のエプロンドレスを着た専属メイド・マリーが小走りで降り立ち、美しいレースの日傘を広げた。
その日傘の下から、深紅の絨毯が敷かれたステップを踏んで、一人の女性が優雅に降り立った。
「……ここが、我が国のインフラと経済を牛耳るという、例の事業所(現場)ですのね」
透き通るような金糸の縦ロール髪に、王家の血を引く者特有の、サファイアのように気高く冷たい碧眼。
彼女が身に纏っているのは、朝の建設現場にはおよそ似つかわしくない、極上のシルクと宝石で彩られた、露出度の極めて高い深紅のドレスだった。豊満な胸の谷間が惜しげもなく披露され、歩くたびに深いスリットから白く滑らかな太ももが艶かしく覗く。
「わたくしは、第二王女にして、王家直属『インフラ共同事業の特任監査役』に任命された、エレノアと申します。一郎様。以後は、王家を代表してわたくしが、あなたの事業を『特別に』監査させていただきますわ」
扇子で口元を隠しながら、エレノアは艶然と微笑んだ。
(お父様も宰相も、あの男の法外な要求を丸呑みして、王国の急所を握られてしまうなんて情けない。権力や金で縛れないのであれば、極上の「女の武器」で手綱を握るまでよ!)
王家の血と色香で一郎を籠絡し、手綱を完全に握り潰す。それこそが、彼女に課せられた「ハニートラップ」の真の目的であった。
2.安全衛生法違反と、粉砕されるプライド
「監査役……? 王家から?」
一郎は首のタオルで汗を拭きながら、胡散臭そうに目を細めた。
「あら、ご不満ですか? わたくしはただ、あなたのお仕事を『お傍で、密接に』見守るだけですわ」
エレノアは専属メイドを従え、甘い香水の匂いを漂わせながら、一直線に一郎の元へと歩み寄った。そして、セリアやリリィが見ている前で、自身の豊満な胸元を、一郎の逞しい腕に押し当てようと身を乗り出した。
「これからは、お仕事の後はわたくしが、最高級のワインと、王宮仕込みの『特別なおもてなし』で、あなたの疲れを癒やして差し上げ――」
「――ストップ」
一郎の、ひどく冷たく、ドスの効いた低い声が響いた。
ピタリと、エレノアの動きが止まる。
一郎の視線は、エレノアの美しい顔でも、露出した胸の谷間でもなく、彼女の全身の「服装」に向けられていた。
「おい、アンタ。そのヒラヒラしたドレスと、足元のピンヒールはなんだ。ここは『建設現場』だぞ。重機のギアやワイヤーにそのドレスの裾が巻き込まれたら、一瞬で肉塊になるぞ。それに、そのキツい香水だ。虫(魔獣)が寄ってくる原因になるから現場じゃ『安全衛生法違反』だ」
「え……?」
ハニートラップを仕掛ける前に、予想外の角度からの説教(安全指導)が飛んできて、エレノアは呆気にとられた。
「貴様ぁっ! エレノア殿下に向かって不敬であろう!」
すかさず、背後に控えていた近衛騎士隊長ガレスが激昂し、腰の聖剣をチャキッと抜いた。
「殿下の高貴なるお姿に難癖をつけるなど万死に値する! このガレスが、貴様の不遜な口を――」
ガキンッ!!!
ガレスが剣を振り下ろそうとした瞬間、一郎が腰から抜いた『解体用聖杖』が、目にも止まらぬ速さで聖剣の横腹を叩いた。
ただの軽いスナップ。しかし、30歳の最強ボディから放たれた一撃により、ガレスの聖剣は悲鳴を上げて弾き飛ばされ、地面に突き刺さった。
「なっ……!? わ、私の剣が……!?」
驚愕するガレスに、一郎はバールを肩に担いでずかずかと歩み寄り、今度は騎士の胸ぐらを掴み上げた。
「現場で刃物を振り回すんじゃねぇ。労災が起きるだろ。大体な、アンタのそのピカピカの『全身甲冑』。一見頑丈そうだが、重機がバックしてきた時に死角に入って挟まれたら、そのままペシャンコに潰れて中身がミンチになるぞ! 動きにくいし、落雷(魔法)の危険もある!」
「み、ミンチ……ッ!?」
「それに、そこのメイドのお嬢ちゃんもだ!」
一郎の雷は、日傘をさして震えているメイドのマリーにも落ちた。
「その大量のフリルと長いスカート! 床に転がってる釘や足場に引っかかって転倒したらどうする気だ! ヘルメットも被らねぇで、上から資材が落ちてきたら即死だぞ!」
「ひぃぃっ! も、申し訳ございませんっ!」
一郎は、三十歳の男盛りの威圧感と、何十年も「現場の安全」を守り抜いてきたプロの現場監督としての圧倒的な覇気を放ち、一国の王女と、歴戦の騎士、そして専属メイドを完全に論破した。
「監査役だろうが騎士だろうが、現場に来たからには『現場のルール』に従ってもらうぞ。怪我(労災)でもされたら、こっちの責任問題だからな」
(な、なんなの、この男は……!? わたくしのこの完璧な美貌と色仕掛けを前にして、まるで、手のかかる新人労働者扱いじゃないの!)
