第4話 アナベルの考察
「口紅の、色?」
目の前の青い瞳の騎士は、訝しむようにアナベルを見た。
アナベルはコーディリアの唇に視線を移した。
コーディリアの唇には、綺麗にピンクの口紅が塗られていた。
しかし、アナベルは医師が持つワイングラスを指摘した。
「ワイングラスに口紅は付着しておりません」
ワイングラスに口紅の痕を残すのはマナー違反だ。
「お嬢様はワインを口になさる前に、口紅を落とされたかと思います」
アナベルはコーディリアの傍らに置かれたレティキュールを手に持った。
ビーズ刺繍が施されたレティキュールを開けると、口紅が付着したハンカチが出て来た。
ハンカチを目にした青い瞳の騎士は、驚いたようだった。
「レティキュールの中にある化粧品は白粉と、そのローズマリーウォーター。口紅はお持ちではありません。口紅などのお化粧直しは、私の役目ですので」
アナベルは自分の職務に誇りを持っていた。
騎士たちはコーディリアのレティキュールの中を確認していた。
彼女のレティキュールの中には、アナベルが言った通りのものしか入っていなかった。
騎士たちは周囲に目をやると、使用人たちにこの部屋に誰にも近付かないように指示をして退出させ、アナベルだけを部屋に残した。
使用人たちが部屋を出ると、アナベルは騎士たちに静かに告げた。
「お嬢様の口紅を塗られた方が、いらっしゃると思います」
騎士たちは視線で会話をするように、互いの顔を見た。
アナベルの話に耳を傾けてくれてはいるが、難しそうに眉を寄せてもいた。
「しかし、なんでそんなことを」
「少しだけ、すえた臭いがしました」
「すえた……?」
「これは推測ですが……お嬢様は戻されたのではないかと」
「すえた臭いは、吐しゃ物の臭いだと?」
「はい。予期せぬ嘔吐だとするなら、口元を拭う可能性があります。そして、何ごともなかったように見せるために、口紅を塗り直す可能性もあるのではないかと」
「吐しゃ物らしきものはこの部屋には残っていないようだが」
「はい。それはそうですが」
しかし、何か不自然なのだ。
「なるほどな」
ずっと黙っていたヘーゼル色の瞳の騎士が、顎に手をやりながらそう呟いた。
青い瞳の騎士は、まだ迷っているようだったが、もう一人の騎士はアナベルの推理に乗ってくれているようだ。
「お疑いのようでしたら、お嬢様がされていた口紅を持ってまいります」
そう言うとアナベルは前室に隣接する控えの間から化粧箱を持ってきた。
帰宅した参加者もいるのだろう。夜会も終盤のようだった。
休憩室へと戻ろうとする瞬間、ダンスホールにいるジュリアンの姿が目に入った。
ご令嬢たちに囲まれ、談笑しているようだった。
(あの男。お嬢様を放置して、平気な顔で……)
アナベルは思わず化粧箱の取っ手を持つ手に力が籠った。
詰め寄りたい衝動をぐっと堪える代わりに、アナベルは3階の休憩室へと駆け上がった。
ジュリアンへの苛立ちをぶつけるように扉を開けると、二人の騎士が驚いたようにアナベルを見た。
「どうかしたのか?」
「……いえ。それより、口紅の色の確認を」
アナベルは化粧箱を開けると、夜会前に塗ったコーディリアの口紅を取った。
コーディリアの口紅を見ると、彼女と話したときのことが思い浮かび鼻の奥がツンとした。コーディリアの口紅を手の甲に塗り、二人に見せた。
コーディリアの唇に塗られた口紅と見比べる。
どちらもピンクの口紅であったが、アナベルが言うように少し色味が違うようにも思う。
騎士たちは、色を見比べながら難しい顔をしていた。
(男性にこの色の違いを分かれというのが、無理な話だったのかもしれない)
アナベルはコーディリアの下唇の紅を落とす許可を得て、持参した口紅を塗り直した。
上唇には誰かが塗った口紅、下唇にはコーディリアの口紅。
上下で比較すると違いは明らかだった。
「確かに、下唇に塗ったものの方が明るい色味だな」
青い瞳の騎士は、コーディリアの唇をじっと観察した。
「さすが、セドリック。女心も、化粧も違いが分かるんだな」
「スペンサー、余計なことを言うな」
スペンサーは、セドリックの観察眼に感心していた。
一方で、セドリックは、スペンサーに抗議をするように目を眇めた。
(セドリックって……。青い瞳の王宮騎士で、セドリックというと、セドリック・ブライトンということ? 言われてみればよく整った顔立ちだわ)
アナベルは、目の前にいる騎士の顔を初めてまじまじと見た。薄茶の髪に整った鼻梁、印象的な青い瞳、形の良い唇の横にある小さなほくろ。
「どうかしたか?」
「いえ。なんでも」
いまはセドリックのことなど、どうでもいいことだった。
「それよりも、口紅の件ですが、お分かりいただけましたか?」
「ああ。しかし、口紅を塗った者がいるということだけでは何とも」
「お嬢様はジュリアン様のお考えもご存知でした。そのことでショックを受けて突発的にとは考えられません」
「しかしだな。婚約解消というのは、年頃の女性にとって相当大きなことではないのか。ジュリアンと破談になったというと、彼女が悪くなくとも他家とも縁づきにくくなるものだ」
セドリックは、そのようにコーディリアの心情を分析していた。
「でも、お嬢様は先日新しい口紅を注文されました」
「また、口紅か」
「たかが口紅ではありません! お嬢様は、倹約家で、無駄遣いはなさらない方です。そのお嬢様が新しい口紅を注文なさって、到着を楽しみにされていたのです」
いまの口紅が無くなる前にと、コーディリアと新しい口紅を注文した日のことを思い出していた。ブラッドフォード家の家計が傾いてからは、ドレスを新調することも、お化粧品を購入することも、控えていた。見すぼらしく見えない範囲で、質素倹約を心掛けていたのだ。だから、この前注文した口紅は、久しぶりの贅沢だった。
「アナベル。折角だから、お揃いで買いましょう?」
コーディリアは、化粧が好きなアナベルが買いやすいように声をかけてくれたのだ。
「また、口紅か」と呆れられるような代物ではない。
アナベルの瞳には自分の意思に反して、涙が浮かんできた。アナベルは涙が零れ落ちないように、決して瞬きをしないように、じっと大きく目を見開いていた。
(涙で男性の同情を誘うようなことは、したくないのに……)
どういう口紅かを騎士たちに説明したかったが、後少しで涙が決壊しそうだった。
アナベルは唇をきゅっと噛んだ。
スペンサーが、セドリックの肩をポンと叩いた。
「自殺と決まったわけじゃない。他殺だというなら、犯人を捜せば良いだけの話だ。セドリック、そういうのは得意だろう?」
「ありがとうございます!」
セドリックが「え?」というよりも前に、アナベルがスペンサーの提案に頭を下げた。
「私、お嬢様をこんな目に合わせた犯人を許せません。犯人を絶対に捜し出します」
セドリックが呆気に取られたように呟いた。
「絶対に捜すって、君も?」
アナベルは、セドリックとスペンサーに深々とお辞儀をした。
セドリックは、名前も知らない侍女から目を離せなくなっていた。
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