第6話 尾行
「頭が出てる」
アナベルの背後から、バリトンボイスが囁いた。
アナベルは慌てて路地に身体を隠した。
アナベルはすぐ後ろにセドリックの気配を感じ、身体が固くなった。
「入ったな」
セドリックはアナベルの動揺などお構いなしに、耳元で囁き続ける。
セドリックの妙に良い声も、吐息も、香りも、アナベルを落ち着かなくさせた。
(なんなの。この人……)
セドリックは、遊び人として有名な王宮騎士だった。
ジュリアンと違うところは、女性からの評判が悪くない点くらいだ。
「一晩だけでも良いから」と言っている使用人女性も結構いるらしい。
尾行を続けていたジュリアンは、馴染の貴族と通りで話していたが、コーヒーハウスの中へと姿を消した。思わず、着いて行こうと身体が動いたアナベルを、セドリックが引き留めた。
「今日はアイツの件はここまでだ」
「でも」
「中までは入れない。あそこのコーヒーハウスなら、俺たちも日ごろから監視している場所だ。他のヤツからも情報をもらえるから」
不服そうなアナベルの腕をグイッと引くと、路地裏へとセドリックが引きずった。
「え!? や、な……何!?」
「時間もあまりないから」
アナベルは、強引なセドリックの手に慌てた。
路地裏へと進むと、怪しいカフェや連れ込み宿などが立ち並ぶ。
アナベルは戸惑い、狼狽えた。
(なんで、こんなところに……? まさか、私なんかを相手にする!?)
アナベルの頭の中ではセドリックの噂話が頭を占めた。夜のテクニックの話を、うっとりとする使用人もいたことを思い出した。
(いや、絶対イヤ。真面目で、私だけを見てくれる人が良いって、コーディリア様とも散々話して来たのに)
混乱するアナベルの頭にセドリックが自分の上着をかけた。
「へ?」
「顔は隠せ」
(こういう場所って、そういうものなの?)
今日はセドリックもアナベルも、ジュリアン尾行のために私服を着ていた。
頭から被せられた上着から、先ほどよりもセドリックの香りを強く感じた。
アナベルは、何故か感じたことのない動悸を感じた。その胸の高鳴りは、けして嫌なものではないことが、アナベルを戸惑わせていた。
「あ、あの、セ、セドリック様。わ、私、こういう場所は」
「俺がついているから」
「いえ、ですから。それが嫌って言うか」
「……嫌?」
頭からかぶった上着のせいで、セドリックの様子が分からない。
声のトーンで、なんとなく機嫌の悪さを感じた。
「あの、だから、私、こういうことは、嫌なんです!」
さらに強引に手を引くセドリックの手を離すと、アナベルはセドリックに抗議した。正面から見たセドリックの顔は、少し傷ついているようにも見えた。
(い……言い過ぎた、かな……。でも、急にこんなところに引っ張って来た方が悪いんだし)
セドリックから距離を取ったアナベルに、セドリックは不服そうな顔で近付くと、再びアナベルの手首を握った。
「だから、やだって」
「暴れるな。目立つ」
「で、でも」
「薬の売人に会うだけだ」
セドリックはアナベルの腕を引き寄せると、抱きしめるように近付き、そっと耳元で囁いた。
「え……薬……?」
驚くアナベルの頭上で小さくため息が聞こえた。
「言っただろう。今日は毒の件も探るって」
「あ……」
「思い出したか」
「ま、紛らわしい場所に連れて来られたら誰だって驚きます!」
今日の尾行前、確かにジュリアンのことと毒物の件を調べると説明されていた。
セドリックは呆れたようにアナベルを見下ろすと、「俺もきちんと言わなくて悪かった」と謝った。
「とにかく治安も悪いから、俺から離れるな」
「はい。その……すみません、でした」
アナベルは自分の勘違いに顔を赤らめ、トボトボとセドリックの後を大人しく着いて行った。あまりの恥ずかしさに身もだえるアナベルの耳には、「そんな変態を見るような目で、見られるとは思わなかった」というセドリックのつぶやきは届いていなかった。
怪しげなカフェや宿屋を横切り、さらに奥の路地裏へと入ると、背の低い白いひげを蓄えた易者のような男が、角に座っていた。セドリックは男の前に座ると「明日は曇りか」と言った。男は「明日は晴れるでしょう」と言うと、長い前髪からちらっとこちらを覗いた。何かの合言葉だったのか、男はマントの中に隠したノートをセドリックに差し出した。セドリックは黙ってそのノートを開くと、パタリと閉じた。
「晴れなら良いんだ。助かった」
そういうと、懐から革袋を出すと男の前に置いた。男が革袋を持つと硬貨がジャラッと音を立てた。男はニヤッと笑うと、「はぶりがいいね」と呟いた。男は代わりにと、懐から小瓶を出した。ピンク色の液体が入っていた。
「おまけだよ」
「なんだ、これ?」
「媚薬。その子と使ったらいい」
ひげの男はチラッとアナベルに視線を送ると下卑た笑いを漏らした。
(び……媚薬!?)
セドリックは評判とは裏腹に慌てた様子で、男に「いらん」と突き返した。
「なんだよ。折角やってんのに。持ってけばいいだろう。結構楽しめるみたいだぞ」
「だから、いらん」
「なんだ? 薬の力はいらんってか?」
男はさらにニヤニヤ笑いを浮かべた。
「うるさい」
セドリックは男が差し出して来た薬を押し返すと、アナベルを引きずって路地裏から慌てて出て行った。
(媚薬とか……。本当にあるんだ)
ズンズンと進むセドリックに、アナベルは小走りに着いて行った。
チラッと見えた横顔は、唇が真一文字に結ばれていた。
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