第015話:エラーコード(SOS)の受信と、未踏の現場への出発
1.平和な朝と、進むマイホーム建設
王都の貴族街の一角。かつて「呪われた館」と忌み嫌われていた広大な敷地は、いまや王都で最も活気にあふれた清浄なる空間へと生まれ変わっていた。
朝日に照らされた建設現場には、カンカン、コンコンと心地よい槌音が響き渡っている。
芝崎一郎が提示した「完全二交代制、週休二日制、残業ゼロ、トリプル賃金」という、異世界ドワーフたちにとってはまさに神話レベルの超絶ホワイト労働条件により、マイホーム兼・『芝崎清掃』の事業所建設は驚異的なスピードで進捗していた。
「よぉし、親方! 大浴場の基礎工事、完璧だな。ミスリル素材の湯船の組み込みも頼むぜ」
一郎は、いつもの使い慣れた『芝崎清掃』の蒼い作業服に身を包み、図面を片手に満足げに頷いた。
「へへっ、旦那(現場監督)! 任せてくだせぇ! ドワーフの魂に懸けて、世界一贅沢で頑丈な『スーパー銭湯』を作ってご覧に入れやすよ!」
腕利きの親方が、親指を立てて満面の笑みを浮かべる。
保護された奴隷の子供たちもすっかり健康を取り戻し、新しく建てられたばかりの清潔な『母屋(宿舎)』の庭で、キャッキャと歓声を上げながら鬼ごっこをして遊んでいる。彼らには適度な手伝いと引き換えに、十分な食事と安全な寝床、そして教育の機会が与えられていた。
「一郎さまぁ、おはようございますぅ」
背後から、豊満な胸を一郎の背中に押し当てるようにして、甘い声がかけられた。ギルド受付嬢のセリアである。彼女は今日もギルドの仕事を抜け出し、朝から一郎の傍に入り浸っていた。
「昨夜は……ふふっ、ぐっすり眠れましたか? わたくし、いつでも一郎さまの『お世話』をする準備はできておりますのよ?」
上目遣いで露骨に色目を使い、自らの美貌と大人の色気で一郎の正妻の座(と莫大な財産)を狙う肉食系女子。だが、一郎にとっては「相変わらず愛想のいい優秀な営業担当だ」という程度の認識だった。
「ああ、おはようセリアさん。現場が順調で何よりだ。今日の昼飯も、職人たちに美味いスタミナ弁当を手配してやってくれ」
「もぉっ、お仕事の話ばかりでつれないんですから。でも、そんな頼もしい背中も素敵ですわ……!」
「泥棒猫っ! 朝から一郎様に破廉恥なフェロモンを振り撒かないでください!」
ドタドタと走ってきたのは、純白と白銀の『特級聖女の法衣(芝崎清掃ロゴ入り)』を身に纏ったリリィだ。彼女は一郎とセリアの間に割って入ると、両手を広げて一郎を庇うように立ち塞がった。
「一郎様の第一助手にして、直属の聖女はこの私です! 朝のご挨拶とお茶出しは私の仕事なんですからね!」
「あらあら、お子様には現場の複雑な『大人の折衝』は分かりませんわよ? 聖女様はおとなしく、子供たちと遊んでいらしては?」
バチバチと、青白い火花が散る二人のヒロイン。
「ははは。お前ら、今日も元気だな」
一郎はコーヒー(に似た異世界の黒茶)を啜りながら、平和な日常の風景に目を細めた。
王都の裏社会を牛耳っていたガルシア商会と腐敗神官ザルバは、白銀のパッカー車の圧倒的な油圧プレスによって完全に「分別処理」され、今は憲兵の地下牢で下着姿のまま泣き叫んでいるはずだ。
邪魔者は消え、利益率100%のビジネスは軌道に乗り、可愛い助手と有能な受付嬢に囲まれ、夢のマイホーム(でっかい風呂付き)の完成も間近。
「完璧なホワイトスローライフだ。……やっぱり、真面目に仕事をしてるといいことがあるもんだな」
一郎は大きく伸びをした。30歳に若返った肉体は、どれだけ働いても全く腰痛も筋肉痛も起こさない。前世の47歳当時の重だるさは消え失せ、身体は羽のように軽い。ただ本人は、「最近現場の空気がいいから、体調もすこぶるいいな」としか思っていなかった。
2.赤きアラートと、大いなる神託
その平穏は、突如として破られた。
『――ピピピピピピピッ!!!』
一郎の脳内に、けたたましい電子音が鳴り響く。
同時に、視界の空中に半透明の『ステータス画面』が強制的にポップアップした。普段は穏やかなブルーの光を放つその画面が、今は血のような赤色に激しく明滅している。
「なっ……なんだ!?」
一郎が思わず声を上げると、リリィとセリアがいがみ合いを止めて振り返った。
「どうされました、一郎様!?」
「システムエラー……? いや、これは……」
一郎の視線が、画面に表示された太字の警告文に釘付けになる。
【緊急事態発生(SOS)! 緊急事態発生(SOS)!】