王女としての絶対的なプライドが、音を立てて木っ端微塵に砕け散っていく。
一郎はパッカー車のキャビンへと歩み寄り、四次元収納から、予備の『芝崎清掃の蒼い作業服』と、無骨な黄色い安全ヘルメットを大量に取り出して、三人の胸にバサッと押し付けた。
「ほら、これに着替えろ。そこの後ろで突っ立ってる騎士どももだ! 現場じゃ全員着用義務だぞ!」
一郎は背後に控える数十名の騎士たちに向けても、次々とツナギとヘルメットを投げ渡した。
「肌を隠して、髪はヘルメットの中にキッチリまとめろ。監査するにしても護衛するにしても、現場の空気を吸うなら、まずはダサいツナギからだ」
「なっ……!? こ、このわたくしに、このような下賤でブカブカの布切れ(ツナギ)を着ろと申しますの!?」
「嫌なら帰れ。ここは俺の事業所だ」
一切の妥協を許さない、冷徹な一郎の通告。ここで引き下がれば、王家の使命も完全に失われる。
「……っ! き、着替えますわよ! 着替えればいいんでしょう!」
3.最高級のシルクと、仮設更衣室のハプニング
エレノアが屈辱に震えながらツナギをひったくると、メイドのマリーが進み出た。
「で、殿下のお着替えは、このマリーが裏手でお手伝いいたします!」
「いや、待て。アンタら従者は、そこの仮設テント(更衣室)を使え。お姫様は特別に、パッカー車のキャビンの中を使わせてやる。狭いから一人ずつだ」
一郎は安全と効率を優先し、主従をあっさりと分断した。
『バタンッ!』と、キャビンのドアが乱暴に閉められた。
(ああもう、屈辱ですわ! 一国の王女たるこのわたくしに、色仕掛けを無視した挙句、あんなダサい布切れを着せようとするなんて!)
エレノアはキャビンの中で、怒りに任せてドレスを脱ぎ捨てた。
ドレスの下から現れたのは、王宮お抱えの最高級の職人が仕立て上げた、極めて際どいデザインの『紅いシルクの下着』だった。透けるような薄い生地が豊満な双丘をギリギリで覆い隠し、下半身は細い紐のようなレースが艶かしい肌に食い込んでいる。男を狂わせるための最終兵器(ハニートラップの真骨頂)だ。
エレノアがツナギの袖に腕を通そうとした、その時だった。
慣れない重機のドアの構造と、怒りによる焦り。彼女は、キャビンの『ドアの鍵』を内側からロックするのを、完全に忘れていたのだ。
「ガチャリ」
「おい、監査役のお姫さん。そのツナギ、オッサン用だからサイズがデカすぎるかもしれねぇが、合うか――」
確認のために無造作にドアを開けた一郎と、紅い極薄シルクの下着姿で立ち尽くすエレノアの視線が、完全に交差した。
「「…………」」
一郎の視界には、限界まで強調された豊満な胸の谷間と、腰骨に食い込む妖艶なレースの紐が真正面から飛び込んできた。
「ひゃっ……!?」
全身の血が沸騰したかのように、エレノアは顔から首すじに至るまで一瞬にして真っ赤に染め上がった。
「きゃあああああああああっ!!!! 見ないでぇっ! 痴漢っ! 不敬罪よぉぉぉっ!!」
鼓膜を破らんばかりの王女の悲鳴が、建設現場に響き渡る。
だが、一郎の精神は「47歳の百戦練磨のオッサン」である。
「お、おう……。なんだか知らねえが、ずいぶんと『上等なモン』着てんな」
一郎は「娘の着替えを間違えて見てしまった父親」のような、気まずそうだがどこか感心したような声で呟き、スッと明後日の方向へと目を逸らした。
「り、立派なモンって何よぉぉっ!? 出ていきなさい! この恥知らず!!」
「悪かったよ、ノックしなくて。でもな、鍵を閉め忘れたアンタにも落ち度はあるぞ。現場の仮設更衣室を使う時は、指差し呼称で『施錠ヨシ!』って確認するのが基本だ」
こんな状況でまで「現場のルール」を持ち出して説教をしてくる男に、エレノアは羞恥と怒りで涙目になりながらクッションを投げつけた。
「いいから、早く閉めなさいよぉっ!!」
「はいはい。あ、でも……」
ドアを閉めようとした一郎が、ふと真面目な声で付け加えた。
