第9話 誘惑作戦
アナベルは、以前セドリックと身を潜めていた路地裏から、コーヒーハウスを見ていた。
この前はセドリックに止められて、ジュリアンと接触できなかった。
(セドリック様に相談しても、どうせ止められるに決まっている)
アナベルはジュリアンの手がかりを掴むことに急いでいた。
伯爵夫妻から、いつコーディリアの死を追うことを咎められるか分からないから。
彼らに本気で止められてしまったら、アナベルだって続けられない。
(ましてや、本当に結婚の話なんて進んでしまったら……)
コーディリアのことを調べる時間なんて、ますます無くなる。
彼が通うコーヒーハウスは、怪しい賭博場だと聞いたことがあった。
もちろん、それだけではない。裏社会の人間との関わりを持てる場でもあるようだし、このコーヒーハウスの真のオーナーはガスリー家だという噂も耳にしていた。
(あの男だったら、自分で手を施さなくても、金で人を雇うことだって考えられる)
ジュリアンがよく現れるコーヒーハウスが、悪の温床のような気がした。
(だから、王宮騎士だってマークしているんだわ)
コーヒーハウスの前に、ジュリアンが現れた。
入口の前で前と同じように馴染みの貴族と話している。
アナベルは慌てて路地裏から現れた。
今日のアナベルは、ジュリアンの目に留まるよう、胸元が大きく開いたなるべく下品なドレスを着用した。
普段まとめている髪は、ふわりと下ろして、いつもとは違う妖艶な化粧を施した。
(お嬢様がいたら、『危ないことはしないで』と叱られていたかもしれない。私だってお嬢様を心配させたいわけではないけれど、でも……私にできる方法はこれしかない)
ジュリアンの女癖の悪さを利用するしかない。
ゆっくりとコーヒーハウスに向かって歩くと、ジュリアンに思わせぶりな視線を投げた。
コーヒーハウスの前を通りすがるとき、ジュリアンと視線が交わるのを感じた。
ジュリアンの熱っぽい視線が自分の顔から、胸元へと移り、腰回りを眺めたのが分かった。
(やっぱり。あの男は、こういう女性が好きなのね。品定めされているみたいで、気分が悪いわ)
アナベルは内心をぐっと抑え、ジュリアンに見とれているように通り過ぎた。
「お嬢さん!」
ジュリアンの横を通り過ぎた瞬間。
アナベルはジュリアンに呼び止められた。
ゆっくりとアナベルが振り返ると、ジュリアンは白いハンカチを見せた。
「ハンカチを、落としませんでした?」
刺繍入りのよくあるハンカチだ。もちろん、アナベルは落としていない。
このハンカチは、ジュリアンの“いつもの手口”なのだろう。
「え? 私のものではありませんけれど……」
「そうでしたか」
ジュリアンはハンカチを引っ込めると、アナベルの方へと近付いた。
「お嬢さん、どこかで会ったような気がするけれど」
ジュリアンはアナベルの耳元でそっと囁いた。
アナベルは気持ち悪さで、全身の毛がぞわっと総毛立った。
ジュリアンの言葉は、よくあるナンパの常套句なのか、本当にアナベルに気付いているのかがよく分からなかった。
「初めてだと、思いますけれど」
「そう? まあ、そうかな。こんな美しいお嬢さんと会っていたら、忘れるわけないしね」
「そんな。美しいなんて」
アナベルは満更ではないという芝居を続けた。
「時間ある? 良かったら、一緒にお茶でもしたいな」
「お茶ですか?」
「ああ」
ジュリアンは件のコーヒーハウスを指した。
「でも、ここって女人禁制ではありませんでしたっけ?」
「まあ、表向きはね。僕は特別だからさ。奥に君とゆっくりできる部屋を用意することもできるんだけど」
ジュリアンは自分が高貴な身分であることをチラつかせた。
「え? そうなんですか?」
「興味、ある?」
ジュリアンはいつの間にか、アナベルの腰を抱いた。
(何この男。本当に気持ち悪過ぎ……)
ジュリアンの手が腰から下へと怪しく動いた。
その瞬間、コーヒーハウスの扉が大きく開いた。
そしてコーヒーハウスから、背の高いキャスケット帽をかぶった眼鏡の男が現れた。
その男は何故か、迷いなくアナベルの方へと歩いて来た。
(え……何?)
ジュリアンと密着するアナベルの細い手首を取ると、「何してるんだ?」とアナベルを責めるような低い声を出した。その声に、アナベルは聞き覚えがあった。
「え?」
驚くアナベルに男はため息をつくと、「悪いが、この女はオブライエン卿が懇意にしている女だ」とジュリアンに向き合った。
「オブライエン卿が!?」
驚くジュリアンに男は静かに頷いた。
ジュリアンは、アナベルからスッと身体を離した。
「こんなところでほっつき歩いて、卿に知られたらどうするつもりだ」
「え? あ……」
男はそういうと、ズンズンとアナベルを引きずった。
あっという間の出来事だった。
突然現れた男の顔は、チラッとしか見えなかったが、前髪の隙間から美しい青い瞳が見えた気がした。そして、握られた手から感じる熱にも、アナベルは覚えがあった。
(もしかして。でも、どうして……)
「あ、あの、もしかして」
話しかけても何も答えない男は、先日セドリックと前を通った連れ込み宿へと入って行った。アナベルは戸惑っていたが、男は構うこと宿の中へと入っていた。
勝手知ったる場所なのか。主人の顔をチラッと見ると、二階へと上がった。
「え、や、やだ。ちょっと、こういう場所、私は……」
アナベルは慌てて抵抗したが、男はアナベルの制止など聞く気はない。
部屋の扉を乱暴に開けると、「そこに座れ」とアナベルに命令した。
部屋にはベッドがあったが、男が指示したソファの方へと座った。
男は不機嫌そうにガシガシと前髪を掻き上げると、隠れていた青い瞳が現れた。
(……やっぱり!)
コーヒーハウスから出て来た謎の男は、セドリックだった。
「なんで……?」
「なんではこっちのセリフだ!」
何故かセドリックは、剣幕だった。
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