【対象:ダンジョン最下層・中央環境制御システム(ダンジョンコア)】
【状態:極大汚染物質の融着による致命的過負荷。メルトダウン(完全崩壊)まで残り時間わずか】
【警告:コアが崩壊した場合、限界圧縮された超高濃度の有毒瘴気が一気に噴出し、王都を含む半径数百キロ圏内の生態系が完全に死滅します】
【スポンサー(女神)より、直属の環境浄化監督官(芝崎一郎)へ至急の出動要請!】
「コアのメルトダウン……生態系の死滅だと!?」
一郎の表情が一瞬にして険しくなった。それは、優しい「人のいいオッサン」の顔から、数百の修羅場をくぐり抜けてきた「現場のプロ(鬼監督)」の顔への劇的な変化だった。
「おい、セリアさん。このダンジョンの『最下層』ってのは、どんな場所だ?」
一郎の鋭い声色に、セリアはビクッと肩を震わせた。
「さ、最下層ですか!? だ、誰も知りません……! 我が冒険者ギルドが誇る最高ランクのパーティーでさえ、中層の奥深くまでしか到達した記録がありません。最下層は、未知の強力な魔物と、致死量の瘴気が渦巻く、完全なる『未踏の地』です!」
「未踏の地ねぇ……」
一郎は舌打ちをした。女神から聞かされていた設定を思い出す。
ダンジョンコアとは、本来、世界に溢れる不浄な魔力や死骸を吸収し、清浄な魔力へと変換して大地に還す「全自動の巨大リサイクル施設」だ。だが、そのコア自体が長年の過負荷と冒険者たちのマナー違反(不法投棄)によって処理能力の限界を迎え、機能不全を起こしている。
それがついに限界を超え、処理しきれなかった数百・数千年分の極大汚染物質がコアそのものに癒着し、爆発寸前の状態――「メルトダウン」を引き起こそうとしているのだ。
「……冗談じゃねぇぞ。もしその機械がぶっ壊れて、溜め込んでた瘴気が一気に王都に漏れ出したら、この現場のドワーフたちも、ガキどもも、みんな死んじまう。せっかく建ててるマイホームも、ただの産業廃棄物の山になっちまう」
一郎は愛用の『解体用聖杖』を腰のベルトに差し込んだ。
「大規模なインフラ崩壊(事故)を防ぐ。それが、俺たちプロの仕事だ」
3.役割分担と、出発の準備
「一郎様! 私も、私もお供します!」
リリィが進み出た。彼女のヘーゼル色の瞳には、恐怖ではなく、確固たる決意が宿っている。
「最下層は、これまでの現場とは比較にならないほど濃密な瘴気が立ち込めているはずです。いくらパッカー車のフィルターがあっても、コアに直接触れる作業となれば、私の『特級聖女の極大浄化結界』が絶対に必要になります!」
一郎はリリィの顔をじっと見つめた。
農村から出てきたばかりの頃の、オドオドとしていた少女の面影はない。今や彼女は、一郎が背中を預けるに足る、立派な「第一助手」の顔をしていた。
「……分かった。お前の言う通りだ。今回はお前の浄化サポートが鍵になる。一緒に来てくれ、リリィ」
「はいっ!!」
リリィの顔がパッと輝く。
(ああ、大賢者様が、最も危険な深淵に挑むための伴侶として、私を選んでくださった……! 絶対に、絶対に一郎様をお守りしてみせます!)
一方、セリアは青ざめた顔で一郎の袖を掴んだ。
「い、一郎さま……! 危険ですわ! 未踏の最下層なんて、軍隊を動員しても生きて帰れる保証は……っ! どうか、ギルドに討伐隊の編成を依頼して、それから……」
「悠長なことを言ってる時間はねぇんだよ、セリアさん」
一郎は、セリアの震える手を優しく、しかし力強く握りしめた。
「それに、これは俺の管轄の『清掃業務』だ。討伐隊が剣や魔法で精密なコアを攻撃したら、それこそ大爆発を起こして終わりだろ? 機械の修理とオーバーホールは、専門の業者と重機に任せるのが一番安全なんだ」
「一郎さま……」
「セリアさん。あんたには、王都での重要な『お留守番(仕事)』を任せたい」
一郎の真剣な瞳に見つめられ、セリアの胸が大きく高鳴る。
「もし俺たちが最下層で作業している間に、瘴気の一部が王都に漏れ出してきたら、パニックになる。ギルドと連携して、王都の住民や、ここの職人、子供たちの避難誘導と『情報統制』を頼む。あんたの優秀な話術と手腕なら、暴動を起こさずに住民をまとめられるはずだ。事後処理は、あんたにしか頼めない」
「わたくしにしか……」
その言葉は、打算で動いていたセリアの心に、強烈な「責任感」と「ヒロインとしての矜持」を芽生えさせた。
(一郎さまが、ご自身の帰る場所と愛する子供たちを、このわたくしに託してくださった……! 正妻としての、これ以上ない信頼の証!)
