第35話 脅迫
路地裏へ引きずり込まれた先には、顔に傷のある男が待ち構えていた。
暗がりで、何かがきらりと光る。アイリーンを拘束していた男が手を離した直後、傷のある男が小刀を振り上げた。
刃が顔に迫る。
アイリーンは、反射的に顔を右へそらした。小刀が頬すれすれを通り過ぎ、髪をひと房切り落として壁に突き刺さった。
(殺される……!)
「あ……」
アイリーンは腰から崩れ落ちるように、ずるずるとしゃがみ込んだ。男は怯える獲物を追い詰めるのが楽しいとでも言うように、ニィッと笑った。
「怖いか?」
アイリーンを見下ろす男の笑顔が、恐ろしかった。
「自分の身が可愛けりゃ……黙っていることだな」
顔に傷のある男は、今度は思い切りアイリーンの腹部を蹴った。悲鳴を上げた瞬間、腹部に激しい衝撃が走った。こみ上げるものを抑えきれず、アイリーンはその場で嘔吐した。男は驚きで放心するアイリーンの頭に、唾を吐き捨てた。
「ひっ……」
「騒ぐなよ、お嬢ちゃん」
男の蹴りが合図になったのか、アイリーンを拘束した男は倒れ込むアイリーンの胸倉を掴み身体を起こした。
「悪く思うなよ。俺らだって、女にこんなことしたくないんだぜ?」
「どうせ“やる”なら、殺るより、犯った方がいいしな」
男たちはアイリーンを見て、下卑た笑いを漏らした。
「痛い目に遭うのと、俺たちの言うことを聞くのと、どっちがいい?」
アイリーンは、男たちの言葉に血の気が引いた。何が何だか分からなかった。
「な……な……なん、で……」
「さぁな。お貴族様の機嫌でも損ねたのかぁ?」
(機嫌って……まさか、ジュリアンが……)
「安心しろ。素直に言うことを聞きゃあ、命までは奪ねえよ」
先ほどの悪魔のようなジュリアンの姿が過った。と同時に、優しかったジュリアンの姿と、目の前で自分を追い詰める卑劣な男の姿が、交互に脳裏をよぎった。
(まさか、口封じ……ということ?)
アイリーンは、ゆっくりと視線を動かした。この男たちから、逃げられる気はしない。だとしたら、黙って男たちの言いなりになるしかないのか。道路の奥に、見覚えのある長髪が見えた気がした。
(あの長髪の男……。以前、オブライエン侯爵家の使用人を名乗っていた男だ)
長髪の男はアイリーンに気が付かれたことに、気付いたのか。スッと姿を消した。
「お嬢ちゃん、ぼんやりしている余裕はあんのか?」
男はアイリーンの頬を思い切り打った。あまりの衝撃に声も出なかった。男たちから逃げるのは、自分には不可能だった。アイリーンは、観念したように目を閉じた。
「もう諦めたのか? つまんねぇな」
そう男がつぶやき、笑った瞬間だった。
「誰だ!」
ランタンの火が暗い路上を照らした。男たちの姿がランタンに照らされると、男たちは慌ててアイリーンを引きずった。小柄なアイリーンは、男たちに簡単に担がれてしまった。ランタンを持ったセドリックが、アイリーンを担ぐ男たちの足元へ石を投げつけた。
「痛ッ!」
足元がふらついた隙を逃さず、セドリックは剣の柄で男の頭を殴りつけた。男は額から血を流し、その場に崩れ落ちた。
ランタンの灯りに映し出された顔に覚えがあった。
(ブライトン卿……!?)
「スペンサー! もう一人を取り押さえろ!」
セドリックが声を上げると、スペンサーは「はいはい」と気のない返事をしながら、大柄な男に飛びかかった。
(す……すごい……。あんな大柄な男を……)
スペンサーに投げ飛ばされた男は、石畳にドシンと音を立てて倒れ、そのまま意識を失った。
「大丈夫か?」
「あ……ど、どうして」
「居酒屋を出たところで、不審な物音が聞こえた」
アイリーンに声をかけたのは、先日アイリーンに詰め寄ったセドリックだった。
セドリックは、男たちの捕縛をスペンサーに任せると、地べたに座り込むアイリーンに手を差し伸べた。青い瞳のセドリックはジュリアンを思わせた。しかし、セドリックの優しさがジュリアンの偽りのものとは違うことに、アイリーンは気が付いていた。
「ありがとう……ございます」
「どうして、こんなところに?」
何から話すべきだろう。
本当は、アナベルにすべてを話すつもりだった。セドリックが危険な男ではないかと、彼女に警告するつもりでもあった。
けれど、今、自分を助けてくれたセドリックを前にすると、何を話せばいいのか分からなくなった。
コーディリアは優しい女性だった。それなのに……。
セドリックが手に持っていたランタンが路上に置かれ、路地裏をぼんやりと照らした。
(これ以上……間違うわけにはいかない)
男たちはスペンサーに縄で縛られていた。
(この男たちを雇ったのが長髪の男だと言うのなら、オブライエン侯爵家が絡んでいるのかもしれない。もしかしたら、私の家族にも危害が及ぶかもしれない……)
アイリーンは底知れぬ恐怖を感じ、静かに目を閉じた。
「アイリーン?」
黙っていても、自分や家族が守られるわけではない。もう、誰かの言葉にすがって見ないふりをするのはやめよう。
セドリックの呼びかけに応じるように、アイリーンはゆっくりと目を開いた。
「全てを、お話します」
もう間違いたくない。その思いだけだった。




