第38話 セドリックの訪問
(そういえば、旦那様からはあの後“その話”は出ていなかった。でも、確かに、こうしてコーディリア殺害について犯人が捕まったとなると、私自身もいつまでもブラッドフォード伯爵家にお世話になり続けるわけにもいかないのかもしれない)
黙り込むアナベルに、セドリックは慌てた素振りを見せた。
「すまない。悩ませようと思ったわけではないんだ」
「いえ……。考えなければ、いけないことでしたから。旦那様にも、ご相談したいと思います」
(旦那様たちは、この件が落ち着いたら領地へお戻りになられるとおっしゃっていたし。本当は一緒に連れて行っていただきたいけれど……)
「……そうか」
「はい」
もう話は終わりだと思っていたら、セドリックがさらに問いかけた。
「アナベル、君の希望は、何か、あるのか?」
「……希望、ですか?」
「ああ」
「……許されるのであれば、旦那様たちと一緒に、ブラッドフォード伯爵領に」
アナベルが先ほどまで考えていたことを口にすると、セドリックは思いのほか驚いた。
「え!?」
「……え?」
(そんなに驚くこと?)
「ブラッドフォード伯爵領か。それはいい場所だが、少し王都からは遠いだろう」
「ええ。それが、何か?」
「君は未婚だし、年も若い。相手を探すなら王都に残った方がよいと、ブラッドフォード伯爵も以前話されていただろう?」
言い淀んでいたセドリックが、急に雄弁に話し始めた。
「それは……そうかもしれませんけれど。他家のお嬢様にお仕えする気持ちには、まだ……」
「それはそうだろうが、結婚、という方法もあると、ブラッドフォード伯爵もおっしゃっていたはずだろう?」
「……おっしゃっていましたけれど」
「けれど?」
「その方が難しいかと」
アナベルの言葉に、セドリックは間髪入れずに反応した。
「何故だ?」
「何故って……。平民と結婚しようにも、なかなか出会いもありませんし」
「何故平民なんだ? 君だって、貴族なんだから、貴族同士の婚姻を考えればいいだろう?」
「私の生家は持参金もあまり用意できないと思いますから」
「そんなに持参金を必要としない家もある」
「……そんな話、聞いたことはありません」
アナベルはセドリックに疑いの眼差しを向けた。
「俺は、ある!」
セドリックが、急に大きな声を出した。薔薇園には相応しくない声量に、セドリックも気が付いたようだった。なんと言ったらよいかと思っていると、セドリックがアナベルの方へと一歩近づいた。
「……君が望むなら、すぐにでも紹介する」
「え」
「容姿は君の好みからは少しばかりズレるかもしれないが、世間一般には悪くはないはずだ。何より一度心に決めた女性への忠誠心は、マスティフにも負けない」
セドリックは、妙に熱い視線をアナベルへと向けた。
「君だけを、特別に、思うはずだ」
アナベルは、セドリックから視線を正面から受け止めきれなかった。
『もしも選べるなら、自分だけを特別に思ってくれる男性がいいわね』
コーディリアの声が頭の中で響いた。目の前でアナベルを見つめるセドリックは、まさにそういう男性に見えた。以前、ここでシンディーと親しげに話していたのを見たはずなのに。自分が紹介されるという男性に、セドリック以外の姿が思い浮かばない。それが怖かった。
(少し、一人で……考えたい)
アナベルの戸惑いを感じたセドリックは、それ以上距離を詰めることはしなかった。「まあ、そういう男もいるということだ。少し、考えておいてくれ」と、わざと明るく笑って見せた。
アナベルはセドリックに小さく頷くと、逃げるように薔薇園を後にした。
背中にセドリックの視線を感じたが、振り返ることはできなかった。
(セドリック様が何をおっしゃりたいかなんて……。考えたってダメ)
『身分差は……そんなに問題があるか』
いつかのセドリックの言葉が、アナベルに期待を持たせる。
(もしかしたら……。でも――)
もし、彼の気持ちを受け入れたら、どうなるのだろう。
セドリック様に結婚を申し込まれたとして、私に彼のためにできることは何かあるだろうか。
私は貧乏男爵家の娘。持参金すらまともに出せるとは思えない。かたや、セドリックは伯爵家の三男だ。跡取りではないと言っても、王宮騎士団に勤め、国王からも目を掛けられているような存在だ。
牢獄の中のアイリーンを思い出した。アイリーンが“ああなった”のは、恋ゆえだ。
自分はアイリーンとは違う。そう思いたかった。けれど、そう思うのは自分の思い上がりなのではないだろうか。
アナベルは、薔薇園でのセドリックを思い出してはため息をついた。
(まあ、でも。セドリック様が言うように、今後どうするかは、早く決めないといけないわね……)
「セ、セドリック様!?」
薔薇園で会った1週間後、セドリックはブラッドフォード伯爵家を訪ねた。しかも、何故かアナベルに花束まで渡して来た。
「わ、私に……ですか?」
「他に誰がいる?」
セドリックが戸惑うアナベルに花束を差し出していると、執事のロバートに呼ばれたブラッドフォード伯爵が「やあ、ブライトン卿」と朗らかに声をかけた。
セドリックの訪問は、いつもコーディリアの件だった。だから、伯爵は深刻な顔をしていることが多かったが、今日はずいぶんと朗らかだ。様子を見る限りは、セドリックの訪問を知らなかったのは、アナベルだけのようだ。アナベルは、花束を抱えたまま、伯爵から見えないようにそっと身体の陰へ寄せた。親代わりのような伯爵に見られるのは、なんとなく恥ずかしい。
「アナベル、君も一緒に来てくれ」
応接室へ向かう伯爵に、アナベルは声をかけられた。
「私も、ですか?」
「ああ」
アナベルはよく分からないまま、セドリックと伯爵のあとに続いた。
「セドリック様のお母様の侍女ですか?」
セドリックは昨日の話の続きをしに来ていた。しかも、今日はアナベルの新たな勤め先を紹介してくれるつもりのようだ。
「ちょうど母の侍女が一人辞めることになりまして。母にも相談したところ、新しい侍女を探していると聞きました。アナベルなら、母とも気が合うのではないかと思いまして」
セドリックは、アナベルの顔色をうかがうように続けた。
「もちろん、断っていただいても構いません。彼女の意思を尊重します」
セドリックの申し出に伯爵は笑顔を見せ、アナベルに視線を向けた。その瞳は「どうしたい?」と尋ねていた。
(……尊重する、どうしたいと、いま問われても)
考えてもいなかった。他家に勤めるのであれば、コーディリアのような未婚女性だろうと考えていた。
(ブライトン伯爵夫人がどのような方なのか、存じないけれど……)
セドリックとの接点が切れないことに、アナベルはまた複雑な感情に揺れていた。
(セドリック様は……どうして、私の勤め先のことまで気にかけてくださるのだろう)
もしかして、セドリック様は私に、そばにいてほしいと思ってくださっているのだろうか。そんな期待が胸に浮かんだ。
けれど、それを確かめる勇気はなかった。




