第34話 夜襲
「……身分差ってそんなに気になるものか?」
セドリックは、ぼやいたかと思うと、ワインをゴクッと喉に流した。アナベルと共にアイリーンに接触した日から、考え事をしている時間が増えていた。
アイリーンとジュリアンが男女の関係にあったことは、ガスリー子爵家の使用人たちの証言から見当がついていた。
「あの男にとっては、身分の低い女は欲望のはけ口みたいなもんなんだろう。堕胎薬まで、何人の女性に飲ませてきたのか……」
売人を探ったところ、ジュリアンが“常連客”だとすぐに分かった。コーヒーハウスの奥の個室に何人もの女性を連れ込んだのか、数え切れないほどだ。
(世の中の評判は馬鹿にできないもんだな)
貴族社会は政敵を陥れるために噂を使うことは多い。噂を鵜呑みにできないところはあるが、ジュリアンの“女癖”の噂は正しかったようだ。
(むしろ、噂の方が控え目だな……)
「あのさ、そんなに睨まないでくれる?」
スペンサーは、いつものミートパイを切り分け豪快にかぶり付きながら、セドリックを見た。
「別に睨んでなんか」
「貴族社会に身を置いて、身分差を気にしない人間なんていないだろう。お前だって伯爵家で育ってきたんだろう」
「俺は跡取りじゃない」
「そうじゃなくてもさ。伯爵家の人間としての振る舞いは身に付けただろう?」
「それは」
「ジュリアン程ではなくたって、身分差を笠にして女性たちをいいようにする人間はいるだろう」
「俺は違う!」
不意にセドリックが立ち上がった。スペンサーは、手をひらひらと動かし、「座れ」と合図する。
「誰が、お前がそうだって言ったんだよ」
セドリックは、口を尖らせていた。
「そんなにアナベルが好きなら、本気で口説くしかないだろう?」
スペンサーの言葉に、セドリックは眉間に皺を寄せた。
「……何? まさか、お前、アナベルに嫌がられているの?」
「嫌がられては……いない、とは思うが。この前、身分に差のある男は、“対象外”だと言うようなことを」
「対象外ねぇ」
(わざわざ、セドリックにそんなこと言うってことは、アナベルだって意識してんじゃないのか?)
セドリックは自分のこととなると、慎重になるのか、ネガティブに受け止めるのか、ため息をついていた。
「まあ、本気なら長期戦で頑張るしかないだろう」
「長期戦……」
「身分差を超えた恋とか、ロマンス小説の王道だろうし」
(アナベルは現実主義っぽいから、どこまで効果があるか分からないけど)
「ブラッドフォード伯爵だって、応援してくれているんだろう? 外堀をじわじわと埋めて、逃げられないように追い詰めるとかさ」
「逃げられないように、追い詰める……」
(さすがに、そういうやり方はセドリックらしくないか?)
冗談が過ぎたなと、スペンサーが思うのと同時に、セドリックは「そうだな」と呟いた。
「逃げられないように、すればいいだけか」
セドリックは妙に納得していた。
「え? いや、冗談だぞ。比喩的な意味っていうか。物理的に拘束とかするなよ!」
スペンサーはあまりに本気なセドリックに、慌てて突っ込んだ。セドリックは「分かっている」と言いながらも、本気の目をしていた。
(本当に分かっているんだろうな……?)
「あ、おい。俺にもミートパイ寄越せ」
ようやく周りが見えたのか。スペンサーが3分の2ほど食べていたミートパイへと視線を動かした。スペンサーからミートパイを取り返しながら、「とりあえず、明日家へ様子を見に行くか」と決意していた。
「……なんで?」
「恋人に会いに来るのに理由はいるかい?」
夕暮れ時。アイリーンは、アナベルに会って真実を話そうと、エイムズ伯爵家をそっと抜け出した。だが、門を出たところでジュリアンに出くわした。アイリーンの細い手首をジュリアンがつかむと、ガスリー子爵家の馬車に乗せた。
(少し前なら、このセリフに簡単に胸をときめかせていた……)
アイリーンは、ジュリアンの視線から逃れるように下を向いた。
「アイリーン、心配していたよ」
そういうと、ジュリアンはアイリーンの身体をぎゅっと抱きしめた。
アイリーンの小さな身体はジュリアンにすっぽりと包まれた。馴染んだ温もりが、アイリーンの不安を埋めていくような気がした。
(……ダメ。流されては)
アイリーンは、ジュリアンの胸から逃れるように押し返した。ジュリアンは、怯えるように自分を見つめるアイリーンの瞳を覗いた。
「どこに行こうとしたのかな?」
「……シンディー様に、御用を頼まれましたので」
「こんな時間に?」
「はい」
ジュリアンはアイリーンに向かって不敵な笑みを浮かべた。
「ブライトン卿と、あの女の侍女が、君に接触したようだってね?」
アイリーンはその言葉に、目を瞠ったが、すぐに慌てて首を振った。その様子を見て、ジュリアンは声をあげて笑った。
「アイリーン。素直なところが、君の魅力だよ」
アイリーンはそんなジュリアンのセリフに赤くなった。
「君を見ている人間は、僕以外にもたくさんいるんだよ」
「どうして……」
「それは君が一番分かっているんじゃないかな?」
「私は、あなたに言われて!」
アイリーンは、思わず声を荒げた。しかし、ジュリアンは静かにアイリーンを見た。
「僕が、君に、何を言ったの?」
「……何をって……。薬を、コーディリア様に」
「薬? 何のことを言っているんだい?」
アイリーンが思いどおりに答えないと分かった途端、ジュリアンの目から温もりが消えた。その態度に、アイリーンの身体が冷えていくのを感じた。
「オ、オブライエン侯爵家の使用人の……」
アイリーンの言葉に、ジュリアンは顔を顰めた。
「何を言っているんだ?」
「何って……」
「どこにそんな証拠が?」
「証拠……?」
「エイムズ伯爵家の使用人も、君の心の病を随分と心配しているようだ」
「……」
「心の病は、妄想も見せるだろう」
「妄想などでは!」
「ないと、誰が証明できる? 僕は子爵家の息子だ。君はただの使用人。しかも、心を病んでいる。誰が、君の言葉なんて、信じる?」
馬車の中に夕陽が差し込んでいた。真っ赤に燃える夕陽が、ジュリアンの顔を照らした。夕陽に照らされたジュリアンの顔は、悪魔のように見えた。
(私は……本当に、とんでもないことを……してしまった)
「ああ、そうだ。シンディー様に御用を頼まれたんだっけ? そこまで送ろう」
アイリーンはジュリアンに街中で下ろしてもらうと、すぐに屋敷に戻る乗り合い馬車乗り場へと向かった。先日、アナベルとセドリックに連れて来られた居酒屋の前を通りすがった。
(あのとき、言えていたら……。何かが変わったのだろうか)
どれほど歩いただろう。気づけば、夜は更けていた。アイリーンはこぼれそうな涙をぐっとこらえた。とぼとぼと歩いていたアイリーンは、突然、背後から強い力で腕を引かれた。悲鳴を上げようとした瞬間、大きな手で口を塞がれた。