「そのツナギ、ダボダボで袖や裾が余るようなら、ベルトでしっかり縛るか、折り返して固定しろ。サイズが合わねぇ作業服を着て転んで、お姫様に怪我でもされたら、本気で困るからな」
「え……?」
ピシャリとドアが閉められた後。エレノアはドクン、と自身の心臓が大きく跳ねるのを感じた。
散々わたくしのプライドを傷つけておいて、最後にあんな、父親みたいな純粋で不器用な「気遣い」を……。
屈辱と羞恥で涙目になりながらも、彼女の下腹部が、先ほどの怒りとは全く違う種類の熱でキュンと甘く疼いてしまった。
4.ポンコツお嬢様と従者たちの現場研修
数分後。
キャビンのドアが開き、ツナギ姿のエレノアが姿を現した。極上のドレスに包まれていた傾国の美女は、今やダボダボの作業服の裾を折り返し、無骨な黄色い安全ヘルメットを深々と被った「新米の現場作業員」へと成り下がっていた。
「ぷ、くくっ……! ご覧になりました、リリィさん! あの泥棒猫、まるで寸胴のドラム缶みたいですわ!」
「ええ、セリアさん! 神聖な現場に色仕掛けで乗り込もうとするから、あんな無様な姿を晒すのです!」
リリィとセリアが、完璧な連携でエレノアに向けてマウントを取ってくる。この現場において、ヒエラルキーの頂点に立つのは王家の血筋ではなく「お仕事のスキル」なのだ。
「あ、あなたたち……!」
エレノアが反論しようとした時、仮設テントから同じくツナギとヘルメットに着替えた騎士ガレスとメイドのマリーが出てきた。
「……おおっ! なんということだ!」
ガレスは、ツナギを着た自分の身体をペタペタと触り、感動に打ち震えていた。
「この『ツナギ』という装束! 鋼の鎧のような重さが一切ないのに、泥を弾き、微かな瘴気すら通さない魔法の加護を感じる! 異常なほどに関節の可動域が広く、動きやすい! これこそ、究極の防具ではないか!」
「わ、わたくしも……フリルがないと少し恥ずかしいですが、風通しが良くて、とっても快適ですわ……」
マリーもヘルメットの顎紐を締めながら、満更でもない顔をしている。
「あ、あなたたち! 一国の騎士とメイドが、何でそんな下賤な服で馴染んでるのよぉっ!」
味方のはずの従者たちの見事なまでの「現場適応」に、エレノアは裏切られたような声を上げた。
「よし、監査役さんたち。着替えが終わったなら、さっそく現場の『監査(仕事)』をしてもらうぞ」
一郎は、三人の足元にそれぞれ仕事道具をポイッと放り投げた。
「お姫さんは、その竹箒とチリトリで、そこら辺に散らばってる木端と曲がった釘を『分別』して袋に詰めておけ」
「なっ……!? わ、わたくしに、ゴミ拾いをしろと申しますの!?」
「現場の基本は足元の整理整頓からだ。で、騎士のオッサンは力がありそうだから、ドワーフの親方と一緒にそこの資材(セメント袋)運びを頼む」
「ははっ! 現場監督殿! この筋肉、存分にお使いくだされ!」(すっかり現場に染まるガレス)
「メイドのお嬢ちゃんは、クーラーボックスに入ってる冷たい麦茶を、休憩中の職人たちに配って回ってくれ。熱中症対策の要だ、頼んだぞ」
「か、かしこまりました! 皆様の水分補給は、このマリーにお任せを!」(メイドの世話焼き本能を刺激されるマリー)
見事なまでに現場ロジックに組み込まれていく王家の従者たち。
残されたのは、竹箒を握りしめ、ダサいツナギ姿で一人途方に暮れる一国の王女だけだった。
(あ、ああ……屈辱ですわ! 王家の誇りにかけて、あんな男、絶対に……っ!)
エレノアは悔し涙をポロポロとこぼしながら、震える手で竹箒を握りしめた。
(絶対に、完璧な『分別』をこなして、あいつの度肝を抜いて……わたくしの有能さを認めさせてやるんだからぁっ!)
権力で男を縛ろうとした目論見は粉砕され、逆に「労働」で縛り上げられていく王女と従者たち。
第三のヒロイン――愛すべきポンコツインターン・エレノア一行を迎え、最強のおっさん清掃員による利益率100%のインフラ完全掌握ビジネスは、さらなる大爆笑の渦へと突き進んでいくのだった。




