第7話 毒
表通りまで出ると、セドリックは立ち止まり、アナベルの手首をそっと離した。
「すまなかった」
そうアナベルに向き合うセドリックは、紳士的な男性そのものだった。
(噂で聞いていたときは、ジュリアン様のようなただの女好きだと思っていたけれど……)
出会って1週間も経っていなかったが、ジュリアンに感じる類の不快感を、セドリックに感じたことはない。確かに耳元で何やら囁かれると、落ち着かないところはあるが、むやみやたらと身体を近付けるわけではない。
(今日は尾行をしていたから。……そう言えば、さっき抱き寄せられた)
アナベルは、黙ってセドリックの背中を追いながら、先ほどの路地裏での密着を思い出した。
(いや、でもあれだって、私が変な勘違いしたから)
アナベルは初めて“男性”に抱きしめられたことに気が付いた。父やブラッドフォード伯爵の抱擁とは全然違う気持ちなったことに、アナベルは気が付いていた。しかし、同時にその感情が危険だとも感じていた。アナベルとセドリックでは違い過ぎる。アナベルがセドリックに好意を寄せたとしても、きっと、ロクなことにならない。
(一晩の相手でもいいなんて、私は思わない)
目の前の大きな背中が、ずいぶん遠くに感じた。
セドリックは待たせていた馬車に乗ると、アナベルに手を差し出した。
こんな令嬢扱い、アナベルは慣れていない。
アナベルは、自分の手をセドリックに差し出すのを少し躊躇った。
セドリックが今まで握った多くの女性と比較されたくないと思ってしまったから。
(ああ、本当に。いや。こんなこと、考えたくない。コーディリア様がいたら、なんていうだろう)
アナベルにとってコーディリアはただの主人ではなかった。姉妹のようでも、親友のようでもあったし、何より一番の相談相手だった。何かを思うごとに、コーディリアを思い出す。夜はどうしてもコーディリアの不在を感じてしまい、毎晩涙が流れた。この世にコーディリアがいないことが、アナベルには不思議で仕方がなかった。
セドリックはアナベルと対角線上に座ると、車窓を見た。
セドリックは、馬車の中でも適切な距離を保ってきた。
ジュリアンのように、不躾な視線を様々な女性に投げかけることもない。
(ただ、私に興味がないだけかもしれないけれど)
「さっきのノートは、どういうことだったんですか?」
馬車がゆっくりと動き出した。
「毒物の購入履歴を確認したんだ」
「え?」
「あの男は裏ルートで毒物を売買している闇商人だ」
「え!?」
そんな男と知り合いなんて、許されるの!?
「ああいう裏社会の人間は、叩いたところでまた現れる。だったら、飼いならした方がいい。こういうときも便利だろう?」
「まあ……」
(そういうものなのだろうか)
セドリックの語る世界は、アナベルには遠い世界だ。
そもそも裏社会の人間と繋がるなんてこと、有り得ない。
「それで、どうだったんですか? お嬢様を死に追いやった毒物は……」
「おそらくコーディリアが飲んだ毒物はヒ素だ」
「ヒ素?」
「毒殺では一般的だが、遅効性の場合が多い」
「遅効性って……」
「毎日少しずつ毒を盛って、段々と……という方法だ。しかし、君の主人の場合は、恐らくそうではない。相当高い濃度のヒ素がワインからも検出されたよ」
「そう、なんですか」
「ああ、死体の検分で彼女が嘔吐したことも明らかになっている」
やはり、あの臭いは吐しゃ物だったのだ。
「さっきの購入履歴では、とりあえずガスリー子爵家の名はなかった。ガスリー子爵家が裏で使用している名も見当たらなかったし、ジュリアンが入ったコーヒーハウスの関係者の名もなかった」
「そうですか」
「まあ、そんなに簡単ではないだろう。ヒ素だとしたら、裏の売人以外からの入手の可能性もある」
「そうなんですか?」
「ああ。医薬品や化粧品にも使用される」
「化粧品にも?」
遠いものと思っていた毒物が、化粧品に使用されているのは意外だった。
「ああ。化粧水なんかに入れることもあるようだぞ。美白用だとか」
「美白用の化粧水。そういえば、最近すごい効き目の高級品があるって、侍女たちの噂で聞いたことがあります。ただ、効き目はすごいけれど、食欲が落ちたり貧血にもなったりするような話も……。もしかして、その化粧水って」
「ヒ素を使っているものなのかもしれないな」
アナベルはぞっとした。
コーディリアを死に追いやった毒物入りの化粧水が人気とは恐ろしい。
「そんなに人気なのに、誰も怖がらないんですか?」
「人は欲しいものの前では、リスクを過小評価するものだ」
(そんなもの販売して大丈夫なの?)
「使ってみたいと思っていましたけど、毒物が入っていると思うと怖いですね」
「君が?」
「はい」
「そんな白い肌をしているんだから、必要ないだろう」
セドリックの言葉に、アナベルは思わず頬を赤らめた。慌てて下を向いたかと思うと、恨みがましい目でセドリックを見た。
「セドリック様が、おモテになる理由が、少し分かるような気がしました」
「は?」
「だって、そんなことをサラッと」
「そんなことって」
「肌が、白いとか」
アナベルは恥ずかしそうにごにょごにょと言った。
「肌が白いのは事実だろう? 何が問題なんだ」
「ですから! もう、いいです。セドリック様は、女性とのお戯れに慣れているから気にならないんでしょうけれど、私はそういうやり取りは得意ではありません。控えていただけると嬉しいです」
アナベルが一気にまくし立てると、セドリックが眉根を寄せた。
「女性との戯れに慣れている?」
「セドリック様は有名な方ですもの」
「さっきの裏通りでの様子もおかしいと思ったが、君は俺が誰かれ構わず襲いかかる男だとでも思っているのか?」
心外だと言わんばかりに目を眇めた。
「そんなことは」
思っていない、こともない。
実際に、自分も連れ込まれるのではないかと勘違いしたし。
「俺は君が思うほど、不誠実な男ではない」
セドリックはまっすぐにアナベルを見つめていた。
(なんでそんなこと、私に?)
セドリックの些細な言動が、甘い毒のようにアナベルの心に浸透していた。