セリアは涙を拭い、決然とした表情で深く頷いた。
「……承知いたしました、一郎さま! この王都と現場の安全は、ギルド受付嬢セリアが、命に代えてもお守りいたします! ですから……絶対に、無事に帰ってきてくださいませね!」
「ああ、約束する。残業は主義に反するからな」
4.いざ、未踏の現場(最下層)へ
一郎はリリィを連れて、敷地内に停めてある白銀のパッカー車へと駆け寄った。
昨日、新機能『高圧温水スプレー洗車機(ピュリファイウォーター仕様)』で隅々まで洗い上げられた車体は、一点の曇りもない鏡面のように輝いている。
「燃料(魔力)満タン。オイル漏れなし。タイヤの空気圧よし。油圧シリンダー、異常なし。……よし、機材のコンディションは完璧だ」
一郎は素早く車両の周囲を一周し、プロの目による始業点検を完了させた。
どれほど危険な現場であろうと、焦って機材の点検を怠るような三流の真似はしない。完璧にメンテナンスされた重機こそが、彼らの最大の武器であり、命綱なのだ。
「乗れ、リリィ! シートベルトはしっかり締めろよ!」
「はいっ!」
一郎が運転席に飛び乗り、キーを回す。
『――ドゥルルルルルルルッ!! ドゴォォォォォォォンッ!!!』
これまでにないほど力強く、猛々しい重低音のエンジン音(咆哮)が、王都の空気を震わせた。
マルチハイブリッドエンジン内で、これまでの過酷な現場(ゴミの圧縮作業)によって自己充電され、蓄えられてきた膨大なエネルギーが一気に解放され、車体を包み込む神聖魔力障壁が、さらに一段階、分厚く、白光の輝きを増していく。
「よし……行くぞ、相棒!」
一郎がアクセルを踏み込むと、パッカー車はロケットのような猛烈な加速で現場を飛び出した。
「いってらっしゃいませ、一郎さまっ! ご武運を!」
セリアの叫び声と、ドワーフたちや子供たちの声援を背に受けながら、白銀の鉄獣は王都の門を抜け、一直線にダンジョンの入り口へと向かった。
5.深淵へのダイブ
ダンジョン中層の奥。
冒険者たちが絶対に立ち入らない「侵入禁止区域」の巨大な石扉の前に、パッカー車は到着した。扉の向こうからは、これまでとは比較にならないほど濃密で、どす黒い怨念のような冷気が漏れ出している。
「……ここから先は、ギルドの地図にも載っていない完全な未知のエリアだ。道なき道を進むことになる」
一郎はステアリングを握り直し、隣のリリィを見た。
「リリィ、怖くないか?」
「一郎様とご一緒なら、たとえ地獄の底であろうと、私は平気です!」
リリィは『聖女の法衣』の胸元で両手を固く握りしめ、力強く頷いた。その表情には、怯えの欠片もなかった。
「上等だ。俺たちの手で、この世界の根源にこびりついた最悪の汚れ(ゴミ)を、根こそぎ落としてやろうぜ」
一郎は不敵な笑みを浮かべ、ギアをローに叩き込んだ。
「頼むぜ、相棒! 限界突破のフル稼働だ!」
『ブワォォォォォォンッ!!!』
パッカー車が、その圧倒的な質量と神聖魔力障壁を以て、分厚い石扉に正面から激突する。
ズガァァァァァンッ!!
数百年間閉ざされていた封印の扉が、木っ端微塵に粉砕される。
パッカー車は、巻き上がる土煙と、扉の向こうに待ち受ける底知れぬ闇(最下層への縦穴)へと、躊躇うことなく飛び込んでいった。
未踏の地。
そこは、何百年も放置された巨大な廃棄物の山と、崩落した岩盤、そして瘴気の海が広がる、究極の絶望空間。
しかし、最強のおっさん清掃員と、勘違いの極致に達した特級聖女、そして白き鋼鉄の相棒(パッカー車)にとっては、ただの「少し大掛かりで、やり甲斐のある緊急の清掃現場」に過ぎなかった。
世界の命運を懸けた、史上最大の大規模修繕工事の幕が、今、切って落とされた。




